カテゴリ:七福神めぐり( 21 )

「下谷七福神めぐり」

                    ★… 【下谷七福神めぐり】 …★
                      2016.01.04(月)大安
新年を迎えて毎年巡る七福神めぐり、今年は最寄り駅から直通の東武線・日比谷線の三ノ輪駅から下谷七福神めぐりを致しました。日本全国津々浦々、数多くの七福神めぐりがある。江戸時代に広まった正月の風習に思いを馳せながら、健康と幸を祈り歩けることに感謝です。
所要時間は2時間強。距離的には4キロですが、下町の昭和の建物が残る情緒あふれる町の散策をしながら新しい発見がたくさんありました。(こんな所に・・・歴史あり)江戸時代を彷彿させてくれる町でした。
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漫画家・赤塚不二夫による「天才バカボン」のキャラをモチーフにした七福神がマップになっていました。
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【布袋尊(ほていそん)】寿永寺
◎布袋尊は千客万来・家庭円満の神。布袋尊は中国に実在した清廉度量の神さまです。
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寿永寺は1630年の開山。寿永法尼という尼さんが、徳川2代秀忠公の菩提を弔う為にこの地で庵を営んだのが始まりです。
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7世和上敬首が弥勒菩薩の化身と言われる布袋尊を崇敬して庶民の幸福を願いました。
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二宮尊徳像・・もありました。
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【きく恵比須(えびす)】飛不動正宝院(とびふどうしょうほういん)
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【恵比須】
◎元は漁の神様です。豊漁は航海安全によってもたらされ、安全航海は商売繁盛に繋がり笑顔(エビス顔)喜結良縁・敬愛富財の神様です。ガラスの中にいらしたので、光が反射して撮影は難しかったです。
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10月10日、願い事がキクように「菊」を供えてお参りします。と言うことで、きく恵比寿様。
「飛不動正宝院」
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境内には沢山の石像が鎮座していました。
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【弁財天(べんざいてん)】弁天院
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◎芸道富有結縁の神様です。
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弁天院の開基は備中松山城主伊勢守勝隆、上野不忍池に弁財天を建立と同時期、下屋敷であった水の谷の邸内の池にも弁財天をまつり「朝日弁財天」とした。
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聖観世音菩薩像(平成元年)境内に建立
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【毘沙門天(びしゃもんてん)】法昌寺
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◎毘沙門天は勇気授福の神、必勝開運の軍神です。
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日蓮聖人が現世安穏を祈願して開眼された毘沙門天。
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お寺の前に昔からあるのでしょう?地域の人々を見守り続ける「お地蔵さん」
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【大黒天(だいこくてん)】英信寺

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正月らしく懐かしい板絵の羽子板とコマなどが置いてありました。
懐かしい「羽子板とコマ」お正月は参拝者が足を止めて羽根付きやコマで遊んだことでしょうね。
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◎大黒天は出世、開運、商売繁盛の手助けをして下さる神様。こちらの大黒天は「三面大黒天」という珍しい大黒さまでした。
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古くから坂本大黒堂の英信寺と言われ、弘法大師御作と伝えらる三面大黒天です。
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有福(心の豊かさ)を育ててくださる御尊体で右に弁財天、左に毘沙門天の3面大黒様です。
合掌をして、”オンマカキャラヤーソワカ"

