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名もなき池(モネの池)岐阜

                        ★… 【根道神社 名もなき池(モネの池)…★
                              2016.07/12
【名もなき池】
岐阜県関市は根道神社にある名もなき貯水池は、睡蓮のモチーフになった池と似ていることから「モネの池」と呼ばれており睡蓮好き、モネ好きの人が訪れる観光名所となっている様です。透明度が高く、睡蓮やコオホネの根元を錦鯉が優雅に泳ぎます。
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モネの絵画に似てはいないが、素晴らしい景観であることは、この写真で納得されると思います。浅く透明度の高い池は幻想的で、目が点になります。とにかく美しい。睡蓮の季節には少々早かったのですが、一見の価値ありでした。
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季節(四季)や日差しの傾き、池の水量によって池の水の色も刻々と変化しそうですね。
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根道神社は村社、村の氏神様です。池は、雑草が生い茂っていたようで、近くで花苗の生産販売をする「フラワーパーク板取」を経営する小林佐富朗氏が除草を行い、スイレンやコウホネを植えた。
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池で泳ぐコイは地元住民が自宅で飼えなくなって持ち込んだものであり、観光目的で作られた池では無く、偶然が積み重なってクロード・モネの後期の睡蓮連作群と似た池となったようです。
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名もなき池は、テニスコートよりやや大きめで、常に湧き水が流れ込み湧水池となっている。年間水温がおよそ14°C。池の透明度が高い理由は、高賀山の山体が流紋岩類で構成されており、そこからの湧き水には養分が含まれず、微生物が育たないことが原因なのだそうです。
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写真雑誌「風景写真 」栄馬智太郎氏が投稿して、最優秀作品賞、フォトコンテストグランプリ受賞が、きっかけでテレビ放映やインターネット(SNS)で有名になり、モネの池と呼ばれる命名の経緯のようです。
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「えさやり禁止」の看板、しかし、ファインダーを通してこの釣り竿は?観光客の仕業か?
水質保護のため、お掃除をされているというのに、心ない人の行為に怒りを覚えます。
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それにしても冬に咲く「コオホネ」は黄色→オレンジ色→赤色と色が変化するとは始めて知りました。
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紫陽花も綺麗に咲いていました。
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『準備中です』
【郡上八幡】
【白川郷】
【飛騨の高山】
【上高地】
※と順にアップの予定です。
by hime-teru | 2016-07-30 00:04 | 旅の情景(岐阜) | Trackback | Comments(2)

【江戸城、歴史散策】 梅雨時の江戸城

                    ★… 【江戸城、歴史散策】 梅雨時の江戸城 …★
                         2016、06/21 歴史ウォーキング
高校の友人に誘われて江戸城の歴史散策?に参加しました。あいにくの雨になりましたが、江戸城の緑はしっとりと美しかったです。雨の皇居外苑は滅多に訪ねることはありませんが、晴れた日は晴れを愛し、雨の日は雨を愛す。梅雨にしか味わえない風情を、雨の出会いで楽しんで来ました。
梅雨の季節、雨のベールに包まれる景色の美しさを再確認。草木をうるおすよい雨のことを「甘雨」(かんう)という。草木は生き生きと、つまり、6月の雨は、花になるのです。

