カテゴリ:旅の情景(東北編)( 16 )

【尾瀬沼 】 ハイキング

暫くご無沙汰致をしているうちに関東は梅雨が明けて炎暑厳しい日々が続いています。
クラス会や健康診断、お墓参りなど私的な用事が続き、ブログアップが滞り大変ご無沙汰致しました。撮りためた写真の更新が漸く出来ます。休眠中に沢山の方がご訪問くださり、嬉しく、また、申し訳なく、心より感謝申し上げます。また少しずつ花の写真を載せていきたいと思います。宜しくお付き合いお願い致します

                    ★… 【尾瀬沼 】 ハイキング …★
                       2015.7月14日
【尾瀬沼】
尾瀬の中でも花の湿原として人気の大江湿原、一面で山吹色に咲く様子は、尾瀬を代表する景色のひとつとして雑誌やポスターでよく見られます・・・・!が、開花時期には少々早く、山吹色の風景は見られませんでしたが、高原の爽やかな風と星のように点在するワタスゲの花に、新緑の尾瀬の山に踊る姿は癒やしの光景でした。
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【日光黄菅】ニッコウキスゲ
ユリ科の多年草。ゼンテイカ(禅庭花)ともいう。地下茎は短く、多数あり肥厚する部分がある。
花茎は直立し高さ40~70センチ。葉は叢生し鮮緑色で軟らかく、幅1.5~2.5センチで上部は下垂する。6~8月、茎頂に総状花序をつける。花は橙黄(とうこう)色、漏斗(ろうと)形の六弁花で弁先がやや反り返り包葉は狭卵形。本州中・北部の海岸低地から高山帯下部の湿潤な草原に生える尾瀬沼の群落は有名である。
しかしながら今年はキスゲや水芭蕉のの花芽を鹿が食べて蕾も少なく花は期待出来そうにないと地元の方のお話です。
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蕾があるところは今月末あたりが見頃になるかも知れません。雨が多かったので開花が少々遅れているような?
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大小の湿原や沼越しに見る東北最高峰の火山【燧ヶ岳】日本百名山で二等三角点を持つ山。登山口は柴安嵓(2,356m)↓キスゲはまだ堅いつぼみ
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尾瀬沼から湿原の真中を大江川が流れていることから最後の力を開花するレンッゲツツジのオレンジ色。
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今はコバイケイソウの白い花が飛び込んできます
【コバイケイソウ】
ユリ科の大形多年草。高山の湿地に群生。高さ一メートルを超える。葉は広楕円形で、基部は茎を抱く。初夏、茎頂に長さ20センチ内外の花穂を数個つけ円錐花序をなす六弁緑白の小花をつける。肥大した根茎に劇毒があり、採って乾燥したものを「はくり蘆根」といい殺虫用になります。
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コバイケイソウは本州中北部の高山・湿原に多い。葉は縦じわがあり基部は鞘(サヤ)となって茎を包む。

また、尾瀬ヶ原に比べ標高が260mほど高いこのエリアは、春から夏の花は1週間ほど遅く咲きますが、季節毎の景色を楽しめます。ニッコウキスゲ水芭蕉など大群生する風景は7月中頃~末に集中し素晴らしい光景が見られるのですが・・・。水芭蕉はごらんのように花はなく・・・。残念!
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ニッコウキスゲは種から花が咲くまでに7年かかる、年々で沢山咲いたり少なかったり、咲き始めの時期でその年の気温が分かると言われるなど、派手な外見とは裏腹に、実はちょっと気難しいニッコウキスゲは 開花や満開の時期を予測するのは難しいようです。大江湿原は鹿の被害があったようですが、今頃は蕾だった花が山吹色に染まっているかも知れませんね。

