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 【 梅 】 (3) ズームアップ

                                  ★… 【 梅 】  (3)  …★
                                 2012.03.20 小石川植物園
桜に先駆けて開花する”梅の花”は、春の訪れをいち早く感じられますが、今年は冬の寒さが長引き梅の開花がかなり遅れました。
関東の今年は雪も降りましたし・・・、例年よりも2~3週間くらいの遅咲きになりました。
3月も終わりの今日は、冷たい雨と風に見舞われてしまいました。梅の花は花弁を散らしてしてしまったでしょうか?
11時すぎ、東京の”さくら”の開花が発表されましたが、埼玉は、まだまだ、蕾が固く桜色も蕾の中です。桜の開花は聞こえてきませんね。
また、春一番が吹く頃に”白木蓮”が強風で、いつも痛い思いをしているのですが、今年は春一番もなかったのですが、今日の突風と冷たい雨に耐えている姿が痛々しい。

「雨一番」も春の到来の予告でしょうか? しかし、桜の開花も1歩進んで足踏み状態です。見ごろは四月上旬の来週末以降かも知れませんね。

【梅のアップです】
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◎ 【月宮殿・げっきゅうでん】 野梅性・八重大輪(3~4cm)しべは中長で散開
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◎ 【桜梅】
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◎ 【雪の曙】
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◎ 【雪灯籠】
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◎ 【扇流し】
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◎ 【蘇芳梅・すおうばい】 緋梅性・紅梅性 八重
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◎ 【大盃・おおさかずき】 緋梅系 一重
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◎ 【藤牡丹枝垂ふじぼたんしだれ】 枝垂八重 藤牡丹しだれ
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◎ 【未開紅・みかいこう】 豊後系 野梅系豊後性
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◎ 【塒出の鷹枝垂】 とやのたかしだれ
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【鴬の谷】
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by hime-teru | 2012-03-31 14:41 | 【あ】行の花 | Trackback | Comments(2)

 【 梅 】 (2) ズームアップ

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                                 2012.03.20 小石川植物園
◆花梅は野梅(やばい)系、紅梅(こうばい)系、豊後(ぶんご)系の三系に大別されている。
【道知辺】 紅色、大輪一重咲き
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【八房(やつぶさ)】 白色、桃色の中輪八重咲きで雌しべが数本。
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【内裏(だいり】 淡紅色絞り、大輪八重咲き
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【黄梅(おうばい】 緑黄色。
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 【紅千鳥(べにちどり】 中輪一重。
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◎ 【楊貴妃】 まだ固い蕾で御座いました。
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◎ 【豊後】 白い花。
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◎ 【古卿の錦】 優しい薄紅模様。
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よく見ると花の形や色に違い、それぞれのお顔を持っています。 ”十花十色?”

目白が夢中に花梅と戯れている
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よもやま
菅原道真(すがわらのみちざね)は901年(延喜1)に九州の大宰府(だざいふ)へ流されるがそのおり庭の梅に惜別の歌を詠んで、のちに「飛梅(とびうめ)」の伝説を生んだ。ウメは天満宮や天神様のシンボルとされ、現在に続く。

今年も受験されたお子さんをお持ちの親御さん達は、天神詣でをされたことと思います。私も息子が高校、大学のの受験時には、神頼み「湯島天神」にお願いに行きました。お願いを聞いて下さり、現役で合格が出来ました事を梅を観賞しながら特別の思いで観梅して参りました。
by hime-teru | 2012-03-29 22:09 | 【あ】行の花 | Trackback | Comments(0)

【 梅 】  (1 )

                                   ★… 【 梅 】 …★
                                 2012.03.20 小石川植物園
バラ科の落葉高木。高さ5~10メートルになり樹皮は暗灰色で堅く割れ目ができる。葉は互生し、卵形、長さ4~8センチで先はとがる。2、3月、葉の展開に先だって径2、3センチの五弁花を開き、芳香があり柄はほとんどない。多数の雄しべと1本の雌しべがあり子房に毛がある。果実は球形、径2、3センチの核果で一側に浅い縦の溝があり果面に微毛を密生する。6、7月、黄色に熟す。果肉は酸味があり中の核は楕円形で表面に凹点が多く果肉と核は密着している。

※ なお、今回の風景写真はカメラの”フアンタジー”モードを使い、細部が鮮明に出ないよう全体を柔らかく、映り込むよう、香しい梅の雰囲気を出るよう仕上げました。ズームアップは、いつものマクロレンズを駆使して撮影してみました。(違いが解るでしょうか?)

