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【堅香子】 かたかご

                          ★…【堅香子】 かたかご…★
                           2016.03.27 自宅にて
【堅香子】
この堅香子は故郷の高岡から十数年前に3輪、貰ってきた花です。3~5年は毎年花を付けてくれたのですが、根が少しずつ移動し10年後には1輪しか咲かず、一枚葉になってしまい消えてしまったとあきらめていた矢先、移植したところから1メートル以上も離れた所から、芽が出て可憐な花が咲きました。私の思い出深い花なのです。
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幼いときから、家持とこの堅香子の花は身近にありました。
”もののふの 八十娘子らが 汲みまがふ 寺井の上の かたかごの花”  ・・・大伴家持( 越中秀吟12首の5首目)
「沢山の少女たちが水を汲んでいるような姿で寺井の上に咲いている堅香子(かたかご)の花(のなんて可憐なことだろう」
「万葉集」の1首です。越中国司として高岡に赴任した大伴家持の詠んだ歌です。
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家持は29歳の若さで、越中守として赴任し富山(越中)で満5年を過ごしました。家持は奈良時代の貴族だった人物で武人の家系でありながら文才に優れ万葉集の編纂などに係わり、小倉百人一首にも名を連ねています。

富山は夏でも雪をいだく立山連峰があり、地元の人々が敬ってやまない二上山あり、自然とともに営まれる人々の暮らしなど、目にするものすべてが家持の心の琴線に触れ詩情をかき立てたのでありましょう。
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中央の煩わしい権力争いから離れ自由に才能を開花させました。期間中に223首の歌が詠まれています

「かたかご」の名の由来は、「傾いた籠」花の形が籠ににていて、頭を垂れるように咲くことから付けられとか?ユリ科の多年草のカタクリとも言われるが、バイモ説などもある。
カタクリは山野の木陰や水苔などの日陰で年間の大半を地中で過ごし、雪が解けて程なくすると向かいあった2枚の葉を出し、葉の間からつぼみを1個だけつけた花茎が伸び、ピンク色をした6弁の小さな花を咲かせる。葉や茎は食用で、地下茎から片栗粉を作ったという。

園芸種の黄花片栗は1週間ほど遅く開花しました。
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高岡の人々の思い入れが平成6年に350円切手の図柄として採用され、平成8年には高岡市の花になりました。嬉しいニュースでした。かたかごの花を見つけると、幼い頃の風景が駆け巡ります。

ちなみに、かつては地下茎から片栗粉を作っていましたが絶滅が危惧される希少種となってしまいました。
by hime-teru | 2016-04-27 22:09 | 【か】行の花 | Trackback | Comments(0)

【朱鷺草】トキソウ

                  ★…【朱鷺草】 タイリントキソウ…★
                      2016.04.17 我が家にて
【朱鷺草】
和名:タイリントキソウ(大輪朱鷺草)または、タイワントキソウとも。ラン科の タイリントキソウ属(プレイオネ属)優しいピンクの花です。
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古くより台湾から導入された球根性のランで中国南部にも分布します。
中国大陸では標高600~1500m、台湾では1500~2500mの森林内にある腐植質が積もった岩場や崖に生えているようです。
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このトキソウは、玄関の軒下で冬越しをしました。過酷な寒さでも大丈夫なのですね。お店の人は、放って置いても大丈夫と言われたが・・・いつも失敗で翌年には消えてしまうので、心配したが言われたとおり、軒下に置いていたら、新しい球根が休眠してくれたもよう。
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気がつくと新芽が伸びて花芽が付いている。1週間ほどで開花。花は1つの芽に通常1輪、花径5~7cm。花弁は薄い赤紫色で唇弁は乳白色に薄茶色の斑紋があります。
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球根からは2本の新芽が伸び、茎の頂点近くにムカゴ?まだ付いていませんが3枚、葉が出て来ました。葉は1枚ササの葉のような形で縦じわあります。
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らんの花は熱帯夜が続く地域では冷房室が必要なようですが、暑さにも寒さにも強いタイリントキソウはむしろ例外的な存在です。
by hime-teru | 2016-04-27 21:51 | 【た】行の花 | Trackback | Comments(0)

【熊本地震】本震からすでに72時間


2004年の10月、新潟県中越地震を体験し、ブログに書いてから、12年。息つく暇もないくらい沢山の地震に見舞われる日本、阪神淡路大震災 能登半島地震 新潟県中越沖地震などなど、東日本大震災(国内観測史上最大、大津波)を私は体験しました。あの時の揺れや停電が昨日のように蘇ります。そして、この度の4月14日21時26分頃におきた熊本地震、「広域的に続けて地震が発生したケースは近代観測が始まって以降は思い浮かばない」と気象庁の担当官のお話しです。

