カテゴリ:旅の情景(北海道編)( 10 )

海の妖精・クリオネ 

                   ★…  【 函館逍遥 】ー(最終便) 海の妖精・クリオネ …★
                       2010年
旅行中、可愛らしい「クリオネ」に出会えました。泳ぐ姿のなんと可愛らしいこと。
函館朝市の一角、神奈川県出身の店主さん、自身のお店で友人から戴いたというクリオネを見せて頂きました。カメラ談義に花が咲き、写真を撮らせて頂きました。
クリオネは、軟体動物門腹足綱裸殻翼足類ハダカカメガイ科の1属。日本ではハダカカメガイ(裸亀貝)で知られる。名はギリシア神話に登場する文芸の女神たちミューズの一柱クレイオーに由来する。クリオネは流氷と共にオホーツク海沿岸にやってきます。クリオネは外殻のない動物プランクトンです。和名が「ハダカカメガイ」で巻き貝の一種、そして陸上生物のナメクジは実は同じ仲間なのだそうです。大きくなってもプランクトンのままで、一生を冷たい海の中で過ごします。
e0039703_214255100.jpg

クリオネの頭に見える角の部分は実は触手という器官で、その中に口と内蔵があります。顔のように見える部分が顔ではなく、実は、お腹なのです。さらに手のように見える翼は翼足といわれる足であり、これをヒラヒラさせて海中を移動しています。クリオネには目はありません。その代わり角のように見える触角があります。これが目の代わりになります。頭のように見える(角のある)おなかの部分が開きそこが口となりガブガブエサを食べます
クリオネですが生息温度は0~4℃。冷蔵庫の中の温度は安定していて適温なので育てることが出来るようです。しかし、海水をくんで冷蔵庫で冷やしクリオネの海水をこまめに取り替えてあげる事が重要とのこと。お店のクリオネは大きなバケツに氷をいっぱい入れて、プラスチック器に入れてありました。常に0~4℃に保たねば死んでしまいましから。巻貝の仲間であるが、成長すると完全に貝殻を失い、体は透明な部分が多く、体の前半に局在する内臓のみが不透明である。胴体の前部に透明な1対の翼足を動かして遊泳する。
この可愛らしい姿から天使に例えられ、「流氷の天使」と呼ばれる。

クリオネは、北極海、北大西洋、北西太平洋の寒流域に棲息する。体長は約1 - 3cm。体はほぼ円筒形、前方にある左右に張った翼状の足(を羽ばたくようにして水中を泳ぐ。体は頭部と腹部に分かれており、半透明で体内が透けて見える。赤く見えるのは生殖腺や中腸腺である。遊泳力は弱くプランクトンとして生活している。肉食性で餌は小動物、特に近縁な翼足類のミジンウキマイマイ等。それを見つけると接近し頭部からバッカルコーン(口円錐)と呼ばれる六本の触手を伸ば餌を抱え込むようにして養分をゆっくりと吸収する。この様子はテレビ番組『トリビアの泉』にて「流氷の天使クリオネの餌の食べ方は恐い」と紹介された事もある。

【函館の朝市】は有名ですね。
戦後の闇市から始まったと言う市場は日本で最も古い部類のようです。かつては立ち売りを路上で設営、露店の形態でした。昭和31年頃現在の場所に移転し、当初は魚介類や野菜、青果、乾物から駄菓子や衣料品まで、400余軒もの店舗がひしめきあい、朝5時から威勢のいいかけ声が飛び交っていたようですが、近年は60軒余りの店が並び、プロの料理人達が仕入れに来る市場としても知られ、昔ながらの風情を残しながら改修も行われ、どんぶり横丁市場なども完成して、地元の人や観光客で賑わっていました。。
e0039703_21451752.jpg

名物函館ラーメンも食し、一度はお試しのどんぶり横町で食事を体験。こちらも中国人観光客で賑わっていました。
e0039703_2147309.jpg

新鮮で美味しいのですが、量が多く、とても1人前は食べられそうもありません。ミニ丼に名物イカの生きづくりを注文、解体されても動いています。吸盤も吸い付きます。私は生き作りは苦手で食べられません。同伴の夫も苦手のようで半分ほどしか手がつけられなかったようです。
e0039703_21483721.jpg

by hime-teru | 2010-07-29 21:52 | 旅の情景(北海道編) | Trackback | Comments(2)