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中国中部の原産で日本で野生化したものとされている(大分県と宮崎県に自生するとの説もある)。
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梅は『万葉集』ではウメといい、平安時代以後はすべてムメとよび、現代はウメと称している。ウメは中国語の梅〔Mei〕から転化したとも烏梅(うばい)から転化したともいわれている。
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梅には異称が多く好文木(こうぶんぼく)、(はな)の兄(あに)、春告草(はるつげぐさ)、匂草(においぐさ)、香散見草(かざみぐさ)、風待草(かぜまちぐさ)、香栄草(かばえぐさ)、初名草(はつなぐさ)などがある。……どれも情緒ある名前ですね。
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中国から渡来したものに、日本でも江戸時代には品種がつくられ、現代では300種以上ある。
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ほぼ満開の梅花風景 (カメラに収める花見客)
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by hime-teru | 2012-03-29 00:13 | 【あ】行の花 | Trackback | Comments(2)

【 雪割一花 】

                          ★…  【 雪割一花 】 ユキワリイチゲ …★
                            2012.03.20 小石川植物園にて 
キンポウゲ科の多年草、地下茎はやや太く長く横にはう。茎は高さ15~30センチ、茎は無柄。2~4月、茎の先に花が1個開く。花弁はなく萼片は12~15枚あって淡紫色。本州西部から九州に分布する。
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名は、まだ雪のある早春に雪を割って花を開くことによるが・・・、雪のない所でも開花するのである。
花色が、やや薄~い瑠璃(るり)色をしているところから。別名 『ルリイチゲ(瑠璃一花)』ともいう。
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一輪の花を咲かせるものを「一華(花)」と冠する。いちげの名を冠する草は、はくさんいちげ、あずまいちげ、きくざきいちげ等があり、いずれもアネモネ属に属していて派手やかさはない。白色、淡紫色、と形の美しい花が茎の頂きにつける、か弱そうなお花です。
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藪陰に集団で生える。小石川植物園でも、池の畔の躑躅の草陰に楚々と咲いていました。
気が付かずに通り過ぎる人達ばかり、花好きの私には、ひそやかに咲いている宝石のような花が視線に飛び込んできました。 
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花はよく見ると淡い紫色を帯びています。花弁のように見えるのは顎片で花弁はない。淡紫色とはいえ、切ないくらい白に近い花色なのでした。
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白く淡い紫花の花径は3cm程度、漸く寒さから目覚めたような?眠そうな開花半ば。小葉は3枚、葉に白い斑紋が入る。木の陰で可憐な花を咲かす奇特な草である。
by hime-teru | 2012-03-22 22:57 | 【や】行の花 | Trackback | Comments(0)

