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京都御所と平安神宮

    ★…【京都御所と平安神宮】…★
                         2016.11.22
『おまけ』

【京都御所の通年公開】
2016年7月から京都御所が一年中、一般に公開されることになりました。
何度も訪れている所ですが、帰宅時間に少し余裕が出来て、少しだけ寄ってみることに致しました。
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土日祝日も参観可能になった御所の見学は西側の清所門から入場し、南側の建礼門のそばを通り、庭園を抜けて退場するコースです。
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平安京の内裏を再現した建物、正殿の紫宸殿、清涼殿、小御所、御学問所などが建ち並んでます。
しかしながら、一般公開は内部の貴重な屏風や襖絵などは閉ざされたまま、残念で御座いました。
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「清涼殿」
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小池庭・・中央に池を配した回遊式庭園(紅葉が色づいておりました)
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   丸い「欅橋」
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御座所・・(様々な儀式がここで行われ、武家との対面も行われました。寝殿造りと書院造りの両要素が混合した様式の建物)
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【平安神宮】
タクシーで降りたのですが、あまりにも広いため、見学は通過です。(内縁の紅葉は綺麗だったかも知れませんね)疲れと時間に追われて・・・、次回のお楽しみに致しました。
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が・・先2010年にアップの一般公開時の御所、下記をクリックしてご覧下さいませ。

★2010の御所の秋の光景です。
【京都御所-1】
【京都御所-2】
【京都御所-3】
【京都御所-4】
by hime-teru | 2016-12-01 12:00 | 旅の情景(京都) | Trackback | Comments(0)

【鴨川】 祇園

                        ★… 【夏の風物、鴨川の納涼床】 祇園…★
                            2015.5/16 
「京都鴨川」
鴨川納涼床が出ているエリアから鴨川の三角州(鴨川デルタ)まで約3キロ。20分ほどで歩くことができます。
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江戸時代には多くの見世物小屋や芝居小屋が建ち並び、夏は「夕涼み」の場所として、茶屋や料理屋が床几を出し、納涼床の前身となりました。祇園祭の「神輿洗い」が行われる場所としても見物客がひしめき、四条河原を囲むように祇園、先斗町などの花街も形成され庶民に人気の歓楽街となりました。
「納涼床」
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「阿国歌舞伎発祥の地」
安土桃山時代の女性芸能者・出雲の阿国はもとは出雲大社の巫女だったといわれ、「ヤヤコ踊」を踊って人気を博しました。慶長8年(1603)、阿国は四条河原で「かぶき踊」を始め、男装の「女歌舞伎」として大評判になりました。
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シーズンオフの祇園は人も少なく・・・。
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美人の猫ちゃんが店番をして今した。
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by hime-teru | 2015-06-10 23:13 | 旅の情景(京都) | Trackback | Comments(0)

【京都散策・嵯峨野】竹林

                       ★… 【京都散策・嵯峨野竹林 …★
                          2015.5/16
桜と紅葉の季節は度々訪ねていますが、5月の天龍寺の竹林とお庭が見たくて嵯峨野まで足を伸ばしました。
嵯峨野は平安遷都後には、風光明媚なため、天皇や大宮人たちの絶好の遊猟、行楽地でした。元慶6年、嵯峨野は「禁野」とされ以後貴族・文人などによる山荘・寺院建立が相次ぐ事になる。藤原定家がこの地に小倉山荘を造営してここで小倉百人一首を撰んだと伝えられ、時雨亭跡とされる遺跡が厭離庵、二尊院および常寂光寺に残っている。室町幕府の足利尊氏が嵯峨野に天竜寺を造営、江戸時代の慶長11年、角倉了以が保津川を改修して大堰川を開いて以後、嵯峨は丹波と京都をつなぐ水運の要地となり、木材などを扱う問屋などが並ぶようになった。明治36年に葛野郡嵯峨村、大正12年に嵯峨町となり、昭和6年に京都市に編入された。観光地になり野宮神社周辺の竹林が有名である

