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〓撞球の今昔〓

                              ★… 【 象牙球 & プラスチック球 】 …★
【はじめに】
友人を介して、親しくさせて頂いている現役プロの町田様に象牙球からプラスチック球に移行した諸事情を伺いました。ストレート球を撞くような詳細極まるお返事を頂きました。多忙なところ貴重なお時間を割いて頂きました事に心より感謝申し上げます。また、時々、私のブログを見てくださっているとのことも大変嬉しく思います。

日本のプロ第一人者の町田正プロは、人生に命を懸けてビリヤードスポーツに貢献してこられ、今なお、世界に挑戦なさっていらっしゃる現役プロです。
数々の世界大会に出場され、メキシコ大会で銀メダル、「全日本四ッ球選手権大会」で優勝、1986年からは全日本アーティスティック選手権大会6連覇を達成、。日本で唯一、キャロムビリヤード公式全種目の永久A級プロの資格を持ち、本の出版も数々と、輝かしい経歴をお持ちです。戦後の良き全盛時代に現皇族、元皇族、元華族様方が集われる「霞会館」に指導に行かれた経歴もおありです。幼少の頃よりの体験を通してのお話しは確かな重みがあり貴重な歴史で御座います。教えて頂きました『ビリヤード球』の今昔、競技の諸々の事を皆様に知って頂きたく、ここに補足記述をさせて頂きました。(むろん、町田プロの了解を得たうえでの更新です)

3年ほど前に写真撮影のことで友人と町田プロのお店にお邪魔をさせて頂いた時、大正から昭和初期、戦後にかけての貴重な文化資料を見せて頂いたことが事が御座います。資料はまさに日本のビリヤードの歴史そのもので、当時の国際交流文化を彷彿される写真やカタログの数々、ビリヤードの全盛時代を改めて感慨深く拝見させて頂きました。ご自身は、「この資料を後世に大義をもって伝えて行きたい」と話されてました。
人物紹介はこのあたりにて、補足本題に入ります。

◆「田母沢の御用邸のビリヤード台」の写真をご覧になって・・・、町田氏は、″当時の最高級の四ッ球台(中台)ですね、おそらくメーカーもしくは組合から献上されたものかもしれません″当時の中台は昭和の初期ぐらいまでは「普通台」と呼ばれていました。とのコメントを頂きました事をここに記しておきます。

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 ☆ 【象牙球】について・・・・。 
1969年の世界3C(スリークッション)選手権より象牙球からプラスチック球に変わりました。
日本では1969年の(昭和43年)第6回「全日本四ッ球選手権大会」「全日本スリークッション選手権」では、昭和47年の第29回大会までが”象牙球”使用の大会だったようで御座います。(以下、町田氏のお言葉を引用しながら明記していきます

象牙球は正確に言いますと、新品のボールはあまり真球では作られていません。当時はビリヤードの球を調整したりする“球クリ屋さん”が結構多く存在していました。球クリの職人が専用ゲージで調整するときにボールの性質や象牙の目の方向を読みながら手作業で少しずつボールの表面を擦って行くのですが、仕上がった後に象牙は色々な条件で膨らんだり変形をして行くので、その後々の変化を想定しながら球クリの仕上げをします。よって、出来上がった時はあまり真球ではないのです。

故にしっかりと真球に仕上げてしまいますと、後々、使用して行く内に速い時期の段階でボールに段々と狂いが余計に生じて真っ直ぐ走らなくなってしまうのです。調整を施したボールでも、長く使用して行く内に狂いはどんどん大きくなってしまいますので、球クリ屋さんに出して擦って貰わなくてはいけません。
(徐々にボールの直径は減ってしまうからです) ↓大切保存されていた象牙球です。
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 ☆ 『ボールの公式的サイズ』
の四ッ球の大玉は(65,5mm)新品の象牙球は(約66mm)でした。使用して行く内に、玉クリ屋さんに出して、段々と標準の大きさになり、通り越して64mm位になってしまったら、約62mm の大きさに球をクリ、スリークッションに使用する。最後はかなり小さくなり、やがて小さな青いチョーク色のヒビだらけになり、上がり球になってしまいます。

