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              ★…  【 源氏物語巻名の花  】 巻10  『賢木』  榊・さかき …★    
                       撮影はH18,11,25 我が家にて
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源氏(近衛大将時代 )二十三歳秋九月~二十五歳夏迄。第二段(野の宮訪問の贈答歌が巻名になっています) ↑上は「サカキ」↓下の写真は「ヒサカキ」です。
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◆【物語】
斎宮が伊勢へ下向される日が近づき御息所(みやすどころ)は心細く過ごしている。左大臣家の源氏の夫人(葵の上)がお隠れになられた後は、世間は源氏と御息所が夫婦になると噂し、六条の邸の人々は喜びを予期して興奮していたのであるが、意にそわず源氏は冷淡な態度を取るのである。苦痛に耐えながら御息所は伊勢行きを断行するのでした。
一方源氏は冷淡な男だと思われはしまいかと御息所のいる野宮を訪問する。野宮は篝火を焚いた番所がかすかに見えて人少なな湿っぽい空気が感ぜられる。こんな所に御息所が幾月も暮らし続けていたのかと思うと源氏は高雅な年上の恋人(御息所)がいたわしくてならなかった。(見勝手な男ですね)
御息所は見識の高い美しい貴婦人で名高い人であった。生き霊と化した体験を経て神域・野々宮の厳かな中でにこと寄せた源氏の歌がきっかけで心が通い合い、しめやかに別れの場面が展開していく。
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野々宮まで出向いてきた源氏は
をいささか折りて持たまへりけるを、挿し入れて…源氏
 榊(さかき)の枝を少し折って手に持っていたのを、源氏は御簾(みす)の下から入れて・・・。変わらない心に導かれて禁制の垣根も越えて参ったのに、何と薄情な!・・と源氏が恨み言を言う。
②神垣は しるしの杉もなきものを いかにまがへて折れる賢木(榊)ぞ…御息所。
  )「ここには人の訪ねる目印の杉もないのにどう間違えて折って持って来た賢木(榊)なのでしょう」…御息所。   
③ 少女子があたりと思へば 賢木葉の香をなつかしみとめてこそ折れ…源氏
  )少女子がいる辺りだと思うと賢木葉が慕わしくて探し求めて折ったのです…源氏。
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◆【サカキ〔栄樹・榊〕】ツバキ科の常緑高木。若枝は緑色であるが次の年からは褐色となる。葉は全縁で細い楕円形、夏、柄のついた花を1~4個、腋生する。萼片、花弁ともに五枚、雄しべは多数で花弁の基部に合着する。秋に球形で黒紫色の液果を結ぶ。暖帯林中に生え関東地方以西の本州から九州および中国に広く分布する。神社や庭によく植えられ、栄樹と書くのは年中葉が緑色であるためで榊の字は神道の神事に用いることによる。サカキのない東北、北海道では、よく似たヒサカキを神事に代用する。

             ●…………………………………………………………●
                  撮影はH18,11,21京都嵯峨野にて
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◆【野宮(ののみや)】
斎宮伊勢の神宮に派遣される斎王(さいおう)の潔斎(けつさい)のための場の一つ。伊勢の神宮にはその鎮座以降、後醍醐天皇の時まで、歴代皇女また女王のなかより斎王が選ばれ派遣されてきたが『延喜式』によると、その斎王卜定(ぼくじよう)の後、宮城内の適当の箇所を占って初斎院とし、そこで半年から1年潔斎、あと宮城外の野宮に入り1年潔斎して伊勢に行くこととなっていた。その場はおもに京都瑳が野(さがの)があてられていた。この起源は明らかでないが『日本書紀』天武天皇2年4月の条に大来皇女(ひめみこ)を泊瀬斎宮(はつせのいつきのみや)にいらせられたとあるのが初見である。
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◆桂川で斎宮の御禊の式を終え斎宮(宮)の輿に同乗した御息所へ歌をおくる。
④大将の君(源氏)いとあはれに思されてにさして・・・。
 )源氏は身にしむ思いをしながら別離の情に堪えがたい心を書いた歌を榊に挿して送ったのです。
御息所からの返事は簡単に書かれてあるが、貴人らしく巧妙な風情と優美な字で書かれていた。
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野の宮は簡単な小柴垣(こしばがき)を大垣にして連ねた質素な構えである。丸木の鳥居などはさすがに神々(こうごう)しくて、なんとなく神の奉仕者以外は近寄りがたく思わせる。
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齋宮はこの「野の宮」で一年間潔齋した後の九月に伊勢神宮へ向かうのに御息所も伊勢行きを断行するのでした。
☆【野々宮神社の斎宮行列。今年の斉王さん。』
主催:斎宮行事保存会、嵐山商店街、嵯峨商店街 今年で8回目「斎宮行列」の写真を撮影したものです。斎王が任命を受け都から伊勢の斎宮へと向う旅。斎王以下監送使、官人・女官などあわせて数百人にも及んだようです。勢多頓宮、甲賀頓宮、垂水頓宮、鈴鹿頓宮、壱志頓宮を経て斎宮に到着する迄、 5泊6日もかかったようです。
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【野宮】
皇女もしくは女王が斎宮または斎院になる時、精進潔斎のために一年間こもる宮殿。黒木の鳥居を設け柴垣をめぐらし、斎宮のは嵯峨に、斎院のは紫野にあった。
