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【安芸の宮島】厳島神社

             ★… 【安芸の宮島】 厳島神社 …★
              2017.11.21
【安芸の宮島】
厳島(いつくしま)とは、「神 を斎(いつ)き祀(まつ)る島」の意。
厳島神社の境内は、宮島の「御笠浜(みかさはま)」の中心に位置し、浜の入江に沿うようにして建立されています。日本三景の景勝地。広島県佐伯郡宮島町に鎮座。古くは伊都伎嶋(いつきしま)神社とも記し、また厳島大明神(だいみようじん)とも称した。市杵島姫命(いちきしまひめのみこと)、田心姫(たごりひめ)命、湍津姫(たぎつひめ)命を祀(まつ)る。
【正面】
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フェリ-で「宮島に」渡る。
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広島名産の牡蠣筏の光景
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古代には周囲約31キロメートルの宮島そのものが神とされ、人も住むことを許されない神聖な島でした。社殿が海水のさしひき(干満)する所に建てられているのもそのためである。
宮島には中世以降人家が建てられたが、耕作をしない、死者を埋葬しない風習は現在も守られている。

船上から神ノ島宮島の弥山と大鳥居が見えてきました。
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創建年代は不詳であるが、社伝では、推古(すいこ)天皇のとき、佐伯郡の住人佐伯鞍職(さへきくらもと)が神託を受け、社殿をつくり祀ったことに始まるという。811年7月名神社に列し、4時の幣帛(へいはく)を奉る社とされ、859年(天安3)正五位下より従(じゆ)四位下に、867年(貞観9)従四位上に叙され、延喜(えんぎ)の制で名神大社とされた。
【上陸】
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安芸(あき)国、一宮になり、平清盛が出てからはその一門がことに崇敬した。
平家滅亡のあと、源頼朝も崇敬して社領を寄進し、修造料を寄せ、以降鎌倉幕府も保護した。
【参道をを歩く】
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鎌倉時代に火災により多くの建物を焼失したが、室町時代に大内氏、毛利氏が維持に努め、毛利元就は1572年、将軍足利義昭の命を受けて、本社拝殿、回廊、客人(まろうど)神社以下を古例のままに造営した。毛利輝元も社領を寄進、さらに1587年(天正15)豊臣秀吉の命を受けて大経堂(千畳閣)を造営した。

江戸時代には徳川将軍や広島藩主浅野氏がよくその維持に努めた。明治4年、国幣中社、さらに明治44、官幣中社とされた。 

本社(本殿、幣殿、拝殿、祓殿のほか、天忍穂耳命、天穂日命、天津彦根命、活津彦根命、熊野く樟日命を祀る摂社客人神社(本殿、幣殿、拝殿、祓殿)社殿の造りは貴族の邸宅を模した「寝殿造り」壮大な社殿群は平安時代の浄土信仰に基づく極楽浄土を現したものとも言われます。


『昇殿の出入り口』
東西廻廊は一般の神社の廻廊のように敷地を四角く区切るものではなく、海上の各建物と陸地とを結ぶ渡り廊下の役を果たしている。
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回廊は国宝建造物で、平清盛造営当時の規模をよく伝えている。
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長い長い回廊・・美しい
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【拝殿・祓殿】
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【内殿見た光景】
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【反橋】
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【大鳥居】(1875再建)国重要文化
木造で両部鳥居[りょうぶとりい](四脚鳥居[よつあしとりい])です。
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★「8」にこだわる設計
◇例えば本社拝殿から大鳥居までは108間で、火焼前から大鳥居までは88間となっています。
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◇回廊の基本的な間隔は約2.4㍍(8尺)その間には床板が8枚敷き詰められています。

◇回廊の全長は約262㍍その間には108本の柱が立つ。また厳島神社の社殿の灯籠、参道の石灯籠108個といわれています。
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厳島神社が「厳島」となったのは、後々の話で、9世紀の書物の日本後紀には「伊都岐嶋神」、10世紀成立の延喜式には「 伊都伎嶋神社」と記載。「厳島」と記述があるのは江戸時代以降の文献が多く、「厳島神社」となったのは江戸時代か、それより前…おそらくは14世紀と思われます。

