カテゴリ:旅の情景(北陸編)福井・石川( 5 )

【 東尋坊 】 奇勝 海食崖

                ★… 【 東尋坊 】 ー1 奇勝 海食崖
                   撮影はH20,6,25福井にて
福井県北部、九頭竜川河口北側にある景勝地。安山岩の柱状節理から成る険しい海食崖。
遠くに見えるのが雄島(神の島)朱塗りの大橋で渡れます。
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日本海の海食を受けて海面上25m、海面下45mに及ぶ断崖絶壁を形成。
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日本海の荒波の侵食による奇観で国の名勝・天然記念物に指定されている。日本随一の奇勝として名高い東尋坊。間近にみる断崖は迫力満点です。
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東尋坊という地名は平泉(へいせん)寺(勝山市)の悪僧の名に由来するという伝説がある。
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★東尋坊の名は・・・。
時は寿永、民に巨悪の限りをつくした東尋坊という名の怪力の悪僧。在所の美しい姫君に心を奪われた東尋坊は、恋敵である真柄覚念という僧と激しくいがみ合い、ある時、岩場の上で酒宴を催した真柄覚念は、すきを見て東尋坊を断崖絶壁から突き落とす。天候はにわかに崩れ、雷と暴風雨が四十九日続いたそうな?。
毎年命日にあたる四月五日は、東尋坊の怨霊が大波と化し、岩壁を激しく打ち殴り続けたことから、怪力の悪僧名「東尋坊」と呼ばれることになったとか。
無骨な男のはかなく切ない悲恋物語の逸話です。
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遊歩道では潮風が心地よさそうに紫陽花や虎の尾、野バラの花たちが、松林を通して行き交う船をうっとりと眺めている。
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虎の尾、野バラ
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京福電気鉄道三国芦原線(優先座席シート地、判りやすい)
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by hime-teru | 2008-07-19 23:52 | 旅の情景(北陸編)福井・石川 | Trackback | Comments(2)

【 東尋坊 】 海から・・・。

              ★… 【 東尋坊 】ー2 海から見上げる …★
                 撮影はH20,6,25 福井、東尋坊にて
スリリングな断崖絶壁を見下すのが東尋坊見学の定番ですが・・・。今回は海も穏やか、海面から見上げる圧巻の風景は感動的!日本海側からしか望めない絶景を約30分間、日本海クルーズを楽しんできました。             
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水面から25m(ビルの8~9階くらい)見上げる景色はまさに絶景。
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展望台東尋坊タワーがあり遠く能登半島まで見渡せる、北部には無人島雄島が浮ぶ。越前加賀海岸国定公園に属し天然記念物、名勝に指定されている。
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雄島
東尋坊の先、周囲約2キロの越前海岸でもっとも大きな島。土地の人は昔から「神の島」とあがめられています。朱塗りの大橋をわたり石段を登ると、歴史の古い神聖な大湊神社をはじめ島の上は神秘的な雰囲気。
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ハチの巣に似た岩、ライオンの姿の岩 波型岩  大池 ライオン岩、屏風岩 三段岩 ろうそく岩などの名前が付けられています
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ゴツゴツとした岩が約1キロにわたって続いています。地質学的にも珍しい奇岩で世界にも東尋坊を含め3箇所しかないといわれています
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by hime-teru | 2008-07-19 23:45 | 旅の情景(北陸編)福井・石川 | Trackback | Comments(0)

【 曹洞宗大本山 永平寺 】ー(2)