本堂は鰐口に鈴ではなく大きな数珠!、珍しい数珠玉を引くと一つずつカチカチと心地よい良い音がします。108つあるのでしょうか?御利益がありそうで気持ちが厳かになりました。
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参拝者を思い、とても素敵なお寺さんでした。
【福禄寿(ふくろじゅ)】入谷鬼子母神
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◎福禄寿は人望、有福徳蓄財、立身出世の神様です。
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福禄寿は中国の道士(仙人)姿は短身、長頭、多髪で杖に巻物を結び鶴を伴い三徳具備(智・仁・勇)の相、子育ての鬼子母神を勧請しております。可愛らしい福禄寿さまでした。
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【鬼子母神】
人の子をさらっては食べていた鬼子母神は、お釈迦様の教えで改心し母と子を守る神様に。
ゆえに鬼子母神の鬼の字にはツノがないのだそうです。狂歌師・大田南畝の「恐れ入りやの鬼子母神」という洒落のお寺でしたが、こじんまりとした佇まいでした。
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角がありません
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当地は江戸末期より朝顔作りが盛んで、 “朝顔市” で有名です。7/6?~8日境内は広くはないが、どれだけの朝顔が並ぶのでしょうか?この夏訪ねてみようと思います。
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境内には俳人・正岡子規の碑がありました。子規は故郷の松山から母と妹を呼び寄せて移り住んだ町です。結核を患っていた子規は、痰を切る効能があるとされるへちまを庭に植えており、〈痰一斗 糸瓜の水も 間に合はず〉子規は文学の近代化のために力を 尽くし、35歳の生涯を閉じました。
『正岡子規の句碑』
◆「入谷から 出る朝顔の車かな」
◆「蕣(あさがお)や君いかめしき文学士」
・この文学士とは夏目漱石のこと。東大予備門(今の東京大学教養学部)で同級生だった漱石は、子規が中退した後も交友を続けた。
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根岸は明治期から昭和初期の間、下町界隈は正岡子規をはじめ芥川龍之介、我母校の校歌の作詞者の室生犀星、野上弥生子、平塚らいちょう、野口雨情、サトウハチロー、竹久夢二、瀧井孝作、菊池寛、窪田万太郎、堀辰雄、萩原朔太郎、土屋文明、岩田専太郎、佐多稲子、川口松太郎等々、数え切れないほどの著名な文学人が多数住んでおり、根岸党という下谷根岸に集まった文学人のサロンもあったとのこと。
今は懐かしい路地が有り、昭和をしのぶ家も残り下町情緒あふれる暖かい町でした。 
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【寿老人(じゅろうじん)】元三島神社
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◎寿老人は延命長寿の神様。中国道教の神、また、老子の化身の神とも言われています。杖を手に結んだ軸物は人命の長寿の記した巻物と言われ伴っている鹿は長寿を司る神使とされています。
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神社には『茅輪』がしつらえてあり、これを3度くぐって身を清めお参りします。
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【茅輪神事の由来】
■茅輪神事は、「ちのわしんじ」と読んで、他に「輪越祭」「茅の輪くぐり」とも言われています。
茅(ち=かや)とは、茅萱(ちがや)菅(すげ)薄(すすき)などの総称で、この輪をくぐり越えて罪やけがれを取り除き、心身が清らかになるようにお祈りするものです。茅の輪も、最初は人々が腰につけるほどの小さなものでしたが、時代がたつにつれて大きくなり、これをくぐって罪やけがれを取り除くようになりました。
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傍にはお焚あげの煙り、お焚あげの火や煙には、歳神様の力によって、 1年間の様々な災厄を祓い清める力があるとの言われています。
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昔は「どんど焼き」という小正月(1月15日)の行事で、(私の幼少のころもありました)
正月の松飾り・注連縄(しめなわ)・書き初めなどを家々から持ち寄り、 一箇所に積み上げて燃やすという日本全国に伝わるお正月の火祭り行事でした。書き初めが高く燃え上がれば書が上手く書けるようにあるとか?
残り火で、お餅を焼いて食べると風邪を引かないとか?ほっこりと懐かしい思い出ですが、今は、郷里でも、伝統を守っているところは少なくなりました。半世紀昔の良き時代の思い出です。


【鶯谷の由来】
江戸時代に寛永寺の住職として、代々京都から皇族が駐在していた。その一人である公弁が、元禄年間に「江戸の鶯はなまっている」といって当時の文化人・尾形乾山に京都から鶯を運ばせて、この地域に鶯を放し、鶯の名所になったことに由来するのだそうです。鶯谷という地名はないようですが。
by hime-teru | 2016-01-08 19:23 | 七福神めぐり | Trackback | Comments(0)

【 東海七福神 】-(1)

             ★… 【 東海七福神 】-(1)…★
              2015/01/05 旧東海道(品川)
今年は旧東海道の街道を当時に思いを馳せながら、歴史を探しながら歩いてきました
最初の参拝社で色紙とパンフレットを頂き、いざ、出発です。
七福神は、福徳をもたらす神として信仰されている7人の神。民間信仰。インド、中国、日本に伝わる信仰対象を組合せて竹林の七賢などにならって室町時代に「七」に整えられ福の神としたもの。
>【恵比須(日本)】【布袋,福禄寿,寿老人(中国)】【大黒、毘沙門、弁財天(インド)】の7神
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品川は平安朝の時代より地名があり、鎌倉、室町時代には江戸湾の重要な港として栄えました。
太田道灌も品川にいた時代がありました。徳川氏が江戸に入り慶長六年(1601年)に東海道五十三次を定め、品川は第一の宿場町となりました。
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七福神の行程は距離にして5キロ程、京急の3駅を約4時間(1時間20分程の行程だが)かけて、ゆっくりと巡ってきました。旧東海道は今風の道路に様変わりしていますが、道幅は狭く車は一方通行で歩道がゆったり取ってあり歩きやすかったです。沿道には由緒ある社寺が建ち往時を偲ばせます。古くから七福神が祀られていたようで、「七難即滅七福即生」の故事により参詣も多かったようです。昭和七年に品川が大東京に編入された記念として東海七福神初詣を定め今に至っているようです。

① 品川神社
◆大黒天・だいこくてん【古代インドの暗黒の神】田の神としても尊崇(頭に頭巾、手に打出小槌)
京急の新馬場北口から徒歩1分、目の前にお社が見えています。
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文治三年(1187年)、源頼朝公が安房国の洲崎明神(天比理乃〓命)を当地にお祀りしたのが創始。後に鎌倉時代末に二階堂道蘊公が宇賀之売命を、室町時代中頃に太田道灌公が素盞鳴尊をお祀りされた。徳川家康公が関ヶ原合戦出陣の際に、このお社に戦勝をご祈願されて、以降、徳川歴代将軍により庇護を受けて来たとの説明書きです。

