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【源氏物語文中の花】  巻44  『 竹河 』 桜・梅・柳

        ★… 【源氏物語文中の花】 巻44 『 竹河 』 桜・梅・柳 …★
巻名の「竹河」は 梅の花盛りに、薫君が玉鬘邸を訪問時、催馬楽の『竹河』の歌を謡った文句の一端から巻名になりました。
★文中) 竹河の橋うちいでし一節に 深き心の底は知りきや … 薫から玉鬘へ
☆意)「竹河」の歌詞の一節からわたしの深い心のうちを知っていただけましたか。
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催馬楽(さいばら)とは……→(古代歌謡の一つ)
平安時代初期に一般庶民の間で発生した歌謡が宮廷貴族の間に取り入れられたものである。
・元々、一般庶民で歌われていたものであることから、特に旋律は定まっていなかったが、大歌として宮廷に取り入れられ、雅楽に組み込まれてから何度か符の選定が行われ、平安時代中期には律・呂という2種類の旋法が定まった。
・歌詞には古代の素朴な恋愛などを歌ったものが多く、4句切れの旋頭歌など様々な歌詞の形体をなしている。
・催馬楽の歌い方は流派によって異なるが、伴奏に琵琶、箏(そう)、笙(しょう)などがもちいられ、舞はない。
・曲目は61曲のうち、呂(36曲)の中に梅枝・竹河がある。百科事典『ウィキペディア』参照

文中の季節は春の花の記載が主ですのでこの季節の寒桜・梅・芽吹き始めたしだれ柳(撮り置き写真ですが)をアップしておきましょう。
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〓簡単に物語〓
この物語は、源氏一族から離れた髭黒大臣家の老女房の語った話だというのです。意表をつく語りから始まるのです。「尚侍」であった「玉鬘」の数奇を極めた人生の、その後を語ります。つまり、髭黒太政大臣亡きあとの玉鬘一家のエピソードです。
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玉鬘は、亡き髭黒の大臣との間に、男子は左近中将・左中弁・藤侍従の三人、女子は大君・中の君の二人をもうけましたが、髭黒は人情味が乏しく無骨でかたくな、このためか、この一族は世間づきあいも疎く、大臣亡き後は栄えない一家となっていました。
夕霧右大臣だけは、かつての源氏の意向もあり、しかるべき折に訪ねておりました。玉鬘は三男二女を女手ひとつで育ててきました。経済的には豊かでしたが、世間から置き去りにされているような境遇のお暮らしでした。

玉鬘は子供達の将来に頭を悩ませています。元大臣家とはいえ、夫髭黒亡き後息子達は昇進の機会が無く、娘達は入内の後盾が無いのでした。姫君に熱心に求愛する夕霧の息子・蔵人少将は、玉鬘にもてなされ一家と親しい薫に嫉妬しています。玉鬘は昔の恋のつぐないに大君を冷泉院に参院させたいと思っています(かつて自分が冷泉院の意に背いたことの償いの気持ちがるからのようですが)蔵人の少将は、庭の桜を賭物にして碁を打つ大君と中の君の姿を垣間見て、いよいよ思いをつのらせましたが、玉鬘は、少将の焦燥、悲嘆をよそに、四月九日、大君を参院させてしまいます。

薫も大君が参院したことで、あらためて未練がましい気持ちを持つようになります
★文中)手にかくる ものにしあらば 藤の花 松よりまさる 色を見ましや …… 薫
☆意)(手に取ることができるものならば、藤の花よ、松より濃い紫の色を、空しく眺めてなどはいないだろう)
★文中)紫の 色はかよへど 藤の花 心にえこそ かからざりけれ……藤侍従
姉大君とは、血の通った姉弟ながら、思うに任せなかったのですと薫を気の毒に思っている。
★文中)竹河の その夜のことは 思ひ出づや しのぶばかりの 節はなけれど……大君の女房
☆意)竹河をお歌いになったあの夜のことを覚えておりますか、思い出すほどの出来事ではありませんが。
女房たちの同情を引くのである。
月日は流れ、薫も蔵人少将も立派に成人します。玉鬘はその姿を見るにつけ、今更ながら自分の意思とは違ってしまった。人に遅れをとった……と嘆いておいでになりました。主人亡き邸の心細さはいかんともしがたく、隣り合う紅梅大納言家の賑わいを見るにつけ、父大臣の盛時の頃のことが思い出され、思い通りにならないと嘆く毎日です。
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物語の終わりにきて、新人事が行われ夕霧が左大臣按察使大納言(紅梅)は右大臣兼左大将薫はすでに宰相中将となり、匂宮と並んで評判が高い三位中将(蔵人少将)が宰相(参議)に昇進して、左大臣の姫君と結婚します。一方、大君が宮仕えの気苦労から里下がりがちなのに対して、中の君は今上帝のもとで気楽な日々を過ごしているといいますが・・・後に・・・。登場人物が全て揃いました。

院の人となった大君は、最初こそ冷泉院の寵愛をうけていましたが、やがて弘徽殿女御の嫉妬を受けるようになります。一方、大君の参院を恨んだ今上帝からの懇望で玉鬘は中の君を帝に尚侍(女御、更衣ほどの格式の高さはありませんが帝にお仕えするお役目という役職)で帝に入内させます。しかし、この中の君も思うような幸せが得られず、息子たちにも非難され玉鬘は心痛めます。
『まとめ』
玉鬘邸を源氏一門につながる右大臣(紅梅)の隣に置いて盛大な大饗を眺めて、思うにまかせぬ宿縁を嘆く玉鬘をここで演出しています。説得力のある構成です。賢母として嘆く玉鬘の本音を書いていきます。
※大饗…大殿などの任官披露の祝宴。
                〇∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞〇
この巻の注目点は、玉鬘が薫は源氏の実子だ思いこんでいること。実際は柏木の子、薫は玉鬘の実の甥なのですが・・・。知らぬ事とはいえ、玉鬘は薫に貴方の和琴は、故仕の大臣(柏木の父、玉鬘の実父)の弾き方によく似ていらっしゃること。不思議なほど兄の柏木に似ていらっしゃいますね!と。思い切ったこの言葉に、薄々感づいている薫の心境はいかばかり・・・・。
by hime-teru | 2009-02-15 21:54 | 源氏物語(巻41~巻50) | Trackback | Comments(0)

【源氏物語文中の風景&花】 巻‐42  『匂兵部卿(匂宮 )  』 吾木香他・etc  

                ★… 【源氏物語文中の風景&花】  巻‐42 『匂兵部卿(匂宮)』 …★
                   ( 紅梅と桜・女郎花・萩・菊藤袴・吾木香・etc )
〓「宇治十帖」に入る前に〓
巻‐42『匂宮』は光源氏没後の物語。光源氏の縁者達のその後の話に入っていきます。源氏の君がこの世を去られてから九年の歳月が過ぎ、親友の致仕の大臣(昔の頭の中将)も、源氏の弟の蛍兵部卿の宮も既にこの世にはおいでになりません。

作者は「匂宮」から「紅梅」「竹河」の三巻は、「宇治十帖」の舞台転換の繋ぎとして書かれています。
・「匂宮」では、源氏直系の子孫、薫、匂宮の様子。
・「紅梅」では、故致仕大臣(頭の中将)の家のその後。
・「竹河」では、当主なき斜陽貴族、髭黒大臣家のこと。

以上の三巻は話題表出の巻にて、各家の子女たちの結婚問題を中心に語りながら新しい主人公が登場してきます。現帝と明石中宮の間に生まれた第三皇子(匂宮)、源氏と女三の宮の子であるが、源氏の次世代の物語主人公として語り継がれます。
巻名は世間での二人の評判が高く、誰もが婿にと望んでいる様子が書き出され、世評高い二人が世人から「匂ふ兵部卿、薫中将」ともてはやされるところから「にほふ兵部卿」の巻名がうまれました。