【 函館逍遥 】ー(8) 青函連絡船記念館・摩周丸

                     ★… 【 函館逍遥 】ー(8) 青函連絡船記念館・摩周丸 …★
あいにくのにわか雨、予定を変更してホテル裏の摩周丸の見学をする。
明治41年から昭和63年まで就航した青函連絡船『摩周丸』係留船の中は操舵室・無線室が現役そのままに公開されていました。人や貨物とともに情報や文化、心も運んだ青函連絡船の摩周丸は記念館となり、青函連絡船の歴史・文化・技術を今に伝えています。
◆前部マスト(レーダーポスト)と汽笛◆大きな錨
e0039703_235073.jpg

摩周丸の名を持つ連絡船は2隻、◆初代摩周丸は戦後まもない昭和23年8月27日に就航、昭和39年10月26日に終航となりました。戦後、国は戦争末期の空襲で全滅した青函連絡船を復旧させるため、客船4隻(洞爺丸型)貨物船4隻の建造を決定します。物資が不足していた時代でしたが、洞爺丸型は特別室や等級別の食堂、浴室も備えた豪華客船でした。エンジンは蒸気タービンで、ボイラーの燃焼効率をあげるために、煙突を4本持っていました。
◆2代目摩周丸は高速自動化船として登場、昭和40年に建造、同年6月30日20便、青函航路に就きました。大きさは8328総トン(新造時の規定による)、全長132メートル、幅17.9メートル、深さ7.2メートル、旅客定員1200名、搭載車両48両。主機関1万2800馬力のディーゼルエンジン、速力18.2ノット(時速33キロメートル)で、青森-函館間を3時間50分で結びました
立身出世を夢見て沢山の若者がこの船で都会を目指したのが、つい、昨日のような・・・。そんな方もお出ででしょうね。私は縁がなく一度も乗船をしたことはありませんが、船の大きさに驚き、貨物列車ごと運ばれた事に当時の技術の高さに驚くばかりでした。必見の価値あり、次回は孫をつれて・・・。この博物館を訪れたい。
操舵室◆無線通信室(モールス信号の打鍵体験もできます)
e0039703_2352162.jpg

青函博(青函トンネル開通記念博覧会)から摩周丸は函館港に係留され展示船となりました。平成2年8月より改修工事に入り、翌平成3年4月26日に「メモリアルシップ摩周丸」としてオープン。今は特定非営利活動法人語りつぐ青函連絡船の会が引き継ぎ、営業を続けながら施設改修、展示内容の改善をはかっています。
◆ロープワークは船員の必須技術だったようです。
e0039703_23543359.jpg

◆操舵室(船橋)◆普通座席(レプリカ)
e0039703_23562284.jpg

◆可変ピッチプロペラ
e0039703_23594299.jpg

記憶が遠い昔になってしまいましたが、青函トンネルが開通のため青函連絡船は廃止。昭和29年9月26日、函館湾を襲った台風15号により沈んだ青函連絡船は、洞爺丸、第十一青函丸、北見丸、十勝丸、日高丸の5隻。洞爺丸以外は貨物船(車両航送専用)でしたが、多くの乗組員がお亡くなりなった悲しい歴史が御座いますました。そして、現在、青函連絡船の歴史と果たした役割を学んでいただくため記念館として、日本や世界の将来に役立ててもらうために、保存・展示しているのだそうです。
(連絡船(鉄道連絡船)は鉄道と同じように乗組員をはじめ、桟橋職員や運航指令の人達で、分きざみのダイヤで発着し正確で安全な運航を維持していたのです)
◆操舵室から、霧雨に煙る函館山&イカ釣漁船の船着き場(函館はイカが名物)
e0039703_054456.jpg

by hime-teru | 2010-07-28 23:50 | 旅の情景(北海道編) | Trackback | Comments(0)

【 函館逍遥 】ー(7) 大沼散策 (花)

                     ★…  【 函館逍遥 】ー(7) 大沼散策 (花) …★
【大沼湖畔に咲く花】
大沼という地名は、アイヌ語の「ポロ・ト(ー)」から由来しています。「ポロ」は「大きい・多い」、「ト(ー)」は「沼・湖」を意味します。初夏の大沼はヒシやコウホネが湖面に涼しさを添えていました。
e0039703_23101472.jpg