  『赤球に関して』
あまり見た目には綺麗ではない象牙の素材の球を選び、赤色2号などの染料を酢で溶いて、その溶液が入った鍋などにボールを漬けて染めるのだそうです。仕上がった赤球は直接撞いてしまうと、撞いた跡が取れずに残ってしまうので、うっかり赤球を撞いてしまうと店の人に大目玉で叱られてしまいます。
この習慣が残っているのでしょう!カラーボールを撞くのは現在でもエチケットとしてタブー視されている傾向があるようです。 
また、象牙の赤球は雑巾や水で濡れた布で拭くと染料がモロに剥がれてしまいますので、それも絶対にタブーです。乾いたタオルで拭くしかクリーニングの方法はありません。汚くなってしまった赤球はまた染め直します。
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  【白球】
通常は濡れた水で拭き、その後で乾いた布で拭きます。汚れが目立ち、なかなかチョークの青さが取れない状態では、沢山の量の 「 塩 」 に水を加え、やや白くドロドロになったところに象牙球を入れて素手でやや強めに擦るように、よく塩揉みをします。その後で水洗いし乾いた布で乾拭きが専門的なやり方です。
  『保存と管理』
象牙球は普段、保存の際の管理にも注意が必要です。あまり温度差の大きな場所に置いておくのは望ましくはありません。皮のケースに綿か脱脂綿などを詰めて、その中に隙間なく入れて置くのが良いでしょう。冬期には、球をなるべく冷やさないように気をつけた方がよいそうです。

象牙球は、インド象よりアフリカ象の方が白色度が高くて美しく手球に向いている?とか。

現在では、新(サラ)の象牙球は相場が1個市価4~5万円ほどで、なかなか手に入り難いと思います。
ワシントン条約(野生動植物の保護を目的とした条約で、日本をはじめ世界の約170カ国が加盟しています)によって象牙の輸出入は禁止され、公式的にビリヤードで象牙球が使用されることは皆無になりました。

◇【 世界アーティスティック選手権 】と【 象牙球 】 について・・・
1937年(昭和12年)に第1回大会、世界ビリヤード連盟(UMB)主催がパリで開催。
当時はアーティスティックではなく「世界ビリヤードコンテスト選手権」という名称でした。優勝は A・Tiedtke (ドイツ)
1966年第5回マドリッド大会より「世界アーティスティックビリヤード選手権」に改名。
1996年第24回フランスのピティビィェ大会までは、“象牙球”を、使用しておりました。その後の2002年、第25回フランス、ファセツムニェル大会から“プラスチック球”を使用することになり、日本でも世界選手権の規定に伴い、同時期に象牙からプラスチック球に余儀なく変更されました。
※因みに、1986年のメキシコ、アカプルコ、会場コカパバーナホテルで開催された大会で町田選手は銀メダルを獲得。

ポケットにも 「世界アーティスティックプール選手権」というのがあるとのこと。
1991年に発足、以前は、「アーティスティック」 とは言わず、一般的には 「 トリックショット 」大会の時は「 ファンシーショット 」 と呼ばれていたようです。
※従いまして、ポケットの 「アーティスティック」 はキャロムから引用した後付の名称とのこと。全般的には英語名で 「ファンタジーショット」 という呼び方もあります。

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 ★ 【 プラスチック球 】 について・・・・。 
1969年の世界3C選手権から象牙球からプラスチック球に変更になってからは世界選手権、全日本選手権などの1番大きな公式大会など、ビリヤードに付随する諸々の器具やルール等、合わせた形に全んど右に習えで、世間一般のビリヤード場にも普及し今日に至ります。
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プラスチック球の素材の正確な名称は「フェノール樹脂」と言います。
フェノール樹脂の発明の経緯については戦争が関係している!とか、伝導絶縁体の開発の説もあるが、実はビリヤードのボールを人工的に作るために発明されたという説が有力であるという話があるそうです。
 