この巻に出て参りますは複数の巻でアップ済みですので、匂宮が紫の上から譲り受けた庭の紅梅と桜を大切に守りながら暮らし、ものげなき吾木香を取り上げて写真を添えておきます。
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              ◆〓さて、物語は、源氏一族の紹介から〓◆
・匂宮(三の宮)と姉の女一の宮は…〔二条院〕
・次期の春宮(皇太子)は夕霧の中姫君(次女)をめとって…〔御所〕
・今上帝の女一の宮は養女として…〔六条院の東の対〕に住んでおります。
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〓 主人公の生い立ち 〓
匂宮(にほふ兵部卿)
匂宮は現帝と明石中宮の間に生まれた第三皇子。明石中宮腹の女一の宮と共に紫の上に養育されていました(つまり光源氏の孫)。(紫の上は春の花を愛し自身も桜にたとえられていました)譲り受けた匂宮は庭の紅梅と桜を大切に守りながら暮らしています。薫に対抗して香をたきしめていたのでこの名前がついた。
(薫中将)
女三の宮と柏木との間に誕生した不義の子、源氏の配慮によって、冷泉院の猶子となり、秋好む中宮からも寵愛され冷泉院で元服が行われました。生まれつき香水を振りかけたようなお方で、この香りのお陰で、どこにいてもすぐに判ってしまう事が多く、ご自分では厄介なことだとお思いになっています。
冷泉院(源氏の隠し子)と夕霧の右大臣(源氏の子息)が後ろ盾になられて申し分のないご出世振りで、十四歳の二月に侍従、その年の秋には右近中将となり、冷泉院の対屋に曹司(部屋)も与えられました。このように院の後見もあって異例の昇進をしますが、薫は、うすうす自分の出生の秘密に気付き栄華も虚しいものと思い始めます。
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              ◆〓物語を簡単に→匂宮15歳~21歳、薫14歳~20歳のお話〓◆
薫君は不思議な清香の備わった人なので、兵部卿宮はうらやましく思召して、他のことよりも競争心をお持ちになって・・・
★文中) 春は梅の花園を眺めたまひ、 秋は世の人のめづる女郎花、小牡鹿の妻にすめる萩の露にも、をさをさ御心移したまはず、老を忘るる菊に、衰へゆく藤袴、ものげなき吾木香などは、いとすさまじき霜枯れのころほひまで思し捨てずなど、わざとめきて、香にめづる思ひをなむ、立てて好ましうおはしける。

★意) 宮は薫に対抗して人工的にすぐれた薫香をお召し物にお焚きしめになるのを朝夕のお仕事になさる・・・
御自邸の庭の春の花は梅を主にして、秋は人の愛する女郎花、小男鹿(さおしか)のつまにする萩の花などは顧みないで、不老の菊、衰えてゆく藤袴、見ばえのせぬ吾木香などという香のあるものを霜枯れの頃までもお愛し続けになるような風流をしておいでになるのであった。匂宮さまは、薫君の身体の匂いをうらやましく思い、負けずといい匂いのする薫物をふんだんお使いになっていらっしゃったのです。注「小男鹿」は、牡の鹿である。
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見ばえのせぬ吾木香。※不老の菊とは?どんな菊?。衰えてゆく藤袴にどんな香りが? 風流とは?・・・。雅な方の風流人のなさることは・・・。理解に苦しみますね。
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一方、薫君は、ご自分の出生の秘密を知り悩んでいます。故に影響してお若い頃から厭世的な考えをお持ち、何に対しても淡泊冷静な態度をとっておいででした。そして、出家の妨げになることを怖れて女性に近づくようなことは避けています。

年頃になり、冷泉院の皇女、女一の宮、夕霧の大臣の六の君は美しく世間では若い公達が憧れの的と女性達が登場してきます。浮気者と評判の匂宮さまも、平素は女性には冷淡な薫君も、この二人の姫には平常心ではいられない?のでした。

この前書きを背景に今は右大臣となって栄華を極め「まめ人」と評判の夕霧の大臣の家族へと話が進みます。夕霧夫人雲居の雁と落ち葉の宮さま。夕霧は律儀にも一日置きにお通いになるというお暮らしをしていらっしゃるようでございます。その夕霧には6人の娘がいます。その娘の一人を匂宮様にと望んでいますが匂宮はその気がありません。
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夕霧の六の君(脇腹の藤典侍の子)多くの娘たちの中で、美人という噂で、貴公子たちの関心を集めています。(藤典侍→源氏の従者惟光の娘)夕霧は六の君の将来の障りにならないようにと、落ち葉の宮さまにお預けになっているのでした。後の「宿木」巻で匂宮と結婚するのですが・・。

物語の雰囲気から、匂宮と薫の二人の貴公子は光源氏のように目映いほどの美男というほどではない???という。
by hime-teru | 2009-02-02 18:21 | 源氏物語(巻41~巻50) | Trackback | Comments(2)

【源氏物語文中の花】 巻41  『幻』  あふひ草・ 梅・ 菊・ 蓮・桜・・撫子・花橘・etc 

        ★… 【源氏物語文中の花】   巻41  『 幻 』  あふひ草・ 梅・ 菊・ 蓮・桜・・撫子・花橘・etc  …★
この巻は最愛の人、紫の上を喪った源氏の悲しくも寂しい一年を語ります。そして、光源氏を中心とした『物語の終焉』を迎えます。 

「春の光を見たまふにつけても、いとどくれまどひたるやうにのみ、御心ひとつは悲しさの改まるべくもあらぬに・・・」 源氏は寂しく悲しい新年を迎える書き出しから始まります。
庭先の木草や季節の移り変わり、紫上を回想しながら六条院の四季は巡ります。見るものすべてに亡き紫上を思い出す光源氏は折々の歌を詠みわが人生を振り返り、秋には紫上一周忌の法事を営み。年末には紫上と交わした文を焼き翌春の出家に備えます。
これまで何不自由なく女性遍歴を重ね自由に振る舞ってきた源氏ですが・・人の命だけは自由にすることは出来ません。
★文中)わが宿は 花もてはやす 人もなしなににか春の たづね来つらむ。
☆意)私の邸には、もう花を愛でる人もいませんのに何のために春が訪ねて来たのでしょう!。見舞いに訪れた蛍兵部卿宮と思い出の紅梅に亡き人の姿をしのぶ日々を送っています。