【天龍寺】
天龍寺は京都屈指の観光地、嵯峨嵐山に建つ臨済宗の禅刹。境内は1994年12月「古都京都の文化財」として世界遺産に登録されました。
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京都五山の第一として栄え、寺域は約950万平方メートル、現在の嵐電帷子ノ辻駅あたりにまで及ぶ広大なもので、子院150か寺を数えたという。しかし、その後のたびたびの火災により創建当時の建物はことごとく失われた。
寺号は尊氏の弟・足利直義が、寺の南の大堰川(保津川)に金龍の舞う夢を見たことから「天龍資聖禅寺」と改めたという。幕末の「蛤御門の変」で大打撃を受けた。現存伽藍の大部分は明治時代後半以降のものである。
法堂 は 禅寺の中心堂宇としては珍しい、寄棟造単層の建物。本尊釈迦三尊像を安置する。
方丈から見える庭園(特別名勝・史跡)夢窓疎石作から、わずかに当初の面影がうかがえます。
近くに渡月橋や峡谷もあり、映画のロケ地に数多く使われたお寺です。現在では映画のロケは断っているそうです。
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【曹源池庭園】(そうげんちていえん)
約700年前の夢窓国師作庭当時の面影をとどめており、わが国最初の史跡・特別名勝指定。
中央の曹源池を巡る池泉回遊式庭園で、大堰川を隔てた嵐山や庭園西に位置する亀山を取り込んだ
借景式庭園でもある。
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方丈からみた曹源池中央正面には2枚の巨岩を立て龍門の滝とする。龍門の滝とは中国の登龍門の故事になぞらえたもので、鯉魚石を配するが、通常の鯉魚石が滝の下に置かれているのに対し、この石は滝の流れの横に置かれており、龍と化す途中の姿を現す珍しい姿をしている。
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曹源池の名称は国師が池の泥をあげたとき池中から「曹源一滴」と記した石碑が現れたところから名付けられた。

庭をゆっくり眺めて百花苑へ・・、宝殿から北門への苑路で北門開設と同時に昭和58年整備された庭園。自然の傾斜に沿って苑路が造られて竹林が迎えてくれました。北門近くに観音様。
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花の少ない季節でしたが・・・。夏臘梅等が咲いていました。
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臘梅(白)
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オガタマ
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珍しい木です。
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梅雨時は白い花が目立ちます。
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5月の花です。半夏生今はお化粧をしている頃だと思います。
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こんな素敵な植物も。竹の根元に(花はいつ頃?)
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天龍寺の庭をゆったりと散策、北口付近の竹林、タケノコが地を割ってあちこちから顔を出しています。
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竹はお手入れが大変です。
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『嵯峨野竹林』
まっすぐに伸びた竹林が、天龍寺北側から大河内山荘付近までの約100mにわたって続く風情のある散歩道。嵯峨野に群生する真竹は>「野宮竹」と称され、古くは大嘗祭等に使用されたものである。
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竹の香りや注ぐ陽の日差し、天龍寺 竹林の道は大好きな京都の風景です。
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竹林の小道の先は、源氏ゆかりの「野宮神社」です。
【野宮神社】
本殿--野宮大神(天照皇大神)
伊勢神宮に奉仕する斎王が伊勢に向う前に潔斎をした「野宮」に由来する神社であると伝えられる。
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源氏物語「賢木」の巻の舞台とされ、謡曲「野宮」の題材ともなっており境内各所に案内板が設けられ授与される御守にも、それらをモチーフにしたものが見られる。鳥居は樹皮がついたままのクヌギの原木。貴重な「黒木の鳥居」、日本最古の鳥居形式を伝えている。クロモジの小柴垣は鳥居と共に源氏物語作中での風景描写として描かれた往古の潔斎空間の風情を醸し出している。
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京都の紅葉の天龍寺もご覧下さい。
 【天龍寺】
by hime-teru | 2015-06-10 22:57 | 旅の情景(京都) | Trackback | Comments(0)