フェノール樹脂(phenol-formaldehyde、PF)とは?最も古い(1907年発見)プラスチックで、今日でも熱硬化性樹脂の代表的なものとして広く利用されています。フェノール類とホルマリン(ホルムアルデヒドの37%水溶液)と反応させてできています。

 〓『性質』
 ① 硬くて機械的強度が大きい。
 ② 各種溶剤や化学薬品に対して安定である。
 ③ 寸法安定性、耐熱性、電気絶縁性に優れている。
 (アルカリ性に弱い。茶托や鍋ぶたのつまみ、フライパンの取手がそうです)

 【 プラスチック球の経緯 】
プラスチック球は当初は配色が象牙球と一緒で、手球は白と白で、小さな黒い点のポッチか、もしくは直径4~5mm程の小さなドーナツリング状の黒い印が片方の球に2ヵ所付いていました。(中にはリングの印が赤もあったり)手球の区別は日本では、ポッチの付いている方を「黒球」ブラックボール、付いていない方を「白球」ホワイトボールと言っていました。

当時はサーブを撞く人は手球を選べるというルールがありましたので、手球の回転が解かり易いというような理由でサーブを撞く人は黒球を選んでいたことが多かったようです。

1986年、にワールドカップ連合(BWA)が発足し、3Cワールドカップ大会シリーズ戦の開催に伴い、テレビ放映に向けて、視聴者が解かり易いようにとの配慮で、それまでの「白球、黒球」から「白球、黄色球」に手球が変更されました。(この時にはボールには未だ模様が付いておりませんでした)
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当時の黄色球はベルギーのSaluc社がスーパーアラミスの黄色球の手球を開発しましたが、未だ品質的には完成度が低く、撞いている内にボールにチョークの粉が付きやすく、汚れやすく、細かい傷が多く付きやすい、また、ボールの弾力が少々他のボールと違って微妙に弾きが大きいなど不評判で、その後、経年共に品質が改良され、ほぼ他のボールとの品質差が少なくなって今の球の誕生です。
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 ☆ 【 ドットボールの経緯 】
ドットボールが試合に使用されはじめたのは、私の記憶では2002年頃だったと思います。スリークッションワールドカップからです(主に使用球)
※理由は、やはりテレビ、観客等、見ている人達に球の回転が解かり、動き自体も解かり易いように、という配慮でしょう。
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その後、程なくしてポケットにも使用され始めました。キャロムでは世界大会等でアーティスティック、3Cに使用されていますが、世界連盟では、他の競技では公式試合には使用しておりません。

実のところ、ドットボールは35年ぐらい前から存在します。ヨーロッパのビリヤードショップなどで販売してました。しかし、これは特殊球に属するもので、使用の用途は主に曲球エキジビション等のアトラクションに使用したり、ボールの性質や回転、動きなどを学習する為などに使用されていたのです。

その頃の赤球に関するボールは、ヨーロッパで赤茶系で暗くて濃いアズキ色のようなボールが存在し、ヨーロッパでは「 レッドボール 」 と一般的に呼んでおり、ドットボールのドットの色も同色でした。
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アズキ色の「レッドボール」は世界選手権の公式球としてもよく昔は使用されていましたが、日本ではあまり受け入れられず、国内では公式戦で使用されることはありませんでした。

現在のドットボールは、その頃の曲球用のボールを参考に作られたもので、ほぼ同じ模様になっています。

試合に使用され始めた当時のドットボールは、未だ品質的に未完成の部分があり、それまで使用されてきたボールとは弾力など、性質に若干の違いが感じられました。その後少しずつ品質が改良され、だいぶ良くはなりましたが、まだまだ未完成の部分あり、ヨーロッパではフリーゲーム、カードル、バンドゲームなどの、ストレートゲームでは、未だ公式試合ではドットボールは使用されておりません。