【東京駅から出発】
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【楠公の広場で防災訓練】
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【二重橋】
石橋を渡ってから皇居宮殿に入る橋です。橋の位置が高かったので、江戸時代は下に土台の丸太を組み、その上に橋を重ねて架けました。このことから二重橋の名が起こりました。明治21年(1888)に鉄橋に変えられ、昭和39年(1964)改架され、現在に至っています。別名として、「二の橋」・「月見橋」があります。観光客で賑わっています。
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【桔梗門】お堀越しに・・・。
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【富士見櫓】
本丸南端に位置する三重の櫓です。櫓の高さは約16メートルあります。どこからみても同じような形に見えることから「八方正面の櫓」とも呼ばれています。明暦3年(1657)の大火で天守閣が焼失した後は、その代わりとされたと伝えられる重要な建物です。櫓の上からは富士山はもとより、秩父連山や筑波山、東京湾などを臨むことができました。
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太田道灌の歌に「わが庵は松原つづき海近く富士の高嶺を軒端にぞ見る」と詠まれていますが、その【大番所・中之門跡】
中之門石垣は江戸城の中でも最大級の巨石(35t前後)が使用され、目地がほとんど無い、整層・布積みの石垣です。「番所」とは、警備の詰所のことす。現在、百人番所、同心番所とこの大番所の三つが残っています。歌を詠んだ場所がこのあたりではないかといわれています。
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【中雀門】(本丸正門)
本丸御殿に通じる最後の門があった所。徳川御三家の将軍様と言えども、乗り物を降りて徒歩で本丸御殿に向かわれた門ですが本丸までは坂道でも有り長い距離、さぞかし心細いお気持ちで本丸御殿迄歩かれたのではないかと想像します。この門は、文久3年(1863)の火災で本丸御殿が焼けた時に類焼し、石垣の表面は、熱によりボロボロになっています。
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【石室】
富士見多聞北側の蓮池濠沿いにある石作りの蔵です。江戸城の遺構の中では比較的小さい。表の石組には焼けたような痕があり、多少ずれています。 入り口には扉を取り付けた穴があり、内部は20平方メートルほどの広さとなっています。伊豆半島産の安山岩(伊豆石)の切石で、隙間もないほどキッチリと壁が造られています。江戸城の抜け穴や御金蔵との説もありますが、場所柄から、火災などの際に貴重品などを避難させた蔵と考えられます。
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【雨の下で】花の少ない季節でしたが?
紫陽花の花の色「紫陽花や 帷子時(かたびらとき)の 薄浅黄(うすあさぎ)・・・松尾芭蕉
は人の心を癒すかのようなパステルカラー。この美しさが多くの人を惹きつけます。
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【珍しい竹】
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【江戸城本丸跡】
広々とした芝生が広がっています。本丸御殿は、表・中奥・大奥の三つからなっていました。表御殿は、諸役人の執務や将軍の謁見の場など公的な建物で、最も格式の高い「大広間」は正月などに諸大名が参集する場所でした。本丸跡は気象台発祥の地でもあり明治期から昭和30年代まで気象庁の官舎もありました。明治4年(1871)正確な時間を知らせるために、ここに午砲台(ドン)が設置され、昭和4年(1929)に廃止されるまで、「ドン」の愛称で東京府民に親しまれていました。
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【大奥】・・・広い芝生の場所
江戸城本丸は表、中奥、大奥の三つに大別されます。政務を執る公の場が表といいます。将軍の私的な居住空間を中奥といい、ここでは、小姓など男性だけが将軍に奉仕しました。大奥は将軍の正室(御台所)が住み、多くの女官が住み働く場でした。
中奥と大奥は御鈴廊下で結ばれていました。大奥は現在の天守台から南に広がっており、壮大な空間には総勢約3000人もの女性が住んでいました。 

【松の廊下跡】
本丸跡左手の現在は木立となっているところに、本丸大広間と白書院(将軍との対面所)を結ぶL字形の廊下がありました。これが「松の廊下」です。ここが「忠臣蔵」で有名な元禄14年(1701)3月14日、赤穂藩主の浅野匠頭長矩が高家衆筆頭の吉良上野介義央に斬りかかる刃傷事件が起きた場所です。
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【大番所・中之門跡】
中之門石垣は江戸城の中でも最大級の巨石(35t前後)が使用され、目地がほとんど無い、整層・布積みの石垣です。「番所」とは、警備の詰所のことす。現在、百人番所、同心番所とこの大番所の三つが残っています。
【天守台】
江戸城本丸の一番北側に位置しています。江戸城の天守は、慶長11年(1606)の家康、元和8年(1622)の秀忠、寛永15年(1638)の家光と将軍の代替わりごとに築き直され、将軍の権力の象徴であったともいえます。寛永の天守は、寛永15年(1638)、3代将軍家光のとき、元和の天守台(現存の天守台)に建てたもので、「江戸図屏風」によると金の鯱をのせた五層の天守閣でした。
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しかし、江戸城の天守閣は、江戸初期の50年間だけ存在したのでした。明暦3年(1657)の火災で焼け落ち、翌年に加賀藩前田家の普請により高さ18mの花崗岩でできた天守台が築かれます。
これが現在残る天守台ですが、四代将軍綱吉の叔父である保科正之の戦国の世の象徴である天守閣は時代遅れであり、城下の復興を優先すべきであるとの提言により、以後天守閣は再建されることはありませんでした。現在、東西約41m、南北約45m、高さ11mの石積みが残っています。
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【桃華楽堂 】
桃華楽堂1966年(昭和41年)2月に建てられる。香淳皇后の還暦を記念して建てられた音楽堂。名称は香淳皇后のお印「桃」や画号「桃苑」にちなむ。
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田安門 【国指定重要文化財】
大田道灌時代、江戸城の合戦場はこのあたりであったといわれています。田安門は、寛永13年(1636)に建てられたと考えられ、昭和38年には解体修理が行われ、北面する高麗門とその西側に直交する渡櫓門からなる枡形門です。高麗門の扉の釣金具に製作に携わったと考えられる職人の名文があります
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田安門の辺りは古くは「田安口」または「飯田口」ともいい上州方面への道が通じていたといわれています。門の由来は、門内には田安台といって、百姓地で田安大明神があったので門名に称としたといわれています。