南禅寺(水路閣)琵琶湖疎水

                       ★… 【京都、南禅寺 】 琵琶湖疏水…★
                           2015.5/14
「南禅寺」
日本最初の勅願禅寺であり、京都五山および鎌倉五山の上におかれる別格扱いの寺院で、日本の全ての禅寺のなかで最も高い格式をもつお寺です。境内には勅使門、三門、法堂、方丈の伽藍が一直線に並んでいます。
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「山門」
歌舞伎の『楼門五三桐』の二幕目返しで石川五右衛門が「絶景かな絶景かな……」という名台詞「南禅寺山門」がこれである。五間三戸二重門(2階建ての門)藤堂高虎が大坂夏の陣で戦死した一門の武士たちの冥福を祈るため寄進したものである。上層は「五鳳楼」といい、釈迦如来と十六羅漢像のほか、寄進者の藤堂家歴代の位牌、大坂の役の戦死者の位牌などを安置する。 知恩院三門、東本願寺御影堂門とともに、京都三大門の一つに数えられている。
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外国からの観光客、静かな京都がお気に入りのようです。
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【琵琶湖疏水】びわこそすい
京都と大津を結ぶ疏水は、京都市の飲料水をまかなうだけでなく、当初は発電や物資輸送、農業用水など多目的に利用することを目的に立案された。第1疏水は明治18年(1885)、青年技師田邊朔郎(たなべさくろう)の指導のもとに着工、同23年に開通。第2疏水は、明治45年に完成をみている。国指定史跡。

琵琶湖の水面は海抜84㍍、京都の命の水瓶です。長い旅を続けて京の町を潤します。この噴水は疎水の高低差の水圧だけを利用した噴水なんだそうです。
2007年春の撮影写真ですが・・
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『蹴上発電所』
蹴上発電所で水力発電をするために、最小限の傾斜で流れ来た疏水は、ここで発電のため一気に導水管を流れ落ちる
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【蹴上インクライン】
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以下、2007年の撮り置き写真。
蹴上インクラインの下側にある船だまりである”南禅寺船溜”花筏の先に広いレール。
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一方、舟は、この先の岡崎まで、かなりの落差を行かねばならない。そこで考えられたのが『インクライン』である。幅ひろのレールの上を、舟を乗せた台車がケーブルカーの仕組みで動かされ、蹴上、岡崎の舟だまりに入るのである。
撮り置き写真。
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蹴上から北に流れる疏水分線は南禅寺の水路閣の上を流れる。2015年5/14(今年の春)
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風格ある「水路閣」

西欧の技術を導入し、日本人の手によってつくられたアーチ型が美しいヨーロッパ風の建築物です。
紅葉の水路閣も良いが、青紅葉も煉瓦に映えて一段と美しいですね。
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この風景は、テレビ等でよく映される煉瓦のアーチです。一幅の絵です。
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はるばる流れ来た琵琶湖疏水は、白川、鴨川へとその流れを終え、宇治川へ注ぐ。琵琶湖疏水の水を含んで、宇治川は、大阪湾へと、さらに旅を続けるのです。
by hime-teru | 2015-06-09 23:16 | 旅の情景(京都) | Trackback | Comments(0)

【京都、南禅寺塔頭 】 金地院

                     ★… 【京都、南禅寺塔頭 】 金地院…★
                         2015.5/14
【金地院】
春の特別拝観で門が開いていましたので入って見ました。南禅寺の塔頭の1つで、江戸幕府の外交僧・徳川家康のブレーンであった金地院崇伝が1605年に移築した金地院のお庭は手入れの行き届いたお庭でした。
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【鶴亀の庭】
特別名勝。崇伝が徳川家光のために作らせた。作庭は小堀遠州。方丈から見て右手に鶴が左手に亀が配されており、鶴の背には常緑樹亀の背には落葉樹が植えられている。また、鶴と亀の間にある長方形の石は東照宮を拝むために設けられたものである。造営当時は庭から東照宮が見えたと伝えられる。
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小高い傾斜を利用して琵琶湖疎水からの水も豊富に流れて池には睡蓮が咲き始めていました。
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時間がなくて本堂には入れませんでしたが、『紙本墨画溪陰小築図』『絹本著色秋景山水図・冬景山水図 』は国宝で、現在、東京国立博物館京都国立博物館に寄託してあるのだそうです。機会があれば博物館でゆっくり見学したいと思います。