尾瀬沼を背景に藍色のヒオウギアヤメ咲く
【ヒオウギアヤメ】桧扇文目
アヤメ科の多年草。高さ30~90センチ、2、3本の枝を出す。葉は長さ7~40センチ、中央脈はない。7~8月、径約8センチの青紫色花を開く。外花被(かひ)片は広倒卵形で長さ約5センチ、垂れ下がり、基部に黄色と紫色の虎斑(とらふ)模様がある。内花被片は倒卵形で長さ約1センチ先は芒(のぎ)状で直立する。亜高山帯の湿地や高層湿原に群生し、中部地方以北の本州、北海道、およびアラスカ以西の北太平洋地域に広く分布する。
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湿原の真中を大江川が流れる澄んだ小川に初夏の雲を映して。
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【ワタスゲ】綿菅
カヤツリグサ科ワタスゲ属の多年草。別名でスズメノケヤリ(雀の毛槍)という。
ワタスゲの花が星のように初夏の風に身を任せています。
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【ハクサンチドリ】白山千鳥
ラン科の多年草。塊根は肥厚し先端が掌状に分裂する。花茎は高さ20~30センチ、下部に葉を数枚互生する。6~8月、茎頂に径約1センチの紅紫色花を十数個開く。唇弁は約1センチで斑紋(はんもん)が目だち、先端は三裂する。距(きよ)は長さ約1.5センチ、やや太い。高山のやや湿った草原に生え、中部地方以北の本州、北海道、および中国東部、アラスカの太平洋沿いに分布する。
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尾瀬沼には山の駅小池(観光バスはここまで)から沼山峠の山の駅までシャトルバス運行。
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いきなりきつい登りの木道の階段登って降りて1時間強、漸く大江湿原が広がります。少々きつう御座いました。
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by hime-teru | 2015-07-22 17:01 | 旅の情景(東北編) | Trackback(1) | Comments(0)

【花見山公園 】 福島

★… 【花見山公園 】① 福島 …★
                        2015.4/23 「福島に桃源郷あり」
【花見山公園 】
阿武隈川右岸の渡利地区の丘陵地中腹に位置する公園は、所有者が市民に無料開放しており、四季折々の花が咲き、
春の花見シーズンには大変な人出で素晴らしい桃源郷です。
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20年ほど前でしょうか?友人から福島の花見山の事を聞いていたのですが、なかなか訪れる機会がなく毎年桜の季節が過ぎてから思い出す。今年は不順な天候で1週間ほど東海桜の満開時期が過ぎていましたが、テレビのニュースを見て無性に行きたなり、天気予報を睨みながら、「雨なし」晴れのち曇りと言う事で、新幹線で出掛けました。ゆったりと時間が流れる牧歌的な風景、心が癒やされました。”桃源郷”と呼ばれるにふさわしく、とりどりの花が咲き乱れていました。季節ごとに楽しめる花見山、訪れてみて、また秋に春に花見に行きたいと思うところでした。

撮影しました「花見山」の素晴らしい景色をお楽しみ下さい。
【福島駅で盛大なお出迎え】
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【平日なのに沢山の人出】
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【菜の花満開】
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遊歩道ワキの東海桜は終わっていましたが・・・?次々と咲く、見応えがあります
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【桜散る】
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【花筏】
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白い花桃も咲き始めています(桜と花桃の饗宴)
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【丘の上に形の良い桜が満開です】
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次へ・・・
by hime-teru | 2015-04-30 21:03 | 旅の情景(東北編) | Trackback | Comments(0)

【花見山公園 】② 福島 

                          ★… 【 花見山公園 】② 福島 …★
                         2015.4/23 「福島に桃源郷あり」
【花見山公園 】
花見山の周辺の農家も花卉園芸を行っており地区一帯で花が咲き誇るため、「花見山」の総称として知られるようになりました。
【桜と桃】
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現在の花見山公園を所有する阿部家は養蚕を家業としていたが、生糸の輸出減少とデフレから生糸の価格が暴落の上、昭和恐慌が始まり養蚕は窮地にたたされ、1945年(昭和20年)8月15日の終戦から阿部家は開墾と花木栽培を再開。長い年月をかけて花が成長を迎えて1959年(昭和34年、「花見山公園」と名づけて無料開放されました。観光客のために500万円かけてトイレを設置したり東屋・展望台・灯篭などの施設も自己資金で建設、観光客に無料で貸し出す杖や傘も揃えて行き届いています。ここまでには沢山のご苦労がおありだったと思います。
【園内の花々】
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【しだれ桜】
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【ここかしこ花・花・花 】
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写真家・秋山庄太郎が当園に度々訪れるようになり、「福島に桃源郷あり」と形容して展覧会や講演会で当園を紹介し全国的な知名度向上に寄与し、有名になってきました。
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【黄色の春】
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【土手には土筆】
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【こんな風景も・・・】チューリップも咲き始めています。
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by hime-teru | 2015-04-30 20:40 | 旅の情景(東北編) | Trackback | Comments(0)

