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【 歴史を彩る古城 】 小諸 「懐古園」 ①

★ … 【 歴史を彩る古城 】小諸「懐古園」 ① …★
2013.04.21 小諸にて
◆【偶然出会った雪の小諸城】
小諸城は全国的にも珍しく、城下町より低い穴城で、浅間山の火山灰で出来ている谷と丘を利用して造られ、水を用いず(深い谷は空堀)崩れやすい断崖が堅固な要塞となっています。
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「懐古神社」
明治の廃藩置県により役割を終えた小諸城は、本丸跡に「懐古神社」を祀り「懐古園」と名付けられました。懐古園は白鶴城や酔月城とも呼ばれた小諸城の跡です。
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【樹齢500年といわれるケヤキの大樹】
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【日本城郭建築初期の代表格大手門】
小諸城大手門は、石垣と門が一体化していないことや、一階が敵の侵入を防ぐ強固な造りに対して、二階は居室風となっている事など、多くの特徴を持つ日本の城郭建築の中でも、初期の代表的な城門です。平成5年国の重要文化財に指定されています。、三の門には徳川家達公の筆になる「懐古園」の大額が掛かっているそうですが、裏を見落とし写真は断念。
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【野面石積の石垣】
本丸は約6メートルの石垣で囲まれている。特に本丸北西に迫り出し、他の石垣よりひときわ大きな野面石で築かれた天守の石垣(天守台)がそびえる。
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この天守台には、三層の天守閣が建造されていたと伝わりますが、寛永3年(1626年)落雷により焼失、その後は幕府の許しが得られず再建されることはなかった。
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野面石積みの石垣は400年前のまま当時の姿で残されています。「三の門」が入口、西側に千曲川の河畔に向かって広がっています。
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【二の丸】
武田信玄が現在の小諸城の縄張りをしたと言われるが、それ以前は、ここに「乙女城」別名「白鶴城」があった。二の丸は、北東方向に浅間山の山並み一帯、北西方向には視界開け遠くアルプス山脈が見渡せる眺望のよい高台です。
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【南丸の石垣】
高さ約3メートルの石垣は、織豊時代に特徴的な野面石積みであるが、ほぼ垂直に築かれ、敵を寄せ付けない気迫を感じさせる。これは、天下分目の関ヶ原合戦前後、緊張感のある時期に築かれていることを物語る。400年あまり、その形を今なお留める石垣は、当時の優れた石垣築造の技。
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【北の丸跡は弓道場】
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by hime-teru | 2013-05-19 22:33 | 旅の情景(軽井沢・小諸) | Trackback | Comments(0)