お亡くなりになられた方々の、ご冥福を心よりお祈り申し上げます。また、被災された方々のご不自由な生活を強いられていらっしゃる方々へ心よりお見舞いを申し上げます。

夜や未明の地震は暗闇の中で、本当に怖かったことでしょう。大きな揺れの後に落ち着く間もなく、巨大本震が襲いかかる。立て続けに鳴り響く不協和音の地震速報に胸が掻きむしられる数日、非難されている方々の不安げな表情を思うと胸が張り裂ける思いです。どうか、これ以上の被害が出ないよう祈るばかりです。

テレビから現地の映像に言葉を失います。押しつぶされた家屋、崩れ落ちる山肌、寸断された橋脚、農地の亀裂、活断層のずれが恐ろしい。目に見えぬ地底の力、地上にくっきり姿を現す。阪神大震災や中越地震も活断層が要因でした。全国に2000以上もあるというから、ひび割れた大地の上に住んでいるかと思うと、気が遠くなる。そして怖いです。

人命が何よりも優先というのに、国会がTPPの審議をしている。永田町から現場が判るはずがない。本震から5日も過ぎている。議員の皆さん、全員、熊本に出向いて苦難、苦境を確かめて頂きたいものです。口先だけではなく、被災者の方々と話、寄り添って貰いたいものです。
(物見見学に行くのではなく、自らの身をもって、汗を!労働を手伝ってきて欲しいと説に思います。

昨夕も震度5の余震がありました。被害が出ておりませんよう、お祈りするしか、私共には術がありません。どうぞ体調を崩されませんように。お気をつけて!乗り切って下さいますよう心よりお祈り申し上げます。

【熊本支援】私共に今、出来る事は・・・?僅かでも支援金をお送りすることしか出来ません。
本日、早速郵便局に走りました。
by hime-teru | 2016-04-18 11:03 | 時事日記コーナー | Trackback | Comments(0)

                        ★…【御忌大会 (ぎょきだいえ)】…★
                          2016.04/06 芝-増上寺
増上寺では、毎年「御忌大会」を盛大に執り行なわれます。 御忌(ぎょき)とは、浄土宗の元祖法然上人の忌日法要のことです。『練行列・庭儀式・唱導師法要』などが取り行われます。
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「御忌大会」のハイライト、6日の日中法要に我が家の菩提寺、光圓寺(東京都文京区)ご住職(佐藤良純上人様)が法主の名代の唱導師をお務めなさるので主人と出席させて頂きました。(平成28年1月25日増上寺の伝達式にて唱導師を委嘱されました)
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◆【唱導師】とは?
法会で進行の中心となり、先んじて読経し他の僧を導く僧のことを唱導師と言う。
唱導師を拝命することは大変名誉な事であり、委嘱されたお坊様は諷誦文の唱え方や作法を古老より約半年にわたり指南を受けられるのだそうです。
【準備中】
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【練行列】
法要に先立ち、大梵鐘の音と共に大門から稚児らの練り行列が出発。三門を唱導師がくぐると楼上から散華が舞い散り、行列を見守っていた人々から歓声が上る。(檀家は大殿に控えておりましたのでこの光景は身近で拝見出来ませんでしたが、歓声のの大きな声は本堂まで聞こえました。
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[双盤念仏]・・・入り口にて
双盤念仏 東京教区玉川組慶元寺、本願寺、延命寺の檀信徒による双盤念仏が、三門脇で奉納されます。法然上人の時代から連綿と続く念仏を、独特の節で唱えます。
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【散華】
法要に散華を行うのは、華の芳香によって悪い鬼神などを退却させ、道場を清めて仏を迎えるためとされる。元来、蓮などの生花が使われていたが、現在は蓮の形を模った色紙で代用することが多い。
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【庭儀式】・・・『法要期間のハイライトが庭儀式です』
◆【 唱導師様は傘をさしかけられ装束も盛装にて入堂なさいます 】
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古くから大きな法会が厳修される時に行われてきたもので大門から本堂へ向かう行列のうち、屋外を練り歩くものを庭儀式といいます。宗内役職者の僧侶や檀信徒、それに稚児行列も加わる行列で賑やかで盛大な儀式です。
儀式を終えて大殿にお入りに成られます。
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【大殿にて法要】
4月6日、日中法要は「引声阿弥陀経法要」をお勤め致します。 引声阿弥陀経とは、阿弥陀経に節をつけ、笏で拍子をとりつつ唱え、極楽の八功徳池の波の音の如しと形容されます。
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今年は、我が家の菩提寺のご住職様が名誉ある『唱導師』に選ばれて「引声阿弥陀経法要」をお勤めされました。
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【引声阿弥陀経法要】
ゆるやかな曲節をつけて阿弥陀経を唱え、笏で拍子をとりつつ唱え、極楽の八功徳池の波の音の如しと形容されます。円仁(えんにん)が唐から伝え、比叡山で行ったのが初めといわれているのだそうです。京都の真如堂などで行われている。