【花見山公園】③ 福島 

                        ★… 【 花見山公園 】③ 福島 …★
                         2015.4/23 「福島に桃源郷あり」
【花見山公園 】
2004年(平成16年)シーズン入園者数が20万人を突破したため、同委員会・福島市観光協会・福島市物産振興協会によって「花見山環境整備協議会」が設立され、観光や地域振興の環境整備にあたるようになり、2006年(平成18年)12月から花見山公園周辺環境整備事業が始まりました。
【桃源郷】
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【花の饗宴】見事です
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【桜と紅葉】
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【出猩々もみじ】真っ赤です。紅葉ではありません】
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【真っ赤っか】
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ユキヤナギが綺麗です
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今日も、観光バスが50台ほど来ていたでしょうか?
by hime-teru | 2015-04-30 20:30 | 旅の情景(東北編) | Trackback | Comments(0)

 花見山公園  】④ 福島 

                          ★… 【 花見山公園  】④ 福島 …★
                         2015.4/23 「福島に桃源郷あり」
【花見山公園 】
2007年(平成19年)、福島市の市制100周年を記念して「ふくしま市景観100選」が選定され、2010年(平成22年)には過去最高となる32万人が来園し、外国人観光客の団体も見られるようになった。
素晴らしい花景色を堪能ください。
優しい春色(柳と桜)
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【木瓜・桃・桜】
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【風に身を任せて・・・】
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【桃・桜】
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【全山花盛り】花柄も綺麗な風情色
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見事な桜は何桜?満開の桜は「アマノガワ」でしょうか?近づけないので確認出来ない。
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【桃の花も咲き始めています】
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来年は一回り華やかに咲くことでしょう
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by hime-teru | 2015-04-30 20:00 | 旅の情景(東北編) | Trackback | Comments(0)

【花見山公園 】⑤ 福島 

                          ★… 【 花見山公園  】⑤ 福島 …★
                         2015.4/23 「福島に桃源郷あり」
【花見山公園 】
花見山公園頂上からは福島市街地をはっきりと見渡すことができました。
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【花見山から見た信夫山と市街地】
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【素晴らしい景色です】
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【晴れていれば】安達太良山も見えるのですが・・・?
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by hime-teru | 2015-04-30 19:45 | 旅の情景(東北編) | Trackback | Comments(0)

【ぼたん雪舞う 銀山温泉】

               ★… 【ぼたん雪舞う 銀山温泉】 回顧記録 a photo …★                                           〔2004年2月〕           
NHK連続テレビ小説「おしん」の舞台となったことで一躍脚光を浴び全国的にその名を知られることになった事はもう遠い昔のような?ここにアップの写真は、私がデジカメ3台目にして一眼デジカメを使い始めた初期の写真です。ブログ発進前の写真の書庫(パソコン)にしまい込んで出番がありませんでした。もう一度、銀山温泉に出かけたいと思いながら、雑多な忙しさに、なかなか実現がかないません。写真の整理をして今頃は6年前と同じ白銀の銀山でしょう。
 回顧 photo です・・・幻想的な大正ロマンをご紹介します。
【銀山側下流側から温泉街を眺めた大正ロマン漂う光景は、温泉のシンボル的な風景である】
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銀山温泉は開湯は寛永年間、銀鉱が発見され、延沢銀山の工夫が発見。江戸時代には公儀山として栄えました。1689年に銀山が閉山した後は湯治場としてさかえました。当時は幅狭い悪路で、尾花沢からは難路で1日かかったといいます。延沢銀山の衰退後、人口は激減しましたが、世間とは遮断された仙境で人々は湯治客相手の湯端宿屋や小商いを行って生活していました。
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大正末期から昭和初期に建てられた洋風木造多層の旅館が銀山川の両岸に沿って軒を並べ、昔ながらの独特な景観を味わうことができました。
大正10年に銀山川の水を利用した発電所が作られ、地元財界の力でその後の復興の足掛かりとなっていきました。昭和元年に源泉のボーリングで高温多量の湯が湧出し、各旅館は一斉に洋風の三~四層、木造構造に建て替えを行いました。戦後は温泉街の洋風化も落ち着き、外観は和風に近づいてきました。延沢銀山遺跡は昭和60年に国の史跡に指定された事により、風情ある旅館の保存と観光復興に力を注いでいます。
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大洪水により温泉街は一時壊滅したりいたしましたが、風格ある能登屋旅館は国の登録文化材に指定された建物です。夢を求めて人々の熱い心が大正ロマン漂う光景から伺えます。
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銀山温泉は、かつて江戸時代初期の大銀山として栄えた「延沢銀山」の名称に由来しています。
現在は木造三層四層の旅館が軒を並べる温泉街として注目を集めています。風格のある落ち着いた町並みは見どころも多く、雪が優しい演出を醸し出し幻想的な風情は何とも言えません
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銀山川の両岸に大正から昭和初期にかけての建築の旅館の多くは、建築された当時としては非常にモダンな三層四層の木造バルコニー建築であり、外装には鏝絵が施されている。川には橋が多くかかり歩道にはガス灯が並んでいる。ガス燈に照らされた町並みも情緒豊かで暖かい。大正時代にタイムスリップでした。
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旅館「藤屋」の白人女将で有名になりました。(お客様の接客中でした)
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白銀の滝の氷のハーモニー(宿泊した旅館の露天風呂から)
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金沢の人儀賀市郎左衛門銀山を発見以来、仙台藩キリスト教を弾圧により宣教師が銀山に入りキリスト教布教の主力を延沢銀山にそそがれたからでしょうか?モダンな建物は隠れた文明開化ですね。

