2017年 12月 12日
【安芸の宮島】厳島神社
安芸の宮島】 厳島神社 …★
2017.11.21
【安芸の宮島】
厳島(いつくしま)とは、「神 を斎(いつ)き祀(まつ)る島」の意。
厳島神社の境内は、宮島の「御笠浜(みかさはま)」の中心に位置し、浜の入江に沿うようにして建立されています。日本三景の景勝地。広島県佐伯郡宮島町に鎮座。古くは伊都伎嶋(いつきしま)神社とも記し、また厳島大明神(だいみようじん)とも称した。市杵島姫命(いちきしまひめのみこと)、田心姫(たごりひめ)命、湍津姫(たぎつひめ)命を祀(まつ)る。
【正面】
フェリ-で「宮島に」渡る。
広島名産の牡蠣筏の光景
古代には周囲約31キロメートルの宮島そのものが神とされ、人も住むことを許されない神聖な島でした。社殿が海水のさしひき(干満)する所に建てられているのもそのためである。
宮島には中世以降人家が建てられたが、耕作をしない、死者を埋葬しない風習は現在も守られている。
船上から神ノ島宮島の弥山と大鳥居が見えてきました。
創建年代は不詳であるが、社伝では、推古(すいこ)天皇のとき、佐伯郡の住人佐伯鞍職(さへきくらもと)が神託を受け、社殿をつくり祀ったことに始まるという。811年7月名神社に列し、4時の幣帛(へいはく)を奉る社とされ、859年(天安3)正五位下より従(じゆ)四位下に、867年(貞観9)従四位上に叙され、延喜(えんぎ)の制で名神大社とされた。
【上陸】
安芸(あき)国、一宮になり、平清盛が出てからはその一門がことに崇敬した。
平家滅亡のあと、源頼朝も崇敬して社領を寄進し、修造料を寄せ、以降鎌倉幕府も保護した。
【参道をを歩く】
鎌倉時代に火災により多くの建物を焼失したが、室町時代に大内氏、毛利氏が維持に努め、毛利元就は1572年、将軍足利義昭の命を受けて、本社拝殿、回廊、客人(まろうど)神社以下を古例のままに造営した。毛利輝元も社領を寄進、さらに1587年(天正15)豊臣秀吉の命を受けて大経堂(千畳閣)を造営した。
江戸時代には徳川将軍や広島藩主浅野氏がよくその維持に努めた。明治4年、国幣中社、さらに明治44、官幣中社とされた。
本社(本殿、幣殿、拝殿、祓殿のほか、天忍穂耳命、天穂日命、天津彦根命、活津彦根命、熊野く樟日命を祀る摂社客人神社(本殿、幣殿、拝殿、祓殿)社殿の造りは貴族の邸宅を模した「寝殿造り」壮大な社殿群は平安時代の浄土信仰に基づく極楽浄土を現したものとも言われます。
『昇殿の出入り口』
東西廻廊は一般の神社の廻廊のように敷地を四角く区切るものではなく、海上の各建物と陸地とを結ぶ渡り廊下の役を果たしている。
回廊は国宝建造物で、平清盛造営当時の規模をよく伝えている。
長い長い回廊・・美しい
【拝殿・祓殿】
【内殿見た光景】
【反橋】
【大鳥居】(1875再建)国重要文化
木造で両部鳥居[りょうぶとりい](四脚鳥居[よつあしとりい])です。
★「8」にこだわる設計
◇例えば本社拝殿から大鳥居までは108間で、火焼前から大鳥居までは88間となっています。
◇回廊の基本的な間隔は約2.4㍍(8尺)その間には床板が8枚敷き詰められています。
◇回廊の全長は約262㍍その間には108本の柱が立つ。また厳島神社の社殿の灯籠、参道の石灯籠108個といわれています。
厳島神社が「厳島」となったのは、後々の話で、9世紀の書物の日本後紀には「伊都岐嶋神」、10世紀成立の延喜式には「 伊都伎嶋神社」と記載。「厳島」と記述があるのは江戸時代以降の文献が多く、「厳島神社」となったのは江戸時代か、それより前…おそらくは14世紀と思われます。
【大鳥居の文字】
◆ひたさきから(本殿を背に)
現鳥居は明治8年(1875年)の再建である。棟の高さ16.6メートル、柱間10.9メートル変額は有栖川宮熾仁親王の染筆とのこと。
◆海側から
【能舞台】国指定重要文化財