◆【スイレンの花たちが夏に向かって咲き始めています】
e0039703_23495658.jpg

エゾノヒツジグサと呼ばれるスイレン。・・・初夏の風を受けて。未(ひつじ)の刻(午後2時頃)に花開くのでその名がついています。
e0039703_23195875.jpg

◆【なわしろいちご】 他 
道端など明るい場所に生える。実は赤く苗代が出来る時期に実り食べられるがすっぱい。
e0039703_23123449.jpg

◆【ブタナ(キク科)の黄色い絨毯】
可愛そうな名前のブタナは、フランス名の「ブタのサラダ」を訳したものだそうです。ヨーロッパ原産の帰化植物で、在来のタンポポの花が終わった頃から夏までの比較的長い期間、タンポポと間違うほどよく似た花を咲かせるタンポポモドキとも呼ばれています。
e0039703_23134371.jpg

◆【オニノヤガラ(鬼の矢柄)】
珍しい花を見つけました。」山地の雑木林内に生える高さが60~100cm程にもなる大型の腐生植物です。葉緑体を持たずナラタケ菌と共生する腐生ランと言われています。まっすぐに伸びた茎を鬼の使う矢に見立てたところからこの名がつきました。
e0039703_23141634.jpg

◆【コオホネ】
葉が水面から飛び出るコウホネと、水面にペタリと葉をつけるネムロコウホネがあります。矢じり型の葉がネムロコウホネです。
e0039703_2319887.jpg

◆【紅輪タンポポ】
ヨーロッパの中部から北部が原産です。わが国へは、明治時代の中頃に鑑賞用として導入され、今では北海道から東北地方に帰化しています。高さは50センチほどになります。6月から8月ごろ、花茎を長く伸ばして、紅色やオレンジ色の頭花を咲かせます。別名で「えふでたんぽぽ(絵筆蒲公英)」とも呼ばれます。
e0039703_23202751.jpg

◆【ツルアジサイ】
ユキノシタ科アジサイ属 (落葉つる性)、落葉つる性木本。 幹や枝から気根を出して高木や岩崖に付着し、絡みながら這い登り、高さ15~20mくらいになるゴトウヅルとも呼ばれ、北海道から本州・四国・九州、南千島・樺太・朝鮮南部に分布する落葉性のツル植物。
e0039703_23213470.jpg

主にブナ林や暖温帯上部の夏緑広葉樹林に生育する。6月から7月にかけ、枝先に花序を形成する。小さなややクリーム色の両性花が集まる花序のまわりに直径2~4cmのアジサイによく似た白色の4枚の花弁状の萼片を持つ装飾花が縁どる。装飾花は花の終わりの頃には下向きになってしまう。
e0039703_23431597.jpg

◆バットの木?と年配のご夫婦が話されていたが・・・・。
アオダモ」や「トネリコ」とも呼ばれる「バットの木」はモクセイ科の温帯性広葉樹で花は白。はて?さて?この木は何の木?ご存じの方教えてくださいませ。
e0039703_23415046.jpg

湖畔の入り江に水芭蕉の群落、花は咲き終わり・・・。カエルの合掌も間近?
e0039703_23435719.jpg

ハマナスはここ彼処に
e0039703_2323432.jpg

アカツメクサ
e0039703_23482331.jpg

by hime-teru | 2010-07-27 23:52 | 旅の情景(北海道編) | Trackback | Comments(0)

【 函館逍遥 】ー(6) 大沼散策

                        ★…  【 函館逍遥 】ー(6) 大沼散策 …★
比較的、起状の少ない大沼の湖畔一周は約14km。湖面に渡る涼風を受けながらサイクリングをしてきました。道南の秀峰、駒ヶ岳はあいにく雲中に見え隠れしていましたが、道端に咲く花や湖面の景色を楽しみながら寄り道数カ所、直進すると約70分程のコースですが、3時間ほど掛けて湖面を一周して来ました。
途中、ヤブ蚊に襲われたり、キタキツネが魚をくわえて道路を横切る光景に出会えたり、感動の旅になりました。(長時間の自転車には少々疲れましたが・・・。)大沼の涼しげな景色を紹介します。
秀峰駒ヶ岳の山容を水面に映す、大沼国定公園はリゾート感覚いっぱい。駒ヶ岳は道南の秀峰、現在も活動する活火山です。うっすらと山が沼の向こうに・・・。
e0039703_22595593.jpg