大正末期から作られはじめとしたおかっぱ頭と愛らしい大きな目の銀山こけしは、赤ちゃんの身長・体重に合わせて作る「誕生こけし」と共に「おしんこけし」もおみやげ屋に並んでいました。
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山形新幹線大石田駅より送迎用バスが出ています。 銀鉱洞は冬季間閉鎖でありました。
〔おまけ〕花笠踊り 旅館のサービス
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by hime-teru | 2010-01-25 23:34 | 旅の情景(東北編) | Trackback | Comments(2)

青森逍遥 【津軽の日本海】

                     ★…【 青森逍遥 】 津軽の日本海 …★
【大岩海岸】奇岩景勝地
青森‐川部からの普通列車はこの深浦駅が終点。普通列車、東能代行きに乗り換えとなります。2時間少々散策の時間がありましたので、景勝地 『大岩海岸』 を散策してきました。
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入り口に「恵比須神社」が鎮座しています。
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大岩は真ん中をくりぬき岩の上まで登ることが出来ます。チャイブの花が太陽の光を浴びて美しい海に話しかけています。素晴らしい風景です。
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夏の日本海は穏やかで海は藍よりも青く波頭はゆっくりと荒岩を洗っておりました。
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大岩に登ってみました。大海原に向かって漁船が沖へ(漁場)向かいます
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砕ける波・押し寄せる波、岩を洗う。
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カモメも迎えてくれました。
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岩場に咲く花(昼顔・浜えんどう・チャイブ)
e0039703_13594541.jpg浜払子
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・浜昼顔‐ヒルガオ科ヒルガオ属、多年草。典型的な海浜植物である。
・浜豌豆‐マメ科レンリソウ属、砂地・岩場などに自生する多年草
・チャイブ‐ユリ科ネギ属、カロテンを豊富に含む緑黄色野菜である。 原産地 ヨーロッパからシベリア。
・浜払子‐さくらそう科おかとらのお属、僧侶が使う法具に見立て海岸に生えることから浜払子と呼ばれる。

穏やかな日本海も初冬の11月頃から強風と大波、冬の大岩海岸は怒濤の轟き、暗い墨絵の風景画に一変するとの事太宰治「ブィヨンの妻」の中で、冬の日本海は、どす黒く、どたりどたりと、野暮ったく身悶えいていると書いている。夏はこんなに穏やかで綺麗な海なのに・・・。
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12月から2月にかけては更に海が荒れて気温はマイナス5度、それほど低くはないが、風が突き刺さり、波がうねって跳ねる。地響きはすごく地面も揺れるとか?。列車も運休になって代替のタクシーやバスが出るそうです。想像出来ません。海岸沿いの道路も吹雪や強風、高波によりバスの運休が年に何回かあるようです。臨時列車を除けば5~7時間も運転されない時間帯もあるようですね。厳しい冬の日本海は、まさに東北の真の顔なのでしょう。
          ↓この遊歩道も冬は波に呑まれます。
厳しい冬の日本海、一度は見てみたい。いつかきっと・・・。
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五能線は、海にへばりつくように線路が敷かれている所が多く、沿線には日本海の荒波によって作られた独特な景色があります。深浦を出た列車は白神山地が海に落ち込む際(きわ)を縫うように進む。絶景の十二湖を過ぎ、秋田県に入ると荒磯の向こうに男鹿半島もうっすらと姿を現す。その先、八森からは米どころならではの田園風景が広がります。日本海の海岸沿いを走るというロケーションを活かし土曜休日は観光列車が運転されているようです。