【舞楽奉納】
練行列に先だち舞楽が奉納されました
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舞楽奉納は80年の歴史を誇る大本山増上寺雅楽会の出仕により、御忌期間中、毎日正午過ぎより大殿前舞台において優雅な舞楽が奉納されました。
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演目は「春庭花」「納曽利」「賀殿」「陪臚」「還城楽」「散手(さんじゅ)」「陵王」などです。6日は「散手(さんじゅ)雅楽」のようでした。
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舞楽の曲は左方武舞の名作で、序と破からなる代表的な走り舞です。 舞楽の中ではよく演じられる曲で、テレビで見た事があります。 一人舞の武ノ舞。正式には《散手破陣楽》 別名《主皇(しゆこう)破陣楽》ともいう。また、「陵王」とも。
裲襠(りようとう)装束に竜甲(たつかぶと)威厳のある面をつけ太刀を腰に手に鉾をもって舞う。
釈迦が生まれたときに作られたとか!神功皇后が朝鮮を攻めたとき、率川(いさかわ)明神が兵士たちを指揮した姿を舞にしたものとの言い伝えがあるようです

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◆この曲を奏すると地鎮まるとも言われています  別名「散手破陣楽(はじんらく)」といい、嵯峨天皇は、ことのほか、この曲を好まれたと伝えられています。  毛縁(けべり)の裲襠装束面をつけ甲をいただき、太刀(たち)を腰に付けを持って舞います。  その舞振りは、当時の勇壮な武将の姿を見事に再現しています。一人舞の難舞の一つで、高い技術が必要です。特に、序は無拍節の曲のため、メロデーに合わせながら舞います。舞人と管方の呼吸ですべてが決まってしまう難曲で、殊に鉾を持って舞台後方中央より舞台全面 正面へ倒れて走る舞振りは、非常に面白く、散手にしか見られないようです。
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【装 束】
袴あ(差貫)紅地唐織物で唐花文の地紋があり、白綾の帯、その上には袍(紅地顕紋紗)を着付け、
さらにその上に裲襠(貫頭衣・紅地の唐織物で唐花文の地紋があり、生絹の毛縁が付いている)を着けます。  腰には、当帯(腰帯)。顔には、面(木製・朱塗りで眉と口顎に黒毛が植えてある。武将の顔といわれる(雅楽の面 の中で大面ともいう)をかぶり、牟子をつけ頭には甲(竜が玉 を抱いている姿を模したともいう)を乗せます。腰には太刀(衛府の太刀)を下げ、太刀を結んだ平緒に、垂平緒(ドシ織で白と紫の淡染・鶴丸と鉄線が色糸で刺繍され、五彩 の房がある)が下がっています。  手には鉾を持ちます。面を着けて甲をかぶり、非常に重装備な舞の装束です。


当日6日は檀家出席者は団参を組み、霊廟や宝物展示室、皇女和宮ゆかりの茶室などを見学した後、日中法要に参加いたしました。間近で見る「舞楽」200~300人まで及ぶお練行列、三門楼閣から舞い降りる無数の美しい散華など大殿の回廊から拝見になり、檀家の皆さまと和気あいあいに語り合いながら参拝することができ、貴重な体験と心穏やかな時間を過ごさせて頂きました。

増上寺と桜と東京タワーのコラボレーションの写真もアップしましたので、ご覧下さい
by hime-teru | 2016-04-08 20:35 | 一期一会 | Trackback | Comments(0)