【見事な昇龍・降龍の鳥居】
初めて見ました。神社にも色々な鳥居があります。『双龍鳥居』だそうです。が左が登り龍.右が降り龍です。
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【拝殿】
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【本殿】
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今日は新年の仕事始め、背広姿の若いビジネスマンたちが長蛇の列を作りご祈祷をして貰っていました。品川神社の企業氏子はソニー、明光商会、第一三共の大企業。もしかして、これらの会社のビジネスマンさん達でしょうか?
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ご祈祷
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延々と参拝者は続きます。
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【境内】
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大黒様は参拝者がたくさんいらして撮影できませんでした。写真は鳥居の横におわします石像の大黒様です。
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神社は小高い高台にあります。登ると「富士塚」
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神社の裏には「板垣死すとも自由は死せず」板垣 退助の墓所があるようですが、残念ながらお参りできませんでした。60歳の頃の板垣退助の「百円札」を私は使いました。今でも持っています。


② 養願寺
◆布袋尊(ほていそん)【弥勒の化身】布袋腹といわれる肥えた腹を露出、杖と大きな布の袋を持つ。
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◆『商店街と路地』を5分ほど歩きます。
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正安元年の創建と伝えられ天台宗明鏡山善光院養願寺と号し、御本尊は虚空蔵菩薩を安置する。
福徳智恵の御利益を授かる丑寅年生まれの守本尊として信仰を集め、「品川の虚空蔵さま」と呼ばれている。本堂に鎌倉時代制作善光寺式阿弥陀如来三尊、江戸時代制作の不動三尊像、布袋尊が安置されている。
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③ 一心寺
◆寿老人(じゅろうじん) 【中国の福徳神】
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当山一心寺は江戸時代末期安政二年に当時の世上開国日本幕開けの頃、品川の土地に町民一体となり
町内発展と守護の為創建、旧東海道筋において当山は裏鬼門の方角に向いて守護する寺であります。
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本尊は不動明王であり、代々住職は大本山成田山、高野山、智積院にて弟子が住職を勤めています。
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④荏原神社
◆恵比須(えびす) 【商売繁盛の神】
大鳥居のかたわらに石像の恵比寿様。ふくよかな笑みをうかべ、大変人気があるようです。
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飛鳥から奈良へ、和銅二年(709年)の創建。龍神を祀る元品川宿の総鎮守。品川貴布禰大明神、天王社と称す。天正十九年家康公より神領を寄進され歴代将軍より庇護を受ける。
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舞殿
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源氏、上杉氏、徳川氏など多くの武家の信仰を受け品川の総鎮守として現在に至ります。
東京遷都の際には明治天皇の内待所となり菊花御紋章を賜る。尚、陛下の御幸は四度に上る。
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天王祭神面神輿海中渡御は全国に知られる。品川沖の海面から牛頭天王の面が発見されたことに因むものである。「天王洲」の地名はこのことによるものである。天王洲は、昭和初期までは海でした。現在は埋め立てにより陸地になっている。
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荏原天王祭~かっぱ祭りとして、全国に知られています。荏原神社の前から神輿を船に乗せ、目黒川からお台場まで運んで御輿を運んで担がれ大祭が行われるようです。一度見てみたいと思っています。
彫刻が見事な神社でした。
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【屋根から顔を出す龍】
雨を司る龍神を祭っているので、その龍が屋根から顔を出しているのだそうです。驚きましたが、彫刻の素晴らしいお社でした。
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by hime-teru | 2015-01-07 14:10 | 七福神めぐり | Trackback | Comments(0)

【東海七福神】-2

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                           2015/01/05 旧東海道(品川)
⑤品川寺(ほんせんじ)
◆毘沙門天(びしゃもんてん)【仏法を守護する天部の神】四天王の一人。右手に矛、左手に仏塔を持ち武装した忿怒形。
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承応元年(1952)、権大僧都弘尊法印の中興で、真言宗海照山普門院品川寺と号し、本尊水月観世音菩薩は太田道灌公の念持仏と伝えられている。
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【本堂】
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門をくぐると・・・
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庭には石像の七福神
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品川区史跡の見事な『大銀杏』
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寺宝の大梵鐘から「鐘の寺」と呼ばれている。
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安置されている毘沙門天は御丈三尺余、足利期のものと思推せられ高野山伝来の由緒深き御尊像として信仰を集める。

⑥天祖諏訪神社(てんそすわじんじゃ)
◆福禄寿(ふくろくじゅ) 【北宋の道士で南極星の化身】長頭短身鬚髯の老人、杖に経巻を結びツルを伴う。
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浜川町と元芝の鎮守の御社・氏神様として仰ぎ親しまれる天祖神社・諏訪神社は古く神明宮・諏訪社と証紙、かっては両社とも東京湾に面し立会川をはさんで並び祀られていました。
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天祖神社創建は建久年間の記録から西暦1100~1190年頃と思われ、諏訪神社は松平土佐守下屋敷近くにあり、寛永八年(1631)以前の創建と思われる。
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⑦磐井神社(いわいじんじゃ)
◆弁財天(べんざいてん)【貧困を救い財物を与える天女】琵琶を持ち音楽・弁才・財福・知恵の徳がある。
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当社の期限は敏達天皇の二年八月といわれ、千四百年余の歴史を誇っている。「日本三代実録」で官社に列せられたとの記あり、その後の「延喜式神名帳」にも当社の名が記されている。
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幾度かの戦火をくぐってきたがその古の姿は「江戸名所図絵」等に「鈴森八幡宮」の名で記録され多くの参拝客で賑わったと伝えられる。
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たくさんの「おみくじ」佳き年でありますように。
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【旧東海道の面影を辿りながら・・?】
江戸時代の五街道の一つ。江戸と京都を結ぶ最も重要な街道で幕府の直轄だった。
江戸日本橋~京都三条大橋間に以下53の宿駅が整えられ俗に東海道五十三次。
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現在の国道1号線にほぼ相当。品川宿もかつての古さや趣を感じる場所がほとんど残っていませんが、旧街道の街道右側の奥まった場所に大小のお寺が密集しています。それでも、心に残る歴史を感じます。
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【鈴ヶ森史跡】
品川区の第一京浜国道沿いにあった江戸時代の刑場の一つ。
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慶安4(1651)年日本橋近くの本町にあった刑場を北郊の『千住小塚原』と『南郊の鈴ヶ森』に分けて設置。。刑場跡を示す遺跡がありました。維新後廃止