ボックス席同席の旅人(一人旅の若い青年、忙しい仕事(人事院にお勤めとか)2日間の休みを利用して五能線に乗りたくて・・・。と言うところから延々と話が弾み、アッという間に終点、東能代に到着。若い人の話には夢がある。日本の将来は捨てたものではない。私共の若かりし頃の話など興味深そうに耳を傾けてくれて・・・とても好感の持てる青年でした。

途中十二湖から、観光ツアーのお客さん、ぞろぞろ、2駅ほど五能線体験ツアーなのだそうです。車内はラッシュ並みになる。私達のボックスお席の1席に座ったご婦人、長野からご主人様と東北周遊の為の下見(高速料金が千円になったので、秋には東北一週を計画しているからとか?優雅です)30分ほどの乗車時間、私どもと喋りっぱなし!車窓の風景など見てる暇なし、台風のように駆け抜けて行かれました。ですので、車窓撮影は出来ませんでした。旅の無事を祈ります。爽やかな出逢いと別れは旅の醍醐味です。マイカーでは味わえません。

e0039703_14115459.jpg 【東能代終点です。】
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五能線には全車指定の快速列車も運転されているが、勇壮な日本海の景観、のどかなりんご畑の風景をゆっくりと堪能するには、ぜひ・・・
普通列車に乗車でと、お薦めしたい。そして、五能線の旅は冬の波の花がザブ~ンと響き渡る厳しい季節を訪ねるべきでしょう。真冬の猛々しい日本海の自然から学ぶものがたくさん、あろうかと・・・。


e0039703_1416403.jpg奥羽線(かもしか)・新幹線(こまち)で帰路に。e0039703_14174739.jpg











※【岩の上のチャイブ】
確証はないのですが、花姿はハーブの仲間のチャイブではないかと。(岩の上に自生する習性があるのでしょうか?ご存じの方は確かな花の名前をお教え頂きたいと思います)チャイブは、ユリ科 原産地 ヨーロッパからシベリアとありますので、この日本海に流れ着いても可笑しくはないのではと勝手に推測。図書館に出向いて調べようとは思っていますが。
by hime-teru | 2009-08-25 14:49 | 旅の情景(東北編) | Trackback | Comments(0)

青森逍遥 【 五能線 】

                          ★…【 青森逍遥 】  五能線 …★
【JR五能線】
秋田県能代市の東能代駅と青森県南津軽郡田舎館村の川部駅を結ぶ147.2km〈非電化〉を走るローカル線です。その殆どが無人駅です。運転系統は途中の『深浦駅』を境に区分される。昭和11年に全線開通。平成9年、快速リゾートしらかみ号がデビュー(所要約3時間半)開通。

五能線の歴史は、1908年に開業した現在の東能代 - 現在の能代間に始まる。反対運動により能代の市街地を外れる形となってしまった奥羽線に接続するための支線であり、一方、青森県側においても、1918年、私鉄の陸奥鉄道が奥羽本線に連絡する鉄道として川部~五所川原間開業。日本海岸を巡って能代と五所川原を結ぶ鉄道は、旧鉄道敷設法による予定線にあげられ、能代方は能代線の延長として、五所川原方は陸奥鉄道の延長の形で五所川原線として建設が進められ、1924年から順次延長されていった。1936年の陸奥岩崎~深浦間を最後に全通し、五能線と改称された。

