★… 【 スーパームーン 】 1日過ぎて・・・ …★
2012.05.07 21時 撮影開始 (赤いお月様)『スーパームーン』から1日後の月は赤く夜空を照らしています。 低空に輝く月は暗くて赤っぽく見えることがあります。地球の周りには大気の層があり、月の光は必ずこの大気の層を通して私たちの目に届きます。大気は透明に見えますが、長い距離を考えると塵や埃、水蒸気などの影響により月の光は減光され、波長が長い赤い光が邪魔されにくく遠方までよく届きます。このため月は高度が低いほど暗く『赤っぽい色合い』になります。、 ※赤い朝日や夕日同じですね。 地球に接近した今日の月は薄雲(水蒸気)などの影響でしょうか?赤く見えますが明るいですね。 ![]() 撮影は我が家のベランダから、スーパーの看板と微かに家並みの屋根(見えるでしょうか?) 月はまだ大きくて明るい♪(*^_^*)。 ![]()
★… 【 スーパームーン 】 …★
2012.05.06 (望月) 月が地球に接近したときに満月になると 『スーパームーン』 になる。今日が望月(満月)なので撮影してみました。 NASAの報道によると、月が地球に一番近づくのは日本では6日の昼の12時34分ごろとのこと。 日本でスーパームーンとなるのは5~6日の夜「スーパームーン」が見られるとのことでした。 〓見られました。撮りました〓 地球からは普段よりも 14%大きく、30%明るく見える。 クレーターもクッキリ見えますね♪ ![]()
★… 【 驚異のお花見 】上野公園 …★
2012.04.08 友人と生け花展の鑑賞に出かけた後、お天気に恵まれたことでもあり、上野の桜でも見て帰りましょうか?と公園に出かけました。2日ほどの陽気で一気に「開花した桜」に、誘われて、人人人の波。この10数年、桜の花見は京都に出かけていましたので、東京の桜は、久しくご無沙汰でしたが、今日の花見客の多さには驚きです。(満開の桜の下で)足の踏み場がありません。 ![]() 足の踏み場もなくブルーシートで老いも若きも子供ずれの家族で、公園の木の下すべて埋め尽くし、歩道の半分、地面が見えないくらいにお弁当を広げて楽しんでいます。 (一寸刻みの前進、右へも左へも動けない。押しくらまんじゅう状態の桜見物の光景です) ![]() 始めて見る光景で”驚き以外言葉は見あたりません!!!。” 友と折角だから、メイン道路へと足を運んだが、動きがとれない状態です。進めません。警察のアナウンスでは、「立ち止まらないで前にお進み下さい」と聞こえてきますが・・・!進める状態ではありません。諦めて帰る決心の行動に移すが中々・・・ままならず(>_<)人混みをかいくぐり、途中の階段に向かって漸く、横道に出られたものの、山の上も人だかり。恐ろしいくらい必死でした。 去年はお花見を自粛していたので、今年は一気に繰り出して来たのでしょう。 大変な体験をいたしました。”これで地震でも来れば大パニックです。想像するだけでも恐ろしい。大震災のトラウマが心の片隅に・・・消えません。。何事もなかったことに胸をなで下ろし、帰途につきました。 聞くところに寄れば、都内の公共の公園は、違わず同じような人出だったようです。 あの後、シートとの花見客は?何時までいらしたのでしょうか?夜桜見物でもされたのでしょうか? 「ご苦労様」の言葉しか、言葉が見つかりません。 最高で驚異の「お花見びより」の1日で御座いました。はい。漸く雑踏から抜け駅に向かう。遠くに見える「スカイツリー」ほっと一息♪心が和みます。 ![]()
★… 【 御苑の桜 】 …★
2012.04.06 ただ今準備中 ![]()
★… 【 春分の日 】 …★