院内には東照宮が時代を誘います。
◆東照宮
江戸期には京都所司代の番所が置かれ,創建当初は日光東照宮と比されていた。 寛永5年(1628年)造営され拝殿は総漆塗り、相の間・本殿は軸部(柱や梁)を丹で、壁や扉は白・黄・緑といった極彩色で彩られている。 また拝殿の天井には狩野探幽の筆による「鳴龍」が描かれており、さらにその欄間には土佐光起画・青蓮院宮純法親王の親筆になる「三十六歌仙」額が掲げられている。( 重要文化財)
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by hime-teru | 2015-06-09 22:01 | 旅の情景(京都) | Trackback | Comments(0)

【真宗大谷派の本山―西本願寺&東本願寺】

                           ★… 【浄土真宗大谷派の本山―西本願寺&東本願寺】 …★
浄土真宗本願寺派の本山西本願寺は徳川家康により東西に分断されてしまいましたが両寺院は共に浄土真宗のお寺です。
なお、浄土真宗の開祖・親鸞聖人をしのぶ宗派最大の法要が始まる4月に向けて建物の改築など準備中。親鸞の命日は1262年(弘長2)11月28日だが、同派では新暦の命日1月16日を最終日に法要がお勤まりになり、期間中、全国から10万人に近い門信徒が訪れる。4月からは両本願寺周辺は大変賑わい京都も活気づくことでありましょう。

【西本願寺】
※『西本願寺は浄土真宗本願寺派の本山で、親鸞聖人の廟堂(墓地)が京都東山に創建されたのが始まりで、各地に寺基を移転した後、1591年に七条堀川の地を豊臣秀吉より寄進され、1633年に、ほぼ今日に近い姿となりました。境内には阿弥陀堂・御影堂をはじめ、桃山文化を代表する建造物や庭園が今日まで大切に受け継がれており、1994(平成6)年UNESCO(ユネスコ:国際連合教育科学文化機関)により世界文化遺産に登録されました。
第3代覚如上人の時に本願寺となり、第8代蓮如上人の尽力により大教団に発展していきました。その後、寺地は大阪や和歌山を転々とした後、天正19年豊臣秀吉が寺地を寄進、現在地に移る』
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【逆さ銀杏】
根っこを天に広げたような形から「逆さ銀杏」とも呼ばれる樹齢約400年の大銀杏は、京都市の天然記念物に指定されています。本願寺に火災があった時、この銀杏から水が噴き出して消し止めたという伝説から、「水吹き銀杏」とも呼ばれています。
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【阿弥陀堂】
御影堂の北に位置し、単層、入母屋造、本瓦葺、高さ25m、東西42m、南北45m。御影堂とともに江戸時代の真宗伽藍の典型。内部には、本尊阿弥陀如来立像を安置する。現在の本堂は、江戸時代の宝暦10年(1760年)に12年の歳月をかけて再建されたものである。
豪華な桃山文化を伝える国宝・重文の伽藍が建ち並ぶ西本願寺。御影堂は平成大修復を終えました。
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西本願寺前の分離帯の紅葉
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1602年(慶長7)本願寺は東西に分立。
【東本願寺】
※『東本願寺は宗祖親鸞聖人の亡き後、聖人を慕う多くの人々によって聖人の墳墓の地に御真影を安置する廟堂が建てられました。これが東本願寺の始まりです。
池泉回遊式庭園の飛地境内地は1641年に三代将軍・徳川家光から約一万坪が寄進され、石川丈山の趣向を入れた作庭がなされました。』
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【渉成園】池泉回遊式庭園の飛地境内地は1641年に三代将軍・徳川家光から約一万坪が寄進され、石川丈山の趣向を入れた作庭がなされました。
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by hime-teru | 2010-12-25 19:52 | 旅の情景(京都) | Trackback | Comments(0)