列車はりんご畑の中を日本海を目指して進む。ホワイトをベースに穏やかな日本海をイメージしたブルーの帯を配した五能線色の普通列車です。景勝地は車掌さんのアナウンスがあり、ゆっくり走りますので乗るだけでも十分楽しめます。「鰺ヶ沢」で青森行きの普通列車と擦れ違う。10分ほど停車。
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普通列車は上り下りの待ち合わせ駅「鰺ヶ沢」「北金ヶ沢」「深浦」「岩館」「能代」で一休憩していく。
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景色がよく地方色が豊かな路線として人気が高い路線は太宰治の小説『津軽』にも登場する路線で、沿線には深浦・鰺ヶ沢・木造・五所川原など、『津軽』を読んだことのある人であれば、聞いたことがあるという駅名(町)を懐かしく思われるのでは?。鰺ヶ沢は鎌倉時代から栄えた古い港町であり、また、元大相撲の舞の海関の出身地だそうです。
【北金ヶ沢駅】
待ち合わせ駅、待つこと5分あまり、快速リゾートしらかみ号が通過します。この列車の指定券が取れなく残念に思えましたが、・・・五能線は「普通列車」がよりよい選択、楽しみが2倍になるような?
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五能線は日本海の気候の厳しさを連想させる『難読』駅名が多い。沿線には風合瀬(かそせ)驫木(とどろき)艫作(へなし)など・・・。
                        【驫木駅】 携帯電話の撮影で鮮明ではありませんが・・・

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〔通過駅で何とか撮影出来ました。〕
驫木の「驫」の字は、馬が波音の激しさに驚いて逃げたということに由来するらしい。やはり冬場を中心に強風と荒波が激しい所なのだからでしょう。
★春休みに七歳の孫が一人でお泊まりに来たときの話ですが・・・・・。電子辞書に興味を持ち、なにやら楽しそうに検索し始めた。漢字に興味があるようで・・・、
「木ヘン」から始まり、「木」が3こで「森」、「口」が三つで「品」、「日」が3つで「晶」、「貝」が3つで「贔」、「虫」が3つで「蟲」、「毛」が3つで「毳」。
そして・・・・おばあちゃん!「馬」も3つの字「驫」があるけど、なんて読むと思う・・・と質問です。
( ̄0 ̄;)うむ・・・・ハテ!サテ!降参・・・。

正解
とどろきで~す(*⌒ー⌒)。な・る・ほ・ど・・・納得。
夫が本棚から珍しい辞書を取り出してくれた。「衆馬行くなり」と説文に書かれている。馬が集団で疾走する様の事なのでしょう。 う~ん、「車」3つで「轟」は判るが・・・。恥ずかしながら、この歳で初めて知る漢字である。老いては孫に教えられ・・・です。
因みに説文解字(漢字の大元の辞書)この辞書には、「心」3つは疑惑の意、心疑うこととか?。「鹿」・「魚」・「泉」が3つ等々・・・漢字が面白い。そんな経緯から、この「驫木」の駅名を見て、なにやら嬉しくなってしまう。
早速、孫に写メール。旅はこのようなお土産をくれるので楽しいですね。
【車窓から千畳敷】車窓から。
太宰治の「津軽」に出てくる青緑色の岩礁。・・・この岩場は、江戸時代の大地震で、海底が隆起したものだそうです。下車する時間は有りませんでしたが・・。
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【深浦駅】
深浦は五能線のほぼ中間地点。秋田県側・青森県側から出発した列車は、ほとんどが深浦で折り返し、全線を直通する列車はないのです。
リゾートしらかみも停まります。青森からの快速深浦の終点、普通列車も当駅始終着の列車がほとんどです。駅舎は鉄筋コンクリ部二階建。五能線の要といえる駅です。
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深浦町はその昔、上方と蝦夷地を結ぶ要津として明治時代中期まで北前船交易で賑わいました。
by hime-teru | 2009-08-24 17:59 | 旅の情景(東北編) | Trackback | Comments(0)