現在のドットボールでも微妙な性質の違いが認められます。
卸したてのニューボールならば、まだ良いのですが、ある程度使用したボールは下地の部分とドットの色の部分の磨耗される減り具合に差が生じるので、ボールの走りもスローなスピードのボールの最後の動きに微妙な拠れや揺らぎがある。ストレートゲームの繊細なプレイではそれが大きく影響してしまいます。

『日本ではカードルとバンドゲームでもドットボールが使用されておりますが、ヨーロッパの選手のような非常に高いアベレージを出せる選手がいないので、技術的に見て国内では昔のボールを改めて使用するまでもないであろう、という見解のようです』

私個人的には、現在のドットボールでの国内の公式戦ストレートゲームでの使用は正直に言いまして大変に不満が大きいです。、町田氏の呟き。
(試合の時には、それを考えても仕方が無いので我慢して気持ちを割り切って、いつもプレイをしております)とのこと。

【ヨーロッパの試合事情】
 ◎ ヨーロッパの公式戦では、フリーゲーム、カードルは無地の黄色球はおろか、今だに白白赤の昔のスタイルのボールを使用しております。

 ◎ フリーゲーム、カードルは一番繊細なゲームなので、例えドットが付いていない黄色球は現在でも完全では無いとの解釈をしているようです。

 ◎ バンドゲームの公式戦に関しては、ドットが付いていない黄色球を現在でも使用しています。

【日本の事情】
 ◎日本には昔のスタイルのボールは一般的に販売されていませんので、以前のボールを購入するにはヨーロッパのメーカーより取り寄せなければなりません。値段的に高くて費用が結構かかり、その上、その都度の手続きや手間が大変面倒なのだそうです。
つまりは、日本の現状では、常にニューボールを使用出来るほど、財政的に余裕が無いのです。 また、公式戦に使用するとなると、プレイヤー自身も改めてボールを購入する必要が出てきます。

 ◎現在、昔のある程度新しいドットではないボールを常駐しているビリヤード場は少なく、また協会、プロ連盟にもストックがありません。という訳で、諸々の理由で全体を考えると、現実的にストレートゲームでの使用球は、問題や難しい点が多いのが現状です。

 ◎唯一、国内の四ッ球の公式選手権だけは、ドット無しのボールで行なわれています。四ッ球を設置している店だけに関していえば、今までのストックしているボールもまだ有り、現在販売している従来の四ッ球のセットもドット無しのボールで入手できますので、現在でもドット無しのボールでも試合が成り立つという訳です。
しかし、それも、どこまで続けられるのは解かりません。

 ◎ちなみに、日本では 「 ドットボール 」 と呼ばれておりますが、海外では、「 ドットボール 」 と言っても通じない場合があります。製品の正式名称は、「 スーパーアラミストーナメント ”Spotted Ball” 」 と言います。

【余談】
他のスポーツに関しても、ボールに模様が付いている競技が多いのには、似たような理由が有ると思われます。
※例えば・・・サッカー、バスケットなどは昔から模様が付いており、バレーボールは昔は真っ白でしたが近年では割合に派手な模様が付いています。
by hime-teru | 2012-01-29 22:53 | 撞球 | Trackback | Comments(0)