☆華やかな装束に身をまとった百人の人々が嵐山で往時の夢を再現。斎宮(斎王)は天皇が新たに即位 するごとに、天照大神の御杖代(みつえしろ)として伊勢神宮に遣わされた未婚の内親王もしくは女王。この歴史は飛鳥時代の天武天皇の頃にはすでに確立されており、南北朝時代の後醍醐天皇の頃まで、およそ660年間、64人の姫君が遣わされていたと言い伝えられています。
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能の曲目【野宮・ののみや】の三番目・鬘(かずら)物。五流現行』
晩秋の嵯峨野(さがの)を訪れた諸国一見の僧(ワキ)は、野宮の旧跡に『源氏物語』の世界を懐かしむ。何百年もの昔の長月7日、伊勢神宮に仕える神女に選ばれた娘とともにこの神域にこもる六条御息所(ろくじようのみやすどころ)を光源氏が訪ねていった。生来の強い自我ゆえに光源氏との愛を全うすることの出来なかった六条御息所も、あの世で女らしさを取り戻し、この思い出の地に、思い出の日になると毎年やってくる。里女姿のその亡霊(前シテ)は僧に光源氏との恋の経過を語り身の上を明かして消える。僧の弔いに、ありし日の貴婦人の装いでふたたび現れた六条御息所(後(のち)シテ)は、源氏の正妻の葵上から受けた加茂(かも)の祭の車争いの屈辱を訴えるが、やがて輪廻の苦しみを救ってほしいと僧に願う。月の下に美しい思い出の舞が舞われ、かつての愛の日がその心によみがえるが生死の境にさまよう身を恥じて彼女の姿はその傷心の象徴である牛車(ぎつしや)に乗って消えていく。死の濾過(ろか)によって純粋な女心を取り戻した六条と、それを妄執と冷たく見据えている六条の理性の両面がみごとに描かれ、まろやかな幼なじみの恋の名作『井筒(いづつ)』と並ぶ恋の幽玄能の最高傑作である。古来世阿弥(ぜあみ)作の説があるが確証がないとのこと。
     ★… これより古都「嵯峨野・野々宮神社と周辺の風景です …★
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 ※【参考】
●六条御息所(ろくじょうのみやすどころ)
前皇太子(即位する前に死亡したため、桐壷帝が即位した。)の妻であった人、十六歳で皇太子妃(ひ)になって、二十歳で寡婦になり、三十でまた内裏へ入る。多くの女性と関係をもつ源氏に嫉妬し、その心が物の怪となって夕顔や葵上を死に至らせた。後に病で死亡する。
●秋好中宮(あきこのむちゅうぐう)
六条御息所と前皇太子との間の子。伊勢の斎院だったが、任期が過ぎたので帰京。その後、母御息所が亡くなったが源氏が養女としてひきとり、冷泉帝のもとに入内した。六条院にも住まいを持つ。
by hime-teru | 2006-11-29 17:57 | 源氏物語(巻1~巻10) | Trackback | Comments(0)

              ★…【 源氏物語の文中の花 】 巻42『匂宮』 巻49『宿木』  菊・きく …★
 〓(NO-3)〓
『匂宮・宿木』 の巻の文中 
【幻の巻の(雲隠・くもがくれ)→(題名のみの巻)源氏の出家と死を暗示し、ここで光源氏を中心とした本編)が終わり、巻42【匂宮】から源氏の子孫や縁者の話(薫と匂宮の物語)が展開されていきます。後の物語を「宇治十帖」と称します。】
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7)◆巻42‥【匂宮】
①老を忘るゝ菊に、おとろへ行藤袴、物げなきわれもかうなどは、いとすさまじき霜枯れのころをひまでおぼし捨てず。
意)老を忘れる菊に、衰えゆく藤袴、何の取柄もないわれもこうなどは、とても見るに堪えない霜枯れのころまで愛し続けになるような風流をしておいでになるのであった。(薫君)
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8)◆巻49‥【宿木】 (帝が女二の宮を薫に降嫁させようと考える巻)
①御前の菊移ろひはてて盛りなるころ、空のけしきのあはれにうちしぐるるにも、まづこの御方に渡らせ給て、むかしの事など聞えさせ給ふに。
 意)お庭先の菊がすっかり変色して盛んなころ、空模様が胸打つように、ちょっと時雨するにつけても、まずこの御方にお渡りあそばして、故人のことなどをお話し申し上げあそばすと・・・
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◎第四段 帝、女二の宮や薫と碁を打つ場面で三番のうち二番を帝がお負けになった時。★「 ねたきわざかな」とて、「 まづ、今日は、この花一枝許す。おもしろき枝を折りて参りたまへり 」
 意)「くやしいことだ。まあ今日はこの庭の菊一枝を許すと薫君に」美しい『この花』とは『御前の菊移ろひはてて』の文章から「菊の一枝」だと思います。
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②霜にあへず枯れにし園のなれど残りの色はあせずもある哉とのたまはす。
 意)霜に堪えかねて枯れてしまった園の菊であるが残りの色は褪せていない
な、 と仰せになる。
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のまだよく移ろひはてで、わざとつくろひたてさせ給へるは、なかなかをそきに、いかなる。一本にかあらむ。
 意)が、まだすっかり変色もしないで、特につくろわせなさっているのは、かえって遅いのに、どのような一本であろうか。
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◎(菊の花は主に白菊が愛好されていたようですが、紅紫色に変色したものも賞美されていたようです。「移ろひ果てて盛り」というのは変色した盛りの花のようです。(女二の宮と薫の結婚が日程に上ってきた場面の一コマ)
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【物語】
