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【 葵祭(賀茂祭)】 源氏物語 巻9 『葵の巻』

★… 【 葵祭(賀茂祭)】 源氏物語 巻9 『葵の巻』 】…★
                      2015.5/15 京都葵祭にて
「 葵の巻」9帖は源氏の22歳春から23歳正月まで近衛大将時代の物語です。「新斎院御禊の見物」のくだりから始まります。
文中) まことや、かの 六条御息所の御腹の 前坊の姫君、 斎宮にゐたまひにしかば・・・前皇太子の忘れ形見、六条の御息所の姫宮が斎宮選定された。
御所から下鴨神社にて休憩、上賀茂に向かう行列は間隔も狭まり、心なしか、お疲れの様子が伺えますが・・・使命感を持って進みます。総距離8キロ、およそ8キロ近い装束を着て大変なお役目です。本当に「お疲れさまです」充分、平安貴族を楽しませて頂きました。ありがとう御座いました。
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【葵の巻】巻9帖を簡単に・・・。
この巻は御代替わり「花宴」巻から二年後のお話です。斉院列見物に出かけた葵の上(光源氏の正妻)と六条御息所(光源氏の恋人の一人)が牛車をとめる場所をめぐって争う、通称「車争い」のシーンはあまりにも有名でしょう。
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当時右大将兼宰相だった光源氏が供奉した晴れ姿を見ようとした正室葵の上と六条御息所の車争いが起こったのが、この斎王御禊の行列見物のシーンす。あまりにも有名な見物の様子を式部も清少納言も書き留めて物語に挿入したものと思われます。

閉じこもり気味だった葵の上が、説得されて急遽行列見学に出かけることになりましたが、すでに車をとめる場所は一杯満車状態でした。一方、お忍びで来ていた六条の御息所の車を家人達が無理矢理どかそうとした為に車争いが起き大騒ぎとなります。結果、六条の御息所の車を後方にけちらされてしまったのです。源氏物語中、光源氏が勅使を勤める麗姿を見物人が絶賛する中、六条の御息所は屈辱感に襲われ葵の上へ憎しみで苦しみ始めるのです。

【参考までに二人の女君】
★【葵上】あおいのうえ
左大臣の娘。源氏が元服した際に結婚した正妻。あまり仲の良い夫婦ではなかった。源氏との間に夕霧を生む。しかし、その直後、六条御息所の物の怪にとりつかれ死亡する。
★【六条御息所】ろくじょうのみやすどころ
前皇太子(即位する前に死亡した為に桐壷帝が即位した)の妻であった人。源氏と関係を持つが多くの女性と関係をもつ源氏に嫉妬し、その心が物の怪となって夕顔や葵上を死に至らせた。後に病で死亡する。

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可愛らしい稚児、頑張っています。
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人も馬も・・・・
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◆角田文衞説では・・・。
斎院御所のあった場所は現在の京都市上京区櫟谷七野神社のあたりに相当するという。この御所は地名により紫野斎院、あるいは単に紫野院とも呼ばれた。 斎王はここで仏事や不浄を避ける清浄な生活を送りながら、賀茂神社や本院での祭祀に奉仕した。特に重要なのは四月酉の日の賀茂祭では、斎王はあらかじめ御禊の後上賀茂・下鴨両社に参向して祭祀を執り行った。(廬山寺パンフ、電子辞書、源氏物語再編成版を参照させて頂きました)

下鴨神社もご覧下さい
 【下鴨神社】
巻9 『葵の巻』ふたば葵もご覧下さい↓
 【双葉葵】

長い時間のお立ち寄り”ありがとう御座いました”
Commented by よしえ at 2015-05-24 20:29 x
お天気にも恵まれ、漸く撮影の機会を得、『葵の巻』に添えることが出来て祝着。
Commented by hime-teru at 2015-05-25 15:56
ありがとう♪
京都は桜と紅葉の季節に訪れることが続いて・・・、いつかは?と、思いを馳せておりました「葵祭」漸く撮影に出掛ける機会が出来ました。『源氏物語』葵巻などに描かれている賀茂祭の王朝盛儀の模様は、現行の祭りからも十分に忍ぶことが出来ると思います。
応援コメントに感謝で御座います。
by hime-teru | 2015-05-20 09:41 | 源氏物語(巻1~巻10) | Trackback | Comments(2)