2012.03.20 お天気に恵まれましたのでお墓参りに行ってきました。我が家の菩提寺は坂の多い小石川にあります。徳川将軍家の菩提寺の伝通院を始め沢山のお寺さんが存在します。お彼岸のお墓参りで沢山の人出でした。 お参りを済ませ、穏やかな日和に近くの『小石川植物園』に足をのばしてみました。 園内は梅が見頃、寒桜が満開を迎えていました。 ![]() ![]() ![]() ![]() 寒緋桜はまだ堅いつぼみでした。 ![]() ![]() 【旧東京医学校本館】 国・重要文化財(1970.06.17) この建物は、木造2階建ての擬洋風建築物で 正面入口部にはポーティコが設けられており、 竣工当初、塔屋の四面には時計が配されていましたが、1911年(明治44年)赤門脇へ移築される際、平面規模の縮小と共に屋根の上の搭屋、 車寄の上の手摺などの形状が変更されました。 その後、1965年(昭和40年)に解体され、1969年(昭和44年)に小石川植物園内の現在地に再建されました。東京医学校の前身は1858年(安政5年)に伊東玄朴(いとう・げんぼく 1800-1871)らによって設立された神田お玉ヶ池種痘所です。その後、幕府により官営化され 幾度かの名称変更を経て1874年(明治7年)5月に東京医学校となりました。その後、東京医学校は1877年(明治10年)4月に東京開成学校と合併し東京大学となり東京医学校自体は東京大学医学部となりまた。 ![]() ※【お玉ヶ池は現在の岩本町にありました。お玉ヶ池は徳川初期には不忍池ほどの広さでしたが安政のころには小さなものになり現在はそのあとかたもなく史蹟としてお玉稲荷が祀ってあるだけとなっています。 安政5年(1858)伊藤玄朴や大槻俊斎ら江戸の蘭学者たち82名が資金を出し合って「種痘所」をつくりました。種痘所は痘瘡の予防接種の普及を図るための集会所で、勘定奉行の川路聖謨の屋敷にあったといわれています。ですが、半年後に焼失し下谷和泉橋通り(現・神田和泉町)に移ってしまいました。しかし、この地で生まれた蘭学者たちの精神は生き続け、種痘所は名前を変えながら東京大学医学部へと発展しました】 ※【江戸の蘭方医達は医学館に対抗する為に神田お玉ヶ池に種痘所を構え、蘭方進出の拠点にした。幕府はこれを直轄とし、「医学所」と改称した。それによって漢方の医学館と、蘭方の医学所とが幕府公認として互に、明治に至るまで鎬(しのぎ)を削ることになったのである】 ◎(観光資料参考)
★… 【 浅春の芽吹き・・・雨に打たれて
2012.03.17 我が家にて 〔お詫び〕 家のリニューアル(内装工事中)にて、更新が途切れがちで、お立ち寄り下さっている皆様に大変ご心配をおかけしております。 ”申し訳御座いません”老い支度も、体力に限界を覚え、このあたりで考えなければならない歳になってきました。住み慣れた家も家人と同様に体力を消耗しています。 〓今日はお彼岸の入り(昼夜の長さがほぼ同じ)〓 「暑さ寒さも彼岸まで」の諺がありますが、今年は殊の外、寒さが何時までも続いて 快適な気温には程遠い彼岸入りで御座いました。記録的に開花が遅くなっている梅、この冬の寒さは桜にも果たして、どのような影響を与えているのでしょうか?、東京の桜の開花は3月30日以降と予想されていますが、果たして・・・暖かな春が待ち遠しいですね。 北風に吹かれて静かに降る雨はとても冷たい。改装工事の中休み、咲き始めた我が家の花々は、うずくまり、じっと耐えていました。 【梅】 … まだ堅いつぼみ ![]() ![]() ![]() 【福寿草】 … 雨に打たれて ![]() ![]() 【クリスマスローズ】 ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ※ なお、このブログも、記事、写真が多くなりましたので、少しずつリニュアル(修繕)進行中です。暫くご迷惑をおかけ致しますが、宜しくお願いします。
★…【 雛祭り 】 3月3日 …★