菊(キク)の名が20箇所ほど出てきます。和名のキクは漢字の菊の音読みで、菊の字は鞠とも書かれ鞠は窮と同じ意味で窮極または最終の意味だそうです。菊の花が年のいちばん終わりに咲くことからこの字が使われたといわれている。
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◎【菊】
キク科の宿根草日本に野生する菊は約20種、局部的に分布するものが多い。ハマギク、コハマギク、イソギク、シオギク、ノジギク、リュウノウギク、シマカンギク、アワコガネギク、イワインチンなどがある。平安時代はリュウノウギクのような小菊を愛でたと思われます。
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by hime-teru | 2006-11-27 22:54 | 源氏物語(巻41~巻50) | Trackback | Comments(0)

            ★… 【 源氏物語文中の花 】 巻9(葵) 21(少女) 33( 藤裏葉) 41(幻)  菊・きく…★
(NO-2)『葵・少女・藤裏葉・幻』 の巻の文中 
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3)◆巻9‥【葵】
①深き秋のあはれまさり行風のをと、身にしみけるかなと、ならはぬ御ひとり寝に、明かしかね給へる朝ぼらけの霧りわたれるに、のけしきばめる枝に、濃き青鈍の紙なる文つけて、さしをきて往にけり。
意)「晩秋の情趣を増して行く風の音、身にしみて感じられることよ」と、慣れないお独り寝に、明かしかねていらっしゃる朝ぼらけの霧が立ちこめている時に、の咲きかけた枝に、濃い青鈍色の紙の文を結んで、ちょっと置いて去っていった。
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4) ◆巻21…【少女】
①冬のはじめの朝霜むすぶべき菊のまがき、我は顔なる柞原(ははそはら)、おさおさ名も知らぬ深山木どもの木深きなどを移し植へたり。
 意)冬の初めの朝、霜が結ぶように菊の籬、得意げに紅葉する柞の原、ほとんど名も知らない深山木などの、木深く茂っているのを移植してあった。
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5)◆巻33‥【 藤裏葉】 
①女君の大輔の乳母、「六位宿世」とつぶやきしよひのこと、物のをりをりにおぼし出でければ、のいとおもしろくてうつろひたるを給はせて・・・、
 意)女君の大輔の乳母が、「六位の人との結婚」と、ぶつぶつ言った夜のことが、何かの機会ごとにお思い出しになったので、のたいそう美しくて、色の変化しているのをお与えになって・・・。
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②※「あさみどりわか葉の菊を露にても濃きむらさきの色とかけきやからかりし折の一言葉こそ忘られね」
 意)「浅緑色をした若葉の菊を 濃い紫の花が咲こうとは夢にも思わなかっただろう。辛かったあの時の一言が忘れられない。
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③※「ふた葉より名立たる園のなればあさき色わく露もなかりきいかに心をかせ給へりけるにか」といと馴れて苦しがる。
 意)「二葉の時から名門の園に育つですから 浅い色をしていると差別する者など誰もございませんでした」と、いかにも物馴れた様子に言い訳をする。   
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④あるじの院、をおらせ給て、青海波の折をおぼし出づ。
 意)主人の院、を折らせなさって、「青海波」を舞った時のことをお思い出しになる。
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⑤色まさるまがきの菊もをりをりに袖うちかけし秋を恋ふらし
 意)色濃くなった籬の菊も折にふれて袖をうち掛けて昔の秋を思い出すことだろう。
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6)◆巻41 ‥【幻】
①九月になりて、九日、綿おほひたるを御覧じて、もろともにおきゐし菊の白露もひとりたもとにかるる秋かな
 意)九月になって、九日、綿被いしたを御覧になって「一緒に起きて置いた菊のきせ綿の朝露も今年の秋はわたし独りの袂にかかることだ」
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                 ―――――――〇――――――
平安文学には9月9日に前夜菊の花にかぶせておいた真綿をとり、その香と露を移した綿で身をなでれば長寿を保つという菊の着せ綿なども描かれている。
江戸時代になると・・重陽が五節供の一つとなり、諸大名は菊花を添えた献上品を将軍に貢じ江戸の「浅草寺の観音堂」では菊供養が行われた。ほかに菊の新花を持ち寄って美しさを競う「菊合せ」や菊人形も江戸中期から末期にかけて催された。
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by hime-teru | 2006-11-26 16:19 | 源氏物語(巻1~巻10) | Trackback | Comments(0)

             ★… 【 源氏物語文中の花 】 NO-1 巻2(帚木〉  巻7( 紅葉賀) (菊・きく)…★
                             撮影はH18,10月~11月
NO-1〓  『帚木・ 紅葉賀』 の巻の文中  
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菊は『万葉集』には歌われず『古今和歌集』や『源氏物語』などから登場する