青森逍遥 【 斜陽館 】

                     ★… 【 青森逍遥 】 斜陽館  …★
「太宰治 生誕百年」今年の6月19日で健在であれば・・・100歳。書店では太宰ブームの単行本が並ぶ。久しぶりに「斜陽」買い求め読んでみる。家にある全集で読んだはずだが・・・真新しい本は手に取ると読みたくなってくるのは不思議です。読み直すと以前とは違う感情が沸いてくる。無性に太宰ゆかりの地を訪ねて見たくなり出かけて参りました。
【金木駅】
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太宰は小説「津軽」に『金木は私の生まれた町である。津軽平野のほぼ中央に位し、これという特徴もないが、どこやら都会風に気取った町である。善く言えば、水のように淡泊であり、悪く言えば、底の浅い見栄坊の町ということになっているようである・・・』(小説「津軽」より)
「津軽」は、太平洋戦争真っ只中の昭和19年5月12日から6月5日にかけて33歳の時に津軽地方を旅行した旅紀行を記した小説(同年の11月に刊行)です。
当時は、都会風に気取った町だったのかも知れませんが・・・。今では・・・ひっそりと往時を追懐する町で御座いました。
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【斜陽館】
近代和風住宅の代表例として2004年(平成16年)国の重要文化財に指定されている。明治の大地主、津島源右衛門(太宰治の父)の手で建設された入母屋作りのこの建物は、明治40年、当時のお金で工事費約4万円をかけて造られました。米倉にいたるまでヒバ材を使用し、1階11室、2階8室、付属建物や泉水を配した庭園など、合わせて680坪の豪邸となっています。
戦後、旅館「斜陽館」となり、現在は市立記念館となり、全国から多くの太宰ファンが訪れています。蔵の一つが展示室(撮影禁止)になっています。写真や原稿をはじめ、マントや帽子などの太宰が愛用した品々が展示されています。
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太宰はこの家を「苦悩の年鑑」の中で「父はひどく大きい家を建てたものだ。風情も何もない、ただ大きいのである」と書いています。この豪邸も戦後になって津島家が手放し、昭和25年から旅館「斜陽館」として旧金木町の観光名所となり、全国から多くのファンが訪れていました。平成8年3月に旧金木町が旅館「斜陽館」買い取り46年の歴史に幕を降ろし、平成10年4月17日、太宰治記念館「斜陽館」として開館いたしました。
        【泉水を配した庭園】
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太宰治はたぐいまれな才気にあふれ、「走れメロス」「津軽」「人間失格」をはじめ数々の名作を残し、昭和23年6月に39歳でこの世を去りました。

【斜陽館全景】
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           【台所・囲炉裏の部屋】 天井が高い!
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         【和室・仏間】
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              【洋間】
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                 【書斎・母の居室】

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太宰の母「夕子(たね)」の居室であったようです。次兄の英治さんはこの部屋を『書斎』といい、兄弟が集まる部屋でした。友人が来てもこの部屋に連れてきて、小説を読んだり、菓子を食べたり、遊んだした部屋だったようです。





     【襖の漢詩】
部屋の襖に書かれている漢詩、中でも、向かって左から2枚目に『斜陽』と言う文字が見えます。太宰治は少年時代から、この『斜陽』と言う文字を見慣れていたと思われます。作品の『斜陽』旅館名の『斜陽』の関わりから、太宰のファンは「斜陽の間」と親しみを込めたお部屋のようですね。 
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太宰は『斜陽』をこの漢詩から?取ったのか?どうかは定かではありませんが・・・、チェーホフの夕方の太陽(斜陽)の一節の影響と云われる作家がおられます。斜陽は明るいが、昼間の太陽と違い、陰影が一層の明るさを際だたせる。小説『斜陽』の中の登場人物は4人四様の滅び行く人間の生き様を太宰自身の中にある分身を模索して書かれているように私は感じる。
【一階の和室】台所の居間とつながっています・・・。
典型的な日本の家父長制度、跡取りの長男だけが重んじられ、六男の太宰には部屋もなく父母の愛を知らずに育った。故に彼は下男や召使いと過ごすことが多かったのです。生家や長兄達に反逆しながら・・・。
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昨今、若い読者も増え続けているという。むろん、暗くて大嫌いという人もあるが。自分の人生の切実な問題を根本から変えて、生死にかかわる奇妙な光と影の世界だからでしょうか?私は太宰の最後の恋が気になる。

【太宰治の暮らした疎開の家】
旧津島家離れ屋敷「新座敷」太宰治の暮らした疎開の家。作家となった後の太宰が居宅としていた建物です。唯一現存する貴重な邸宅です。 太宰治の長兄(文治)が1922(大正11)年の結婚を機に新築し、津島家では、「新座敷」と呼ばれていました。 終戦直前の1945(昭和20年)7月末から、1946(昭和21)年11月12日まで太宰治が東京、甲府の戦禍からのがれ、妻子を連れて故郷に身を寄せた場所とされています。
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【おまけ】
太宰治生誕100年にちなみ「津軽」の初版本をパッケージにしたお菓子の(クッキー)をお土産に買ってしまった。(笑)
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by hime-teru | 2009-08-20 15:24 | 旅の情景(東北編) | Trackback | Comments(0)