【北の丸公園】
江戸城造営後は北丸と称し、代官屋敷や大奥に仕えた女性の隠遁所となりました。
有名な千姫や春日局、家康の側室で水戸頼房の准母英勝院の屋敷などもこの内にありました。
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享保15年(1730)八代将軍吉宗の第二子宗武が一家を創立して田安家を興しました。
宗武は、賀茂真淵に師事し国学の造形には深く、宗武の子松平定信(白河楽翁)はここで生まれました。現在田安門がある北の丸公園には、田安門から南北をつらぬくように西側一帯を田安家、東側一帯を清水家が所有していました。

【富士見多聞】
蓮池濠から富士見多門までの石垣は、高さが約20メートルにもなる長大な石垣で、東・南・西の三面いずれも激しく屈折しています。石垣下と石垣塁壁に取り着いた敵を攻撃する際、死角をなくすための工夫だといわれています。多聞とは、防御と装飾とを兼ねた長屋作りの武器庫で、本丸には十五棟の多聞が有りましたが、現在残っているのは、この富士見多聞だけです。中には鉄砲や弓矢が納められていました。
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by hime-teru | 2016-07-29 23:55 | 徒然散策(関東編) | Trackback | Comments(0)

【山百合】

                                ★…【山百合】…★
                               2016,07月7開花 我が家にて
私がヤマユリが好きだと覚えていて下さり、友人からのお土産(新潟地方の旅行)です。2輪咲きました。ちなみに、毎年、懲りずにヤマユリを買っては庭に植えるのですが、3年目までは何とか花が咲くのですが、球根が細り消えてしまいます。大事にしすぎて肥料を与える事がいけないのかも知れません。今年は稚児百合のような茎、弱々しく・・・・?なので、お土産を頂いた時は嬉しかったです。今年も、気品あるヤマユリの花と香りを楽しめるかと思うと・・・?テンションが上がりました。hiroさんありがとう♪♪♪
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【山百合】
ユリ科の多年草。日本の代表的なユリで、花は黄筋(すじ)が入った白色で、斑点(はんてん)が多く漏斗(ろうと)状で横向きに開き強い芳香がある。花期は7月ころ。東北、関東、東海地方に多く分布する。
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地下の鱗茎は球形。高さ約一メートル。茎頂に六弁白色で内面に赤褐色の斑点のある大形で有香の花を開く。近年は観賞用に栽培している。鱗茎は食用、料理ユリともいう。
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万葉集の「さゆり」をヤマユリに当てる説もある。エイザンユリ、ハコネユリヨシノユリ、エイザンユリ、ホウライジユリなどと産地にちなみ、自生地ごとの異名が多い。
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山地に自生し、特に火山地帯に多い。九州や北海道では栽培品から逸出して帰化している
茎の先に数個から多いときには数十個の花を総状花序につけるようです。
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鱗茎を食用にする。別名ヨシノユリ,エイザンユリ,ホウライジユリなどと産地にちなんでいう。
by hime-teru | 2016-07-09 00:09 | 【や】行の花 | Trackback | Comments(0)

半夏生

                             ★… 【半夏生】ハンゲショウ  …★
                            2016.7/1 (4月~ 家庭菜園にて)
【半夏生】
太陽の黄経が100°に達する時で、夏至から11日目(今年は閏年で夏至は6/21)従って今年の半夏生は7/1今日になりましょうか?梅雨の末期で農家の休息日?田植はこの日までに終わり、梅雨はこの時から明けるとされる。
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3日ほど早い梅雨入りだった関東、梅雨明けの情報はまだ遠いようですが、家庭菜園でこの「ハンゲショウ」の花が満開を迎えています。
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【半夏生】ハンゲショウ
ドクダミ科の多年草。地下茎は長く横走する。高さ0.5~1メートル、全体に臭気がある。。葉は互生し、卵形で基部は心形、花序の下の2、3枚の葉は白くなる。
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六月末から七月、葉と対生して垂れ下がる穂状の花序をつくり、基部から先端に向かって徐々に白色の小さい花を開き、花序はやがて直立する。
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包葉は花序軸にはなく、長さ2~3ミリの小花柄の先につく。花は両性、花被はない。雄しべは6本、基部は心皮に合着する。雌しべは四枚、基部は互いに合生する。胚珠は一心皮当り2個であるが、種子は一心皮に1個できる。
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低湿地に群生し本州から沖縄、および東アジアに分布する。
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名は花期が半夏生(7月2日ころ)のころであるからとも、葉の下半分が白色なので半化粧の意であるともいわれる。別名カタシログサ(片白草)ともいうが、これも同じ理由による。
by hime-teru | 2016-07-01 19:21 | 【は】行の花 | Trackback | Comments(0)