                                      ★…【 御玉突所 】 ビリヤード …★
                                    2011.12.12 日光田母沢ご用邸にて
【日光田母沢ご用邸】
田母沢ご用邸は明治32年(1899)に大正天皇(当時 皇太子)のご静養地として造営されました。その後、小規模な増改築を経て大正天皇のご即位後、大正7年(1918)から大規模な増改築が行われ大正10年(1921)に現在の姿となりました。昭和22年に廃止されるまでの間、大正天皇をはじめ、三代にわたる天皇・皇太子がご利用になりました。戦後、博物館や宿泊施設、研修施設として使用された後、栃木県により3年の歳月をかけ、修復・整備され、平成12年(2000)に記念公園として蘇りました。平成15年(2003)に貴重な建造物として「国の重要文化財」に指定され、平成19年(2007)には「日本の歴史公園100選」に選定されました。
謁見所 】………天皇陛下が公式の来客との面会に使用された部屋です。
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御玉突所
赤坂仮皇居の初期に御玉突所があり、明治の初めから皇室では、諸外国との交遊のために、ビリヤードを嗜んでおられました。四ツ球と呼ばれる競技台で、ポケットがありません。手洗いを除く、台と照明器具等が復原されました。『当時の最高級の 四ッ球台(中台)です。当時の中台は昭和の初期ぐらいまでは「普通台」と 呼ばれていました』
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写真は大正天皇が韓国皇太子の日本滞在中ビリヤードを楽しまれた撞球台です。重厚な撞球台です。菊のご紋章いりです。
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キューも揃っています。
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〓現在は三笠宮寛仁親王殿下がスポーツ振興活動を続けておられ(社)日本ビリヤード協会の総裁 でいらっしゃるとお聞きしています。
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★☆私の趣味の中に異色の趣味と申しましょうか?「ビリヤード」が御座います。通いつめているわけではありませんが、ストレス解消に出かけます。キッカケは?1冊の小説雑誌。私が尊敬している女流作家が着物を着て撞球をしている写真を見て心が動いたからです。ビリヤードプレーは、台に穴のあるポケットではなく三玉、四つ球のキャロムです。一人でも楽しめる楽しいゲームですが・・・歳経る年齢からのスタートは中々手強くて難しくて思うようには参りません。毎日のトレーニングが不可欠なスポーツ、生きた球が撞けるようになるまでは数十年?個人差もありますが、長い年月の鍛錬と心身を労して努めなければ上達出来ないスポーツです。
されど、一人コツコツと激しい運動が苦手な私には格好のスポーツと思い、月1~2回ほど都内に出かけています。体の向きやグリップの位置はもとより、撞点の厚さやストロークの力加減、撞きだしのタイミング、綺麗なフォーム、捻り、寄せ玉、マッセ等、大変難しく未だに把握仕切れていません。毎回、一からやり直しと言う状態ですが、吸い寄せられる目に見えない引力!が働いて通い続けています。

◆【日本のビリヤード
日本への渡来は江戸中期に幕府に献上されたといわれている。一般には1850年代にオランダ人によって長崎の出島に持ち込まれたのが最初とされている。その後、1871年(明治4年)、東京に最初のビリヤード場が誕生しました。しかし、当時は華族、陸・海軍の将官、外務省の高官などの貴顕紳士だけの社交的競技でした。
大衆のビリヤードとして流行しのは、大正2、3年頃、山田浩二をはじめ有名選手を輩出した。技術的にも揺籃期の四つ球、三つ球競技からボークライン競技へと移り、選手らの渡米による国際交流も盛んになり、1925年春に有名選手を中心とした日本撞球協会が設立されました。昭和に入ってからは外国選手の来日などによってますます盛んになり、昭和12、13の最盛期には全国のビリヤード場軒数2万軒、台数6万台に上ったようです。37年に松山金嶺(きんれい)がアメリカから帰国、スリークッションの技術を公開し、38年に第1回全日本スリークッション選手権大会が開催されて以来、日本の選手権の主流となっていきました。
しかし、第二次世界大戦による空白はビリヤードの発展を大きく停滞させ、昭和20年の終戦時には東京、大阪などではわずか数軒という状態になる。徐々に復活し再び勢いを盛して、1955年(昭和30年)それまで適用を受けていた風俗営業等取締法から除外されビリヤードはスポーツとして法的に認められるようになりました。74年と84年に小林伸明氏が、スリークッションの世界チャンピオンになりました。平成に入り、バブル破壊と共に閉店を余儀なくされているお店が増えてきました。

