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【 日本橋川編 】亀さんの目線で大都会東京を視る   NO-6

        ★… 【水辺のエコツアー】 亀さんの目線で大都会東京を視る 日本橋川編  …★
  (その6) 外堀の石垣→旧龍閑川水門→鎌倉橋→神田橋→錦橋→一ツ橋→雉子橋
【鎌倉橋】
橋は関東大震災復興橋の一つとして昭和に入ってから架けられたもの。このあたりは家康が関八州を与えられて江戸入りした直後の時期、鎌倉から届いた石材の荷揚げに使われたことから「鎌倉河岸」と呼ばれるようになったという。橋の名前はそれに由来している。護岸の石組みが非常に古いのが目につく。
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【旧龍閑川の水門】(今は下水道出口)
千代田区と中央区との境界線に流れていたのが龍閑川。終戦後川は埋め立てられ、今は下水となっています。龍閑川は「神田八丁堀」を明治16年に掘り開いてできた川、岩井川も明治16年に浜町川を北に延長して作られてた川でした。この二つの川の合流地点で、堀のまわりに多くの材木商店があり材木町と呼ばれていました。川に面した所には船で運ばれた材木を荷あげする場所があったそうです。
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名残でしょうか? 材木を運ぶ舟のようです。
【神田橋】
聖橋からニコライ堂前、小川町交差点を経て大手町以南で「日比谷通り」となる幹線道路が日本橋川を渡る橋。
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【錦橋】大名家の印が残っている石垣を探していて橋は通り過ぎる。次回、撮影できましたら追加アップ致します。
神田錦町と皇居前方面を結ぶ橋。オープンスパンドレルで素打ちの橋です。日本橋川の石垣が数少なくなってきていますが、この石垣に江戸の名残を見ることができます。錦橋から一ツ橋からキジ橋の間は乱積と言われる石組みが残されている。江戸時代の初期に日本橋川の整備を担当した大名家の印が残っている石垣も見られます。
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【大名屋敷・家紋入りの石】 外堀の石垣の○に十は薩摩藩島津家の家紋。
【一ツ橋】
内堀川に架かる見附橋です。徳川家康が江戸城に入った頃は、大きな丸木が一本架けられていて、その名で呼ばれていたといいます。一ツ橋付近はもともと日本橋川と小石川(現在の白山通り)の合流地点であり
、合流点をあらわす「ひとつ」がこの地点に架かる橋の名称、さらにこの付近の地名になったとも。
①一ツ橋 ②大名屋敷・家紋入りの石 ③~④護岸壁
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橋の近くには、松平伊豆守の屋敷があったので伊豆橋ともいわれたこともあったようです。屋敷あとに八大将軍吉宗の第四子徳川宗尹(御三卿の一人)が居を構えた時橋の名をとって一ツ橋家と称したといわれています。明治6年、一つ橋門を撤去。現在の橋は大正14年に架設。一ツ橋付近では石組みの護岸壁が残ります。中には江戸期からのものもあります。このあたりは皇居に最も近い所で、皇居内堀まで50m程。
【雉子橋】橋写真なし。次回に。
毎日新聞社の裏手で雉子橋。地下鉄竹橋駅の南側にかかる橋で、流れは外堀、神田川に向けて北上します。
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by hime-teru | 2009-07-14 23:22 | 水辺のエコツアー | Trackback | Comments(0)