【大鳥居の文字】
◆ひたさきから(本殿を背に)
現鳥居は明治8年(1875年)の再建である。棟の高さ16.6メートル、柱間10.9メートル変額は有栖川宮熾仁親王の染筆とのこと。
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◆海側から
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【能舞台】国指定重要文化財
「唯一無二の能舞台」材質はヒノキ
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【千畳閣】
桁行13間約24m 梁間8間約15m 単層本瓦葺入母屋 木造の大経堂。大伽藍に857畳の畳を敷くことが出来る所以から「千畳閣」のようです。
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社宝には、平家納経一具、法華経30巻、彩絵檜扇などの国宝や、鎧(よろい)、太刀(たち)など、国指定重要文化財を多く蔵している。
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【潮汐(ちょうせき)】潮の干満のこと。
月と太陽が地球に及ぼす引力の影響等で海面が規則的な周期で昇降することをいいます。
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★宮島は6時間周期の干満で潮が引くと大鳥居の下を歩いたり対岸へ渡ることも出来るのです。
大鳥居の根元まで歩いて行ける潮位の目安は 100cm以下です。潮干狩りに適する潮位の目安は 40cm以下です。

私共が訪れた時間帯は干潮で23㎝、鳥居近くまで歩けたようです。
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【五重塔】国重要文化財
高さ:27.6m、方:3.6m応永14年(1407)建立 桧皮葺で和様・唐様を融合した建造です。 内部は彩色がしてあり豪華絢爛。内陣の天井には龍が、外陣の天井には葡萄唐草の模様が描かれています。2層目で止まっている心柱が風に強い構造になっているそうです。
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大願寺、神鹿
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【弥山】
日本三景の景勝地(宮島、天橋立、松島)和歌や文学にも登場する絶景です。
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高台「千畳閣」裏から
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【商店街】
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例祭は6月17日のほか、4月15日の桃花(とうか)祭、陰暦6月17日中心の管絃祭、陰暦7月18日の玉取(たまとり)祭、12月31日の鎮火祭など豪華な祭礼が多く、舞楽、能楽が年中行事のなかで行われる。3月から11月までの間、島を一周し、末社を巡る「御島巡り」は、厳粛な祭事である。
古来,海上交通安全の女神,また伎芸神として民間に信仰されている。
管絃祭・・・三絃・琵琶・箏、鼓(羯鼓)・太鼓・鉦鼓、管(笙)笳〔か〕・笛)
を用いて合奏する。曲は唐楽,催馬楽,朗詠など
by hime-teru | 2017-12-12 14:45 | 中国地方(山陽・山陰の旅) | Trackback | Comments(0)

【津和野】山陰の小京都

         ★…【津和野】山陰の小京都…★
            2017.11.21
【津和野】
明治維新前には津和野藩亀井氏の城下町であり、山間の小さな盆地に広がる町並みは「小京都」の代表格として知られている。山紫水明の地で士族屋敷の遺構とコイのすむ掘割は、 かなりの大きさの鯉が泳ぐ。ほかには津和野駅はSLやまぐち号の終着駅。
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どこまでも続く白い土塀、昔ながらの町並み「山陰の小京都」といわれる所以です。鎌倉時代から約700年続く城下町。白い土塀が続く光景はこの町ならではの趣を色濃く残しています。
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【殿町通り】
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掘割で泳ぐ錦鯉で知られる殿町通りは短い通りでが、津和野を代表するメインストリートだそうです。白壁の土塀や綺麗に整備された石畳など、この町ならではの風情が溢れています。
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森鴎外が学んだ藩校の「養老館」ただいま工事中でした。
【藩校養老館(津和野町民俗資料館)】西周や森鴎外も通った藩養老館はかつて西周や森鴎外などを輩出した津和野藩の藩校で、和学、医学、数学などのほか、兵学や武道等、沢山の学問を教えていたとされています。現在は民族資料館や図書館として使用されています。
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春の殿町通りは桜並木が通りを彩ります。城下町の面影を今も色濃く残す山陰の小京都ならではの風景です。
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【津和野カトリック教会】
鮮やかなステンドグラスが美しい石造りの教会です。ゴシック造りの教会で、中は畳敷きの珍しい建物となっています。キリスト教弾圧による殉教者の慰霊の為に建てられました
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『津和野の鷺舞』
八坂神社は伝統舞踊・鷺舞(さぎまい)で有名な神社は津和野町の弥栄神社の7月20日(渡御)と27日(還御)の神幸につく。
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京都の祇園会の鷺舞が山口市の八坂神社の祇園祭に伝わり、さらに山口の鷺舞が天文11年に津和野に伝わったという。一時中絶、正保1年に京都から直輸入して復活。
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京都では絶えて津和野から再び逆輸入した。津和野では、弥栄神社(もと祇園社)の祭りに舞われる。
【鷺の作り物を身に着けた舞人が、棒振・羯鼓(かっこ)・囃子(はやし)方を伴って、神社と御旅所、頭屋、町の四辻などで檜扇のような白い翼を広げて優雅に舞う】近年,新しく少女たちによる子鷺の舞が生まれた。
目の前にはお稲荷様
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コウゾ,ウルシを産し石州半紙が特産です。工房を訪ねました。和紙一筆箋と和紙の名刺を買いました。3600円なり。
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by hime-teru | 2017-12-12 14:17 | 中国地方(山陽・山陰の旅) | Trackback | Comments(0)