【大沼国定公園】
活火山である駒ヶ岳(1,131m)と、その山麓に点在する大沼、小沼、蓴菜(じゅんさい)沼の大沼三湖に代表される湖沼群、道内の自然公園では最も温暖なところです。海抜100mを多少超える程度ですが、高原状の地形となっているために、真夏でも気温が30℃を超えることはほとんどないそうです。冬には最低気温が-10℃を下回る日もしばしばみられ、公園内の湖沼群はいずれも全面結氷します。しかし、小沼に面するこの広場の前は、冬の間は結氷しないため、オオハクチョウ、キンクロハジロやマガモなど、水鳥の一部が越冬するようです。
e0039703_22494161.jpg

【大沼公園駅】
1面1線の単式ホームと側線がある地上駅。なお、側線に大沼駅発着の列車が待機している場合があるが、乗降はできない。また当駅での列車交換もできない。
e0039703_22392214.jpg

函館本線の中は中国からの旅行客?(列車の中は中国語が飛び交いやかましかった)お金持ち中国。とにかく元気良く、羽振り良く・・・。
e0039703_22373498.jpg

大沼公園は安政6年、函館開港と同時に外国人が訪れるようになり、また、明治14年に明治天皇が本道へ行幸の際、休憩に立ち寄られ古くから道南随一の景勝地として知られています。
e0039703_22383449.jpg

沼は駒ヶ岳の火山活動によってできた堰止湖で、屈曲の多い湖岸線と多くの小島とによって、道内では珍しい日本庭園的な景観を創りだしています。
e0039703_22503216.jpg

泥流によって押し出された岩塊や溶岩が集積して出来た大沼と小沼の一部の島の間には橋が渡されて周遊コースとなっています。公園広場から左手の後楽橋を渡り、公魚(わかさぎ)島、浮島、アイヌ島と続く7つの島を巡る事が出来ます
e0039703_2248248.jpg

◆モータボートでクルージング
e0039703_2253417.jpg

豊かな自然を育む沼には、コイ、フナ、ウグイ、ワカサギなど様々な魚類が生息しています。ワカサギは現在でも養殖が続けられています。地元漁師さんの船でしょうか?(下の写真)
e0039703_22403262.jpg

【大沼湖、小沼湖には100を超える小さな島々があります】
e0039703_22464757.jpg

◆湖上をのんびり島巡りの遊覧船
e0039703_22445652.jpg

【千の風・モニュメント】
沼の背景に駒ヶ岳が見えるはずだが・・・・あいにく雲にかくれてしまいました。「千の風」モニュメントは作家の新井満さんによってこの地で作られたことを記念し建立されました。直径3メートル、高さ30センチモザイク状の石は、七飯町特産の安山岩です。いのち・再生の祈りを込めて、円盤の中央はもりあがった形になっています。
e0039703_22471893.jpg

サイクリング【途中の寄り道、お馬さんにご挨拶】優しい顔をしています。
e0039703_22572926.jpg

【番外】 ”あっ!キタキツネ」!
e0039703_15443776.jpg

by hime-teru | 2010-07-26 23:08 | 旅の情景(北海道編) | Trackback | Comments(0)

【 函館逍遥 】ー(5) 特別史跡 五稜郭跡

                           ★…  【 函館逍遥 】ー(5) 特別史跡 五稜郭跡 …★
【特別史跡 五稜郭跡】
日本最後の内戦「箱館戦争」の舞台となったところで、明治元年(1868)、大政奉還に不満を持った旧幕臣・榎本武揚、大鳥圭介らがここを占拠し、翌年5月に降伏、開城しました。彼らの抱いた「蝦夷共和国」建設の夢ははかなく消えました。五稜郭の歴史と共にあった人々のドラマを垣間見ることができました。
e0039703_2038439.jpg

正式名称は亀田役所土塁(柳野城)とも
今から約150年前の江戸時代終わり頃、箱館が開港された時、このあたりは,たくさんの「ネコヤナギ」が生えていたようで、このため、別名「柳野(やなぎの)」と呼ばれていた。国の特別史跡に指定され、「五稜郭と箱館戦争の遺構」として北海道遺産に選定されている。
e0039703_20382982.jpg