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磐井神社の鈴石にちなんで一帯を鈴ヶ森とよぶようになった。東京湾岸の寂しい地で、刑場は1651年(慶安4)開設された。
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間口約70メートル、奥行約16メートルの敷地で、天一坊、八百屋お七、丸橋忠弥ら多くの人が処刑された。
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参考までに小塚原
鈴ヶ森に対して骨ヶ原といい江戸時代の刑場がありました。日本橋本町、浅草を経てここにいたる。獄門、磔(はりつけ)、火あぶりなどの極刑が行われさらし場があったところは、現在の東京都荒川区南千住にあります。
安政の大獄による吉田松陰らの志士処刑もここで行われた。
また明和8(1771)年,前野良沢らによる腑分け(解剖)が行われた場所としても有名である。

史跡を過ぎると・・・人気の水族館
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by hime-teru | 2015-01-07 10:00 | 七福神めぐり | Trackback | Comments(0)

「港七福神」 ①

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                               2013年1月5日
長寿と福徳をもたらすといわれている七福神巡り、今年は「港七福神」を歩いてみました。
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「港七福神」は七福神を祀る神社、寺院に宝船の巡拝所を加え、6社・2寺で構成されていました。
港七福神めぐりの沿革は、戦前の昭和8年発足、「麻布稲荷七福神詣」が始まりです。旧麻布区内の稲荷神社(境内社を含む)で構成されており、氏神(産土)様へのお参りの励行と、お稲荷様の現世利益の信仰、加えて市電とのタイアップによる地域振興を意図して発足したようです。その後、港区の観光協会の提案により、弁才天、大黒天をお祀りする寺院二ヶ寺を加えて、新しく「港七福神めぐり」がスタートしたようです。

①【弁財天 宝珠院】
東京タワーの真下芝公園の一角にある弁財天からスタートいたしました。
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弁財天はインドの神様で紅一点の女性の神様です。
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日本に伝来してから弁舌や音楽を司る芸能の神として信仰され琵琶を奏でている御姿。
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『今年は巳年』
弁財天の化身「宇賀神」は巳蛇の姿をしている関係でしょうか?境内には「へびの像」今年は巳年でお飾りも念入りに鎮座しています。☆(宇賀神は日本固有の神で老人の頭を持ち身体は白蛇の姿をしていて農業・食物・財福の神とされる)
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『弁天池』
宝珠院の隣に弁天池、湧き水なのでしょう!コンコンと流れ芝公園の冬枯れの木立を写しています。都心であることを忘れさせるような弁天池の風景です。閻魔堂のえんま様の撮影は致しませんでした。
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②【恵比寿】 熊野神社
恵比寿(えびす)神は、七福神では唯一の日本の神様で、鯛を抱え、釣竿をもっていることで表わされるように、本来は漁師の神で豊漁をもたらす神として信仰されてきました。
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商業が盛んになってから市場の神となり、さらには商売繁昌の神としても信仰を集めるようになりました。
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社務所がビルになり鳥居の幅ほどの小さな神社です。
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東京タワーを回り込むように弁財天様、恵比寿様をお参りして麻布十番方面に進みます。
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タワーの裏手に高級料理店(4.50年ほど前のこの場所はボーリング場ではなかったかと!)昔の面影がありません。ボーリングを楽しんだ事も遠い昔話。
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東日本大震災に見舞われて早2年、首都高速は耐震工事急ピッチで進めています。50年の歪みや疲れが錆びた橋桁から読み取れます。ばらまき経済は止めて災害に強い安全な日本になりますよう、心より七福神様にお願いしながら・・・。歩きます。
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◆【宝船 十番稲荷神社】
末広神社と竹長稲荷神社の両社は合併して社名を十番稲荷神社と改称。衣食住、商売繁盛の神、難局打開、武運長久の神、学芸芸能、美の神が祀られています。ご祭神の1柱に、日本武尊をおまつりしている為、大正13年(関東大震災の翌年)11月2日の一の酉より、酉の市祭を斎行して現在に至っております。港区内、唯一の酉の市で賑わうようです。
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『麻布十番街』
東京タワー、六本木ヒルズを間近に仰ぎ見る麻布十番街は、江戸の昔からの伝統を受け継ぐ老舗と若い人を惹きつける佇まいで魅力ある街として知られています。宝船 十番稲荷神社は港七福神「宝船のおやしろ」として親しまれております。宝船は正面鳥居の左側におまつりされています。
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印影は安藤広重筆の宝船の画像をそのまま踏襲されているとのことです。
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◆『カエル像』
鳥居の右下にカエルが鎮座。江戸時代、麻布古川あたりより始まった大火、備中成羽の領主、山崎主税助の屋敷のみが類焼を免れ、これは邸内の池の大かえるが水を吹きかけて猛火を退けたからであると言われ、山崎家に御札を求める人々があとを断ちませんでした。山崎家はその後「上」という一字が書かれた御札を万人に授けるようになり、この御札は「上の字様」と称され、防火・火傷のお守りとして信仰を集めるようになったとのこと。
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近年では、防火・火傷のお守りとしてだけではなく、「かえる」の語音から旅行や入院の際に無事かえる、元気でかえる、あるいは、遺失物がかえる、若がえる等のお守りとして信仰されています。