               ★… 【 曹洞宗大本山 永平寺 】ー(2) …★
                撮影はH20,6,23福井永平寺にて
曹洞宗大本山永平寺は、今から約750年前の1244年、道元禅師によって開創建された「日本曹洞宗」の第一道場で出家参禅の道場です。山号を吉祥山と称する。
開山は道元、本尊は釈迦如来・弥勒仏・阿弥陀如来の三世仏である。總持寺とならんで日本曹洞宗の中心寺院(大本山)である。
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広い境内には、吉祥閣、傘松閣、祠堂殿、東司、僧堂、仏殿、承陽殿、法堂、大庫院、浴室、山門など大小70余りの堂宇が回廊でつながれ 多くの雲水たちが修行に励んでいます。
222畳敷きの大広間。天井画は川合玉堂、伊東深水など計144名の画家によって描かれている。 ISO800でも撮影できない暗さでしたが・・・。
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境内に入ると、その修行僧さん達の立ち居振る舞いは機敏で背筋が伸びる思いです。
永平寺のは修行僧の教育指導者(仕事の担当)を「役寮(やくりょう)」と呼ばれ、30名程の幹部クラスの僧がいます。荘厳な雰囲気の中150名の雲水たちが、道元によって定められた厳しい作法に従って禅の修行に励んでおられました。
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室町時代には天皇から「曹洞宗第1道場」の勅額を贈られ、日本の禅修行の場として歴史を刻んできた永平寺は33万平方メートルにも及ぶ広大な敷地で荘厳そのものです。
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鐘楼(しょうろう)「一撞一拝(いっとういっぱい)」といい、一撞ごとに一拝をして撞かれ、その梵音は修行僧を覚醒せしめ深谷幽山に無限に響きわたります。
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永平寺は開創後、兵火で伽藍が焼失、応仁の乱や幾たびか火災に遭っている為、開山当時を偲ぶような古い文化財や建築物は遺っていませんが、樹齢600年を越える老杉の巨木に見守られながら静かにたたずんでいます。
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雨は時には激しく、甍をたたき、老杉の巨木に潤いを注ぎます。雨の永平寺は素晴らしい風景でした。帰りは雨が上がり夕焼けが雲の切れ間から田園風景を照らす風景も格別でした。気の向くままのノンビリ旅は最高の贅沢ですね。
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【道元という人】
幼時に父母を亡くした道元は仏教への志が深く14歳で当時の仏教の最高学府である比叡山延暦寺に上り、仏門に入った貞応2年(1223年)に24歳で中国へ留学。道元は天童山景徳寺の如浄禅師に入門し4年あまり修行し滞在を終えて帰国。日本へ戻った道元ははじめ建仁寺に住し、のちには深草(京都市伏見区)に興聖寺を建立して説法と著述に励んだが、旧仏教勢力の比叡山からの激しい迫害に遭う。
旧仏教側の迫害を避け新たな道場を築くため、道元は信徒の1人であった越前国(福井県)の土豪・波多野義重の請いにより興聖寺を去り義重の領地のある越前国志比庄に向かう。
当初、義重は道元を吉峰寺へ(この寺は白山信仰に関連する天台寺院で現在の永平寺より奥まった雪深い山中にあった)道元はひと冬を過ごすが、翌寛元2年には吉峰寺よりも里に近い土地に傘松峰大仏寺(さんしょうほうだいぶつじ)を建立する。これが永平寺の開創であり寛元4年(1246年)に山号寺号を吉祥山永平寺と改めた。寺号の由来は中国に初めて仏法が伝来した後漢明帝のときの元号「永平」からであり意味は「永久の和平」とのこと。
by hime-teru | 2008-07-16 22:37 | 旅の情景(北陸編)福井・石川 | Trackback | Comments(0)

【 曹洞宗大本山 永平寺 】ー(1)

            ★… 【 曹洞宗大本山 永平寺 】 ー(1) …★
               撮影はH20,6,23 福井県永平寺にて
東京のお盆は7月13日~16日です。暑い中、お墓参り(小石川のお寺)など4日間お盆をノンビリ過ごしました。鬱陶しい暑さを先日アップの機会を逸しました福井の永平寺のカットでほんの少し!涼を感じて頂けましたらと思います。