日米和親条約締結による箱館開港に伴い、防衛力の強化と役所の移転問題を解決するために徳川家定の命により築造された。設計を担当したのは蘭学者の武田斐三郎氏。わが国最初の洋式城郭。五稜郭という名前がついたように稜堡(りょうほ)と呼ばれる5つの角があり、星形の五角形となっています。幕府が北方防備のために弁天砲台(函館どっく付近)とともに安政4年(1857)から7年がかりで築造しました。ヨーロッパの城を参考に鉄砲など、近代兵器に対処できるようプランが練られ、各稜に砲をおけば死角も少なく砲火をあびせられるというわけです。              ↓五稜郭タワー展望台より↓
e0039703_2039631.jpg

五稜郭のような珍しい形は,約500年前の16世紀頃のヨーロッパで考えられ,その後,ヨーロッパの各地に造られた「城塞都市(じょうさいとし)」をヒントにしたものです。五稜郭の大きさは 堀の内側は約125,500㎡(東京ドームの約3倍の広さ)水堀は約56,400㎡、堀の外側で史跡指定の所は約69,000㎡、水堀の幅は最大約30m、深さは4~5m、外周りは約1.8㎞ の長さがあるそうです
e0039703_20393394.jpg

【完成間近〓箱館奉行所】
平成18年7月13日から、函館市は当時の図面・古写真・文献資料に基づいて箱館奉行所の復元工事(日本の伝統的な工法)によりを着手し、今月の7月29日開館の予定だそうで、キューピッチで作業中でした。写真でご覧のようにほぼ完成のようです。
e0039703_20395419.jpg

今日は25日後2日。箱館奉行所は2010年7月29日(木)オープン! の予定です。1ヶ月遅ければ見学できたのですが・・・。残念!。開館前なので見ることは出来ませんでしたが、外観は既に完成、展望台から見えました。
e0039703_20404986.jpg

【五稜郭タワー】
地上約90メートルの展望台から、史跡五稜郭や函館市内、その近郊を俯瞰眺望することが出来ます。
e0039703_20412444.jpg

2006年4月にオープンした新タワーは、展望台が五角形、塔体の断面も星型となっており、「五稜郭」と「星型」にこだわった形となっています。
e0039703_20414970.jpg

【五稜郭タワー展望台から】
e0039703_20485495.jpg

【函館港・函館空港】
e0039703_20493079.jpg

(参)
今から120年前の慶応4年ここで戦いがありました。徳川260年の幕藩体制を壊滅させた維新の戦いは戊辰戦争をもって終結したわけではなかったのです。事実は、この蝦夷地に諸外国も認めた一つの政権が誕生し、それを制圧して維新の大業が完成を見るには、翌明治2年の夏まで待たなければならなかったのである。鳥羽伏見の戦いで始まる戊辰の戦いで敗れた一握りの幕臣たちは見果てぬ夢を追ったのです。「蝦夷には広大な新天地がある」武士としての意地、新政府に対する批判、男達は様々な思いを一隻の船に夢を託したのです。北斗の星にも似た彼らの夢の城がこの五稜郭なのです。
e0039703_20422589.jpg

by hime-teru | 2010-07-25 20:44 | 旅の情景(北海道編) | Trackback | Comments(0)

【 函館逍遥 】ー(4) 函館山からの夕景

                ★…  【 函館逍遥 】ー(4) 函館山からの夕景 …★
沈む夕日の一瞬のドラマを息を呑んで待っていたのですが・・・・。山の焼けるような稜線は雲に遮られ・・・。赤く染まる海面も今少し・・・。でも、素晴らしい夕景を堪能してきました。30分ほどのドラマをご覧下さい。
e0039703_0444612.jpg

e0039703_045291.jpg

カメラを大千軒岳山方向に振れば・・・。
e0039703_0452981.jpg

e0039703_048382.jpg

e0039703_0485972.jpg

e0039703_0491991.jpg

市街地を囲むように湾曲に広がる地形を頂上から約-15度の角度で見下ろすことが出来るベストのアングル。函館漁港にはイカつけ船が数多く集結しています。
e0039703_0495635.jpg

e0039703_0501253.jpg

e0039703_0503251.jpg

e0039703_0505088.jpg

e0039703_051543.jpg

e0039703_0512227.jpg

by hime-teru | 2010-07-23 00:52 | 旅の情景(北海道編) | Trackback | Comments(0)