麻布十番商店街に入って遅い食事(蕎麦やさん)を致しました。お蕎麦もそばつゆも天ぷらもとても美味でした。
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有名なたい焼き屋さんの老舗!浪速屋さん、待ち時間30分と言われ諦めました。
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◆【赤い靴の女の子(きみちゃん像)】
麻布十番商店街に誰もが知っている童謡、野口雨情の「赤い靴」もととなった悲しい実話の女の子、名は「岩崎きみ」明治35年7月15日、日本平の麓、静岡県旧不二見村で生まれ、様々な事情で北海道に渡り母子は開拓農場に入植、開拓地の想像を絶する厳しさから、母かよはやむなく三歳のきみちゃんをアメリカ人宣教師チャールズ・ヒュウエット夫妻の養女に出します。
しかし、六歳で育ての親のヒュエット夫妻とも別れるのです。野口雨情の童謡「赤い靴」のモデルだった「きみちゃん」は、実は横浜の波止場から船に乗れなかったのです
きみちゃんは不治の病のため麻布十番にあった鳥居坂教会の孤児院に入所します。(孤児院は十番稲荷神社のあるところ)
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ただひとり看取る人もいないふるい木造の建物の二階の片隅で病魔と闘い続け、温かい母の胸にすがることも出来ずに明治44年9月9才の短い生涯を閉じたのです。幸薄いの母と子の愛の絆をこの「きみちゃん」の像に託し彫刻家佐々木至さんの手でこの「きみちゃん像」が立てられたそうです。
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ホントにホントにちいさな「きみちゃん像」赤い靴の女の子「きみちゃん」の足下に小銭18円が置かれてから「きみちゃん」チャリティーが始まったようです。優しい心と温かいご支援がきみちゃんのような不幸を繰り返さないように、母と子の愛の絆を願ってのチャリティー金はユニセフに送られているとのこと。私も今日の幸せを噛みしめ心ばかりの気持を箱に入れさせて頂きました。
by hime-teru | 2013-01-08 23:00 | 七福神めぐり | Trackback | Comments(0)

「港七福神」 ②

                        ★…【 七福神めぐり 】  「港七福神」  ② …★
                               2013年1月5日
六本木・麻布一帯は、坂の多い起伏に富んだ地域。高台の大名屋敷が町を見下ろし、傾斜地に小士邸、低地には町人たちの住まいがあったようで、今も残る大きな区画割りは、大名屋敷の広大な敷地の名残です。最新スポット六本木ヒルズは、毛利家の上屋敷跡で御座います。