【鶯神楽】 うぐいすかぐら

                         ★… 【 鶯神楽 】 うぐいすかぐら …★
                            2012.05.20 小石川植物園にて
【鶯神楽】
スイカズラ科の落葉小低木。スイカズラ科スイカズラ属と言っても蔓性ではありません。日本特産種で、北海道南部から本州、四国、九州に分布し、山野に多い。全体に腺毛のある変種をミヤマウグイスカグラとよび、山地に生える。幹は高さ1~2mで分枝、長さ3~5cmの広楕円形の葉が短い柄で対生する。
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葉は全縁で葉の縁はしばしば紅紫色を帯び裏面は淡緑色である。春に葉柄から細い柄を垂らして淡紅色の花を2個ずつつける。花冠は長さ2cm足らずの細長い筒形、先端が5裂して平開している。めしべ1本と5本のおしべがのぞく。花が小さいので目立たないが淡いピンク色で先端が5つに開いたッパ状の小さな花を咲かせます。花後に長さ1cmほどの広楕円形の液果はグミのように赤く熟する。甘味があって食べられる
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名はウグイスが鳴き始めるころに花が咲くので、この名があるという。
別名、『ウグイスノキ』ともよばれ、木の幹に細い小枝が多くしげり、ウグイスが隠れるのにつごうがよいの、”鴬が隠れる木”という意味でこの名がつけられたのでしょう。
しかし・・・、何故、神楽・・・、「鶯隠れ」が神楽に変化したとの説などあるが!神楽の能面にはほど遠い可愛い壺状の花、この木の中に隠れたウグイスの鳴き声が古代歌謡(神楽歌)に?はたまた(神楽笛)聞こえたか?
命名の由来については解りません。
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余談ですが・・・。
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【ウグイス】
スズメ目ヒタキ科。上面と尾は緑褐色で上面はオリーブ褐色(いわゆる鶯色)、下面は汚白(おはく)色。,胸腹部は汚白色。嘴はやや長い。雌雄同色であるが,雄のほうが雌より大きい。

梅の開花にあわせて、”ホーホケキョ”(法、法華経)と鳴き始めることから、ハルツゲドリ(春告鳥)ともよばれ、親しまれている。この鳴き声を聞くと心が和み、何か良いことが訪れるような予感がするのは私だけでしょうか?

一般に「ウグイスの谷渡り」として知られる鳴き声は、雄の警戒声のようです。梅の花が咲くころ、人里近くでなくウグイスは、舌打ちのような「ちゃっちゃっ」という鳴き方(笹鳴き)をします。

「梅に鶯」の組合せは日本の伝統的な詩歌や画に多く見られますが、以前は「竹に鶯」が普通であったようです。 梅は日本に自然分布せず、飛鳥時代に中国から持ち込まれたものですので、詩も中国の詩が下敷きになっている。また、日本のウグイスは江戸時代から鳴き声を楽しむために飼われていましたが、現在では自然保護の法律」によって野鳥の捕獲と飼養は厳重な許可制がとられている。

今年は寒さが続いたからでしょうか?ウグイスの鳴き声がまだ聞こえてきません。待ち遠しいです。

ウグイスの糞(ふん)の美顔化粧品、頂いたことがあるが・・・!何処にしまったか?
by hime-teru | 2012-03-21 23:49 | 【あ】行の花 | Trackback | Comments(0)

【春分の日】

                             ★… 【 春分の日 】  …★ 
                                2012.03.20 
お天気に恵まれましたのでお墓参りに行ってきました。我が家の菩提寺は坂の多い小石川にあります。徳川将軍家の菩提寺の伝通院を始め沢山のお寺さんが存在します。お彼岸のお墓参りで沢山の人出でした。
お参りを済ませ、穏やかな日和に近くの『小石川植物園』に足をのばしてみました。
園内は梅が見頃、寒桜が満開を迎えていました。
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寒緋桜はまだ堅いつぼみでした。
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【旧東京医学校本館】 国・重要文化財(1970.06.17)
この建物は、木造2階建ての擬洋風建築物で 正面入口部にはポーティコが設けられており、 竣工当初、塔屋の四面には時計が配されていましたが、1911年(明治44年)赤門脇へ移築される際、平面規模の縮小と共に屋根の上の搭屋、 車寄の上の手摺などの形状が変更されました。
その後、1965年(昭和40年)に解体され、1969年(昭和44年)に小石川植物園内の現在地に再建されました。東京医学校の前身は1858年(安政5年)に伊東玄朴(いとう・げんぼく 1800-1871)らによって設立された神田お玉ヶ池種痘所です。その後、幕府により官営化され 幾度かの名称変更を経て1874年(明治7年)5月に東京医学校となりました。その後、東京医学校は1877年(明治10年)4月に東京開成学校と合併し東京大学となり東京医学校自体は東京大学医学部となりまた。
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※【お玉ヶ池は現在の岩本町にありました。お玉ヶ池は徳川初期には不忍池ほどの広さでしたが安政のころには小さなものになり現在はそのあとかたもなく史蹟としてお玉稲荷が祀ってあるだけとなっています。
安政5年(1858)伊藤玄朴や大槻俊斎ら江戸の蘭学者たち82名が資金を出し合って「種痘所」をつくりました。種痘所は痘瘡の予防接種の普及を図るための集会所で、勘定奉行の川路聖謨の屋敷にあったといわれています。ですが、半年後に焼失し下谷和泉橋通り(現・神田和泉町)に移ってしまいました。しかし、この地で生まれた蘭学者たちの精神は生き続け、種痘所は名前を変えながら東京大学医学部へと発展しました】