【京都旅行編―紅葉の永観堂】

                                 ★… 【【禅林寺】 別名 『永観堂』】 …★
                              2010,11月20日 紅葉状況
宿から10分ほど歩けば永観堂や南禅寺があります。朝食を済ませてゆっくり散歩しながら最高の紅葉を愛でてきました。体調もこの秋色を心の中に吸収して元気を貰いました。
【禅林寺】(通称)一般には『永観堂』の名で知られる。浄土宗西山禅林寺派総本山の寺院。
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【紅葉の永観堂】
別名「もみじの永観堂」と呼ばれるほど秋の紅葉は有名です。京都・東山随一の紅葉名所です。境内には約3000本の楓(カエデ・イロハモミジ、ヤマモミジ)が植えられている。
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「古今集・秋下」に藤原関雄の〓「おく山の 岩がき紅葉散りぬべし 照る日の光 見る時なくて」
平安時代初期に、永観堂(禅林寺)を創建され、弘法大師の弟子真紹僧都(しんじょう 797-873)の徳を慕って自分の別荘を寄進した藤原関雄の詠んだ歌です。永観堂は仁寿三年(853)の草創以来今日まで、幾多の文化人達の筆や口にもてはやされ、親しまれて、“モミジの永観堂”として千百有余年のかがやかしい歴史を持った京都有数の古刹です。
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永観堂の歴史は大きく三つの時代に分けられます。最初は真紹僧都から永観律師が住職になるまでの約220年間は真言密教の寺院としての時代。永観律師から静遍僧都までの約140年間は真言密教と奈良で盛んだった三論宗系の浄土教寺院でした。その後は浄土宗の寺院となりました。
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写真撮影は出来ませんでしたが、永観堂の本尊は『みかえり阿弥陀如来』像は高さ約80cm、作られたのは鎌倉初期頃のようである。京都六阿弥陀仏のひとつに数えられる名作。優美な曲線と後ろ左肩越しに振り向く姿をとっており、世界でも珍しく、立ち止まり振り返る姿です。仏が立ち止まり、振り返り、待つという「見返る」姿は、現代人に深い慈悲の働きを示しています。

境内には地形の高低差を生かして多くの建物が建ち、それらの間は渡り廊下でつながれています。
御影堂 釈迦堂 瑞紫殿と廊下やを通り見学できます。
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【瑞紫殿】
火除けの阿弥陀如来を安置している。応仁の乱のときに他の佛像は焼けてしまったが、この像だけは奇跡的に残ったため、「火除けの阿弥陀」として尊ばれた。
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御影堂の廊下からの紅葉
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【多宝塔】
境内の最も高い位置にあり景観上重要な位置を占めている。1928年(昭和3年)、篤志家の寄付で建設された。
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五重塔のように屋根に伸びる心柱に九輪と水煙が付いていて珍しいものです。
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左〓【臥龍廊】↓
上は臥龍廊とは屋根の反りが龍の背中に似ていることから名付けられた。この臥龍廊の下に「三鈷(さんこ)の松」呼ばれる大きな松の木がある。葉先が3つに分かれており、この松の葉を持っていると、「智慧」「慈悲」「まごころ」の3つの福を授かるといわれる。上り詰めると『開山堂』
〓右【水琴窟】↓
御影堂裏の阿弥陀堂と臥龍廊に別れる回廊の山裾、みかえり阿弥陀さまにご参拝の折に静かに水を注いで水滴が奏でる
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【唐門】
天皇の使いが出入りする勅使門で、釈迦堂との間に盛砂が作られており、勅使は、この盛砂を踏んで身を清めてから中に入った
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by hime-teru | 2010-12-25 19:50 | 旅の情景(京都) | Trackback | Comments(0)

