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源氏物語 巻3【 夕顔の巻 】

   ★…【 源氏物語 巻3 『夕顔の巻』 】  …★
      2014.8/15 ~ 我が家にて
【夕顔の花】
ウリ科の一年草。同じくウリ科のヒョウタンと近縁の種で、祖先種は西アフリカ原産。かんぴょうの原料植物として知られる。茎はつる性で枝分れして10メートル余に伸び、巻きひげで他物に絡まる。葉は心臓形でやや浅く裂け、茎葉全体に軟毛がある。雌雄異花。葉腋に1個ずつつき、深く五裂した白い花を夏の夕方から開き、翌朝にはしぼむ。
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花期後30日ほどで大形の果実が成長し、完熟するとヒョウタンのように果皮が堅くなる。果実の形によって丸形のマルユウガオと長形のナガユウガオに大別される。マルユウガオは果実は直径約30センチ、重さ10~30キログラムになる種子取り用に完熟期まで置いて、果肉が硬くなったユウガオは、炭入れ、火鉢、花器、玩具の面など農村工芸の材料とされる。

当時の夕顔は「かんぴょうの花」だったと思いますが・・・、今年も種を購入出来ず花を見ることが出来ませんでしたが・・・。
近年、店頭に出回っているこの花も[夕顔の花]夕方の5時頃から開き朝には命朽ち果ててしまいます。
昨年、能にご趣味の某大手会社の会長さんの秘書の方から、発表会をなさる演目の「夕顔」のお芝居に私の写真をクオカードに使わせて欲しいと問い合わせがあり、提供申し上げたこともあり、ここで「能」に触れておきましょう。
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〔文化史〕
夕顔の花は、枕草子では「いとをかしかりぬべき花」と述べ、源氏物語には「花の名は人めきて」と、短命の一夜花を薄幸の女性に重ねた「夕顔」の巻がある。
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【能】
日本の古典芸能の一つ。平安時代に発生した猿楽が鎌倉時代に猿楽の能と呼ばれるようになり、室町時代に足利義満将軍の庇護のもとに観阿弥、世阿弥父子によって大成された。橋懸りという独特な構造の舞台で、地謡の合唱と囃子方の伴奏で舞う歌舞劇。主演者を(シテ)助演者を(ワキ)といい、曲目によっては数人の出演者(シテヅレ,ワキヅレ)が登場する。シテは面をつけることが多い。夢幻能と現在物に大別される。また、神、男、女、狂、鬼の5つに分類され上演順位が定められている。
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江戸時代以来、このような五番立の番組を正式とし、能と能との間には狂言を上演したが、現在は狂言1番、能1番でも上演される。現行曲は約240曲ある。源氏物語の『夕顔』や『葵上』は、あまりにも有名な演目で御座います。現在物『安宅』は、歌舞伎十八番の勧進帳は誰でも知る題目ですね。
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【かの白く咲けるをなん、夕顔と申し侍る】源氏物語の巻名「夕顔の巻」女主人公の巻名になった夕顔花。
物語は・・・
★頭中将に愛され玉鬘を産んだが、のち光源氏の寵を受け、ある夜、物怪(もののけ)に襲われて
息が絶える話です。
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『源氏物語』の「夕顔」の巻による。世阿弥の作品の『夕顔』は、物の怪(け)に命をとられる暗い主題であるのに対し、『半蔀』は、つかのまではあるが光源氏との恋を得た喜びを、あの世からいとおしみ続ける女性像を描く。
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小品の能だが叙情的な佳作ですが、能の「夕顔」「半蔀(はしとみ)」は、内藤左衛門作の鬘物。半蔀を掲げた家で夕顔が光源氏と結ばれたことを脚色する。鬘物は源氏物語の夕顔の死を脚色し、その霊の成仏を描いているお芝居です。
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『半蔀』は【京都紫野(むらさきの)、雲林院(うんりんいん)の僧(ワキ)が夏の修行の間に仏に供えた花の供養をしていると、1人の女性(前シテ)が白い夕顔の花を捧(ささ)げ、「五条わたり」の者と告げて消える。五条あたりを訪ねた僧が、『源氏物語』の昔をしのんでいると、夕顔の絡まる半蔀戸を押し上げて女(後シテ)が現れ、夕闇(ゆうやみ)に白く浮かぶ花が縁で光源氏と結ばれたことを語り、美しく慕情を舞うが、明け方とともにその姿は消え僧の夢は覚める。】
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花の精と夕顔の女の二重映しの効果もみごとである。半蔀屋の作り物も印象的で、前段に実際の立花(りつか)出す特別な演出もある。
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京都「雲林院」にも出掛けて来ました。今の雲林院の写真です。のぞいてみてくださいまし。
 【雲林院】

  ######## 来年こそは夕顔忘れずに種を#########
明治以降はヒルガオ科のヨルガオがユウガオともよばれ、一部で混乱があるが、江戸時代までのユウガオはすべて本種である。日本では果実にくびれのないのをユウガオ、くびれるのをヒョウタンと区別するが最古の農作物の一つで、現在もインド、東南アジア、台湾などでは広く生鮮野菜として流通している。

干瓢は中国では3~4世紀にさかのぼり、『釈名』に「瓠畜」の名で、皮をむいて蓄え、冬に用いよと記述される。かんぴょうは現在の中国では北部に残るが少ない。
日本では『延喜式』(927)に、大和(やまと)国の産物だったが、現代の主産地は栃木県。1712年、近江水口藩主、鳥居忠英が下野(しもつけ)(栃木)の壬生藩に移された際、奉行の松本茂右衛門(もえもん)に命じて栽培させ現在に至る。
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by hime-teru | 2014-08-22 00:48 | 源氏物語(巻1~巻10) | Trackback | Comments(0)