※【江戸の蘭方医達は医学館に対抗する為に神田お玉ヶ池に種痘所を構え、蘭方進出の拠点にした。幕府はこれを直轄とし、「医学所」と改称した。それによって漢方の医学館と、蘭方の医学所とが幕府公認として互に、明治に至るまで鎬(しのぎ)を削ることになったのである】 ◎(観光資料参考)

                       
by hime-teru | 2012-03-20 23:44 | 一期一会 | Trackback | Comments(0)

春雨

                 ★… 【 浅春の芽吹き・・・雨に打たれて057.gif】 …★
                    2012.03.17 我が家にて
〔お詫び〕
家のリニューアル(内装工事中)にて、更新が途切れがちで、お立ち寄り下さっている皆様に大変ご心配をおかけしております。 ”申し訳御座いません”老い支度も、体力に限界を覚え、このあたりで考えなければならない歳になってきました。住み慣れた家も家人と同様に体力を消耗しています。

今日はお彼岸の入り(昼夜の長さがほぼ同じ)〓
「暑さ寒さも彼岸まで」の諺がありますが、今年は殊の外、寒さが何時までも続いて 快適な気温には程遠い彼岸入りで御座いました。記録的に開花が遅くなっている梅、この冬の寒さは桜にも果たして、どのような影響を与えているのでしょうか?、東京の桜の開花は3月30日以降と予想されていますが、果たして・・・暖かな春が待ち遠しいですね。

北風に吹かれて静かに降る雨はとても冷たい。改装工事の中休み、咲き始めた我が家の花々は、うずくまり、じっと耐えていました。
【梅】 … まだ堅いつぼみ
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【福寿草】 … 雨に打たれて
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【クリスマスローズ】 
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 なお、このブログも、記事、写真が多くなりましたので、少しずつリニュアル(修繕)進行中です。暫くご迷惑をおかけ致しますが、宜しくお願いします。
by hime-teru | 2012-03-17 22:50 | 一期一会 | Trackback | Comments(0)

ひな祭り

                            ★…【 雛祭り 】 3月3日 …★
                               2012.03/01鴻巣にて
ひな人形は”人のけがれを紙人形に移して川に流していた流し雛の風習”が転じて人形を飾るようになってきたようです。鴻巣のひな壇は「日本一の高さ」を誇ります。今年も市役所ロビーに飾られました。昨年より、一段高い31段飾り、高さ7㍍。
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このひな祭りは、江戸時代から続く人形作りの伝統を知って貰う為、不用になった雛を受け入れ、全国から送られて来る人形で飾られています。昨年は一年間で約2千体届いたそうです。
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ピラミッドひな壇には1800体、内階段の展示は340体。玄関等を含むと2600体以上になるそうです。
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ピラミッドひな壇の頂き(天井すれすれ) 2階より撮影
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竹雛・・・可愛いですね。
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御殿雛
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文化センターの窓辺にも・・・。
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五角錐ひな壇 (11段、高3㍍、330体) 駅ショッピングモール内
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訪れる人達は一様に感嘆と笑顔に包まれていました。
街道沿いにも何でも鑑定団に出たおひな様だそうです。
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レストランにも・・・。
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鴻巣の街はひな祭り一色。
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【雑感】
家庭で飾る機会も無くなった人形達、それぞれの思いを背負って此処に集まりました。人形達の心の内は?問うてみたいものです。寂しげでもあり、悲しげでもあり、嬉しそうでもあり、遠く見つめる姿に雛の物語を想像し胸が熱くなりました。
by hime-teru | 2012-03-03 22:24 | 一期一会 | Trackback | Comments(0)

