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【小名木川エコツアー】  (3)  隅田川編

                     ★…【小名木川エコツアー】- (3) ・ 隅田川編 …★
舟は勝鬨橋から佃大橋→ 相生橋→ 永代橋 →隅田川大橋→清洲橋→をくぐり新大橋を見ながら小名木川へと進みます。隅田川は岩淵水門で荒川から分かれ、北区、足立区、荒川区、台東区、墨田区、江東区、中央区を流れて東京湾に注ぐ延長23.5kmの河川です。
◆【佃大橋】
昭和39年8月、東京オリンピックの直前にかけられました。この橋ができるまでは、徳川時代以来あった佃の渡しが、船による陸地との連絡に活躍していました。
個性的なデザインの多い隅田川橋梁群の中で、一見無個性で無粋な橋といわれがちであるが、大ブロック工法など、当時の技術の粋を凝らし、オリンピックに間に合わせるために急ピッチな架橋など、むしろ戦後に急速な復興を遂げた高度成長期の日本を象徴した橋といえる。“佃島”は隅田川の河口にできた中洲の島で、ここに徳川家康が攝津の国、佃村の漁民(現在の大阪市西淀川区佃)たちを招いて住まわせた、魚民の島である。歴史のある佃島も今はオクションの街になってしまいました。
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◆【水門】
江東区や墨田区は東西南北方向にいくつもの運河が残されて沢山の水門があります。主に高潮の影響を防ぐための「水門」ですが、「水門」は普段、ゲートを開けて支川の水を本川へ流しています。本川の水位が上昇した時、ゲートをぴたりと閉じて支川への逆流を防ぎます。ちなみに「水門」の正面は本川側で大水に立ち向かい支川を守っているのです。
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◆【相生橋】橋桁しか撮影できませんでした。
中央区の佃と江東区越中島の間で隅田川の支流で「晴海運河」 を渡る橋で、正確には 「隅田川に架かる橋」 ではないのです。清澄通りに架かるこの橋は、近年架け替えが行われました。工事は下流側に仮の橋を付設して進められ、工事の進捗に合わせて順次新しい橋に交通を切り替え完成は平成11年でした。
橋は明治36年に月島側へ水道を渡すために架けれたのが始まりで、永代橋に対比してこの橋名になったと言われます。当初の木橋形式を継承する趣旨から、隅田川では唯一のトラス橋になっています。
「相生」という名称は、この橋がはじめ長短二橋で構成されていたことから「相生の松」に由来して採られた。
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◆【永代橋】
「深川の大渡し」に代って、元禄11年(1698年)に永代島と呼ばれた地に架けられ、この橋名になったといいます。 現在の橋は、関東大震災の復興事業として大正15年に完成し、隅田川に架かる橋のうちで最も古い橋です。架橋した時には河口から一番目の橋であったことから、『帝都の門』としての形式や重量感をもたせ男性的なイメージです。清洲橋の女性的な橋と対称的になるよう計画されたと云われます。
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◆【隅田川大橋】
この橋は首都高速道9号線の橋脚に、しがみついているといった感じの大変ユニークな橋である。橋の幅は首都高に準じているために歩道がとても広くできており、川面から高度差が高く見晴らしは最高のようです。
上下に2段構造の橋となっており、上段部分が「首都高速道路」の高架橋、下段部分が一般道路の『隅田川大橋』です。
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◆【清洲橋】
関東大震災による復興事業で新設した幹線道路上に架けられた橋で、昭和3年に完成しています。遊興地として賑わったという日本橋中洲と江東区清澄地区を結ぶことから、両岸の地名をとった橋名になっています。
当時世界でも代表的な美しい橋と言われたドイツのライン川に架かるケルンの吊り橋をモデルにしたと言われています。 一つ下流に架かる永代橋と対比して優雅な景観が評されています。
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平成19年には下流の永代橋、勝鬨橋と共に、貴重な建造物として国の重要文化財に指定されました。清洲橋は他の橋に比べて破格の建造費がかかったそうです。
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【隅田川を行き交う舟】
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【中央大橋】相生橋を別にすれば隅田川で最も新しく架けられた橋です。斜張橋で隅田川に架かる橋の中では新しく平成5年8月26日に開通式が行われました。地元中央区のシンボルとして、大川端再開発事業などによる近代的な街並みの中で役割は大きい。
塔の形はかつてこの地域が「鎧島」と呼ばれたことから「兜」をイメージしています。
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隅田川がパリのセーヌ川と友好河川であることから、パリ市から送られたザッキン作のブロンズ像『メッセンジャー像』が橋脚上に飾られています。 船の安全を守っております。

【リバーシティ21の超高層ビル街】
昭和の末から平成の始め日本中がバブルに踊っている最中に架けられた橋は時代の空気を色濃く感じさせる橋ですね。橋の左岸はもと石川島の造船所が立地していました。跡地に近代的な超高層ビル群が出現し、マンションは億ションと呼ばれています。この国の金権崇拝時代の象徴のようなビル郡です。完成を待たずに完売とか? う~ん、ため息、
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隅田川は佃島で二つに分かれます。一つは、中央大橋、佃大橋、そして勝鬨橋を通って東京湾へ。
もう一方は、相生橋を経て晴海運河へ注ぎ東京湾へと流れます。
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【大川端】①「読売新聞」 のビル潮風が抜けるように設計されています
②③大川端の憩いの場所。保育園児がお散歩のようです。
④公園
▼近年、隅田川では親水テラスや緩傾斜の親水護岸の整備が進む一方、川の水質も浄化が進み水辺の環境が大きく変わってきました。そして改善された環境に呼応するように川沿いでの再開発などが進行し、高層化された近代的ビルの立ち並ぶリバーサイトの景観が生まれてきています。 中央大橋など最近架けられた橋は、新しく生まれ変わった周辺環境にふさわしい橋景色を見せています。  また、隅田川花火大会や早慶レガッタの復活、桜祭り、川辺での音楽祭、遊覧観光船の就航など隅田川はまさに都民の憩いの場としてよみがえりつつあります。
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【水門に守られている亀島川】
亀島川水門の向こうに南高橋(南高橋の由来は高橋の南にあるから南高橋で単純な命名)
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【新大橋】 
最初の橋は元禄6年(1693年)に架けられ、隅田川で三番目の橋でした。現在の両国橋が大橋と呼ばれていて、これに続いて架けられたことから新大橋の橋名になったといいます。 明治45年、米国から輸入した鋼材で架け替えられた橋は、関東大震災にも耐えた橋としても知られています。黄色の大きなポールに吊られたのツートンカラーの橋は、どこから見ても、すぐに新大橋とわかります昭和53年現在の橋に架け替えの際、古い橋の一部は、愛知県犬山市の明治村に復元され、また、レリーフは現在の橋に取り付けられています
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【豊海橋】
日本橋川最下流に架かるのが、豊海橋。夜間にはライトアップされ、その独特の白いトラスが、隅田川の川縁に映えます。
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隅田川沿い小名木川水門入り口の角に芭蕉庵跡があります。
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                                           ☆次回は小名木川へと進みます
by hime-teru | 2009-10-07 22:10 | 水辺のエコツアー | Trackback | Comments(0)