平安時代以降は春のサクラ、ウメと並んで、秋の代表も花になった。中国では延命長寿の霊草とされており、初めは薬草として日本へ渡来したという。のちに観賞用となったようです。    
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1)◆巻2‥【帚木】
いとおもしろくうつろひわたりて、風に競へる紅葉の乱れなど、あはれとげに見えたり。
※意)は一面にとても色美しく変色(白菊が紫をぼかした庭)しており、風に勢いづいた紅葉が散り乱れているのなど、美しいものだなあと、なるほど思われました。
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をおりて、「琴の音も月もえならぬ宿ながらつれなき人を引きやとめけるわろかめり」
※意)を手折って「琴の音色も菊もえならぬ宿ながら薄情な方を引き止めることができなかったようですね」
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③九日の宴に、まづかたき詩の心を思めぐらし暇なきおりに、の露をかこち寄せなどやうの、つきなきいとなみにあはせ、さならでも・・・、
※意)重陽の節会の宴会のために、何はともあれ難しい漢詩の趣向を思いめらしていて暇のない折に、の露にかこつけたような、相応しからぬことに付き合わせ、こんな思いやりのないことをしないでも場合さえよければ・・・
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陰暦9月の異名を「菊月」といい、9月9日を「菊の節供」とか「重陽の節供」というが、中国では、陽の極数である九が重なる日を「重陽」「重九」とよんで、めでたい日とした。この日「登高」といって丘に登り野外で菊花酒を飲み、女は茱萸(しゆゆ)を身につけて邪気を払い災厄を逃れるという習慣があった。
この風習は奈良時代の末から平安時代の初めに菊花とともに中国から日本に伝わり「菊花の宴」「菊花の杯」の宮廷行事として残された。
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2) ◆巻7‥【紅葉賀】
①かざしの紅葉いたう散りすぎて、顔のにほひにけおされたる心ちすれば、御前な
を折て左大将さしかへ給。
※意)插頭の紅葉がたいそう散って薄くなって、顔の照り映える美しさに圧倒された感じがするので、御前に咲いているを折って、左大将が差し替えなさる。
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②さるいみじき姿に、の色色うつろひ、えならぬをかざして、けふはまたなき手を尽くしたる入り綾のほど、そぞろ寒くこの世の事ともおぼえず。
※意)非常に美しい姿で、が色とりどりに変色し、その素晴らしいのを冠に插して
、今日は又とない秘術を尽くした入綾の舞の時にはぞくっと寒気がし、この世の舞とは思われなかった。
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キクが中国から日本に最初に導入されたのは797年(延暦16)ころであるという。延暦年間(782~806)はちょうど中国の唐時代の後期、最初に渡来したキクは、観賞用としてより薬用として渡来したといわれる。
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その後、花卉として改良されたキクが中国から導入され、日本でキクが広くつくられ始めたのは江戸時代に入ってからのようです。現在つくられている花形はほとんど江戸時代に作られたようです。
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by hime-teru | 2006-11-24 22:44 | 源氏物語(巻1~巻10) | Trackback | Comments(0)

                      ★… 【 アブチロン 】 チロリアンランプ …★
                          撮影はH18,1~11月・我が家にて
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※別名 浮釣木 つる性のアブチロン。熱帯アメリカ原産。アオイ科の一属。常緑の低木、花は常に半開きで風鈴のようにたれさがって咲く。アブチロンは熱帯や亜熱帯産で、トロピカルな花色が印象的な植物です。暑さに強く旺盛な成長力。意外と寒さに強いのがチロリアンランプ(冬も戸外でOK)さし木、実生、とり木でふえる。
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別名・ 浮釣木(うきつりぼく)よく見ると釣りで使われる浮きにも似ていますね。
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「アブチロン」には、メガポタミカム(ウキツリボク)はよく花をつけ、花弁は黄色で、がくは紅色で美しいものと。ストリアタム、紅色または、かば色の花に赤褐色の美しい脈があり温室内では年中開花する。
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花のカタチがランプに見える、赤い提灯「アブチロン・チロリアンランプ」の魅力は、丈夫で育て易く年中花が楽しめることです。
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ほおずきのように、丸く小さく膨らんだ赤い「ほう」から黄色い花が釣り下がって咲く。葉の形も個性的で、コントラストが非常に美しいですね。
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                  ☆ アップで見ると ☆