【源氏物語-有職故実】 若紫巻、 須磨の巻他 ひいな(雛)遊び

                        ★…【源氏物語-有職故実】 若紫巻- 須磨の巻 他 ひいな(雛)遊び …★
                                        2012.03.01鴻巣にて
◆巻12‐【須磨】
文中)『三月一日に出で来る巳の日、今日はかく思すことある人は御禊(みそぎ)し給ふべきと、なまさかしき人のきこゆれば、海面もゆかしうて、出で給ふ。いとおろそかにぜむじょうばかりを引きめぐらして、この国にかよひける陰陽師めして払へさせ給ふ。舟に、ことごとしき人形(ひとがた)のせて流すを見給ふに』

源氏物語、須磨の巻には、三月上巳(じようし)の日に陰陽師(おんみようじ)を召して祓を行い、その人形(ひとがた)を船に乗せて流したという記載がある。『曲水の宴』は祓いの遊びの宴でもあったのでしょう。この雛流しの起源とされる人形(ひとがた)流しは源氏物語にみるのです。

源氏物語では、『ひいな(雛)遊びが、数巻に出て来ます。

◆巻5‐【若紫】
光源氏が北山で若紫(紫の上)を見つけて連れ出すくだりに、不安におののいている若紫にこう言いました。
『いざ給えよ、をかしき絵など多く雛(ひいな)あそびなどする所に』・・・・源氏君
意) さあ、いらっしゃい。美しい絵などがたくさんあって、お雛様遊びなんかのよくできる私の家へ」お人形遊びなどできる所に。父宮さまのお使いとして参ったのですよ。

雛(ひいな)遊びにも、絵書い給ふにも源氏の君と作り出でて清らなる衣着せ、かしづき給ふ』
源氏と若紫は一緒にひいな遊びをするのである。。

雛(ひいな)など、わざと、屋ども作り続けてもろともに遊びつつ、こよなきもの思ひの紛らわしなり』
お人形なども、特別に御殿をいくつも造り並べて、源氏は藤壷の中宮(義母)恋しさに、藤壷に面影の似た少女を手元に引き取り、藤壺に会えないやるせなさを、幼い若紫と一緒に遊んでは、この上ない憂さ晴らしをしているのです。この巻で源氏は、紫の君に心慰められ、 紫の君も源氏を慕うようになっていくのです。

◆巻6‐【末摘花】
『例のもろともに ひいな遊び し給ふ。絵など書きて、色どり給ふ。よろづに、いとをかしう、すさび散らし給ひけり。我も書き添へ給ふ。髪いと長き女を書き給ひて、鼻に紅をつけて見給ふに、かたに書き手も、見ま憂きさましたり』 

◆巻7‐【紅葉賀】
『いつしか雛(ひいな)おしすゑて、そそきゐ給へる。三尺の御厨子一具に、品々しつらひすゑて、また小さき屋ども作り集めて、たてまつり給へるを、所せきまで遊びひろげ給へり』 

◆巻25‐【蛍の巻】
『(明石姫)まだいはけたる御雛(ひいな)遊びなどのけはひの見ゆれば、かの人(雲井の雁)のもろともに遊びて過ぐしし年月の、まづ思ひ出でらるれば、雛の殿の宮仕へ、いとよくしたまひて、をりをりにうちしおれたまひけり』 
夕霧が明石姫と雛遊びをしながら、幼馴染の雲井の雁を思い出して涙ぐむ場面の描写です。

