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【 忍城 】行田

                     ★…【 忍城 】 行田 …★
                        2014.7/2 (日)
【忍城(おしじょう)】
埼玉県行田市にあった城で、江戸時代には忍藩の藩庁が置かれた。別名は”忍の浮き城、亀城”と言われ、埼玉県の旧跡に指定されている。関東七名城の一つ。忍城水攻めは日本三大水攻めの一つに数えられる。
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忍城は湿地帯を利用した平城であった。沼地に島が点在する地形で、沼を埋め立てず島に橋を渡す形で城を築いた。当初は櫓を立てずに本丸は空き地とし、二の丸に屋敷を作り、そこを住まいとしていたようです。そのため、攻めにくく守りやすい城であったとされる。
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1590年(天正18年)、豊臣秀吉の関東平定の際。豊臣方の忍城攻めの総大将は石田三成。三成は、本陣を忍城を一望する近くの丸墓山古墳(埼玉古墳群)に置き、近くを流れる利根川を利用した水攻めを行うことを決定し、総延長28キロメートルに及ぶ石田堤を建設した。
しかし、忍城はついに落城せず、結局は小田原城が先に落城したことによる開城となり、城側は大いに面目を施すことになった。このことが、”忍の浮き城”という別名の由来となった。
(東照宮に当時の地図)
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昭和24年10月、本丸跡に行田市本丸球場が造られたが、後に、歴史の町として「行田市郷土博物館」として開館、「御三階櫓は博物館の一部として「忍城鳥瞰図」や文献などをもとに鉄筋コンクリート構造によって外観復興されたものです。当時の石垣の石も館内の庭に健在です。
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水上公園のしのぶの池あたりまで壕があり、今は憩いの公園になり園内の池には大勢の釣り師で賑わいます。
博物館の前には忍城ゆかりの神社
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諏訪神社
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『のぼうの城』の映画の舞台になったところです。
(のぼうの城)は、和田竜による日本の歴史小説。またそれを原作とする2012年の日本映画。
当主「成田長親は運動は滅法苦手で、馬にさえ乗れない。愚鈍な人「でくのぼう」を略して「のぼう様」と呼ばれるが・・・、実は非常に誇り高く、民百姓とも分け隔てなく接することのできる度量の広い人物だったのです。三成城攻めの折、百姓達が長親の危機を知り、三成の作った石田堤を壊す者が現れ、水攻めは失敗するのである。
by hime-teru | 2014-07-11 11:29 | 徒然散策(関東編) | Trackback | Comments(0)