この巻には殊の外、春の季節が好きだった紫の上を忍びながら思い出を綴った巻ですので植物も、あふひ草(葵)・花橘・ 梅・・ 樺桜・ ベニヤマザクラ・撫子春から夏にかけての描写が多く出て参ります。 この巻には相応しくないかも知れませんが・・書かれている花をアップしておきます。
まずはから↓。
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◆春になり…
山吹・一重桜・八重桜盛り過ぎ、樺桜、は後れて色づき、とりわけ春の季節が好きな紫の上の思いにふけり、季節の移り変わりや自然の営みさえ疎ましく思う毎日の暮らしぶりです。匂宮はお祖母様(紫の上)のご遺言通り、お庭の梅や桜のお世話を焼くのに一生懸命でございました
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★文中)植ゑて見し 花のあるじも なき宿に知らずがほにて 来ゐる鶯 … 源氏
 ☆意)形見の紅梅に植えて楽しんだ主人もいないこの家にそれも知らぬげに鳴いている鶯よ。
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入道された女三の宮を訪れますが、人の世の哀歓は無縁のもの女宮の配慮のなさに失望。悲しみを分かちあえる人ではなく、明石の君との語らいに僅かに慰められますが夜も更かさずに帰ってきます。
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◆夏になり…
賀茂の祭りにも、今年は華やかに物見車を仕立てて祭り見物に出掛けるということもなく、五月雨の晴れ間の月明かりに夕霧が訪れ一周忌の近づいたことを語り合うのみ。七夕もむなしく過ぎ、8月、紫の上の一周忌がきました。今までよく生きてこられたものと源氏は回想します。
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菊の悲しみ… ★文中)もろともに おきゐし菊の 朝露もひとり袂に かかる秋かな。
 ☆意)紫の上と共に起きて賞でた、菊の朝露も今年の秋は私一人の袂にかかるだけです。一周忌には紫の上が生前書かせた極楽曼荼羅や経を供養しました。
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重陽の節句や五節も過ぎて年の暮れがせまると源氏の出家の決心は固く身の回りの片づけや紫の上と取り交わした消息などを涙ながらに焼き捨てますが・・・。(手紙はどれもこれも惜しいものばかりで懐かしい思いが次から次へと去来するが・・・。)雲居の煙となれ(今は何も甲斐のないこと、あの亡骸の昇った同じ大空の煙となってしまえ)思い切って全てを焼き尽くし、雲居を渡ってゆく雁の翼を、羨ましく見つめるのであった。
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大晦日となり…
源氏はわが一生も尽きようとしていることを思い感慨にふけります。
★文中)もの思ふと 過ぐる月日も 知らぬ間に 年もわが世も けふや尽きぬる … 源氏物語の中で源氏の詠んだ最後の歌です。
 ☆意)物思いをしていて、過ぎていく月日も知らずにいるうちに、気がついてみると、この一年も、わが人生も、今日で尽きてしまうのか。
★ 一日のほどのこと常よりことなるべくと、おきてさせたまふ。親王たち、大臣の御引出物、品々の禄どもなど何となう思しまうけてとぞ。』 の詞書きは終わっています。

                ○ ………………………………………………… ○

『華麗を極め源氏を中心とした物語は余韻を残して、この巻で終わります。その後の出家についても、その死についても一言も記述されていません。のちに続く「宇治の物語」で、源氏が嵯峨に隠れ住んで仏門に入り、やがて崩じたと回想されるにすぎません』 

                ○ …………………………………………………… ○

◆「幻」の巻のあと「雲隠」という巻名だけの巻があり、次の「匂宮」巻までの間には、8年間の歳月が経過しています。この間に源氏は出家し他界しているというのが通説のようです。

本来は「雲隠」の巻で、源氏の死を書くはずだったのが言語に絶することで巻名のみを掲げて本文を書かなかった・・・ということかも知れません。その巻名も作者が作ったものかどうかは不明とのこと。(もしそういう巻があるとすれば光源氏の出家と死を描く巻が書かれているはずですが・・・)

【終わりに】
『源氏物語』は、年齢を重ねる事に深い心の奥の感動があり、受け止め方が微妙に違って、新しい発見や感情が心を揺り動かします。

最愛の妻を亡くした源氏の悲嘆の物語で、源氏を中心とした物語は終わりましたが・・・源氏物語の冒頭の「桐壷」の巻でも、同じように源氏の父桐壷帝が、最愛の妻「桐壷の更衣」を亡くし悲嘆にくれるところから書き出され、源氏の一生も、ともに最愛の妻を亡くし「源氏の悲嘆の物語」で終わるという構成になっています。

紫式部が最初から意図して書いたものなのか!偶然なのか!・・・。判りませんが、いづれにしても源氏物語は「最愛の妻を亡くした夫の話で物語が始まり物語が終わる。という「愛と死」物語だといても過言ではありませんね。

私の源氏花アップ、巻名の「花や現代の風景を重ねての写真アップ」も、12月にて物語「巻41」まで終了出来ました。残された宇治十帖は来年からスタートです。「1卷~41巻」の並べ替え編集作業も少しずつ写真集に向けて夢を馳せています。
by hime-teru | 2008-12-18 23:51 | 源氏物語(巻41~巻50) | Trackback | Comments(5)

【源氏物語文中の花】  巻40 『御法』  桔梗・萩・etc  

        ★… 【 源氏物語文中の花 】  巻‐40  『御法』   桔梗・萩・etc  …★
◎ … この巻は紫の上の最期を語る悲しい巻です。
「若菜下」巻での発病以来5年目、病に伏す紫の上を源氏が見舞う場面がある。前菜には萩、ススキ、桔梗などが風になびき、御簾がかすかに揺れている。この場面の紫の上はまさに減紫(けしむらさき)と白畑よし先生のお言葉。滅び行く紫がこの巻の全体を吹く風の如く覆っている。
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紫上から花散里の御方に・・・
★文中)こと果てて おのがじし帰りたまひなむとするも、遠き別れめきて惜しまる絶えぬべき 御法ながらぞ 頼まるる 世々にとむすぶ 中の契りを。
 意)法会が終わって御方がそれぞれに永遠の別れのようで名残が惜しまれます。もうこれで、私がこの世で催す法会は最後と思われますが、この法会の結縁によって生々世々結ばれた貴女との縁が頼もしく思われます。
花散里から紫上に・・・
★文中)結びおく 契りは絶えじ おほかたの 残りすくなき 御法なりとも。
 意)立派な法会で結ばれました私たちの御縁は、後の世まで絶えることはありません。残りの命の少ない私のような、おおかたの身であっても。
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〓このお二人の歌が御法巻名になっています〓
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★文中) おくと見るほどぞはかなきともすれば 風に乱るるのうは露
 意)起きていると見えますのも暫くの間のことややもすれば風に吹き乱れるの上露のようなわたしの命です。
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荼毘にふされる前の白く輝く死顔の美しさを、まじまじと見入る夕霧。そばで茫然自失の源氏。
源氏51歳の秋。八月十四日の暁、紫の上は四十歳をすぎたばかりでした。

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「御法」の詞書きを見れば、狂おしい迄の乱れ書き文字が悲しみにうち震え砕ける思いが伝わります。萩の枝にとどまっているべくもない露にその命を思い秋風の立っている悲しい夕べであったから、最後の歌の露が消えてゆくように・・と終焉の様子。
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はかなく美しい命の終わりでした。細まりゆく紫の上の息遣いが絶え絶えに重なり合い、訴える如くに消えてゆく。感情の交感は絵巻の詞書きの中でも圧巻である。
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簡単に物語
大病以来、一時の危篤状態を脱したものの日増しに弱る紫の上。出家を願っていますが源氏は許しません。女三の宮の出家には同意し自らも出家を志している源氏ですが、紫の上と離れることには決心がつかないようです。
春・・・・。
紫の上は長年にわたって書かせておいた法華経千部の供養を思い立ち三月十日二条院に帝、夕霧、東宮、后の宮たち(秋好、明石)や花散里、明石の君などが参集して盛大に供養が行われました。死期の近いことを予感する紫の上は、それとなく別れをつげるのでした。
夏になり・・・。
紫の上の病はますます重くなり見舞いに訪れた明石の中宮に対し後事を託し思い出多い二条院は最愛の匂宮に譲ることを遺言します。
秋になっても・・・
かひもなく、 明け果つるほどに消え果てたまひぬ。病勢は思わしくなく、仲秋八月、明石中宮が病床を見舞った夕べ源氏に見守られ中宮に手をとられ、ついにその生涯を閉じます。
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放心したように紫の上を見つめる源氏、夕霧も一目もはばからずあふれる涙で紫の上を見つめる。死顔の美しさに目もくらむ思いがする夕霧は、あの野分の朝の垣間見以来、紫の上を見ることが無かったのです。源氏が夕霧に美しい紫の上を見せまいと極端に用心をしていたからですが・・・。
ひそかに慕い続けてきた夕霧、やっと近くで見ることが出来たのは空しく命絶えた姿でしかありませんでした。紫の上の死顔をじっと見つめる夕霧を、たしなめる力は、もはや源氏にはありません。