競技の種類
◆carom game(四ツ球、フリー、ワンクッション、ボークライン、スリークッション)
四ツ球は赤・白2個ずつのボール。フリー、ワンクッション、ボークライン、スリークッションは、赤1個、白2個の3ツ球で行う。スリークッションは2個の的球に当たる以前に手球(自分が突く球)が3回以上クッションに触れなければ得点にならない。制限をより厳しくしたのが、ボークライン、芸術的技巧をこらしたのがアーティスティック競技なのです。
※三ツ球しかなかったキャロムゲームに白玉をもう一つ加えたキャロム(四ツ球)が考案されたのもアメリカです。

◆pocket game(ローテーション、ナインボール)
アメリカ式とイギリス式がある。アメリカ式はプールともよばれ、白ボール(手球)1個と1~15までの番号をつけたボールで行うローテーションゲーム、エイトボール、ナインボール、14―1ラック(フォーティーン―ワンラック)などがある。イギリス式はスヌーカーで、最近、ヨーロッパ、カナダ、東南アジアなどでも盛んに行われるようになった。リンカーン大統領もナインボールが大好きだったようです。また、イギリスでは、番号が無いポケット(スヌーカーゲーム)盛んになり、現在でもその周辺の放送電波の届く地域では日本のプロ野球並みにテレビ放送があるらしいです。〔電子辞書参照〕

◆【アーティスティック(曲球)という競技
アーティスティックとは芸術の。芸術的技巧。趣のある。優雅なと言う意味がある。アーティスティック・ビリヤードは、まさに技の美しさを競う競技です。
華麗なプレイヤーの姿を数枚アップします。世界大会に出場されている選手の方々です※ 
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『なお、 写真はアーティスティック日本代表戦のカットを記録続けている友人の許可を頂いて拝借致しました。世界選手権大会にも出場された方々です。Y様、ありがとう御座いました。』

私は始めてプロの方々のアーティスティック競技を拝見した時の驚きは今でも鮮明です。野球やサッカーのようなチームで燃えるような姿ではありませんし、サポータも賑やかに騒ぐ人はいません。選手の方々は、小さな球一点に神経を集中して、しなやかにキューを撞く。球が軽業師のように羅紗の台の上をスピンしながらカーブしたり、飛んだり戻ったりと正確に的玉にあたり緊張が緩む。タップ(撞点)がコンマ1㍉ずれれば、正確なコースを外してしまう。観客は固唾を呑んで見守るのです。むろん成功すれば拍手ですが、鳴り物など一切ありません。華麗なゲームです。
【競技内容】
キャロム・テーブルで決まった位置に2個の的球と1個の手球を置き、マッセや「切り押し」「切り引き」他の競技よりも手球に鋭い回転を賭けるショットを多く用いて全ての的球に手球を当てるのです。配置によって難易度が変わり、その難易度によって5-10点の得点が与えられる。日本ビリヤード協会(NBA)のキャロムビリヤード競技規定によると、一つの配置を規定条件と呼び、複数の規定で得た合計得点によって勝敗が判定される。プレイヤーは3回連続した試技が許され、一度成功するとその規定の得点が与えられる。下記の図はほんの一部、私が観戦したときは100種目で競っておられました。
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戦いの後の(玉台)の上は星座の如く競技の余韻が残ります。↑

このような妙技を芸術として鑑賞出来る環境が日本に無いことは非常に残念に思います。

【雑感】
子育てに追われていた頃の私はビリヤードの事は知識ゼロ。映画ハスラーで始めてその存在を知った時はまだまだ世間知らずの?十代、遊び人が高じる夜の遊び、今で言う「カジノ」ばくちという認識でした。
それが【1冊の小説雑誌】で私が尊敬している女流作家が着物を着て撞球をしている写真を見たからです。目から鱗です。何故だかそのスマートさに心が高鳴る。あこがれと願望が、ある日突然、機会を得る。友人に無理を言って某撞球場に連れて行って貰う。興味津図、好奇心に誘われて通うことになりました。
それは何時であったか?お茶会の帰りに立ち寄りあこがれの女流作家の如く着物姿で撞球している写真を撮って貰ったのです。(周囲の目線はとても気にはなりましたが)今では私のお気に入りの貴重な写真として大事に机の上に鎮座しています。