★…【御忌大会 (ぎょきだいえ)】芝-増上寺境内…★
     2016.04/06 
【増上寺境内と桜と東京タワー】今年の我が家のお花見は「増上寺」でした。
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【増上寺境内】
浄土宗の寺院で天正18年(1590年)、徳川家康が江戸入府の折、たまたま増上寺の前を通りかかり、源誉存応上人と対面したのが菩提寺となるきっかけだったという。徳川家の菩提寺であるとともに、檀林(学問所及び養成所)がおかれ、関東十八檀林の筆頭となった。
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【三門(三解脱門(さんげだつもん)】重要文化財です。戦災をまぬがれた建物の1つで、元和8年(1622年)建立の二重門(重層で、各層に屋根が付く門)。この門をくぐると、三毒(3つの煩悩、即ち貪、瞋、癡)から解脱できるとされる。内部には釈迦三尊像と十六羅漢像が安置されている。
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三門は三解脱門の略。3つの煩悩―貪(むさぼり)、瞋(いかり)、痴(おろか)―を解脱する門です。 間口10間4尺5寸(19.5m)奥行5間(9m)高7丈(21m)。

【徳川将軍家墓所】 鋳抜門
増上寺には、徳川家霊廟があり、徳川将軍15代のうち、6人(秀忠、家宣、家継、家重、家慶、家茂)が葬られている。その他計35名の将軍家ゆかりの子女が合祀されている。
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第二次世界大戦前には旧国宝(建造物)に指定されており、その壮大さは日光東照宮に引けを取らないものだったが、昭和20年(1945年)に2度の空襲があり3月10日に北廟68棟が被災、続く5月25日に南廟28棟が被災し、その建造物群のほとんどを焼失した。現在は台徳院霊廟の門4棟と、有章院霊廟二天門、文昭院霊廟奥院中門(鋳抜門)を残すのみである。
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【大梵鐘】
大梵鐘の重量は15トンです。高さ3.3m、直径1.8mの巨大な大梵鐘は、延宝元(1673)年に製作されました。江戸の地で鋳造されたものとしては、最も古いものだと言われています。
大晦日の除夜の鐘、厳かにテレビで流れますね。
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【大殿】
大殿を支える柱の数48本です。この数もまた、弥陀の48願に由来しています。

【招福地蔵】
子育て招福地蔵1,300体。西向観音像にちなんで、昭和50年ごろから増えはじめました。
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【桜と東京タワー】
東京タワーの建設時、増上寺は墓地の一部を土地として提供しているのだそうです。
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【境内の桜】
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by hime-teru | 2016-04-08 19:00 | 一期一会 | Trackback | Comments(0)

                   ★…【青春18切符の旅】 孫と楽しい3人旅 (1日目)行き…★
                   2016、3/31~4/1 埼玉、群馬、新潟、福島、栃木
【青春18切符の旅】
鉄道の「時刻表」愛読書の小3の孫と、青春18切符で1泊2日の鉄道の旅に行ってきました。
思えば、上の孫(現中2)も、幼稚園の年長さんの時、電車に魅せられて、新宿からJR中央本線-篠ノ井線-大糸線(糸魚川)~北陸線に乗り換えて、高岡(新幹線のない時代です)迄、息子達3人は、全ての駅名を暗記した孫の希望で、12時間ほどかけて、私の故郷、高岡まで来たことを昨日のように思い出されます。(私共は新幹線、ほくほく線で高岡でしたが)

大人でも読めない駅名をすらすら暗記する孫に皆、驚いて本当に”ビックリポン”お口をあんぐり状態で聞く。子供の記憶力は凄いと・・・絶讃。我が家の孫は天才?と思ったものです。電車への興味は二人は、それぞれ方向が違うことも新しい発見です。弟孫は時刻表で日本の地名をスラスラ、この旅行も出発から全て、調べて計画表の”しおり”を作り、計画通りの電車の旅です。(頼もしい)
二人の孫から貰う元気は、どんな難病にも勝る最高の妙薬です。

上の孫とは夫がまだ現役だった為、一緒の電車の旅は出来なかったのですが、今回、時刻表オタクの弟孫が、時刻表を熟読、付箋を貼り、表紙を修理しながらボロボロになるまで読み込んだ、この時刻表を見ると、愛おしく、何処へでも連れて行ってあげたくなり、この度の、「電車の旅」になったのでございます。兄の方は部活の合宿期間だったので、弟孫と、おじいちゃん、おばあちゃんの3人の旅です。

この歳?になって、孫と旅が出来るなんて・・!私共は本当に果報者です。託してくれた息子夫婦に感謝でいっぱいです。 ”ありがとう”