【 函館逍遥 】ー(3) 函館山へ

                       ★…  【 函館逍遥 】ー(3) 函館山へ …★
【函館山】
標高334mの函館山は、山の形から臥牛山として市民にしたしまれています。江戸時代には蝦夷地の霊山として、その後明治から敗戦まで津軽要塞として民間人が写生、写真撮影が出来ない要塞地域でした。戦後は、砲台があった地にロープウエイや『展望室』『TV中継施設』ががつくられ、市内を一望出来、展望台からの夜景は世界一との評価も受けている。
【函館山ロープウェイ】
125名を一気に運ぶビッグなロープウェイ、所用時間ー3分で山頂に着きました。
e0039703_23324514.jpg

ロープウエイ駅近辺は「函館放送局」があった所です。
e0039703_23332130.jpg

山頂には・・・。
NHK 函館放送局函館山テレビ・FM放送所(送信所はHBCと共同使用)HBC・TVH 函館山送信所(HBC(アナログ)TVh(アナログ・デジタル)、2007年8月30日13:00から試験放送開始、10月1日より本放送開始されたようです。
e0039703_2333416.jpg

【函館山からの夜景】
市街地を囲むように湾曲に広がる地形を頂上から約-15度の角度で見下ろすことが出来るベストのアングル。眼下はウォーターフロントの港の光です。
e0039703_23341246.jpg

函館山は、季節を問わず多くの観光客でにぎわう函館一の観光スポットです。標高334mの山頂から観る夜景は、日本三大夜景、そしてナポリ、香港と並び、世界三大夜景にも挙げられています。
e0039703_23345484.jpg

山頂展望台から見下ろす角度や、市街地や麓の街々との距離など、絶妙の地理条件で展開される極上の夜景は、「宝石箱を開いた瞬間の感動」「星が舞い下りて来た街」と形容されています。
【昼間に歩いた倉庫街も夜の装い】
e0039703_23363139.jpg

【幻想的な風景に変身】
e0039703_23365328.jpg

【宝石箱の中身は?】
e0039703_23371332.jpg

【市電電車・市バス】もネオンにとけ込む。
e0039703_23382670.jpg

by hime-teru | 2010-07-21 23:48 | 旅の情景(北海道編) | Trackback | Comments(0)

【 函館逍遥 】ー(2)函館は坂の街・山手

【お詫びとお願い】4日ほど留守をいたし函館アップが中断致しました。お詫び致します。それから、最近、休日前に決まって迷惑コメントが入って困っていました。これからは頂きましたコメントは「承認」をしてから表示をさせて頂ききたく思います。どうぞ、宜しくご理解を賜りますようお願い申し上げます
            〇~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~〇
                       ★…  【 函館逍遥 】ー(2) 函館は坂の街・山手 …★
函館市は、室町時代の享徳3年(1454 年)、津軽の豪族 河野政通が宇須岸(ウスケシ:アイヌ語で湾の端の意)と呼ばれていた漁村に館を築き、この館が箱に似ているところから「箱館」と呼ばれることになり、その後、明治2年(1869 年),蝦夷が北海道となり、箱館も函館と改められた。
【八幡坂】
函館山に向かって18本の坂道がありますが全国的に有名な坂は、この八幡坂です。坂の上に八幡宮があったことから、この名前がついたそうです。テレビのコマーシャルや映画のロケにも使われております。
e0039703_1647777.jpg

e0039703_1657402.jpg

一角に大きな甍(瓦屋根の)お寺さん【東本願寺函館別院】大正4年に再建された日本で初めてのコンクリート寺院。
e0039703_17232555.jpg

【カトリック元町教会】
1859年にフランス宣教師メルメドゥカションが仮聖堂で建立したのが始まりで横浜山手、長崎大浦と共に古い教会である。3回程の大火にあい類焼し大正13年に現在の聖堂が完成した。六角屋根の上に載った大きな風見鶏が目印の、函館のシンボルとも言えるカトリック教会。
e0039703_179766.jpg

【函館ハリストス正教会】 ロシア正教の教会です!
e0039703_17123666.jpg

安政5年にロシアの司祭ニコライによりギリシャ正教が日本で始めて函館に伝導されました。函館市民にはガンガン寺として親しまれています。
e0039703_171227.jpg

【函館聖ヨハネ教会】
e0039703_1713272.jpg

函館港も彼方に・・・
e0039703_1727712.jpg

基坂の上に【旧函館区公会堂】
明治43年に市民の集会所等として造られた明治の代表的な建造物で国の重要文化財に指定されております。
e0039703_17302252.jpg