このブログには載せることは出来ませんが、ビリヤード音痴の私ですが、何故か恵まれた出会いがあり感謝です。世界チャンピオン小林伸明氏と一緒の記念写真や、USチャンピオンマイク・シーゲル(Mike Sigel)氏とのツーショット写真もあるのです。
★マイク・シーゲル氏は、映画 ジェームズ・コバーンの新ハスラー - オープニングでトリックショットを披露した人らしい。
by hime-teru | 2012-01-20 21:21 | 撞球 | Trackback | Comments(2)

                                   ★…  【 成田山詣で 】  成田山新勝寺 …★
                                          2012.01.09 成田にて
寺社詣では年頭の祈願をする日本の重要な年中行事の一つです。新年のお願い事は、お参りされる方々によって様々だと思います。新年を迎えた期待の心や祈りの心は、清く、明るく、尊いものです。
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昨年末の30日に息子一家が我が家に里帰り、昨年surprise(サプライズ)を運んでくれた多忙な孫は、夕刻から大晦日の二日間、熱と嘔吐で1年を締めくる。が・・・、嬉しいことに新しい年明けと共に何事も無かったかのように元気に回復(驚きと安堵の新年のスタートでした)屠蘇とお雑煮を戴き家族で氏神様にお参り致しました。破魔矢を買ったところで今年は息子の厄年を知る。
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江戸時代、成田山新勝寺、多摩の高幡寺、相模の大山寺などの不動尊が庶民の信仰を集める。
東京下町育ちの我が家の家系は成田山に信仰厚く、ことある事に成田詣でをしておりました。何度かお供をしている内に、受験祈願や病気治癒祈願にお参りに行くようになりました。
今年は息子の厄年にあたり、家族で厄除の御祓を受けてきました。
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『お不動様』は真言密教の総徳である大日如来の化身であります。奴僕(ぬぼく)のお姿右手には、悟りを開くための智慧を表す利剣を持ち、左手には、索(なわ)を持っておられます。
「あらゆる厄難を払い、一切の災難を取り除く」護摩の祈祷を通じて、むさぼり、いかり、おろかさという心の迷いを、お不動さまの智慧の炎で焼きつくし願望を清め、すみやかに成就するよう祈念して参りました。
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【開運厄除御祓(かいうんやくよけおはらい)】
厄除の厄という字は元来、木の節を意味し、後に人生の節目として使われるようになりました。厄年は精神的にも肉体的にも変化の多い人生の節目にあたる年で、災難にあいやすく苦労の多い年回りとされております。このような時にこそ、自己を正しく省みて、苦難に耐え、自信を持って目的に向かい、努力精進することが大切であります。
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「激しい大いなる怒りの相(すがた)を示される不動明王よ。迷いを打ち砕きたまえ。障りを除きたまえ。所願を成就せしめたまえ。カン マン。」ご真言を聴く。
大いなる慈悲の心により、私たちのあらゆる厄難を取り払い、身代わりとなって守って下さいます。

九日は成人の日でもありましたので大本堂前で新成人記念記帳が行われていました。

成田山新勝寺は天慶3年(940年)寛朝大僧正によって開山されました。御本尊不動明王は平安の昔、瑳峨天皇の勅願により、弘法大師が一刀三礼敬虔な祈りを込めて敬刻開眼された御尊像です。大師が伝来され奉修された真言密教の護摩法の正系を伝えています。
開山以来1070年の間、護摩供の香煙は一日たりとも絶えることなく輝かしい法灯を護持継承し、わが国不動尊信仰の随一祈願道場として数多の信仰をあつめています。霊験利益は数限りなく今日では年間1000万余の全国信徒の参詣者があるとのこと。門前通りは沢山の参詣者で溢れていました。
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お坊さんの托鉢姿にも出会いました。
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風もなく暖かな祝日でした。参道の名物、ウナ重を食べて、出たところで大道芸「猿回し」を見学。子供達は大喜び、穏やかにお参りが出来ました。【合掌】
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 ”佳き年になりますように”
by hime-teru | 2012-01-11 23:31 | 一期一会 | Trackback | Comments(2)