③【大黒天 大法寺】
大黒天は元はインドの神様でしたが、のちに仏教の神様となりました。恵比寿さまとともに福徳の神とされ、厨房の神様として台所などに祭られます。
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④【毘沙門天 氷川神社】
インドの神様、別名、多聞天。須弥山の四方門を守護する四天王のひとりで、北方を守る神。後ろに見えるのが、元麻布ヒルズです(超高級マンション)氷川神社の周りは,大使館なども多く,通りを歩きながら,キョロキョロ。大使館前には警備員が立っており、写真はNO撮影出来ません。
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超高級マンション(元麻布ヒルズ)を背に・・・!
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本殿
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境内
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⑤【寿老神 櫻田神社】
中国の神様で、福禄寿と壽老神は共に南極星の化身といわれております。そのため、お名前もお姿も非常に良く似ております。 名が表すとおり健康、長寿の仙人様です。 源頼朝の名により創建されたという長い歴史のある神社で、乃木大将や沖田総司も参拝したと言われています。(日本経済新聞参照)六本木ヒルズを見上げる形で社務所がビルになり小さな神社で鎮座しています。
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※◆【六本木交差点】
六本木ヒルズ
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新宿方面。右手がミッドタウン
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交差点角の”アマンド”懐かしい
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⑥【福禄寿 天祖神社】
福禄寿は、長くて大きな頭、杖をついた老人の姿は古代中国の道教の神様で南極星の化身と言われています。幸福、財の禄 長寿の寿、三文字で、大願成就の神として信仰されています。境内にある満福稲荷で港七福神「福禄寿」を祀っています。
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この神社は東京ミッドタウン、外苑東通りから入り込んだマンションの隣にある。ご祭神は天照大神
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⑦【布袋尊 久国神社】
布袋尊は額が広くてお腹は大きく、いつも杖と大きな布袋を持ち歩き、物を貰えばそれをこの袋に入れて貯え、因る人があると、その中から取り出して施し、しかもなくなることがなかったといわれています。古くはもと千代田村紅葉(現皇居内)に鎮座されていたという。久国作の刀が寄進されたため久国稲荷神社と称するようになった。
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「港七福神」めぐりは、六本木ヒルズやミッドウエイ東京、世界の大使館がある都内でももっとも繁華な地点だが、久国神社も小高い丘を背にひっそりと鎮座する。周囲の喧騒を鎮める神様のように・・!、小さな境内は傍の公園と人々の憩いの場所になっているようです。
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猿田彦神社
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正面拝殿の額は勝海舟の筆によるものとされています。
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神社のすぐ裏はアメリカ大使館宿舎、ここは東京のど真ん中なのであります。
しかし・・・路地には、こんな家も残っています。
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◆【坂の多い街】本当に坂道の多い街です。
一本松坂の由来は、939年」源義基が平将門と戦った帰りに坂の中腹にあった松(3代目)に装束を掛けたという逸話から付いたものです。
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都内の七福神めぐりは年の初めの私の年中行事になりましたが、「港七福神」は距離もそれなりにあり、上り下りの坂道が続きます。
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撮影しながら5時間あまり
歩行歩数は1万6千歩歳のせいか少々疲れましたが、何とか完歩出来ました。ホッ!。

超高層ビル群の大都会と神社、不思議なロケーション、歴史の変遷を辿りながらのお参りは心安らぎ、言い尽くせない幸せを頂いた一日で御座いました。神様に感謝です。

七福神めぐりは、江戸時代に江戸市中で始まったとされています。明治維新の前後の一時期は、その人気が低迷してしまったが、戦後七福神のブームが起こるのは1970年代以降のことです。バブル経済で人々の暮らしにゆとり出来はじめた頃より盛んになり寺社信仰と観光や商業の発展を願って広がり今日に至ります。
by hime-teru | 2013-01-08 22:58 | 七福神めぐり | Trackback | Comments(2)

【山手七福神】

                                          ★… 【 山手七福神 】 …★
                                            2012.01.06 目黒界隈
七福神信仰は室町時代の中頃から起こり初めは恵比寿、大黒天が信仰され江戸時代の中期には庶民の信仰の一つとして今の形が定着しました。「江戸最初・山手七福神」は江戸城の裏鬼門守護のため将軍の鷹狩りの際の参詣した目黒不動尊(滝泉寺)の参詣道筋に設置された江戸最初の七福神巡りだったようです。
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当時の庶民は元日から七草までの間に近くの七福神巡り歩き、一年間の家内安全、無病息災、商売繁盛、等を祈願して歩かれた。

①滝泉寺 目黒不動尊 (恵比寿天)
右手に釣り竿を持ち、左手に鯛を抱えている、狩衣姿の恵比寿天は、古来の神様で、もともとは航海と漁業の守り神です。商売繁盛の神様です。
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賑わっていました【目黒不動】
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②蟠龍寺  岩屋辨天(弁財天)
ヒンズー教の代表的女神サラスバーティを由来としている弁財天は、水の神様。また、音楽・弁舌の能力も与えてくれる神様であり、知恵と財宝の神様です。
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③大円寺(大黒天)
米俵に乗っている大黒天は、インドの神様と大国主命の習合。大きな袋と打ち出の小槌で、多くの人々を救済する、出世財福の神様です。
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④⑤妙円寺 白金妙見(福禄寿、寿老人)
福禄寿
短身長頭で白い髯がある福禄寿は、中国の神様で、南極老人星の化身です。福は幸福、禄は高禄、寿は長寿をあらわし、三徳を兼ねた神様です。
寿老人
杖をつき長い頭の寿老人は、中国の神様で、七福神の第一におかれる長寿延命の神様です。
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⑥瑞聖寺 (布袋尊)
袋をたずさえて笑っている宝袋尊は、中国の禅僧で実在の人物。弥勒の化身の宝袋尊は、すべてを包容する和合成功の神様です。
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⑦覚林寺 清正公 (毘沙門天)インドの神様で別称多聞天といいます。右手には財福を生む宝棒(鉾)左手には除災招福の宝塔を持っています。
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【百度参り】
神仏に祈願するための呪法の1種。ある特定の社寺に百度参詣して祈願する。祈願の形式はその心情が痛切なほど複雑化する。一度の参拝では満足できずに百度、千度と参詣するようになる。
こうした形式を簡便にしたのがお百度石である。これは社寺の境内の拝殿から一定の距離にある石で、一度拝んでからこの石の所に戻ってふたたび拝みに行く。この行為を百回繰り返すのである。これを俗にお百度を踏むという。回数を間違えないように数取りがある。素朴なものでは小石や小枝を百ほど用意して拝む度に一つずつ置いてくる。また神前に竹べらが用意されていたり、お百度石の壁面にそろばんの形のものが備えてあったりする。
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願いを神仏に聞き届けてもらうために何日間もお参りするという行為が神前とお百度石の往復に集約されたわけである。しかし、人々の切実な願いが背景にあるために人の目に触れては願いが成就しないのである。時代劇でよく見ますよね。昔はどのお寺山さんにもあったのかも知れません。