右下が正門。一般に龍門とも呼ばれ、昭和5年境内の拡大によって唐門(勅使門ともいう)より真直に参道が造られた際、正門の柱に・・・。
   ◆杓底一残水 (しゃくていのいちざんすい)
   ◆汲流千億人 (ながれをくむせんおくにん) という句が刻んであります。
一杓の水でも元の川へながれることによって多くの人が恩恵にあずかるという禅的表現です。 物の生命を大切にむだにしないという、省エネルギーの精神に、佛祖の恩徳にも報いるものです。
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電車で移動(アテンダントのお姉さんが親切に話しかけてくれました)車両は1両、テレビ?でしょうか?今にも落ちそうな気配です。シーズン中は観光案内が放映?(伺うのを忘れました)えいへいじぐちからバスに乗り換えます。
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永平寺門前です。来る平成14年の道元禅師750回大遠忌を記念して永平寺へ寄進された標柱が見えます。(下)一昔前は観光会社の休憩所に指定されていたのでしょうね♪
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唐門
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こけむした杉の根元が涼しげです。
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しっとりと霧雨が包みます。
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by hime-teru | 2008-07-16 22:09 | 旅の情景(北陸編)福井・石川 | Trackback | Comments(0)

【石川県・輪島市の白米千枚田】

               ★… 石川県・輪島市の白米千枚田 …★
        撮影はH20,4,29 石川県輪島市白米町にて撮影したものです
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白米千枚田しろよねせんまいだ)は、数が多いので千枚田と呼ばれるが、狭い田からの転という説もある。最も小さい田の面積は、0.2m2 程度と小さい。
〓春の海 終日 のたりのたりかな〓風もなく長閑なお天気でした(^_^)
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現在は田の所有者を中心に組織された白米千枚田愛耕会による耕作・保存活動が行われている。田植え・稲刈り時には広くボランティアを募って作業を行っている。
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高洲山の山裾が流れ込むような急斜面を切り開いて耕した千枚田は、紺碧の水平線上に浮かぶ七ツ島、岩に砕ける白い波頭が千枚田の幾何学模様と調和してすばらしい景観です。今頃はボランティアの手で田植えも終わり早苗が出そろった頃でしょう。
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小さな田が海岸まで続いています。田の枚数は1,004枚で、春から夏には海に沈む夕日が田に映え美しい風景に出会えます。夕映えの風景を見てみたいものです。いつかきっと・・・・。
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※白米千枚田は平成13年1月国指定文化財に指定されました。 1,004枚 総面積40,051㎡(畦を含む)あるそうです。
この田の畦が描く美しい幾何学模様は、毎年の稲作によって維持されるものですが、田んぼは平均1.6坪と全国的にも類を見ないほど小さく大型機械による効率化が図れず、人の手で多くの時間と労力を必要とするため、高齢化や後継者不足の地元だけでは稲作が困難ですので、現在は多くの団体及び個人のボランティアの支援を受けて耕作活動が続けられております。
※千枚田では田植えや稲刈りのボランティアを募集しています。
↓刈り取りのイネはこの”はさ”で干されます。
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 ・平成13年 国指定文化財名勝指定
 ・平成11年 「日本の棚田百選」(農水省)に選ばれる。
 ・平成8年 景観保存が認められ「水の郷」(国土庁)に認定される。
 ・平成6年 「手作り観光地百選」(通産省)に選ばれる。
 ・平成5年 「道の駅」(建設省)に登録されました。
 ・平成4年 「手作り郷土賞」(建設省)に選ばれる。
 ・平成3年 「日本の米づくり百選」に選ばれれる。
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フリー百科事典ウィキペディア』参照によれば・・・・・
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2006年5月に当時の小泉純一郎首相がこの地を訪れ、「絶景だよ、絶景」と褒め称えたエピソードは、地元マスコミで大きく取り上げられ、これにちなんで同年秋に収穫されたコシヒカリは『絶景千枚田』の名で商品化されたそうです。
番外
大の蛇嫌いの私、猛スピードで駆け抜け、勇気を振り絞り、遠くからねらい撮り。体が震え、足はガクガク。最高の傑作です。
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by hime-teru | 2008-05-21 23:20 | 旅の情景(北陸編)福井・石川 | Trackback | Comments(8)