2012.03/01鴻巣にて ひな人形は”人のけがれを紙人形に移して川に流していた流し雛の風習”が転じて人形を飾るようになってきたようです。鴻巣のひな壇は「日本一の高さ」を誇ります。今年も市役所ロビーに飾られました。昨年より、一段高い31段飾り、高さ7㍍。 ![]() このひな祭りは、江戸時代から続く人形作りの伝統を知って貰う為、不用になった雛を受け入れ、全国から送られて来る人形で飾られています。昨年は一年間で約2千体届いたそうです。 ![]() ピラミッドひな壇には1800体、内階段の展示は340体。玄関等を含むと2600体以上になるそうです。 ![]() ピラミッドひな壇の頂き(天井すれすれ) 2階より撮影 ![]() 竹雛・・・可愛いですね。 ![]() 御殿雛 ![]() 文化センターの窓辺にも・・・。 ![]() ![]() 五角錐ひな壇 (11段、高3㍍、330体) 駅ショッピングモール内 ![]() 訪れる人達は一様に感嘆と笑顔に包まれていました。 街道沿いにも何でも鑑定団に出たおひな様だそうです。 ![]() レストランにも・・・。 ![]() 鴻巣の街はひな祭り一色。 ![]() ※【雑感】 家庭で飾る機会も無くなった人形達、それぞれの思いを背負って此処に集まりました。人形達の心の内は?問うてみたいものです。寂しげでもあり、悲しげでもあり、嬉しそうでもあり、遠く見つめる姿に雛の物語を想像し胸が熱くなりました。
★…【源氏物語-有職故実】 若紫巻- 須磨の巻 他 ひいな(雛)遊び …★
2012.03.01鴻巣にて ◆巻12‐【須磨】 文中)『三月一日に出で来る巳の日、今日はかく思すことある人は御禊(みそぎ)し給ふべきと、なまさかしき人のきこゆれば、海面もゆかしうて、出で給ふ。いとおろそかにぜむじょうばかりを引きめぐらして、この国にかよひける陰陽師めして払へさせ給ふ。舟に、ことごとしき人形(ひとがた)のせて流すを見給ふに』 源氏物語、須磨の巻には、三月上巳(じようし)の日に陰陽師(おんみようじ)を召して祓を行い、その人形(ひとがた)を船に乗せて流したという記載がある。『曲水の宴』は祓いの遊びの宴でもあったのでしょう。この雛流しの起源とされる人形(ひとがた)流しは源氏物語にみるのです。 源氏物語では、『ひいな(雛)遊び』が、数巻に出て来ます。 ◆巻5‐【若紫】 光源氏が北山で若紫(紫の上)を見つけて連れ出すくだりに、不安におののいている若紫にこう言いました。 『いざ給えよ、をかしき絵など多く雛(ひいな)あそびなどする所に』・・・・源氏君 意) さあ、いらっしゃい。美しい絵などがたくさんあって、お雛様遊びなんかのよくできる私の家へ」お人形遊びなどできる所に。父宮さまのお使いとして参ったのですよ。 『雛(ひいな)遊びにも、絵書い給ふにも源氏の君と作り出でて清らなる衣着せ、かしづき給ふ』 源氏と若紫は一緒にひいな遊びをするのである。。 『雛(ひいな)など、わざと、屋ども作り続けてもろともに遊びつつ、こよなきもの思ひの紛らわしなり』 お人形なども、特別に御殿をいくつも造り並べて、源氏は藤壷の中宮(義母)恋しさに、藤壷に面影の似た少女を手元に引き取り、藤壺に会えないやるせなさを、幼い若紫と一緒に遊んでは、この上ない憂さ晴らしをしているのです。この巻で源氏は、紫の君に心慰められ、 紫の君も源氏を慕うようになっていくのです。 ◆巻6‐【末摘花】 『例のもろともに ひいな遊び し給ふ。絵など書きて、色どり給ふ。よろづに、いとをかしう、すさび散らし給ひけり。我も書き添へ給ふ。髪いと長き女を書き給ひて、鼻に紅をつけて見給ふに、かたに書き手も、見ま憂きさましたり』 ◆巻7‐【紅葉賀】 『いつしか雛(ひいな)おしすゑて、そそきゐ給へる。三尺の御厨子一具に、品々しつらひすゑて、また小さき屋ども作り集めて、たてまつり給へるを、所せきまで遊びひろげ給へり』 ◆巻25‐【蛍の巻】 『(明石姫)まだいはけたる御雛(ひいな)遊びなどのけはひの見ゆれば、かの人(雲井の雁)のもろともに遊びて過ぐしし年月の、まづ思ひ出でらるれば、雛の殿の宮仕へ、いとよくしたまひて、をりをりにうちしおれたまひけり』 夕霧が明石姫と雛遊びをしながら、幼馴染の雲井の雁を思い出して涙ぐむ場面の描写です。 ① 『建武年中行事』にも、三月節供の「御燈(みあかし)」行事には「人形」に饗応(きようおう)したあと、それを祓え送るとある。 ② 三月上巳の祓行事は、三月節供の雛祭の源流を知る手掛りで、本来、雛祭の人形の原形は、「罪穢(つみけがれ)」をつけて送り流す「撫物(なでもの)」であったという山東京伝(さんとうきようでん)の指摘は的を射ていたように思える。 ③桃酒や曲水宴を伴う「上巳」の行事は中国陰陽道の習俗の移入であるが、水辺の祓行事が先行習俗として日本にあって、その習合行事として「上巳の祓行事」が生じ、その「撫物」が雛祭の主役にやがてなっていきました。 ④ そして、工芸技術の進歩で雛人形の製作に巧緻(こうち)を競うに至り、それを保存愛玩しながら連年祭ることにもなり、「流し雛」の古意はやがて忘却されるに至って行きました。 現代では 「桃の節供」 3月3日雛祭(節句)に雛人形を飾り桃花や雛菓子を供えて白酒で祝う習俗をいう。 婦女子主体の祭りで男子の5月節供と対置されているが、雛人形主体の節供習俗の歴史は新しい。 ![]() 江戸時代初頭(1630ころ)に宮廷や幕府で3月節供に雛人形にかかわる行事があったと記録があり、寛文年間以降に雛祭の形が定着したとみられる。以後の雛祭は工芸品としての雛人形の生成発達と関連してしだいに華美な形になり、都市から農村へと波及していく一般化は明治以降である。 ![]() 江戸時代初期の雛飾りは平壇・立雛の形が主だった。 江戸時代中期になって、紙雛から布で正装した「すわり雛」となり、その後精巧な土焼きの衣装人形の出現で華麗になり重ね壇に高貴な夫婦を表わした1対の内裏雛形式をとって以来、三人官女、五人囃子、随身、衛士などを置き、これに屏風、蒔絵道具、高坏、膳、ぼんぼり、桜と橘をはじめ菱餅、白酒などを供えるという形式が固定していきます。 江戸時代後期には次第に時代の好みを反映して素朴な立ち雛から室町雛、寛永雛、享保雛など 種々なものが作られ、末期には頭や手に象牙を用いた木目込みの贅沢なものも現れた。雛祭が盛大になるにつれて豪華になっていく。 享保雛は、サイズも40cmから60cmくらいと巨大なものも作られるようになり、女雛は唐衣に裳姿、天冠を付け檜扇を持ち、男雛は束帯様装束で白平絹袴をつけ、烏帽子をかぶって笏を持っていました。巨大なものになると等身大のものまであったそうです。 ![]() ![]() 明治以降は商店の雛人形売り出しが推し進められ、新生の女児に雛人形を贈る風習へと広がって今日に至ります。 ![]() 一方、こうした都市的雛祭とは別趣の古俗をいまに伝える地方もいくつかあるようです。鳥取市周辺の「流し雛」はとくに注目され「紙雛」を祭ったすえ、3月3日夕方、それを桟俵にのせて供物とともに川に流し去る。「祓」の人形送りである。 ![]() また、関東の村々には三月節供に古雛を川へ流し送るといって、白酒を供えて婦人・子供が野外にそれを祭り、泣いて別れを惜しむ風習があったとされる。さらに、三月節供のころ、磯遊び山あがり花見等、春なぐさみなどといって、子供たちが野外に出て終日遊び共同飲食する風習も広く各地にみられる。 長野県南部の「三月場」千葉県の「野あそび」のように雛人形を野外に据えて遊ばせ、その別離を惜しむ風習の伝承は注目されます。 ![]()
★… 【 世界らん展 2012 】 入賞作品 -1 …★
2012.2/26 東京ドーム 今年も世界21の国と地域から、約3000種10万株の色とりどりの蘭が東京ドームに集結致しました。 世界らん展日本大賞実行委員会(読売新聞社 NHK 世界らん展組織委員会)は、2月17日に本年度の「日本大賞」を決定。審査申請総数1,293作品と世界最大級です。 ![]() ¶【 日本大賞】 デンドロビューム属ノビル系 ‘ハツエ’大塚 初枝様(茨城県つくば市)の作品です。 2000輪もの花をつけた横幅約1メートルの大作。賞金200万円と、副賞として協賛社の(株)ヤナセより「メルセデス・ベンツC180ブルーエフィシェンシー」が贈られました。 ![]() ◆出品作品の、ブルーリボン賞、レッドリボン賞、ホワイトリボン賞を数枚ずつアップします。 ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() < 前のページ次のページ >
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