【萩】 城下町・激動の史跡の町

            ★… 【萩】城下町・激動の史跡の町 …★
                2017.11.20
【激動の幕末から明治維新の志士達のゆかりの史跡の町】

2015年度のNHK大河ドラマ「花燃ゆ」の舞台となる長州藩は、山口県萩市に藩庁が置 かれ、幕末には多くの維新の志士を世に送り出しました。
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萩は幕末に活躍した思想家・吉田松陰。松陰を慕った志士達が江戸から明治へと大きく 変化する時代を駆け抜けた歴史の町です。松陰を慕った志士には(伊藤博文、木戸孝允、高杉晋作、久坂玄端、、山県有朋等々、維新で活躍する志士を育てたのでした)
しかし、齢30歳で命を落とさねばならなくなった松蔭を思うに・・・
ただただ寂しく、むなしい.生きておられたら、どんな明治になっていたでしょうか?

不勉強ながら歴史のさわりを想像しながら、江戸の町を歩きました。

【城下町】
旧萩城の外堀から外側に広がる。町筋は碁盤目状に区画され、中・下級の武家屋敷が軒を連ねていました。現在でも町筋はそのままに残り、往時の面影をとどめています。白壁となまこ壁や黒板塀の美しい町並みが続き、維新の志士ゆかりの地が点在しています。
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【江戸屋横町】
江戸屋横町は、黒板塀がつづく風情ある道です。通りには、維新の三傑の一人である木戸孝允の旧宅や、蘭方医・青木周弼の旧宅、高杉晋作・伊藤博文ゆかりの円政寺などが並びます
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【円政寺】
境内には十二支の彫刻が施された珍しい形式の金毘羅社があり、神仏習合の形態が見られる貴重なお寺です。高杉晋作や伊藤博文が幼少の頃に勉学に励んだことでも知られています。
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【木戸孝允誕生地】
桂小五郎の名でも知られ、“維新の三傑”と詠われた木戸孝允の旧宅。生まれてから江戸に出るまでの約20年間を過ごした木造瓦葺の2階建ての家です。
誕生の間や幼少時代の手習いの書を表装した掛け軸、写真などが展示されています。【国指定史跡】
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木戸孝允は、萩藩医・和田昌景の長男として生まれ、後に藩士・桂家の養子となり“桂小五郎”の名でも知られています。藩校明倫館に通い吉田松陰の兵学門下となり、文久2年(1862)藩の要職に就き京
へと出て国事に奔走。慶応元(1865)年、藩命により姓を“木戸”と改め、翌年、坂本竜馬の仲介のもと薩摩藩の西郷隆盛や大久保利通らと“薩長同盟”を結び明治維新に尽力。維新後は、五箇条の御誓文の起草、版籍奉還、廃藩置県などの推進に功績を残しました。明治10(1877)年、西南の役の途中で病死。享年45歳。
【田中義一誕生の地】
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【旧久保田家住宅】
呉服商・酒造業を営んでおり、建物は江戸時代の後期に建てられました。意匠・構造・技術に優れ、酒造業で繁栄した往時の状況もよく伝えており、史跡萩城城下町を構成する重要な建物です。
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【菊屋横町】
美しい白壁となまこ壁がつづく通りには、藩の豪商・菊屋家をはじめ、第26代総理大臣・田中義一の誕生地、幕末の風雲児・高杉晋作の誕生地があります。
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菊屋横町は、江戸時代の町並みが残る城下町を代表する道で、「日本の道百選」に選ばれています。
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【高杉晋作誕生地】
幕末の風雲児・高杉晋作の誕生地。敷地内には、晋作ゆかりの品や東行と号した句碑・産湯の井戸などがあります。(現在は個人所有)
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【晋作広場・高杉晋作立志像】
平成22年10月に「高杉晋作立志像」が建立されました。広場には晋作が好きだった梅の花も植樹されています。銅像は、晋作が明倫館や松下村塾に通っていた20歳頃の若々しく凛々しい顔をイメージ、ざんぎり頭ではなく髷を結い、両刀を差した羽織、袴の立ち姿です。
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【萩城】
徳川幕府が辺鄙な僻地に城を築かせたのも毛利氏の力をそぐためだったのでしょう。