土筆カラマツ 

                ★… 【 土筆カラマツ 】 …★
                         2016.6月~咲き続けています
ツクシカラマツはキンポウゲ科カラマツソウ属の耐寒性宿根草で草丈は約20cm程。
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ツクシカラマツは対馬列島から済州島に分布するムラサキカラマツと、屋久島に自生するヤクシマカラマツとの交配種と言われています。
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花は次々と開花して、1ヶ月以上も咲いています。
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淡いピンク色で、その様子が何とも言えない可愛らしい姿をしています。葉は清々しいカラマツの葉の容姿、花を咲かせるカラマツソウの仲間で、ツクシカラマツは日本原産で小型の強健です
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花は1cm弱で花弁はなく、花のように見えるのは、薄ピンク色の大きな花糸をもった雄しべで放射状に展開しています。
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ツクシカラマツは耐寒性があり-3度くらいまでは露地で冬ごしできるが、暑いと株が弱りやすいので、西日の強い場所は出来るだけ日陰に。ツクシカラマツは比較的栽培しやすい花のようで、毎年、忘れずに咲いてくれます。
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カラマツソウの仲間には似たような種類が多く、生育地も種類によって山地から高山帯まで多種多様です。いずれも山野草独特の風情があり、鉢植えのほか、庭植えや茶花としても人気の高い一群です。
by hime-teru | 2016-07-01 19:09 | 【た】行の花 | Trackback | Comments(0)

紫陽花

                ★… 【紫陽花】  …★
                                    2016.6月~
今年も咲きました。あじさいはユキノシタ科の落葉低木。高さ1~1.5メートルの株立ちになり、若枝は緑色で太い。葉は対生し広楕円、長さ8~15センチ程葉質はやや厚く滑らかでつやがある。6、7月ころ枝先に球状で大形の集散花序に淡青紫色の中性花(装飾花)からなる花を多数つける。
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ガクアジサイを母種として日本で生まれた園芸品種で奈良時代からあったといわれる。名は青い花がかたまって咲くようすから名づけられた。
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広く公園や庭園に植えられ、名所が各地にある。4、5個ある萼片が大形の花弁状にみえ、縁に鋸歯が出ることもあり、花弁は小さい。雄しべと雌しべは退化して小さく、果実ができない。
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〔種類〕
多種多様、花が青紫色で中性花の萼片が皿形につぼまる『ウズアジサイ』花が八重咲きになる『ヤエアジサイ』ど品種が多い。『セイヨウアジサイ』はヨーロッパでアジサイを改良したものである。
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毎年、撮影している「紫陽花」もご覧下さい。
  【紫陽花】

ヨーロッパへは1789年に、日本から中国に渡っていたアジサイをイギリスのキュー王位植物園に導入したのが初めで、その後ヤマアジサイ、ベニガクなども渡って交雑育種され多くの園芸品種が育成された。
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白、桃、紅、赤、青などの花色や大きさに変化があり、矮生で花が咲く品種もある。日本にも逆輸入され鉢植えや公園などに広く用いられている。
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日本に自生するものは北海道、本州北部に分布する『エゾアジサイ』ほか、アマチャ、ガクアジサイ、ヤマアジサイなどがある。
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繁殖は株分け、取り木のほか、挿し木も容易である。アジサイの花色は土壌の酸性度によって変わり、酸性土壌では青みが強く、アルカリ性土壌では紅色が強くなる。これにはアルミニウムが深く関係しており、そのほかに土壌に含まれる肥料要素の差異も影響があるといわれている。
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〔文化史〕
『万葉集』に大伴家持と橘諸兄が詠んでいるが、平安文学に名はみえません。
色が変わることが心の変節と結び付けられ、道徳的でないとみなされて、近世までは目だたない花でした。が、逆に西洋では色変わりが珍しがられて改良が進み、シーボルトが愛人のお滝さん(楠本滝)の名からオタクサを種小名に与えたが、現在は先取権上ツンベルグが命名したマクロフィラが使われている。また、紫陽花は、中国ではライラックとする説が有力である。
by hime-teru | 2016-07-01 18:50 | 【あ】行の花 | Trackback | Comments(0)