「唯一無二の能舞台」材質はヒノキ
【千畳閣】
桁行13間約24m 梁間8間約15m 単層本瓦葺入母屋 木造の大経堂。大伽藍に857畳の畳を敷くことが出来る所以から「千畳閣」のようです。
社宝には、平家納経一具、法華経30巻、彩絵檜扇などの国宝や、鎧(よろい)、太刀(たち)など、国指定重要文化財を多く蔵している。
【潮汐(ちょうせき)】潮の干満のこと。
月と太陽が地球に及ぼす引力の影響等で海面が規則的な周期で昇降することをいいます。
★宮島は6時間周期の干満で潮が引くと大鳥居の下を歩いたり対岸へ渡ることも出来るのです。
大鳥居の根元まで歩いて行ける潮位の目安は 100cm以下です。潮干狩りに適する潮位の目安は 40cm以下です。
私共が訪れた時間帯は干潮で23㎝、鳥居近くまで歩けたようです。
【五重塔】国重要文化財
高さ:27.6m、方:3.6m応永14年(1407)建立 桧皮葺で和様・唐様を融合した建造です。 内部は彩色がしてあり豪華絢爛。内陣の天井には龍が、外陣の天井には葡萄唐草の模様が描かれています。2層目で止まっている心柱が風に強い構造になっているそうです。
大願寺、神鹿
【弥山】
日本三景の景勝地(宮島、天橋立、松島)和歌や文学にも登場する絶景です。
高台「千畳閣」裏から
【商店街】
例祭は6月17日のほか、4月15日の桃花(とうか)祭、陰暦6月17日中心の管絃祭、陰暦7月18日の玉取(たまとり)祭、12月31日の鎮火祭など豪華な祭礼が多く、舞楽、能楽が年中行事のなかで行われる。3月から11月までの間、島を一周し、末社を巡る「御島巡り」は、厳粛な祭事である。
古来,海上交通安全の女神,また伎芸神として民間に信仰されている。
管絃祭・・・三絃・琵琶・箏、鼓(羯鼓)・太鼓・鉦鼓、管(笙)笳〔か〕・笛)
を用いて合奏する。曲は唐楽,催馬楽,朗詠など
★… 【2017.11.21
【安芸の宮島】
厳島(いつくしま)とは、「神 を斎(いつ)き祀(まつ)る島」の意。
厳島神社の境内は、宮島の「御笠浜(みかさはま)」の中心に位置し、浜の入江に沿うようにして建立されています。日本三景の景勝地。広島県佐伯郡宮島町に鎮座。古くは伊都伎嶋(いつきしま)神社とも記し、また厳島大明神(だいみようじん)とも称した。市杵島姫命(いちきしまひめのみこと)、田心姫(たごりひめ)命、湍津姫(たぎつひめ)命を祀(まつ)る。
【正面】
フェリ-で「宮島に」渡る。
広島名産の牡蠣筏の光景
古代には周囲約31キロメートルの宮島そのものが神とされ、人も住むことを許されない神聖な島でした。社殿が海水のさしひき(干満)する所に建てられているのもそのためである。
宮島には中世以降人家が建てられたが、耕作をしない、死者を埋葬しない風習は現在も守られている。
船上から神ノ島宮島の弥山と大鳥居が見えてきました。
創建年代は不詳であるが、社伝では、推古(すいこ)天皇のとき、佐伯郡の住人佐伯鞍職(さへきくらもと)が神託を受け、社殿をつくり祀ったことに始まるという。811年7月名神社に列し、4時の幣帛(へいはく)を奉る社とされ、859年(天安3)正五位下より従(じゆ)四位下に、867年(貞観9)従四位上に叙され、延喜(えんぎ)の制で名神大社とされた。
【上陸】
安芸(あき)国、一宮になり、平清盛が出てからはその一門がことに崇敬した。
平家滅亡のあと、源頼朝も崇敬して社領を寄進し、修造料を寄せ、以降鎌倉幕府も保護した。
【参道をを歩く】
鎌倉時代に火災により多くの建物を焼失したが、室町時代に大内氏、毛利氏が維持に努め、毛利元就は1572年、将軍足利義昭の命を受けて、本社拝殿、回廊、客人(まろうど)神社以下を古例のままに造営した。毛利輝元も社領を寄進、さらに1587年(天正15)豊臣秀吉の命を受けて大経堂(千畳閣)を造営した。