『萩城』は毛利輝元が中心市街地の指月山に築城した『平山城』。松本川、橋本川の三角州に位置し、慶長9年に築城。時間がなくて行けませんでしたが園内には花びらが純白色の珍しい桜『ミドリヨシノ』、山口県の天然記念物に指定が1本あるようです。見てみたいが季節が秋故残念。

『夏みかん』
萩の産業といえば観光と農業、漁業。しかし、工場はほとんどありません。萩焼と白壁や土塀から夏みかんがひょっこり夏みかんで有名です。特産のナツミカンは士族授産政策として発達した伝統産業である。
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開発がほとんど行われていないため、江戸時代のままの街並み、当時の地図がそのまま今でも使える不思議な町です。今で言えば不便な過疎の町。新幹線も、高速道路も通っていないのです。
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沿岸には小火口をもつ笠山の陸繋島があり、沖合いの六島諸島を含む海岸地方は北長門海岸国定公園に属する。
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【伝統工芸】萩焼、小萩人形,竹細工などあり。萩城城下町は国の指定史跡。市内には先史遺跡、城址、反射炉、明倫館、松下村塾をはじめ明治維新の志士たちにゆかりの史跡の建物が残る。

参考【萩焼】
萩焼は山口県萩市・長門市で焼造される陶器。桃山時代の天正1573~慶長1615、萩藩主毛利輝元が、朝鮮半島から帰化した陶工の李勺光(りしやつこう)・李敬兄弟に御用窯として開窯させたのを発祥とする。
防府で出土する大道土(だいどうつち)を用い、特有の藁灰質の白濁釉をかけた茶陶としての作風が樹立したのは江戸前期と思われ、茶人の間では「一楽、二萩、三唐津……」と賞玩された。

びわ色の釉をかけた茶碗はわびの風情に満ち、使うほどに釉色が変化するところから「萩の七化け」の俗称がある。遺品には三島・粉引・刷毛目・井戸・熊川などの高麗(こうらい)茶碗を写したものが多く、割高台(わりこうだい)にも特色がある。
by hime-teru | 2017-12-07 17:00 | 中国地方(山陽・山陰の旅) | Trackback | Comments(0)

【出雲大社】

         ★…【 出雲大社 】…★
           2017.11.20
【出雲大社】
『二拝四拍手一拝の作法』で拝礼する。明治維新に伴う近代社格制度下において唯一「大社」を名乗る神社であった
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古くは天日隅宮(あめのひすみのみや)、天日栖宮(あめのひすのみや)、出雲石くま之曽宮(いわくまのそのみや)、厳神之宮(いつかしのかみのみや)、杵築大社(きつきのおおやしろ)などと呼称されている。大国主大神は素盞嗚尊の子で、因幡の白兎神話で慈愛深い神として語られている.