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       ☆………………………………………………………………☆
アブチロンにはメガポタミカム(ウキツリボク)とストリアタム(幅広タイプの花)があり温室内では年中開花する。 花が幅広、傘状のタイプもあります(通常アブチロンと呼ばれているものは、フヨウを小さくしたようなアオイ科特有の花が咲くものを指すようです。
              ☆ いちごみるく ☆
カキ氷のいちごみるくそのまんまの花色。なんとも可愛らしい。
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              ☆ ベラ・サーモン ☆
ベラシリーズは大輪系のアブチロン。従来の品種の倍以上の大きな花が、下向きではなく横向きに咲きます。花つきもよく、春から秋まで切れ目なく花を咲かせ、特に夏の暑い時期にも次々に花を咲かせます。
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              ☆ ベラ・ホワイトイエロー ☆
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by hime-teru | 2006-11-19 14:43 | 【あ】行の花 | Trackback | Comments(0)

                             ★… 【 弁慶草・ベンケイソウ 】 …★
                              撮影はH18,10,12 我が家にて
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ベンケイソウ科の多年草。原産地は中国。日本でも東北地方より南の日の当る草地に生える。また観賞用に古くから栽培されている。毎春、地中のやせた根茎から花期には高さ0.3~1㍍に達する花茎を1、2個出す。葉は花茎に間隔を置いて互生または対生し、長さ10㌢の楕円状卵形、白みを帯びた淡黄緑色。9~10月、花茎の先端に紅色の小さな花を多数密生した半球形状の花序を出す。花弁は楕円状、葯は裂開直前に濃い赤紫色になりよく目だつ。
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明治年間に中国からオオベンケイソウが渡来するまでは園芸植物として重宝された。今では一部の山岳地域を除いてほとんど栽培されていない。ベンケイソウの野生のものはムラサキベンケイソウ、日本では北海道のみに分布しているようです。
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平安の辞書には伊岐、久佐の名で「生草(いきくさ)」の意味で、ベンケイソウのも手折って放置しても根づくほどの生命力を、弁慶の強さに見立ててつけられた
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弁慶草科は日本に4属32種分布する。よく知られているものに、イワレンゲ、ミセバヤ、ベンケイソウ、キリンソウ、メノマンネングサ、タコノアシなどがある。
     ☆……………………………………………………………………………☆
           ★… 【日高見せばや】  ヒダカミセバヤ …★
               撮影は18,10/12~30 我が家にて
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ベンケイソウ科ムラサキベンケイソウ属の多年草。北海道の日高地方原産のミセバヤで小型の品種です。北海道の日高・十勝・釧路地方の山地~海岸の岩場に自生し、栽培もされている。
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名前の通りの美しい花です。紅葉する葉もきれいです。草姿は小型ですが花はそれに似合わず大きい花を咲かせます。
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我が家では流木に水苔を乗せて植え付けてあるのですが、とても丈夫なお花で冬は水を与えなくても生きながらえて、季節がくればこのような可憐な花を咲かせてくれます。悪条件の海岸の岩場に自生するお花だからでしょうね。
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今年で何年になりましょうか??。かれこれ30年は咲いているのでは・・・。
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青色味を帯びた葉に紅紫色の小さな花が球形になって株一杯に咲く姿はその色彩の対比もよく美しい。草丈はせいぜい10~20㌢の小型の植物。茎は斜めに伸びるか下垂します。。葉は卵円形で長さ1㌢程度と小型です。
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ミセバヤとともに古くから鉢植え庭植えなどに広く用いられ用途の多彩な植物です。
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by hime-teru | 2006-11-17 22:08 | 【は】行の花 | Trackback | Comments(0)

               ★… 【 背高泡立草 】  セイタカアワダチソウ …★
                   撮影は18,10,7 近所の空き地 