翌十五日の葬儀の日は、おりしも仲秋の名月の夜でした。源氏には月を愛でるゆとりなどありません。帝以下、致仕の大臣、中宮はじめ人々は紫の上の死を悼み、ねんごろに弔問しました。故人を偲び出家する女房たちも少なくありません。源氏も、この悲しみに堪えたのち、出家を果たそうと思うのでした。
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当時は妻がいつまでもその座にどっしりすわっていることは宗教的にも嫌われた時代、時機をみて出家するのが普通の習わしでした。紫の上は女三の宮の一件以来ずっと出家の望んでいました。病気になり、その願望は強くなるばかり、ですが、源氏は出家を許さないのです。紫の上を失いたくないからです。ですので、紫の上の死は源氏には大変大きな打撃となります。
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この物語の終わりに、語り手(紫式部)は・・・。
源氏を・・・千年も共にと契りかわしておられたのに、死に別れねばならぬとは、まことに残念なこと、今は極楽往生の願いが他の思いに紛れぬように一途に出家を思い立たれるお気持ちにはゆるぎもないが・・・。その後もなお、世間体を気にしている情けない源氏を容赦なく書いています。       
by hime-teru | 2008-12-16 22:52 | 源氏物語(巻31~巻40) | Trackback | Comments(0)

【源氏物語文中の花】  巻16 『関屋』  紅葉・(霜枯れの草むら)

〔休暇報告〕
ご無沙汰致しました。私こと、インフルエンザの予防注射を受けて、どうしたことか?38度の熱と胃痛、腹痛で4日間寝込んでおりました。今年のワクチンは私には抵抗力が無かったのでしょう。注射で強力な抵抗力を貰って・・・免疫?今年のインフルエンザは?果たして効力の方は?何はともあれ、熱も下がり回復できたことは幸いでした』 多忙な年の瀬、皆様もお風邪を召されませんようお気をつけ下さいませ。  
      
        ★… 【源氏物語文中の花】 巻16 『関屋』  紅葉・(霜枯れの草むら) …★
                    撮影は H20,11,20 大津にて      
この巻は源氏17歳の時、ただ一夜の契りをかわした空蝉は身分違いの恋で自ら身を引き12年の歳月が過ぎ、夫に従って常陸から上京の折りに、偶然ではあるが石山詣の源氏と再会する場面から始まります
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★文中)九月晦日なれば、紅葉の色々こきまぜ、霜枯れの草むらむらをかしう見えわたるに
 意)九月の晦日なので、紅葉の色とりどりに混じり、霜枯れの叢が趣深く見わたされるところに・・・
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霜枯れの叢↓
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国宝、源氏絵巻『関屋』には青と緑の山並みの絵この巻だけが風景画で描かれている。『紅葉の色々こきまぜ・・・』と、あるのは?の疑問が先日、NHKの番組や横浜美術館で見た復元模写の絵を見て納得致しました。"平成復元模写プロジェクト"の内容は素晴らしく感動しました。復元された絵には山並みと共に豊かな紅葉が描かれていたのです。
紅葉の山河を背景に実らなかった恋を、静かな山水画と紅葉に、その意味を込めて再会の舞台をイメージされたように私は受け取りました。↓〔山並みの向こうは京都〕
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紅葉の山河を背景に琵琶湖も見えていたようです。
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この巻には植物の記載は「紅葉」「霜枯れの草むら」の記載しか出て参りません。
逢坂の関は牛車が行き交うほどの道幅だったのでしょう。↓これほどまでは整備されてなかったと思いますが・・・イメージとして紅葉の中を・・・。写真は石山寺境内の中ですが。
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逢坂の関は平安期、現在の岐阜県 ”不破の関”、三重県 ”鈴鹿の関” と共に、三関をなしていました。京都から東へ抜ける幹線路にあり、関所がありました頃はたくさんの人達が逢坂山を越えて行ったようです。現在も国道1号線が通り古今を通じて大動脈の峠越えになっています。電車にて大津・石山に行きましたので(逢坂の関所址の碑) は撮影する事を断念。いつかは機会を作って訪ねてみたいと思います。

簡単に物語
はかない一夜の逢瀬をもった空蝉は源氏への思いを胸に夫伊予の介(後の常陸宮)と任地常陸国へ下ります。源氏帰京の翌年、夫伊予の介も任期を終えて都に戻る途中、「逢坂の関」を越えたあたりで、たまたま願ほどきのために石山詣をする源氏の行列と行き会わせる。常陸介の一行は、車からおりて木陰に隠れるように華やかな行列を見送ります。

帰京後の源氏は、”先日は御縁の深さを感じましたが、貴女もそうお思いでしたでしょうか?”
と、成人した小君に空蝉への消息を折にふれて訪ねます。源氏も空蝉も再会は感慨つきないのです。源氏は空蝉の弟(衛門の佐)を介して、この行き会わせは偶然でなく宿世であり、「長らく途絶えていて改まった気持ではありますが、心の中は常にいつも貴女のことを思っております。昔のことがつい今日のように思うばかりです・・。と女心を揺さぶるのです。性懲りもなく相も変わらぬ源氏。

やがて空蝉の夫・常陸の守は病みがちになり空蝉に心を残して遂にお亡くなりになりました。残された空蝉は、しばらくの間は継息子たちが情けをかけてくれましたけれど、辛いことの多い日々が続き、しばらくして、こともあろうに河内の守(継息子)が空蝉に好意を持ち……我が手中にしようという呆れた下心が見えてきましたので、空蝉は人知れず思い悩み尼になるのでした。

前巻の「蓬生」の末摘花と同様に、「関屋」の空蝉も、後の身の上の概略を述べて、物語の終焉を暗示して終わっていますが、物語は継子に言い寄られて不幸な出家をした空蝉も源氏の保護を受け末摘花と同じように二条院に迎えられ平穏な余生をおくるのです。

※【見境もなくプレーボーイぶりをあちこちで発揮する源氏の長所は、恋した女性を隔てなく最後まで面倒を見ると言う「男としての責任感と優しい気持ち」が人々から好意の目で見られるからでしょう
by hime-teru | 2008-12-11 23:56 | 源氏物語(巻11~巻20) | Trackback | Comments(2)

【源氏物語文中の花】  巻39 『 夕霧 』   稲(イネ)