出雲国造家は南北朝時代に千家(せんげ)家、北島家に分かれて両家がその神事に携わったが、国造は現代にも続き、古いしきたりを伝えている。
(銅門をくぐります)
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武家時代、源頼朝はその神主家の勢力を抑えることを計りながら、一方では正月、剣を奉納するなど崇敬している。後醍醐天皇が王道再興を祈願して神領を寄進、その後、戦国時代には、出雲国の支配は京極、尼子、毛利氏と変わったが、いずれも大社を崇敬し、その神領に大きな変化はなかった。しかし、豊臣秀吉の文禄、慶長の役(1592、1597)で軍資金調達のため一時縮小されたが、江戸時代には松江藩主松平氏により安定させられていた。
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1871年(明治4)に官幣大社、1917年(大正6)には勅使参向社とされた。 この大社の祭祀(さいし)は天穂日命の子孫の出雲国造がつかさどることとなっており、古くはその国造は代替りごとに朝廷に参向した。
(参拝の前にこの小さなお社にお参りして汚れを祓います)
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【心御柱の再現】
平成11年からの発掘作業の過程で発掘された、三本の柱、巨大な柱、中央「宇豆柱」、中心の「心御柱(しんのみはしら)」が、発掘されるに及んで、今までの常識が、覆されることとなります。
三本のうち、一本の柱の直径が、1.3メートル、相当な大きさです。これが、高層神殿を支えていたと考えられ、この三本柱は、平安時代の16丈(48メートル)の神殿のものであると考えられています。
【再現された心御柱】
この三本の柱が9本もあるというから驚きです。なぜ、9本・・・?(建築上強度を増すために三本でひとつにしたという説明)
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【八足門】宗教建築 / 江戸中期 / 重要文化財
門の形式の一。一重の門で,本柱四本の前後にそれぞれ控え柱が合わせて八本あるものをいう。
一般はこの門まで。
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【境内の光景】
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この門の奥が本堂になります。
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【本殿】・・「天下無双の大廈(二つと同じものが無い壮大な神殿)」と称えられる御本殿は、悠久の歴史の中でその度々の御造営遷宮と御修造遷宮を繰り返し、今にその姿を受け継いできました。
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【本殿は国宝】
本殿に祀られる御神体は西向きで稲佐の浜の方角を向いておられ、本殿の正面から参拝すると、神様の横顔を拝んでいる事になります。屋根の棟の上には長さ7.9mの二組の千木が交差しています。
千木の上方にあいている小さな穴は、実際は大人一人がくぐり抜けられるほどの大きさで、本殿の大きさを実感できますね。
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【神楽殿】有名な日本一の大きな「大注連縄」です。
正面の大注連縄は長さ約13メートル、重さ約4.5トンに及びます。この大注連縄は数年に一度、新しい注連縄へと懸け替えられます。
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この大きさ・・・このしめ縄に向かってお賽銭が投げられるようです。
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出雲大社は一般庶民の信仰が厚く、縁結びの神、福徳の神として親しまれ、御師より各地に講が組織されていた。明治時代には、千家家による出雲大社(おおやしろ)教、北島家による出雲教が結成され、現在もそれぞれ布教活動を行っている。
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【稲佐の浜(いなさのはま)】
出雲大社の西方1kmにある海岸で、国譲り、国引きの神話で知られる浜。
(この浜は天照大神より、国譲りの使命を受けた建御雷神が大国主神と対面した
場所です。 また旧暦の10月10日には、出雲大社に集まる全国の神々がこの浜から出雲へ上陸すると伝えられ、今なお神迎えの神事が行われる出雲のパワースポットの一つです。
「弁天島」
近年急に砂浜が広がり、現在では島の後まで歩いて行けるようになりました。
弁天島・地元では「べんてんさん」と呼ばれて親しまれている島
(神仏習合の頃には「弁財天」が祀られていましたが、明治のころから豊玉毘古命(とよたまひこのみこと)が祀られています)
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by hime-teru | 2017-12-06 23:46 | 中国地方(山陽・山陰の旅) | Trackback | Comments(0)