 『建武年中行事』にも、三月節供の「御燈(みあかし)」行事には「人形」に饗応(きようおう)したあと、それを祓え送るとある。
② 三月上巳の祓行事は、三月節供の雛祭の源流を知る手掛りで、本来、雛祭の人形の原形は、「罪穢(つみけがれ)」をつけて送り流す「撫物(なでもの)」であったという山東京伝(さんとうきようでん)の指摘は的を射ていたように思える。
桃酒や曲水宴を伴う「上巳」の行事は中国陰陽道の習俗の移入であるが、水辺の祓行事が先行習俗として日本にあって、その習合行事として「上巳の祓行事」が生じ、その「撫物」が雛祭の主役にやがてなっていきました。
 そして、工芸技術の進歩で雛人形の製作に巧緻(こうち)を競うに至り、それを保存愛玩しながら連年祭ることにもなり、「流し雛」の古意はやがて忘却されるに至って行きました。

現代では 「桃の節供」
3月3日雛祭(節句)に雛人形を飾り桃花や雛菓子を供えて白酒で祝う習俗をいう。
婦女子主体の祭りで男子の5月節供と対置されているが、雛人形主体の節供習俗の歴史は新しい。
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江戸時代初頭(1630ころ)に宮廷や幕府で3月節供に雛人形にかかわる行事があったと記録があり、寛文年間以降に雛祭の形が定着したとみられる。以後の雛祭は工芸品としての雛人形の生成発達と関連してしだいに華美な形になり、都市から農村へと波及していく一般化は明治以降である。
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江戸時代初期の雛飾りは平壇・立雛の形が主だった。
江戸時代中期になって、紙雛から布で正装した「すわり雛」となり、その後精巧な土焼きの衣装人形の出現で華麗になり重ね壇に高貴な夫婦を表わした1対の内裏雛形式をとって以来、三人官女、五人囃子、随身、衛士などを置き、これに屏風、蒔絵道具、高坏、膳、ぼんぼり、桜と橘をはじめ菱餅、白酒などを供えるという形式が固定していきます。
江戸時代後期には次第に時代の好みを反映して素朴な立ち雛から室町雛、寛永雛、享保雛など
種々なものが作られ、末期には頭や手に象牙を用いた木目込みの贅沢なものも現れた。雛祭が盛大になるにつれて豪華になっていく。

享保雛は、サイズも40cmから60cmくらいと巨大なものも作られるようになり、女雛は唐衣裳姿天冠を付け檜扇を持ち、男雛は束帯様装束白平絹袴をつけ、烏帽子をかぶってを持っていました。巨大なものになると等身大のものまであったそうです。
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明治以降は商店の雛人形売り出しが推し進められ、新生の女児に雛人形を贈る風習へと広がって今日に至ります。
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一方、こうした都市的雛祭とは別趣の古俗をいまに伝える地方もいくつかあるようです。鳥取市周辺の「流し雛」はとくに注目され「紙雛」を祭ったすえ、3月3日夕方、それを桟俵にのせて供物とともに川に流し去る。「祓」の人形送りである。
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また、関東の村々には三月節供に古雛を川へ流し送るといって、白酒を供えて婦人・子供が野外にそれを祭り、泣いて別れを惜しむ風習があったとされる。さらに、三月節供のころ、磯遊び山あがり花見等、春なぐさみなどといって、子供たちが野外に出て終日遊び共同飲食する風習も広く各地にみられる。
長野県南部の「三月場」千葉県の「野あそび」のように雛人形を野外に据えて遊ばせ、その別離を惜しむ風習の伝承は注目されます。
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by hime-teru | 2012-03-03 16:41 | 源氏物語花考察(ゆかりの地) | Trackback | Comments(2)

2012【世界らん展】 入賞作品 -2

                                 ★… 【 世界らん展 2012 】 入賞作品 -2 …★
                                         2012.2/26 東京ドーム
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アップしきれませんが・・・、とりあえず。

後日アップの予定。続きます。
by hime-teru | 2012-03-02 23:14 | 世界らん展 | Trackback | Comments(0)