江戸時代には徳川将軍や広島藩主浅野氏がよくその維持に努めた。明治4年、国幣中社、さらに明治44、官幣中社とされた。
本社(本殿、幣殿、拝殿、祓殿のほか、天忍穂耳命、天穂日命、天津彦根命、活津彦根命、熊野く樟日命を祀る摂社客人神社(本殿、幣殿、拝殿、祓殿)社殿の造りは貴族の邸宅を模した「寝殿造り」壮大な社殿群は平安時代の浄土信仰に基づく極楽浄土を現したものとも言われます。
『昇殿の出入り口』
東西廻廊は一般の神社の廻廊のように敷地を四角く区切るものではなく、海上の各建物と陸地とを結ぶ渡り廊下の役を果たしている。
回廊は国宝建造物で、平清盛造営当時の規模をよく伝えている。
長い長い回廊・・美しい
【拝殿・祓殿】
【内殿見た光景】
【反橋】
【大鳥居】(1875再建)国重要文化
木造で両部鳥居[りょうぶとりい](四脚鳥居[よつあしとりい])です。
★「8」にこだわる設計
◇例えば本社拝殿から大鳥居までは108間で、火焼前から大鳥居までは88間となっています。
◇回廊の基本的な間隔は約2.4㍍(8尺)その間には床板が8枚敷き詰められています。
◇回廊の全長は約262㍍その間には108本の柱が立つ。また厳島神社の社殿の灯籠、参道の石灯籠108個といわれています。
厳島神社が「厳島」となったのは、後々の話で、9世紀の書物の日本後紀には「伊都岐嶋神」、10世紀成立の延喜式には「 伊都伎嶋神社」と記載。「厳島」と記述があるのは江戸時代以降の文献が多く、「厳島神社」となったのは江戸時代か、それより前…おそらくは14世紀と思われます。
【大鳥居の文字】
◆ひたさきから(本殿を背に)
現鳥居は明治8年(1875年)の再建である。棟の高さ16.6メートル、柱間10.9メートル変額は有栖川宮熾仁親王の染筆とのこと。
◆海側から
【能舞台】国指定重要文化財
「唯一無二の能舞台」材質はヒノキ
【千畳閣】
桁行13間約24m 梁間8間約15m 単層本瓦葺入母屋 木造の大経堂。大伽藍に857畳の畳を敷くことが出来る所以から「千畳閣」のようです。
社宝には、平家納経一具、法華経30巻、彩絵檜扇などの国宝や、鎧(よろい)、太刀(たち)など、国指定重要文化財を多く蔵している。
【潮汐(ちょうせき)】潮の干満のこと。
月と太陽が地球に及ぼす引力の影響等で海面が規則的な周期で昇降することをいいます。
★宮島は6時間周期の干満で潮が引くと大鳥居の下を歩いたり対岸へ渡ることも出来るのです。
大鳥居の根元まで歩いて行ける潮位の目安は 100cm以下です。潮干狩りに適する潮位の目安は 40cm以下です。
私共が訪れた時間帯は干潮で23㎝、鳥居近くまで歩けたようです。
【五重塔】国重要文化財
高さ:27.6m、方:3.6m応永14年(1407)建立 桧皮葺で和様・唐様を融合した建造です。 内部は彩色がしてあり豪華絢爛。内陣の天井には龍が、外陣の天井には葡萄唐草の模様が描かれています。2層目で止まっている心柱が風に強い構造になっているそうです。
大願寺、神鹿
【弥山】
日本三景の景勝地(宮島、天橋立、松島)和歌や文学にも登場する絶景です。
高台「千畳閣」裏から
【商店街】
例祭は6月17日のほか、4月15日の桃花(とうか)祭、陰暦6月17日中心の管絃祭、陰暦7月18日の玉取(たまとり)祭、12月31日の鎮火祭など豪華な祭礼が多く、舞楽、能楽が年中行事のなかで行われる。3月から11月までの間、島を一周し、末社を巡る「御島巡り」は、厳粛な祭事である。
古来,海上交通安全の女神,また伎芸神として民間に信仰されている。
管絃祭・・・三絃・琵琶・箏、鼓(羯鼓)・太鼓・鉦鼓、管(笙)笳〔か〕・笛)
を用いて合奏する。曲は唐楽,催馬楽,朗詠など
by hime-teru
| 2017-12-12 14:45
| 中国地方(山陽・山陰の旅)
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