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キク科アキノキリンソウ属の多年草で北アメリカ原産。明治の終りに西日本に侵入したといわれるが、第2次世界大戦後に京阪神の焼け跡を中心に荒れ地や都会地の周辺に広がり、その後20年ほどの間に九州から北海道までのほぼ全域に広がった帰化植物
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高さ2㍍近くになり茎はしばしば紫色を帯びる。披針形の葉を多数互生し初秋に大きな花序をつくって多数の小さな黄色の頭状花をつける。各頭花は径数㍉で周辺には数片の線形の舌状花が並ぶ。
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無配生殖で種子を生じ、根茎によっても繁殖する。同属の近縁種オオアワダチソウ(同じく北アメリカ原産の帰化植物)日本各地の河原などにみられるが本種に比べて背は低く茎は緑色で花は夏に咲く。
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花粉アレルギーをおこす植物と騒がれたが、本種は風媒花ではなく花粉が空気中を漂うことはないので花粉アレルギーをおこすとは考えにくい。
「花粉症の根源」としてマスコミが取り上げた時期もありましたね。撲滅運動を起こす自治体まで出現しましたが、今はこの濡れ衣もはれて肩身の狭い思いもなくなったことでしょう♪。
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つい、最近までマスコミがブタクサと間違えて「黄色いギャング!」「のさばる怪物草!」「黄色い悪草!」と、書き立てていた可愛そうなお花でした
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殺風景な駐車場や空き地等で高く背を伸ばしヒメジオンと競って黄色の装いで彩っています。雑草と呼ぶのには可愛そうなくらい、澄みきった秋空に映える美しいお花です。アップ撮影しますと一つの花が殊の外みずみずしく可愛らしいお花です。
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キク科の植物は顕花植物(けんかしょくぶつ)→花を咲かせる植物の総称。の中でも最大の科。観賞用から食用まで多種にわたっています。
ブタクサ属 ノコギリソウ属 カミツレ属 ヨモギ属 シオン属 ヤグルマギク属 キク属シカギク属 アザミ属 キオン属 など 上記の属はほんの一部で約1000属、約23,000種あると言われています。肌や髪に良いというカミツレもキク科の仲間です。ごぼうやリーフレタス、ふき等も食べて美味しいものもキク科に属しています。また、道ばたに咲いているタンポポもキク科の植物です。
by hime-teru | 2006-11-14 22:40 | 【さ】行の花 | Trackback | Comments(4)

      ★… 【 源氏物語文中の花 】 …  巻9(葵) 巻28(野分) 巻39(夕霧) 『竜胆・りんどう』 …★
                  撮影はH18,11,3 我が家にて
★巻9「葵の巻」の文中
枯れたる下草の中に、竜胆、撫子などの咲き出でたるをおらせ給て、中将の立ち給ぬる後に、若君の御乳母の宰相の君して、「草枯れのまがきに残るなでしこを別れし秋のかたみとぞ見る。匂ひ劣りてや御覧ぜらるらむ」と聞こえ給へり。
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意)源氏は枯れた植え込みの草の中に竜胆(りんどう)や撫子の咲いているのを見て、折らせたのを、中将が帰ったあとで、若君の乳母(めのと)の宰相の君を使いにして、宮様のお居間へ持たせてやった。 草枯れの籬(まがき)に残る撫子を 別れし秋の形見とぞ見る。この花は比較にならないものとあなた様のお目には見えるのでございましょう。
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★巻28「野分の巻」の文中
わはらはべなど、おかしき衵姿うちとけて、心とゞめとりわき植へ給ふ竜胆、朝顔のはいまじれる籬も、みな散り乱れたるを、とかく引き出で尋めるなるべし。

意)童女などは、美しい衵姿にくつろいで、心をこめて特別にお植えになった龍胆や、朝顔の蔓が這いまつわっている籬垣も、みな散り乱れているのを、あれこれと引き出して、元の姿を求めているのであろう。
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★巻39「夕霧の巻」の文中
草むらの虫のみぞより所なげに鳴きよはりて、枯れたる草の下より竜胆のわれひとりのみ心ながう這ひ出でて露けく見ゆるなど、みな例のころのことなれど、おりから所からにや、いとたへがたきほどのものがなしさなり。

意)叢の虫だけが、頼りなさそうに鳴き弱って、枯れた草の下から、龍胆が、自分だけ茎を長く延ばして、露に濡れて見えるなど、みないつもの時節のことであるが、折柄か場所柄か、実に我慢できないほどの、もの悲しさである。
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【竜胆】 りんどう
リンドウ科の多年草。茎は高さ20~60㌢葉はササに似ている披針形。山野に自生している。9~11月、日がさすと茎頂や上部の葉腋に青紫色または紅紫色の花を上向きに開く。花冠は筒状の鐘形。
名は中国名の竜胆を音読みしたリュウタンがリンドウになったという。
リンドウ属は花冠は五裂し裂片と裂片の間に副片があり蜜腺は子房の基部につく。花は紫色が主で、白、赤、黄色などもあり、近年リンドウと称して出回っている北海道産の山掘り苗が大量に長野、福島、岩手県に入り地元のリンドウと交配、作出されたもののようです。栽培は寒・高冷地では容易であるが暖地では株の維持がやや困難である。
         ☆ ↓ 撮影は日光にて(昨年撮影したものです)