          ★… 【 源氏物語文中の花 】  巻39  『 夕霧 』  稲(イネ) …★
                      撮影は,20,9,10 農ある町(宮代町の田園風景)
『イネ』は、夕霧の巻他、須磨・明石・手習にそれぞれ1カ所ずつ記述されています。稲は文学的に雁や鹿と取り合わせで歌や文章に取り上げられ、この巻では小野の田園風景の秋の風情を描写している。
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木枯の吹き払ひたるに、鹿はただ籬のもとにたたずみつつ、山田の引板にもおどろかず、色濃きどもの中に混じりて うち鳴くも愁へ顔なり。
 意)木枯らしが吹き払ったところに、鹿は籬のすぐそばにたたずんでは、山田の引板(百姓の鳴らす鳴子(なるこ)の音にも驚かず 色の濃くなったの中に入って鳴いているのも、もの悲しそうである。
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【須磨の巻】
★御馬ども近う立てて、見やりなる倉か何ぞなる取り出でて飼ふなどめづらしう見給ふ。
 意)幾頭ものお馬を近くに繋いで、向こうに見える倉か何かにあるを取り出して食べさせているのを珍しく御覧になる。
【明石の巻】
★入道、時時につけてけふをさかすべき渚の苫屋、行ひをして後世のことを思ひすましつべき山水のつらに、いかめしき堂を建てて三昧を行ひ、此世のまうけに秋の田の実を刈りをさめ、残りの齢積むべきの倉町どもなどおりおり所につけたる見所ありてし集めたり
意)渚(なぎさ)には風流な小亭(しょうてい)が作ってあり、山手のほうには、渓流に沿った場所に、入道がこもって後世(ごせ)の祈りをする三昧堂があって、老後のために蓄積してある財物(イネ)の倉庫町もある
【手習の巻】
門田の稲刈るとて、所につけたる物まねびしつゝ、若き女どもは歌うたひけうじあへり。
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         ○ ……………………………………………………………………… ○
…【稲】…
イネ科の一年草。日本をはじめアジア諸国で広く栽培されている作物。全世界の栽培面積はムギ類に次いで第2位、世界総人口の半分は米を主食にしている。原産地については諸説があり正確さは不明であるが、インドか東南アジアの一角とされ、3000年前には既にインドや中国で栽培されていたという。
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草丈は1m 内外に達し根もとで枝分れする。葉は広い線形で先端は次第に細まり長さ約30cm。基部は葉鞘となって長く茎を抱く。8~9月にかけて茎の先に円錐花序を出し分枝して多数の小穂をつける。小穂は1花から成り,外花穎と内花穎はいずれも船形で,いわゆる籾殻となる。芒(のぎ)は品種により長いものや欠くものもある。6本のおしべと1本のめしべがあり熟して穎に包まれたまま穎果(玄米)が出来る。
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現在世界で栽培されているイネは大別して、実が細長く粘りけの少いインド型(外来型)と実が短い楕円形でつやがあり粘りけの多い日本型がある。日本型のイネでは粘りけが多くて餅にするもち米と普通のうるち米とがあり、水田に適した水稲と畑作に適した陸稲(おかぼ)がある。
☆ 万葉集にはイネのことを「伊奈(いな)」と呼び漢字では稲を用いている。

            ○ ……………………………………………………… ○
【雑感】
◆「瑞穂の国」に異変・・・。主食として、お餅やお菓子として、さらに発酵食品まで多彩な恩恵にあずかってきた「お米の国日本」先日からカビや農薬に汚染された事故米のニュース、不安は増すばかり。食料と偽って罪を承知で利鞘目的とは?怒りを隠せません。そもそも、工業用の食料(米)を役所が、役人が、食品会社に売ること自体おかしい。と言うより、売っていたことすら初めて消費者は知るのです。役所と業界のなれ合いの正体はこの業界に限ったことではなくなりました。なんと悲しいこと。日本人のモラルは何処へ行ってしまったのでしょうか?
↓このような被害にあっても頑張っている農家の方達がいらっしゃるというのに・・・。
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利権とリベートしか考えていない役人と経営者。しかるべき罰は受けるべきでしょう。消費者を平気で騙せるその神経、この事件に関わった役人は全て一掃して貰いたい。
だれを、何を・・信用していいのか?この現状に育ちゆく子供や孫達の行く末が心配でなりません。
↓子供達も米作り、頑張っているのに・・・心ない大人は後を絶たない。
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食の楽しさも・・・日ごと半減し「食欲の秋」も言葉のみ一人歩きしそうな寂しい食の秋、因みに今年は「ウナギ」も口にしませんでした。物言えぬささやかな抵抗です。 

             ○ ………………………………………………………………… ○
〓簡単に物語〓
この巻は源氏の息子「夕霧」の物語です。
★ 山里の あはれを添ふる 夕霧に立ち出むそらも なきここちして」
 意) 山里のもの侘しさを募らせるこの夕霧の中を帰って行く気にもなれない思いです。
巻名はこの歌によります

何事にも真面目で忠実な夕霧は柏木の死後、落葉の宮を親身になってお世話をしているうち、次第に恋心に変わり、律義者で誠実な性格ゆえ一途に落葉の宮への恋心が燃え上がっていくのです。そんな夕霧の心を知ってか知らずか、落葉の宮は彼の気配りには迷惑顔で心を閉ざし悶々としています。
秋の色濃い8月の中ごろ。山荘を訪れた夕霧は、ついに恋心を訴えます。夕暮れから深い霧がたちこめた事を口実に、強引にその山荘で一夜を明かしますが・・・落葉の宮は心を開かず夕霧は空しい朝を迎えます。母御息所は、祈祷師から夕霧が宿泊したことを聞いて心を痛めながらも夕霧の心変わりしない前に、二人が結ばれることを望みます・・・。

◆女郎花 萎るる野辺をいづことて 一夜ばかりの宿を借りけむ … 母御息所
意)女郎花が萎れている野辺をどういうおつもりで一夜だけの宿をお借りになったのでしょうか?。
「女郎花」を宮に「野辺」を小野山荘に喩え、二人の結婚を前提に、その後夕霧の訪れぬのを、なじる母御息所の手紙。それでも落葉の宮は心ここにあらず。娘の名誉を保てないと悲観した母御息所は絶望し亡くなってしまいます。一人残された落葉の宮は、茫然自失、母の死は夕霧のせいと夕霧を恨むようになります。

夕霧は、落葉の宮の気持ちが解けるのを気長に待ちながらも強引な説得が続きます。ついに業を煮やした夕霧は妻の嫉妬や嘆きや世間の目も、もはやないとばかり、妻の雲居の雁を怒らせながら落葉の宮のもとへ通い続け、ついに、まだ喪も明けないというのに、ものにしてしまいます。結局、落葉の宮は夕霧と再婚するしかないのでした。

このことが原因で最愛の妻の雲居の雁との間で派手なケンカになります。長年信じきっていた夫に裏切られた雲居雁は怒り、たまりかねて子供たちを連れて怒って里へ帰ってしまいます。
この感情は現代人と変わりありませんね。夕霧は結婚して10年。28歳です。当時の年齢感覚は今とは20年位の差があるといわれ、今の感覚では50歳位でしょうか?。

この色恋沙汰で実家に帰ってきた雲居の雁の父・太政大臣(源氏の政敵頭の中将)は、困ったことだと思いながらも、強いて夕霧のところに戻れとは言えないのです。落葉の宮は、亡き柏木(長男)の未亡人だからです。複雑な心境で胸を痛めながら気に病んだに違いありません。

一方、源氏も二人の噂を聞いて重苦しく受け止めますが術はありません。そしてまた、紫上も女の人生の宿命に悲しく胸を痛めるのでした。(二人は、それぞれの過去の自分を見つめているのです)
そうこうしている内に、雲居の雁も元のさやに収まり、夕霧は落葉の宮と雲居の雁と月に半分づつ通うという彼らしい合理主義を押し通します。

(平安時代に生まれなくて良かった~~と、ため息 … 私の感想)

真面目な男が急に若い女に血道(のぼせて)をあげ、家庭生活を狂わせる事件は、今も昔も変わりませんね。それにしても・・・並はずれたプレーボーイの源氏の息子に、よくもまぁ~、このような生真面目な男(子息)が授かったものです。これも紫式部の周到な計算なのでしょうか?
by hime-teru | 2008-09-15 19:25 | 源氏物語(巻31~巻40) | Trackback | Comments(4)