【京都御所 秋の一般公開 】-(4) 京都御苑

                            ★… 【京都御所 秋の一般公開 】-(4) 京都御苑 …★
                                       2010.11.17
【京都大宮御所】
現在は天皇、皇后、皇太子及び皇太子妃の京都府への行幸啓(旅行)の際の宿泊や国賓の宿泊に使用されている。隣に仙洞御所があります。退位した天皇(上皇・法皇)の御所。仙洞とは本来仙人の住み処をいい「せんどう」とも読まれる。仙洞御所の地は、かつては聚楽第の後身として豊臣家の本邸のあった。当時は京都新城(旧聚楽第に対して)と呼ばれていた。豊臣秀頼は大坂城に常時居住していたが、京都新城には豊臣秀吉の正室・高台院(北政所)が居住していたところです。
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【京都御苑】
明治天皇とともに公家らが明治2年(1869年)東京へ移られた後、公家屋敷などが広がって公家町を形成していた京都御所周辺は大量の空き家の町となり荒廃した。この状況を嘆いた天皇は、明治10年(1877年)御所の保存を命じた。これを受け、京都府が火災延焼を防ぐため御所周辺の空き家となった公家屋敷を撤去して整備したのが京都御苑の始まりである。昭和24年(1949年)には国民公園として広く開放された。
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多くの木々が生い茂る公園内には、京都御所、仙洞御所、京都大宮御所、宮内庁京都事務所、皇宮警察本部京都護衛署などの宮内庁・皇宮警察関連の施設をはじめ、公家屋敷の遺構、公園の管理を行う環境省京都御苑管理事務所のほか、グラウンドやテニスコートもあり、市民の憩いの場になっている。
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【枝垂れ桜も秋の装い】 御所内の桜です
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【御所の細道】
一般住民の通り抜けルートになっているが、通路部分は小砂利が敷き詰められているため自転車では走りづらいが・・・。何故か自転車の走行跡が砂地に出来る。整地しても自転車の轍はいつも同じ所に出来るとか?まか不思議?。この走行跡は御所の細道と呼ばれるようです。
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【京都の鬼門、御所の鬼門】
鬼が出入りするとかで、嫌われる鬼門ですが、京都の民家、社寺では鬼門除けの風習が残っています。写真は京都御所の猿ケ辻と呼ばれるところで、角が内側に切り取られたようになっています。御所の鬼門となる東北角になります。御幣を担いだ猿を金網に閉じこめて魔除けとしています。(維新の頃には姉小路公知の暗殺現場でもあり、丁度切り込みの陰から刺客が飛び出し、公知を暗殺した所のようです) 犯人は分からずじまいですが、この鬼門の猿が唯一の証人?。門には赤外線のセンサーが取り付けてあり溝を渡れば警告放送が流れます。
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【大きな椋の木が・・・・】歴史を見つめています
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by hime-teru | 2010-12-15 23:38 | 旅の情景(京都) | Trackback | Comments(2)

 【京都御所 秋の一般公開 】-(3) 御所の紅葉

                        ★… 【京都御所 秋の一般公開 】-(3) 御所の紅葉 …★
                                    2010.11.17
【御常御殿前の秋紅葉】
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【御池庭(おいけにわ)】
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御池庭の紅葉は、松の緑とのコントラストが特に美しい。
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よく手入れされた庭は見事である。
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【 御内庭(ごないてい)】
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     〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓御所内に見事な生け花〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓
御室流(おむろりゅう)月輪未生流(つきのわみしょうりゅう)
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嵯峨御流(さがごりゅう))
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見事な秋
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by hime-teru | 2010-12-13 23:02 | 旅の情景(京都) | Trackback | Comments(0)

【京都御所 秋の一般公開 】 

                            ★… 【京都御所 秋の一般公開 】-(2) …★
                                    2010.11.17
【御所内をズームアップ】 〓門〓
【建礼門】
御所正面入口の正門。素木、切妻造、桧皮葺(ひわだぶき)、柱間1間の四脚門である。
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【建春門】
向唐波風の屋根をもつ美しい茅葺きの四脚門である。もともと勅使の出入り口として使用されていたが、明治維新以来は皇太子や皇后の出入り口としても用いられるようになった。また、外国の元首が内裏を訪れる際にも使用されている。
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【春興殿】舞楽台
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【清涼殿】
紫宸殿の背後西側にあり東を正面とした建物。入母屋造、桧皮葺の寝殿造の建物で、建具に蔀戸(しとみど)を使う点などは紫宸殿と共通する。本来は天皇の居所兼執務所であったが、天皇が常御殿に居住するようになってからは、清涼殿も儀式の場として使われるようになっている。
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【清涼殿】 と【小御所】の間には蹴鞠の庭
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【御常御殿】〓お仕えしていた女房(にょうぼう)の人形2体。
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【御涼所】〓天皇の夏季の納涼所 【迎春】の時は光明天皇の御書見の間として使われていました。
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【清涼殿】 【小御所】【御常御殿】のパネル・襖絵(かなりくらい室内でした。ISO感度1600.F4,4.画像処理で益々画質が・・・・。劣化。最新のカメラの技術に驚くばかりです(^_^)。手ぶれ防止宜しく、押せばそれなりに・・・・??。
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【御学問所】
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by hime-teru | 2010-12-10 17:06 | 旅の情景(京都) | Trackback | Comments(2)