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漢方では根を竜胆(りゆうたん)といい、苦味性健胃剤として用いる。これは、根に苦味配糖体ゲンチオピクリン、アルカロイドのゲンチアニンなどが含有されることから味が非常に苦く、唾液(だえき)と胃液の分泌や腸の蠕動(ぜんどう)を高め、食欲を盛んにする作用があるためである。又、竜胆には肝胆の熱を除く作用があるとして目が赤く腫れ耳が聞こえなくなったり、ひきつけたりといった症状や黄疸の治療に用いる。
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竜胆は『万葉集』には歌われていないが、源氏物語や、『枕草子』には「竜胆は枝さしなどもむつかしげなれど、こと花はみな霜枯れはてたるに、いと花やかなる色合ひにてさし出(い)でたる、いとをかし」と書かれているところから、古くから親しまれてきたお花のようです。
by hime-teru | 2006-11-09 00:12 | 源氏物語(巻1~巻10) | Trackback | Comments(2)

【蕎麦・ そば】

                         ★…  【蕎麦】 赤そばの花 …★   
                          撮影はH18,10,17 栗橋町にて
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栗橋町が町おこしの一環として植えられた駅西区画整理地に赤蕎麦の花が咲いていると10/17・NHKのニュースで放映されたので出かけてみました。撮影時間は夕方の4時頃、曇り日で撮影条件はよくなかったが、珍しい品種なのでのアップいたします。
南栗橋コミュニティプラザ隣接地の畑に広がるルビー色のそばの花はヒマラヤ山地のネパールが原産。《高嶺ルビー》という名があり、優しい色合いに可愛らしい気品が漂っています。日本、中国を問わず蕎麦は花も愛されてきました。
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蕎麦はタデ科の一年草。中央アジア原産。高さ50~80㌢で茎は中空の円柱形、紅色を帯びることが多い。葉は互生し三角形状で基部は心臓形。茎の上部につく葉には柄がない。夏から秋に枝先に短い花穂を出し白い小花を多数密につける。薄紅色の小花もある。花序には1列に毛があり個々の花は5枚の萼片をもつ。
夏ソバ・秋ソバに大別。茎は赤みを帯び、花は白。収穫までの期間が短く、荒地にもよく育つ。良質の蛋白質、ビタミンB類が多く水とこねても小麦粉のように粘弾力を生じないが、蕎麦は生育が早く「やせた土地」でも栽培が出来るので最近米の減反政策で田に蕎麦を栽培する農家も増えてきている。
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※『蕎麦はまだ花でもてなす山路かな』…芭蕉
句意)この山家(芭蕉翁の生家)の草庵に遠来の珍客を迎えてまことにうれしい。ご馳走に蕎麦でもうってもてなしたいが、如何せん蕎麦はまだ花の頃である。どうか山路に咲く蕎麦の花でも賞玩していただきたい。と、その風情をそのままお客へのもてなしとした句です。
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ソバは中国が原産地。朝鮮を経て日本へ渡来し各地で栽培されるようになった。渡来の時期は古く縄文晩期ともいわれる。現在では世界中で広く栽培されている。日本では奈良時代にそばの記録がみえる。『続日本紀』に干魃で大飢饉になったため、晩禾(晩稲)や大小麦とともにソバを植えることを命じられ、承和6年には非常の作物としてソバを植えるようにとの命が出たとあります。日本におけるソバの最初の栽培地は滋賀県の伊吹山付近といわれ、ここから順次東へ広がった。そして、岐阜、長野、山梨の各県などで栽培が盛んになり、今日では信州が名産地として有名です。
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その後、各地に数多くのソバの産地が出来、土地の名を冠したものが食べられているが、五穀のように常食にはならなかったようですね。そば粉は種実を挽いて中の胚乳部を粉にしたのがそば粉で、ソバの製粉は外皮を除いたのち石臼にかけて粉砕する。通常は甘皮も除去して製粉する。ソバの種実のいちばん中心部だけを挽いたものが一番粉で色は白い。この粉のことを「さらしな」とよんでいる。これに更科と字をあて、そば店の屋号によく使われている。一番粉をとるためには臼の間にいくらかすきまをあけて一番粉をふるい分けてとる。さらに臼の目をつめて挽き二番粉をとる。「挽きぐるみ」というのもあるが、これは外皮をとっただけで全部挽くか外の殻までいっしょに挽いたもので色が黒くごつごつした感じで、出雲そば、出石そば等は、このようなそば粉が使われている。
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日本でもっとも多いそば粉の利用はそば切りである(そば粉をこねて薄く伸ばし、細く切ったもの)これを略して「そば」という。そば粉だけでは麺状にうまくつなぎにくいので普通は小麦粉をつなぎに用いる。そのほか、ヤマノイモ、卵白などもつなぎに使われる。挽茶、ごま、ゆずなどを加えたそば切りも作られ、挽茶を加えたものは「茶そば」という。
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そば切りの始まりは天正年間。一説によれば、江戸初期に朝鮮半島から渡ってきた僧の元珍が、南都の東大寺にきて「そば」のつなぎに小麦粉を加えることを教え初めてそばでつくった麺ができあがったようです。そば麺は平たく伸ばした生地を何枚にも畳み端から細くそば切り包丁で切ったので「そば切り」の名がある。そば切りの技術は奈良から木曽路を経て江戸に入った。辻売りが現れ吉原で「けんどんそば切り」が売られ18世紀初めごろには、そば店が江戸の町の各所にみられるようになった。江戸末期には非常に多くのそば店があり「更科」「薮」の名のつく店が多数できた。↓この写真は秩父の蕎麦畑です♪