【足立美術館】

           ★…【足立美術館】…★
           2017.11.20
【足立美術館】
地元出身の実業家足立全康により、1970年11月島根県安来市古川町に設立。
横山大観(約130点)をはじめ、榊原紫峰、竹内栖鳳、上村松園、川合玉堂、伊東
深水、橋本関雪らの近代日本画約1200点のほか、林義雄らの童画を収蔵されてい
ました。
陶芸館には、河井寛次郎(約150点)と北大路魯山人(約200点)の作品が収蔵してあ
ります。

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陶芸館には、河井寛次郎(約150点)と北大路魯山人(約200点)の作品が収蔵してあ
ります。
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【5万坪の庭】・・・(古戦場、勝山、月山を借景した庭園は中根金作の設計)
(白砂青松庭)
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(苔庭)
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(鶴亀の滝)
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◆庭園もまた一幅の絵画
(生の掛軸)
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(生の額絵)
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(枯山水庭)
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(池庭)
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(茶室&廊下の紅葉)
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【文化勲章受章の作家達】が秋を憂う◆『主な展示』
横山大観「紅葉」「海潮四題・秋」「乾坤輝く」 竹内栖鳳「雨霽」 川合玉堂「夕月夜」
上村松園「待月」 松林桂月「山泉」 鏑木清方「紅」 小林古径「楊貴妃」
安田靫彦「王昭君」 前田青邨「山路之秋」 川端龍子「愛染」 松尾敏男「彩雨」
(館内)
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もっとゆっくり時間をかけて鑑賞したかったのですが、時間に追われて後ろ髪引かれる思いで・・・美術館を後にしました。いずれまた。
      
by hime-teru | 2017-12-06 23:34 | 中国地方(山陽・山陰の旅) | Trackback | Comments(0)

【姫路城】

       ★…【姫路城】…★
          2017.11.19
【姫路城】
白鷺城。兵庫県姫路市本町にある平山城。1346年に赤松貞範が築城したのに始るという。以来、室町時代は赤松氏によって保たれ戦国時代には小寺氏が在城した。豊臣秀吉が中国征伐の拠点として、天正8(1580)年ここに3層の天守閣を築いた。
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現在の規模にしたのは,慶長5(1600)年城主となった池田輝政で、その後入封した本多、赤松、平、榊原の諸氏が三の丸、西の丸を改修し1749年以来は酒井氏の居城として明治にいたった。
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城郭は姫山を利用し、内・中・外の3重の堀をめぐらし・中・外の3重の郭から成り、東西約635m、南北約1744mの広大なもの。内部は、本丸、二の丸、三の丸、西の丸から成り、本丸には外部5層、内部6階の大天守と西、乾、東の3小天守をおき、これらを渡し櫓(やぐら)で連絡させている。
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上下左右に多数の櫓、城門、土塀を配し、これに無数の狭間を設けて防備を固くしてある。各櫓は千鳥破風や唐破風によって変化に富み、白漆喰塗りの白壁の総郭は一大美観を呈し、その構造とともに日本城郭史上の粋をなしている。
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城址は特別史跡、4つの天守閣および渡し櫓は国宝。西の丸にある通称「百間廊下」は、他の城にみられない独特のもので、化粧櫓を起点とし、ヌ、ル、ヲ、ワの櫓と、カ、ヨ、タ、レの渡櫓を連ねたもので、単なる廊下ではなく、廊下の内側に20余の部屋ができているのが特徴である。
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昨年秋の「姫路城」【姫路城】
昨年の「好古園」【好古園】
2007(平成17年)10年前修復前の姫路城です↓
春桜の「姫路城」【春の姫路城】
by hime-teru | 2017-12-06 22:51 | 中国地方(山陽・山陰の旅) | Comments(0)

【好古園】

       ★……【好古園】…★
        2017.11.19

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by hime-teru | 2017-12-06 21:13 | 中国地方(山陽・山陰の旅) | Trackback | Comments(0)