【源氏物語文中の花】 巻15 『 蓬生 』 杉 

           ★… 【源氏物語文中の花】 巻15 『蓬生』   …★
                 撮影は昨年、京都鞍馬山・秩父にて
この巻に1カ所「杉」が明記されています。古今集「我が庵は三輪の山もと恋しくはとぶらひ来ませ立てる門」を文章に引用しています。
因みに、この巻に記載されている植物(蓬・松・藤・浅茅・葎)はアップ済みですので省略致します。
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★今までこころみきこえつるを、 ならぬ木立のしるさに え過ぎでなむ、負けきこえにける」
 意)今まで様子をお伺い申し上げておりましたが、あのしるしのではないが、その木立がは っきりと目につきましたので通り過ぎることもできず根くらべに負けました」
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『杉』スギ科の常緑高木で日本特産。本州北端から屋久島まで分布。いたるところに植林され庭園、生垣、盆栽などによく用いられる。幹は直立し大きなものでは直径5m高さ50mに達する。樹皮は赤褐色で細長い薄片になってはげる。葉は枝に螺旋状になって密生し1~2cmの針状質が硬く先端はとがる。雌雄同株で春に開花して秋には結実する。雄花序は淡黄色枝の先端に密につく。雌花序は球形、枝の先端に熟すると径2~3cmで褐色木質の球果となる。
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材は柔らかく細工がしやすいうえ直幹が得やすいため日本では建築、船、橋、電柱、器具材、
樽、下駄などの細工物用に広く利用される。樹皮は屋根ふき用に、葉は線香や抹香の原料となる。秋田、伊豆天城山、天竜川流域、吉野・熊野、高知、宮崎(飫肥)などが有名な産地。年輪の幅や材質などに微妙な差があるといわれ用材としては秋田杉、吉野杉、屋久杉などが区別される。
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『杉』神木として古くは『万葉集』から詠まれてきました、
▲三輪(みわ)神社の
「味酒(うまさけ)を三輪の祝(はふり)がいはふ手触(てふ)れし罪か君に逢ひがたき」・丹波大女娘子(たにわのおおめおとめ)
▲石上布留(いそのかみふる)神社の
「石上布留の神杉神(かむすぎかむ)びにし我(あれ)やさらさら恋に逢ひにける」・作者未詳
▲平安時代に入って、『古今集』の「我が庵(いほ)は三輪の山もと恋しくはとぶらひ来ませ杉立てる門」・よみ人しらず 三輪明神の神婚説話と結び付いて明神の歌と伝承されるようになった。
▲伏見の稲荷神社ではは幸福をもたらすものとして有名で『山城国風土記』『蜻蛉日記』や『更級日記』にも「しるしの「杉」が記されている。
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『簡単に物語のあらすじ』
この巻は源氏28~29才。うまずらで長い真っ赤な鼻の想像を絶する醜女として登場した”末摘花”が源氏が須磨に退去している間、生活の窮乏に耐えながらも再会を待ち続け、再会した源氏が痛く感動し二条院に引き取って幸せに暮らすという暖かい物語になっています。

四月ごろに花散里を訪ねる道すがら形もないほどに荒れた大木が森のような邸の前にさしかかる。忍び歩きの思い出される艶な夕月夜であった。この荒れた屋敷が常陸の宮邸であることに気ずき、源氏は物哀れな気持ちになって車を止めさせた。道もないくらい深く茂った蓬の邸の姫君の変わらないお心を」と独り言をいってお車からお下りになると、御前の露を馬の鞭で払いながらお入りになる。
「松にかかった藤の花を見過ごしがたく思ったのは その松がわたしを待つというあなたの家の目じるしであったのですね!と前生の因縁を感じる源氏。何一つ優れた所等なく普通の男性ではとても堪えて拝見できないご容貌であるという末摘花を、なぜ!源氏は妻の一人として迎えられるのか? 不思議な巻ですが・・・。

源氏は二条東院に迎え入れるまでの一時的な宮邸の修理を行い、2年後 東の院という所に迎える。夫婦として同室で暮らすようなことはなかったが・・・、軽い扱いは少しもされなかった。
紫式部は生涯関わり合った全ての女性の面倒を見るという理想の殿方として光源氏を位置ずけています。果たして、このような男性が昔も!現代でも!存在するでしょうか?と思うと・・・。疑わしいですね~。
【常陸宮の姫君を源氏が訪ねるまでの日常】
父上の親王がお亡くなりになってからお世話する人もないお身の上で、もともと荒れていた宮邸は狐の棲みかとなって、浅茅は庭の表も見えぬほど茂り、蓬は軒の高さに達し、葎は西門、東門を閉じてしまうほど荒れ果て、くずれた土塀は牛や馬が踏みならしてしまい、春夏には無礼な牧童が放牧をしに来るという常陸宮邸の佇まいだが、それでも由緒ある宮家の誇りを持ち続けようと寝殿の中だけは塵は積もりっていても昔の装飾そのままに荘厳なお住まの中でひっそりと末摘花は過ごしています。ご兄弟の禅師の君(世にもまれな古風な方で同じ法師という中でも処世の道を知らない世離れした僧)だけが、たまに、お立ち寄りになる日々を送っていらっしゃいました。
by hime-teru | 2008-08-10 22:30 | 源氏物語(巻11~巻20) | Trackback | Comments(2)

【源氏物語文中の花】 巻22  『玉鬘の巻』  ミクリ 

  ★… 【 源氏物語文中の花 】 巻22 『 玉鬘の巻 』  ミクリ・実栗・三稜 …★ 
             撮影は H20,7,31 日光東大植物園にて
この花を探し求めて1年あまり一昨日日光東大植物園で撮影する事が出来ました。
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紫式部は登場人物に、その縁の植物を使っています。玉鬘がユウガオの蔓で夕顔と結びつき、源氏は邂逅(思いがけない巡り会い)に玉鬘に「みくり」の縁を歌に詠む。
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知らずとも尋ねて知らむ三島江に 生ふる三稜の 筋は絶えじを …… 源氏
 意)今はご存知なくともやがて聞けばおわかりになりましょう三島江に生えている三稜のように私と貴女は縁のある関係なのですから。
数ならぬ三稜や何の筋なれば 憂きにしもかく根をとどめけむ …… 姫君(玉鬘)
 意)物の数でもないこの身はどうして三稜のようにこの世に生まれて来たのでしょう。

「三島江」は淀川の自然を代表する歌枕。「三島江に生ふる三稜の」は「筋」に係る序詞。
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品があり感じのいい姫君(玉鬘)を見て源氏は気だての優しい花散里と親しくして暮らすのもいいと思い、五条の右近家に姫君を移して女房を選り整えて衣服の仕度をして十月、玉鬘は六条院へ引き取られる。

恋ひわたる身はそれなれど玉かづら いかなる筋を尋ね来つらむ …… 源氏
 意)恋ひわたる身は同じであるが玉鬘はどのような縁でここに来たのであろうか?と独言を言う源氏。この玉鬘は『万葉集』と同じく恋にからんでいる点は共通するが『万葉集』の玉葛は実らないのに対して、源氏の玉鬘は夕顔が産んだ娘であり夕顔の稔りです。夕顔の娘を玉鬘とするのは偶然のようではあるが・・・紫式部は最初から「すぢ」を通して構成され、古典にヒントを得て物語が展開されています。
源氏物語の文中の女性は”女君とか姫君”と、著され固有名詞は出てきません。源氏の君の交わした歌の中から「玉鬘」の巻に。すなわち、後世にその読者が物語にちなんでつけた名前です。