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※「更科」は江戸麻布(港区)の永坂にでき、「信州更科蕎麦所」と看板を掲げた店が最初で産地からの直接販売を売り物にしたのがはやり、江戸全体に広がったといわれる。一方、「薮」のほうは、雑司ヶ谷の鬼子母神門前や本郷団子坂の薮蕎麦が知られ、通人の通う所には「薮」が多いというところからきたという。
               ☆……夕焼けに映えて……☆
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※そばのつなぎも次々と研究された結果、二八そば(つなぎの小麦粉二にそば粉八)から、三七、四六、半々、外(そと)二、外三などが考案された。外三というのはそば粉に対して小麦粉3割という意味である。二八そばの名は、1人前が十六文(2×8=16)であったためにしゃれていったものだそうです。又、引っ越しそばは「そばのように末長いつきあいを」という意味が込められている。
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大きく分けると、「もり」と「かけ」あるいは汁そばに分かれる。「もり」は、そば切りをゆでて蒸籠や竹簀の上に盛って、つゆをつけて食べる。関西では「ざる」とよぶ。小型の椀や小皿に小分けして盛るのをわり子そばという。「かけ」は汁をかけた汁そばで、種類が多く、てんぷら、おかめ、月見、鴨南蛮(かもなんばん)、納豆(なつとう)、おろし、花巻き、とじ、たぬきなどがある。
最近はそばずし、そばサラダなども。
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おそばの有名所は、信州そば(長野県)、出雲そば(島根県)などがあるが、そのほか、わんこ(岩手県)、白河(福島県)、御岳 (山梨県)、出石(兵庫県)、日吉(滋賀県)は古くから知られている。ちなみに、私は「おそば」が大好きです。
by hime-teru | 2006-11-06 16:40 | 【さ】行の花 | Trackback | Comments(2)

【サフラン】

                             ★… 【 サフラン 】 …★   
                           撮影はH18,11,1我が家にて     
アヤメ科の多年草。地中海東部地域を原産とするが、ヨーロッパ中南部(とくにスペイン、フランス)イランや日本西部においても栽培されている。日本ではクロッカス属の秋咲き種をサフランといい春咲き種をクロッカスとよんでいる。
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薬用または観賞用に広く栽培されている。地下に球茎があり1、2個の花をもつつぼみを出す。葉は細長い線形で松葉状、花後に著しく生長する。10~11月に短い葉の間に淡紫色の優雅な花を開く。花は漏斗状で花筒は細長く花被片は6枚おしべ3本、めしべ1本であるが、めしべの花柱は深く3つに分れ鮮かな赤色をして3裂し、先は漏斗状に広がって花外に垂れ下がる。先端の柱頭には鈍鋸歯がありルーペで見ると乳頭状突起が見られる。
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この赤い花柱を乾燥したものをサフランといい鎮静剤など薬用になり、水に浸した黄色の液で食品に色や芳香をつける。
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香辛料として使用されるのは赤色の雌しべで手で摘み取り、低温で乾燥して密閉貯蔵する。1万5000個の花から約100グラムしかとれないため、香辛料のなかではもっとも高価なものである。
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花柱上部の濃赤褐色の部分だけを集めたサフラン(中国では番紅花)は高価なために偽品が出回ることがある。江戸時代はオランダ語のsaffraanを音訳して雑腹蘭の字をあてていた。
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香味は独特な刺激のある香りと快いほろ苦味があり水に溶けると非常に延びのよい黄金色となる。料理には、この着色性が用いられ、ブイヤベースやスペインのパエーリャ魚、貝、エビなどに。またビスケットやケーキの香味、色付けにも使われる。茶の葉のかわりにサフランを使ったサフランティーは、鮮やかな色と香りで愛飲されている。
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サフランの名はアラビア語で黄色い意味のsahafaranに由来する。古代には女性の眉染めやマニキュアに使われた。一方、古代ギリシアではクロコスとよび、内服液や練り薬として強精、利尿、子宮病などの薬に使用した。クロコスは紐の意味で長い柱頭の形状に基づく。クロッカスはそれから派出したことばのようです。
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古代ギリシアやローマでは衣料を染めた。ギリシアの没落後、アラビア人がヨーロッパで広く交易したため、サフランがクロッカスの名にとってかわった。日本に紹介した平賀源内は、さ夫藍(さふらん)と漢字を当てたようです。
by hime-teru | 2006-11-04 00:54 | 【さ】行の花 | Trackback | Comments(2)