倉敷】…中国地方の旅

         ★…【倉敷】…中国地方の旅 …★
           2017.11.19 倉敷
倉敷の町は、白壁土蔵のなまこ壁に、軒を連ねる格子窓の町屋、川面に映る柳並木など、情緒豊かな町並みが形作られており、昭和54年に、伝統的建造物保存地区に指定された町です。倉敷は、元々中国・四国地方の物資の集散地として重要な場所でした。関ヶ原の戦い以後、江戸幕府の天領となり、倉敷代官所がおかれていました。
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【倉敷川畔舟流し】
かつて物資を積んだ川舟の往来でにぎわった倉敷川。今は、その風情を味わえる観光川舟が運行されています。
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【倉敷の昔】
高梁川下流域の市。内海の湾入部にあたる倉敷は、人工的な干拓、埋立てによる陸化の部分が多い。
近世初頭以来、備中・讃岐などの江戸幕府直轄地を支配する代官所がおかれ、以後、周辺農村の米と綿花の集散地となり児島湾に注ぐ倉敷川の上流端(現在の大原美術館付近)には白壁の土蔵が立並んだ。
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西部は備中松山藩の外港として発展した港町で、高梁川とは高瀬通しと呼ぶ運河で連絡し児島半島の南西部にある港町下津井は瀬戸内海航路の港、金刀比羅宮への渡船場として繁栄。味野と琴浦は近世末期以来、綿と塩の集散地となり、現在は学生服、作業服の産地。農村部ではイネ、、サのほかモモ、ブドウ、ミカンや野菜の栽培が盛ん。イグサを原料とする畳表と花莚の生産も盛んである。
「商店街」
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現在の市域内には瀬戸内海国立公園の鷲羽山、六口島、王子ヶ岳のほか、大原美術館、民芸館、考古館、天文台などの文化施設がある。六口島の象岩は天然記念物に指定されている。

『倉敷』とは、荘園から年貢などを輸送する際に一時保管しておく場所。
江戸時代には倉敷代官所わきの倉敷川沿岸に蔵屋敷や問屋が並ぶ商業都市となった。これが地名の由来である。
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【倉敷美観区域】
倉敷では最古の町屋で約300年を経ています。「倉敷窓」といわれる窓に防火用の土塗りの扉をもっている市内で唯一の町屋です。
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倉敷川沿いは倉敷民芸館、倉敷考古館などもあり、国の重要伝統的建造物群保存地区。倉敷紡績最初の工場はホテルに改装されて人気を集めている。834年(天保5)に倉敷代官所に郷学明倫館が置かれ、1930年わが国最初の西洋近代美術館の大原美術館が設立された。
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by hime-teru | 2017-12-05 23:15 | 中国地方(山陽・山陰の旅) | Trackback | Comments(0)

【皇居散策】

          ★…【 皇居散策 】…★
           2017.11.27
旅行の打ち合わせで皇居前、「噴水公園」でお昼を共にして皇居周辺を久しぶりに散策しました。
快晴の下で、皇居石垣をお掃除光景を見ることが出来ました。
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石垣の間に草が根を張ると石垣が崩れてしまいます。このような手入れをなされていたとは、初めての発見でした.こうして文化財が守られていることに感慨深い思いになりました。

和田蔵門噴水公園
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『噴水の癒やし』見入ってしまいました。

国会前公園まで散策
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by hime-teru | 2017-12-05 22:43 | 徒然散策(関東編) | Trackback | Comments(0)

【2017年の軽井沢の紅葉】

            ★…【2017年の軽井沢の紅葉】…★
              2017.10.24~25 北軽井沢
今年は初めての「いとこ会」を開催しました。父が48歳(病死)という若さで黄泉の国へ旅立ち半世紀と数年、盛大な50回忌の法要も記憶に新しい。クラス会の帰省で急遽、いとこ会の集まりが現実になり年齢は65歳から84歳、大変楽しい集いになりました事を亡き父に報告いたしました。

父方のいとこ会(実家は本家)分家、一人娘の婚家、計9人で、本家である我が里風景が鮮明に思い出され、齢の上の従姉兄からの話は知らない事ばかりで新鮮に聞くことが出来、有意義な集いになりました。絆の幸せを噛みしめた嬉しい旅になりました。紅葉もお仲間に引き込んで・・・皆の幸せを祈りながら・・・・。

少しばかりですが今年の軽井沢の紅葉を見て下さい。
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旧三笠ホテル
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軽井沢
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by hime-teru | 2017-12-04 22:02 | Trackback | Comments(0)