 〓 ミクリ 〓 絶滅危惧種みくりについて
何故かミクリを専門的に観察・保護する人たちが多くいます。極めて珍しくなってしまったこともありますが、その名がちょっと愛らしさを感じさせるためでしょうか?。
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多年草で水湿(抽水性)植物。本来は日本全土に分布し大きいものでは高さ2m近くにもなります。葉幅は15ミリから5ミリの”ヒメミクリ”のものまで、ミクリ属は約10種ありますが、殆どの種がレッドデータブックに記載されています。減少の原因は河川開発、水質汚濁,農薬汚染などが考えられます
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地下茎を延ばし、しばしば群生します。葉はショウブやガマの葉に良くにていますが表面は平坦で裏面にのみ稜があります。夏になると茎の基部から花茎が伸び、分枝した枝の下部に雌性頭花、上部に雄性頭花をつけます。
小さいながらもその果実が栗に似ていることからこの名があります。ミクリ・ヤマトミクリ・ナガエミクリ・ヒメミクリ・オオミクリなどありますが…写真は『ナガエミクリ』です。
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簡単に物語
『源氏物語』に引用された古典は、むろん漢書だけではありません。日本の古歌や物語りも数多く織り込まれています。単なる引歌や引詩にとどまらず、ストーリーの展開も古典にヒントを得て書かれています。「夕顔の巻」は『源氏物語』の最も有名な巻の一つ。夕顔はその花のように、はかなく短い命を終えてしまいますが、夕顔には玉鬘という娘が残されておりました。その玉鬘を源氏が養女とする物語です。

この巻の物語は、夕顔の忘れ形見、玉鬘のサクセスストーリー(出世物語)となっています。この後の、巻23「初音」の新春から「胡蝶」の三月まで、物語の花が開くように「玉鬘物語」が展開していきます。「胡蝶」の後半から源氏を巡る女君として六条院の新たなヒロインとなっていきます。

【森のアネモネ樣】の素晴らしい「源氏物語サイト」のご紹介です。
 【森のアネモネ樣サイト】
by hime-teru | 2008-08-01 21:35 | 源氏物語(巻21~巻30) | Trackback | Comments(2)

【源氏物語文中の花】  巻24 『 胡蝶・こちょう 』   山吹・ヤマブキ

            ★… 【【源氏物語文中の花】 巻24 『 胡蝶・こちょう 』  山吹・ヤマブキ …★
◎源氏物語【六条院の春の町】は2007-06-20 にアップ済み『カテゴリ→源氏物語花考察→2007-06』クリックしてご覧頂けましたら幸いです。

大覚寺『大沢の池』周囲約1km、日本最古の人工の林泉。嵯峨天皇が離宮嵯峨院の造営にあたって中国の洞庭湖を模して造られたところから『庭湖』とも呼ばれる。今でも毎年9月「観月祭」あります。4年ほど前にお茶会をかねて出かけたのですが、あいにく大雨に見舞われてしまいました。
この池での「観月祭」は9世紀初め嵯峨天皇が大沢池に船を浮かべて文化人と共に遊ばれたことが始まりだと言われています。期間中は古式にのっとり大陸風の龍頭船、鷁首船を浮べ、お茶席が設けられ琴を奏で平安の王朝絵巻さながらに優雅なひとときが繰り広げられます。大覚寺『大沢の池』は源氏に出て参ります【舟楽の宴】を彷彿させてくれます。
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六条の院の南町、紫の上の御殿では春の庭が今が盛りです。源氏は新造の竜頭鷁首の船が出来てきたので、早速、船楽を。三月に紫上の御殿では盛大に舟楽の宴が催されます。折から、秋好む中宮は六条の院の西南の町に里下がりをしていましたので、源氏は中宮方の女房を船に乗せ池を巡って春の庭に招待しました。人々は仙境(せんきょう=桃源郷)に来た思いで、それぞれに礼賛の歌を歌い交わします。
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この巻は紫上と秋好中宮は、春と秋どちらが優れているかを競って楽しむ巻です。
柏木や蛍宮など玉鬘にあこがれる貴公子が多い中、光源氏は養父であるにもかかわらず美しい玉鬘にひかれる心を抑えきれず、雨上がりの夕べ、ついに恋心を伝えてしまうのですが…。

文中は引用詩歌が多いのですが、「胡蝶」の巻きは、とりわけ漢詩文が多用されています。
『高堂 虚しくして且(また)廻(はるか)なり座臥(ざが)して南山を見る廊を纏(めぐ)れる紫藤(しとう)の架(まがき)砌(みぎり)を夾(さしはさ)める紅葉の欄』〓『白氏文集』巻二風諭 秦中吟「傷宅」の一説他に「蓬莱山」に関して『白氏文集』から「海漫々」が引用されています。
また「仙境」については、陶淵明(とうえんめい)の『桃花源記(とうかげんき)』喩えとして「爛柯(らんか)」の故事がみられます。
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紫の上は鳥と蝶に扮した童(舞人)を船に乗せて、桜、山吹の花を金銀の瓶にいけて献上させました。
「花園の胡蝶をさへや下草に 秋まつむしは うとく見るらむ」 … 紫上
(秋を待つあなたは、花園に舞う胡蝶までもつまらないものと御覧になるのでしょうか)
「まつ」に「待つ」と「松虫」の「松」を掛けており、「秋まつむし」は秋好む中宮を指しています。
【返歌】
「胡蝶にも 誘はれなまし 心ありて 八重山吹を 隔てざりせば」 … 秋好む中宮
(可愛い胡蝶の舞人が帰っていくのに、ついて行きたい思いです。そちらで、わざと幾重にも隔てをお作りにならなければ)
子供じみた歌のようでもあり優雅なやりとりです。歌あり、踊りあり、語りがあって演劇的な構成になっており、「歌舞伎」の源流をみる思いが致します。
                 ★… 【 山吹・やまぶき 】 …★
バラ科の落葉低木。地下茎で繁殖し大群落をつくることがある。茎は叢生し、高さ1~3ートルに達する。若い枝は緑色。葉は互生し単葉で卵形、先端はとがり縁に鋸歯、托葉は線形。3~6月、旧枝から出た短い枝の先に黄色で径3~4センチの5弁花を1個開く。雄しべは多数、雌しべは普通5本。果実は痩果。山地に生え、日本および中国に分布する。八重咲きになる品種をヤエヤマブキといい果実がはきない。その他、キクの花のような花形のキクザキヤマブキ、黄色を帯びた白色のシロバナヤマブキなど多くの品種がある。
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ヤマブキの開花日は、九州南部が3月下旬、東京は4月下旬、北海道北部では6月上旬である。ヤマブキ属はヤマブキ一種からなり中国では薬用とする。
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はっきりと八重ヤマブキの名がみえるのは『源氏物語』の巻28「野分」である。今回は六条院で紫の上の春の町を彩る景物の一つとして巻24「胡蝶」を取り上げました。華やかな舞楽の場面の光景を形成し玉鬘の容姿によそえられる。
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〓山吹〓は・・・・。
☆『万葉集』では17首中12首が恋の花として詠まれ、いとしい人のおもかげが重ねられている。
「かくしあらば何か植ゑけむ山吹の止(や)む時もなく恋ふらく思へば」(巻10)
「山吹のにほへる妹(いも)がはねず色の赤裳(あかも)の姿夢に見えつつ」(巻11)
同音反復で「止む」に美しいという意味的に「にほふ」にかかる枕詞として用いられる。
「妹に似る草と見しよりわが標(し)めし野辺(のへ)の山吹誰(たれ)か手折(たお)りし」(巻19)。
庭への移植も恋が絡む。
「山吹をやどに植ゑては見るごとに思ひは止まず恋こそ増され」(巻10)
「花咲きて実は成らずとも長き日(け)に思ほゆるかも山吹の花」と、ヤマブキが実らないことが描写されているので、当時すでに結実しない八重咲きが存在したと考えられる。
☆江戸城を築いた太田道灌の故事で知られる、乙女が実のないことと蓑をかけた「七重八重花は咲けども山吹のみの一つだに無きぞ悲しき」の歌は有名ですね。
☆『枕草子』には「草の花は」の段に「八重(やへ)山吹」、「大きにてよきもの」の段に「山吹の花」とある。
☆『徒然草』の「折節の移り変はり」の段に「清げ」な花としてみえ「家にありたき草木」の段にもあげられている。
☆『花月草紙』には、常夏(撫子)とともに晩春に他の花に遅れて咲く「執念き深き花」とされている。季題は春。
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◆中国では唐の時代から観賞されていた。春の花として、蛙や鶯と配合されたり、恋の歌にも
思慕する女性の比喩に用いられたりして詠まれる。
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簡単に物語のあらすじ
春爛漫の六条院。源氏の玉鬘への恋慕。晩春三月の六条院のすばらしい庭園が舞台です。『源氏物語』には「藤裏葉」冷泉帝、朱雀院の「六條院行幸」の場面にて山吹の花を持った殿上の童たちが華麗に「胡蝶の舞」を舞う場面やこの巻「胡蝶」にて中宮の法会にて鳥や胡蝶に扮した童女たちが花を奉り閼伽棚に供える場面がでてまいります。