さてさて、この度の18切符の旅の写真、ここにアップの写真は小学3年の孫がすべて撮影したカットです。
師匠のおじいちゃんに負けず劣らずの、名カメラマンぶりです。見てやってくださいね。可愛い孫の顔は載せられませんが・・・?お許しくださいませ。
先ずは「涙、涙の愛おしい時刻表」(ママから、私が時刻表出版人なら、感極まって嬉し泣きするかもと・・・と携帯で送ってきた写真です。
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出発です。
【行き】
新白岡-(新宿ライン)大宮-(高崎線)高崎-(上越線)水上-(上越線)長岡-三条-長岡 (299.1km・・・乗車時間は5時間25分)
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谷川岳(たにがわだけ)が見えてきました。群馬・新潟の県境にある三国山脈の山である。日本百名山のひとつ。周囲の万太郎山・仙ノ倉山・茂倉岳などを総じて谷川連峰という。
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頂部は二峰に分かれており、それぞれトマの耳(標高1,963m)、オキの耳(標高1,977m)と呼ばれる。
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この山の下を貫通する鉄道(上越線(清水トンネル)上越新幹線(大清水トンネル)と道路 関越自動車道(関越トンネル)トンネルを抜けると風景が一変します。
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残雪・・・春はなのみ・・・?
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スキー客の休憩所は列車のようです
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長岡から、スプ~ンのお土産を買うので三条に行きました
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by hime-teru | 2016-04-04 15:30 | 旅の情景 | Trackback | Comments(0)

              ★…【青春18切符の旅】 孫と楽しい3人旅(2日目)帰り…★
                 2016、3/31~4/1 埼玉、群馬、新潟、福島、栃木
【青春18切符の旅】・・帰り
長岡-(信越本線)新津-(JR磐越西線)会津若松-(JR快速磐越西線)郡山(新幹線)-小山-(上野ライン)新白岡(404.5Km・・・乗車時間は5時間38分)
★新津の駅から[磐越西線]の旅です
新津駅は電車の車庫も有りレトロな電車が一杯でした。
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貨物列車-EH200形式(愛称:ECO-POWERブルーサンダー)
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廃車になった、部品の博物館?サビないようにペンキを塗って手入れしてました
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[磐越西線]は、会津若松駅を境に運転系統が分かれているのです。
磐越西線会津若松駅 - 新津駅間で使用されている『キハ47形』で出発
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「森と水とロマンの鉄道」と言い、磐越西線は阿賀野川沿いを、のんびりとひたすら走ります。各駅での停車時間はなく、降りて見学の時間はありません。降りれば次の電車に2時間待たねばならないのです。
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それでも先頭車両の車窓から、頑張る磐越西線の景色を、孫とおじいちゃんは忙しく、カメラに納めていました。
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【狐の嫁入り行列の駅】
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[津川の狐の嫁入り行列」の由来は?津川地区のシンボルとして聳え立つ麒麟山に。かつて狐が住んでおり戦国時代には「津川城」別名「狐戻城」(あまりの険しさに狐も登る事を諦め戻ってしまう程の意)とも呼ばれる程の険しい山で古くから狐火(鬼火)と呼ばれる光が見られた伝説があり、民話を下地として、江戸時代の嫁入りを再現したもので、狐に扮した花嫁と仲人及びお供合わせて108人の行列が町内を通り会津街道を練り歩くお祭りだそうです。
参加者も狐の顔を模ったメイクを施し警察官・機動隊員、町内中が狐顔に染まるお祭りなのだそうです。駅近くに「狐の嫁入り屋敷」があり、地域の人々と旅人が素敵な物語をつくる場所があるようです。時間があれば5月の新緑の時期に行列を一度は訪ねて見たいと思いました。
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「おのぼり」とのアナウンス、珍しい駅名と思いきや、漢字で書くと「尾登」でした。
このあたりは豪雪地帯、3メートルの標識が立っています。
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いよいよ、会津若松です
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【乗り換え】会津若松から郡山へ
新津から会津若松の電車は窓は綺麗に拭いてありましたが、会津若松から郡山の電車は、くもりガラス、風景がぼやけます。窓を開けることも出来ず、磐梯山の山並みの車窓からの撮影は厳しいものでした。
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【磐梯山】
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郡山からは、ちょっと贅沢に新幹線、小山からは又在来線で予定通り無事、上野ラインに乗車。
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旅は終了(⌒-⌒)ニコニコ
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by hime-teru | 2016-04-04 14:20 | 旅の情景 | Trackback | Comments(0)