『ペリー』ゆかりの地でもあるのです。
e0039703_17324711.jpg

【ペリー提督来航記念碑】
e0039703_17351453.jpg

嘉永7年、日米和親条約で函館は下田と共に開港が決定しペリー艦隊が下見のために函館に来航し24日間滞留しました。*後ろに見える黒船ツツジの花は散り・・・公園のベンチに視線が走る?
e0039703_17354059.jpg

by hime-teru | 2010-07-20 17:24 | 旅の情景(北海道編) | Trackback | Comments(0)

【函館逍遥】ー(1)

                               ★…  【 函館逍遥 】 ー(1) …★
                                    2010.7月
梅雨の合間をみて北海道へ行ってきました。函館はいつも通過をしてしまう街なので、今回は腰を据えてゆっくり見学をしてきました。横浜に似た文明開化の色濃い街はとても静かで情緒溢れる港町で御座いました。
【函館】
平成17年(2005)10月、1市3町1村が合併し、新しい「函館市」が生まれました。新天地北海道の玄関として、明治~昭和初期にかけ函館には多くの内外の文化が開花しました。古いものと新しいものとが程よく調和しています。         ◆右ー津軽海峡 ◆左ー函館港 摩周丸桟橋に横付け ◆五稜郭公園のタワーも遠方に見えています。
e0039703_23555386.jpg

■はこだて明治館(旧函館郵便局)
明治44年(1911)の完成で、明治洋風レンガ造りの建物。当時、この辺りは立地条件が悪く難工事の末に建てられたそうです。外壁用レンガを東京から取り寄せたり、改良石綿を屋根に使う工夫も見られ、明治の函館の文化を垣間見ることができます。
e0039703_23583890.jpg

正面は吹き抜けで郵便課、右側は電話課、左側は電信課があったといいます。
e0039703_23592615.jpg

昭和30年代まで現役の郵便局として使われていました。
e0039703_0225927.jpg

昭和58年からはこだて明治館となり、ガラス工房や世界のオルゴール回廊があり、アンティークオルゴールのコンサートも楽しめます。ツタに絡まれ煉瓦作りもより新鮮に街にとけ込んでいます。
e0039703_011988.jpg

■街を歩いてレトロな喫茶店を見つける
e0039703_045760.jpg

■そして・・・マンホールの蓋に消火栓。
e0039703_055490.jpg

【赤レンガ倉庫】
昭和63年、倉庫の一部が函館ヒストリープラザ(現在の金森赤レンガ倉庫)になりましたる明治時代のハイカラな雰囲気を残して生まれ変わりました。
e0039703_08528.jpg

この辺りは亨和年間から埋めたてられ、造船所や外人居留地のあったところです。
e0039703_01027.jpg

明治12年(1879)頃から倉庫地帯として発展し、現在の金森倉庫は明治42年(1909)に建てられ、商港函館のシンボルだった金森の屋号をつけた赤レンガの倉庫群が美しく港に映えています。
e0039703_010268.jpg

◆郵便局です
e0039703_0115121.jpg

◆【歴史の建物】
「高田屋嘉兵衛」は淡路の出身で寛政8年江戸幕府の依頼を受け函館に来航し択捉航路を開き北洋漁業の基を築いた豪商です。
e0039703_0144718.jpg

by hime-teru | 2010-07-14 23:56 | 旅の情景(北海道編) | Trackback | Comments(0)

北海道大学のポプラ並木

               ★… 【 北海道大学のポプラ並木 】 …★
e0039703_2245124.jpg

昨年(2004年)の5月に撮影。今では貴重な写真になりました。
北大の象徴として親しまれてきたポプラ並木、この年の9月に北海道を通り抜けた台風で根こそぎ倒れてしまいました。再びこの風景にはお目にかかれないかと思うと一抹の寂しさを覚えます。※なお、今年の6月1日倒木ポプラ材に貼り付けられたステンレス製ポプラ並木再生記念プレートの除幕が行われたそうです。ポプラ並木の画像、倒壊時の状況が描かれているそうです。ポプラの若木の植樹が完了したが台風以前の姿に戻るのは、若木が成長した数十年後になりましょう。詳細は北大のHPを検索されたし。元気でいられたら再び尋ねてみたいと思っています。
by hime-teru | 2005-08-17 22:47 | 旅の情景(北海道編) | Trackback | Comments(0)