【山手七福神】

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                                            2012.01.06 目黒界隈
七福神信仰は室町時代の中頃から起こり初めは恵比寿、大黒天が信仰され江戸時代の中期には庶民の信仰の一つとして今の形が定着しました。「江戸最初・山手七福神」は江戸城の裏鬼門守護のため将軍の鷹狩りの際の参詣した目黒不動尊(滝泉寺)の参詣道筋に設置された江戸最初の七福神巡りだったようです。
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当時の庶民は元日から七草までの間に近くの七福神巡り歩き、一年間の家内安全、無病息災、商売繁盛、等を祈願して歩かれた。

①滝泉寺 目黒不動尊 (恵比寿天)
右手に釣り竿を持ち、左手に鯛を抱えている、狩衣姿の恵比寿天は、古来の神様で、もともとは航海と漁業の守り神です。商売繁盛の神様です。
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賑わっていました【目黒不動】
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②蟠龍寺  岩屋辨天(弁財天)
ヒンズー教の代表的女神サラスバーティを由来としている弁財天は、水の神様。また、音楽・弁舌の能力も与えてくれる神様であり、知恵と財宝の神様です。
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③大円寺(大黒天)
米俵に乗っている大黒天は、インドの神様と大国主命の習合。大きな袋と打ち出の小槌で、多くの人々を救済する、出世財福の神様です。
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④⑤妙円寺 白金妙見(福禄寿、寿老人)
福禄寿
短身長頭で白い髯がある福禄寿は、中国の神様で、南極老人星の化身です。福は幸福、禄は高禄、寿は長寿をあらわし、三徳を兼ねた神様です。
寿老人
杖をつき長い頭の寿老人は、中国の神様で、七福神の第一におかれる長寿延命の神様です。
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⑥瑞聖寺 (布袋尊)
袋をたずさえて笑っている宝袋尊は、中国の禅僧で実在の人物。弥勒の化身の宝袋尊は、すべてを包容する和合成功の神様です。
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⑦覚林寺 清正公 (毘沙門天)インドの神様で別称多聞天といいます。右手には財福を生む宝棒(鉾)左手には除災招福の宝塔を持っています。
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【百度参り】
神仏に祈願するための呪法の1種。ある特定の社寺に百度参詣して祈願する。祈願の形式はその心情が痛切なほど複雑化する。一度の参拝では満足できずに百度、千度と参詣するようになる。
こうした形式を簡便にしたのがお百度石である。これは社寺の境内の拝殿から一定の距離にある石で、一度拝んでからこの石の所に戻ってふたたび拝みに行く。この行為を百回繰り返すのである。これを俗にお百度を踏むという。回数を間違えないように数取りがある。素朴なものでは小石や小枝を百ほど用意して拝む度に一つずつ置いてくる。また神前に竹べらが用意されていたり、お百度石の壁面にそろばんの形のものが備えてあったりする。
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願いを神仏に聞き届けてもらうために何日間もお参りするという行為が神前とお百度石の往復に集約されたわけである。しかし、人々の切実な願いが背景にあるために人の目に触れては願いが成就しないのである。時代劇でよく見ますよね。昔はどのお寺山さんにもあったのかも知れません。

【隅田川七福神めぐり】
【柴又七福神】
【日本橋七福神】
【深川七福神】
もご覧下さい。
by hime-teru | 2012-01-08 23:10 | 七福神めぐり | Trackback | Comments(0)

謹賀新年

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皆様はお健やかにお正月をお迎えの事と存じます。
我が家は孫が来てくれて賑やかな新年を迎えることが出来ました。

本年も宜しくお願い致します
by hime-teru | 2012-01-01 22:08 | 時事日記コーナー | Trackback | Comments(4)