源氏は、ゆく春を惜しんで池に船を浮かべ雅やかな船楽の遊びを行いました。折りから秋好中宮が里帰りしていたので、その女房たちも船に乗って春の町を訪れこれを見物し夜を徹して遊びは華やかに続けられました。

若者達の中には、玉鬘に想いをよせる人々が多く源氏は期待どおりのなりゆきに満足しています。その中に源氏の弟の蛍兵部卿宮や玉鬘が実の姉とも知らぬ内大臣の長男(柏木)もいます。

初夏になって玉鬘に沢山の懸想文(けそうぶみ=今でいうラブレター)が届くようになります。源氏は玉鬘のところを訪れて親らしく返事の心得を教えたりします。源氏の選んだ相手は、蛍兵部卿宮、髭黒大将、柏木の三人ですが源氏自身しだいに手放すには余りにも惜しい想いかられるようになります。

若い源氏と玉鬘がお似合いの取り合わせのようにも見えますが、玉鬘本人は源氏を親として頼りながら一方では、まだ見ぬ実の父内大臣に早く会いたいと、そればかり思っています。玉鬘に心を奪われる源氏の姿は、紫の上に感づかれることとなり紫の上は思い悩みます。源氏は、玉鬘に亡き夕顔の面影を重ね合わせ想いを打ち明けます。玉鬘は意外な成り行きに源氏をうとましく思い悩む日々が続きます。
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参考
〓【荘子が夢で胡蝶になったという故事】〓
吉野の奥に住む僧が、花の都を見物しようと上京し、一条大宮のあたりにやって来ます。そこに由緒ありげな古宮があり、その御殿の階段の下に梅が今を盛りと美しく咲いています。僧が立ち寄って眺めていると、そこへ人気のなさそうな家の中から、一人の女性が現れ声をかけて来ます。そして、この御殿や梅の木について語ってくれます。僧は喜んで、女の素性を問いただすと、実は自分は人間ではなく胡蝶の精だと明かします。そして、春、夏、秋と草木の花かがりし、法華経の功徳を受けたいのですといい、荘子が夢で胡蝶になったという故事や、光源氏が童に胡蝶の舞をまわせ御船遊びをなさったことなどを語り、もう一度、御僧の夢の中でお会いしましょうと夕空に消えてゆきます。
〓【胡蝶の舞】〓
背中に蝶の羽をつけた殿上童達(4人の子供が山吹の花をつけた天冠をかぶり《胡蝶》用の別装束(蝶の紋のついた袴と袍)を身にまとい背中に蝶の羽をかたどったものを背負い、右手に山吹の花を持って舞う。かわいらしい舞姿の曲。平安時代,延喜8年(908)あるいは延喜6年ともいうが、宇多上皇が子供の相撲を見物したとき,藤原忠房(楽人)がこの曲を作曲、敦実(あつみ)親王(宇多天皇の子)が 琵琶を弾き、雅楽に造詣が深い)が舞をつけたという。……中略……蝶が飛びかう様を描くように手を振りながら舞台に輪を作り、くるくる回る。とあります。
by hime-teru | 2008-04-24 19:14 | 源氏物語(巻21~巻30) | Trackback | Comments(0)

【源氏物語文中の花】 巻35・47  『総角』・『若菜下』  樒・シキミ

        ★… 【源氏物語文中の花】 巻35 ・ 47  『 総角』・『若菜下 』   樒・シキミ …★
                撮影は京都H19 & 我が家 H20、3
★『総角』巻47六段に八の宮の一周忌近いころ美しい大君を見ての薫の心が騷ぎ大君を口説く場面があります。

★御かたはらなる短き几帳を、 仏の御方にさし隔てて、 かりそめに添ひ臥したまへり。
名香のいと香ばしく匂ひて、のいとはなやかに薫れるけはひも・・・・ 。
意)お側にある低い几帳を、仏の方に立てて隔てとして形ばかり添い臥しなさった。名香がたい
そう香ばしく匂って、がとても強く薫っている様子につけても、・・・・。
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日本の仏教の宗派は「十三宗五十六派」と言われ、平安時代は天台宗・真言宗でした。シキミは特に密教系の天台宗や真言宗の仏教儀礼と深い結びつきがあっったようです。南北朝から室町時代あたりになると中世的な神道と習合した天台宗は修験者をつうじて全国に広がっていきます。むろん、その時代によって宗派の勢力があり、いろいろな宗派の教えが蓄積されて現在の風習になってシキミを供える風習も一般化してきたのだと思います。
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★『若菜下』巻35
この巻中には源氏が朧月夜が出家したことに対し手紙を出します。内容は、かわいい恨み言という感じです。
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★回向には、あまねき方にても、いかがは」とあり。濃き青鈍の紙にてにさしたまへる、例のことなれど、いたく過ぐしたる筆づかひ、なほふりがたく、をかしげなり。二条院におはしますほどにて女君にも、今は、むげに絶えぬることにて、みせたてまつり給ふ。
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◆仏門に入る朧月夜の立場を演出するのにシキミが登場します。濃い鈍色の紙に書かれてシキミの枝につけてあったのです。

樒・シキミ
モクレン科シキミ属で分布地は本州以南。関東地方から琉球にかけて生育します。常緑低木で3~4月頃に花をつけ葉は10センチの長楕円で光沢があり、その匂いはいわゆる「抹香くさい」といわれるように抹香や線香の原料となります。(数珠にも用いられるそうです)つまり、シキミを供えることでお香を焚くのと同じ効果があるというわけです。
シキミの匂いは『源氏物語』や『枕草子』でも「いとおかし」と称されていますが、これは風情があるのではなくシキミが焚かれる場面をふまえて婉曲にその匂いの強さを強調されて語っているものと思われます。
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シキミは修験道などの密教神道系である天台宗や真言宗の仏教儀礼にみられます。『樒の実はもと天竺より来れり、本邦へは鑑真和尚の請来なり、其の形天竺無熱池の青蓮華に似たり故に之を取りて仏に供す』とあるようにシキミの葉を蓮華の代用としていたわけです。その流れで現在もシキミを仏に供えるようです。、
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【簡単なあらすじ】
宇治の大君は、妹の中君を薫の相手にと考えておりました。ある夜、薫は2人の部屋に忍び込みますが大君はその気配に身を隠し中君とも結ばれませんでした。薫は匂宮を宇治に案内し匂宮は中君と契ります。一方、夕霧は娘・六の君と匂宮との結婚を望んでいます。それを聞いた中君はただ匂宮を信じ思い悩みますが・・・。大君は妹中君を心配するあまり病みついてこの世を去ります。(薫24歳)
by hime-teru | 2008-04-11 23:53 | 源氏物語(巻31~巻40) | Trackback | Comments(4)