【隅田川七福神めぐり】
【柴又七福神】
【日本橋七福神】
【深川七福神】
もご覧下さい。
by hime-teru | 2012-01-08 23:10 | 七福神めぐり | Trackback | Comments(0)

【東京スカイツリー】- Tokyo Sky Tree

                     ★… 【東京スカイツリー】 - Tokyo Sky Tree …★
                               2011.01.07 撮影
東京スカイツリー】は地上デジタル放送用の電波塔
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着工は08年7月。竣工は2011年12月開業は2012年の春の予定。東武鉄道並びに東武タワースカイツリーによって押上に建設中の電波塔(送信所)です。
ツリーに隣接する関連商業施設・オフィスビルの開発も同時に建設中です。
2010年12月27日、東武鉄道は、2012年春の東京スカイツリーの開業にあわせ、玄関口となる伊勢崎線業平橋駅の駅名を「とうきょうスカイツリー」に改称します。と発表しました。理由は東京スカイツリーの認知度向上の為のようですね。

浅草白髭周辺は『伊勢物語』を舞台に平安時代初期の歌人、在原業平ゆかりの地。

★【名にしおはばいざ言問はむ都鳥我がおもふ人はありやなしやと】
「東下り」に、都鳥を見て恋しい人を思いこのこの歌を詠んだものです。実際にこの業平の故事があったとされている場所は現在の白鬚橋付近にあった「橋場の渡し」のようですが、この歌にちなみ業平橋駅は「吾妻橋駅」「浅草駅」「業平橋駅」と3度も改称されてきました。そして4度目の駅名は「東京スカイツリー」平安の歌人に思いを馳せた名称も又一つ姿を消しますね。一抹の寂しさを覚えます。しかし・・・。これも時代の流れ、希望を背負い日本の新しいランドマークとなる東京スカイツリーの玄関駅としての発展を大いに期待したいものです。
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1月7日に【隅田川七福神めぐり】を致しました。下車駅は東武線の(鐘淵)から南へ、6つの神社を巡りながら、長命寺付近から身近に「スカイツリー」が現れました。長命寺、弘福寺・三囲神社から見えた“塔”をアップします。
【長命寺境内から】
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【弘福寺までの道すがら】
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【三囲神社から】
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ライオン像を前に
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1/8現在-539メートルだそうです。近づくに連れて首が痛くなるほどう~ん!やはり高~い!!。
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第一展望台は高さ350m・第二展望台は高さ450mだそうです。
朝から抜けるような青い空、快晴。視界も良好でした。634mを目指し工事は急ピッチいよいよ佳境に♪
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新旧入り交じるこの町はどのように変わって行くのでしょうか?七福神めぐりを歩いて白髭橋近辺は、近代的なマンモスのハーモニカ(長いから)団地?マンション?片や、国道に地所を取られたのでしょうか?間口2間奥行き1間、2階の小さな家が健在、それでも車庫があるのが何ともミスマッチな下町の風景、経済大国なんて!・・・。何を基準に?。
↓この写真の家ではありませんが、
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帰宅の乗車駅(業平橋)傍の工事現場近辺の橋の上は観光客がひっきりなし、寝ころんで撮影に高じていました。
by hime-teru | 2011-01-09 23:15 | 七福神めぐり | Trackback | Comments(7)

隅田川七福神めぐり-1

 ★… 【 隅田川七福神めぐり 】-(1) …★
                                          2011.01.07撮影
今年の七福神は【隅田川七福神めぐり】に致しました。木枯らしの吹く中太陽の日差しに押されて出かけて参りました。七草がゆで体を温めお昼近くに家を出て暖かい時間に廻ることが出来ましたが、帰宅して、この冬一番の寒さだったとニュースを聞いてびっくりです。完全武装で日中を歩いたからでしょうか?
寒さはそれほど感じませんでしたが、電車で最寄り駅に降りましたら、赤城颪の冷たい風が頬を刺しました。日差しの暖かい日中に出かけることが出来、幸いでした。”今年は病院と縁が切れて佳き年になりますように”
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1)【多聞寺】-(毘沙門天)
 天徳年間(957~960)に創建され、弘法大師作と伝えられる毘沙門天を本尊としています。本尊の毘沙門天は弘法大師の作と伝えられる。昔、村人達は本堂の前に住む狸の悪戯に悩んでいた。毘沙門天門下の禅尼師同時が狸を懲らしめ他という伝説に伝わります。
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入り口には「六地蔵様」がお迎えでした。
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寺内には、墨田区登録文化財にも指定されている六地蔵坐像や、毘沙門天によって成敗された2匹の妖怪狸を供養した狸塚などがあります。
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◆~◆~◆
span style="color:rgb(0,153,51);">2)【白鬚神社】-(寿老神)
天暦5年(951)に慈恵大師が関東に下った際、近江国比良山の白鬚大明神の御分霊を祀ったのがこの白鬚神社です。
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祭神の猿田彦命は道案内の神と言うことから、お客を案内する千客万来、商売繁盛の信仰が生まれました。隅田川七福神の中で、中々見つからなかった寿老人を白い髭の長寿の神様として白髭大明神に当てたことから「神」としたようです。
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敷地内には徳川幕末の騒乱期に老中阿部正弘から知識の鋭さをもって、目付に抜擢された岩瀬鴎所の墓碑や隅田川の風物を詠んだ墨多三絶之碑などがあります。
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◆~◆~◆
3)【向島百花園】-(福禄寿)
江戸時代文化の爛熟期である文化・文政年間に日本橋で骨董を商っていた佐原鞠塢が、親交親しい文人たちの協力を得て造った名園です。園名は「四季の花が多く咲き乱れる」に由来しており、その名のとおり、春夏秋冬いつ訪れても、名花を鑑賞することができます。
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江戸の町民文化を代表する文化人達の発案で、隅田川七福神が始まったようです。
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福禄寿像は、開祖、佐原鞠塢が百花園の草花にちなみ本草の神として愛蔵し進行していたもの。
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園内あちこちに籠に植えられた七草が飾られていました。
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七草がゆが売られておりました。寒い日でしたので訪れた参拝客のお腹を温めたことでしょう。因みに私どもは家にて自家製の七草がゆを食して来ましたから通過です。
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昭和53年、文化財保護法により名勝・史跡に指定された園内には、江戸時代の文人たちの碑もまた多く残されていますからでしょうか?春を前に梅・桜が蕾をほころばせ始めました。
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三が日は入園無料だったようですが・・・。今日はしっかり入園料も取られました。せめて、めでたいお正月七日間まで無料のほうが幸せを呼べるのでは?と思うのですが・・・。諸事情があるかとは思いますが・・・。そこは太っ腹で!!!。
百花園から長命寺にいたる道に道しるべ(隅田川が高速高架の向こうに)
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【柴又七福神】
【日本橋七福神】
【深川七福神】
もご覧下さい。
by hime-teru | 2011-01-09 19:34 | 七福神めぐり | Trackback | Comments(2)

【隅田川七福神めぐり】-2

                                     ★… 【 隅田川七福神めぐり 】-(2) …★
4)【長命寺】-(弁財天)
比叡山延暦寺の末寺。
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その昔は常泉寺という名でしたが徳川三代将軍徳川家光が、この地で鷹狩をしていた際に突然の腹痛に襲われ井戸水で薬を服用して快癒したことから、長命寺の菜を頂き寺号の長命寺となりました。
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弁財天は河(水)の神と言うことから、蛇がお使いとして選ばれ、巳の日に参拝する風習が生まれました。
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※このあたりから「スカイツリーが見え隠れしてきました。次のコーナーでアップします
◆~◆~◆
5)【弘福寺】-(布袋尊)
宇治の黄檗山万福寺の末寺。
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布袋尊は、七福神の中で、唯一実在した中国の禅僧で弥勒の化身と言われています。
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咳の爺婆尊像は風外和尚が修行中両親を偲び刻んだもので、風外の石像だから風邪にも強かろうと風よけの信仰を集めました。
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延宝二年の鉄牛和尚によって創建されたインゲン豆を日本に伝えた高僧隠元が、京都黄檗の地に黄檗山満福寺を開き、その末寺としてこの地に開寺されました。
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門の内と外〓立派な御門です
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◆~◆~◆
6)7)【三囲神社】-(★恵比寿・★大國神)
文和年間に創建された墨東の古刹で恵比寿・大國の二神が祀られています。
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その昔、弘法大師が創建したのがはじまりと伝えられています。
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三囲神社の名前は南北朝時代の頃、近江三井寺の僧がこの地を訪れた際、社地から壷を見つけ出しました。その壷を開けてみると中から白狐にまたがった御神体が現れたと同時に、さらにはどこからか白狐が現れ、その御神体の廻りを3度廻ったことに由来しています。
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恵比寿・大國は越後屋(現三越)に祀られていたもの。境内には狛犬と並んで三越池袋にあった「ライオン像」が参拝者を迎えます。
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ライオン像の向こうにスカイツリーが現れました。
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by hime-teru | 2011-01-07 22:07 | 七福神めぐり | Trackback | Comments(0)

柴又七福神 【一陽来復】  (1)

                    ★… 【 柴又七福神  】 一陽来復 (1) …★
                      撮影は H22,1.4 柴又
暗い世相も宝船に乗って福々しい姿にあやかり健康と平穏を願って・・・。今年は寅さんで有名な「柴又七福神」詣でをして参りました。
                     【七福神】   中村 元『佛教語大辞典』より。
インド・中国・日本の神仙を七人組み合わせて、人々に福・徳・寿を与える神として崇められる民族信仰の対象。室町末期に成立し多少内容の違いはあるが仏教の影響があったことが知られる。
大黒天は変形されて用いられ、恵比寿は中世西ノ宮信仰から福神となり、仏教の守護神であった毘沙門天は施福の神と解釈され、本来インドのヴェーダ時代の河川の女神で、後にことばの女神と同一視され、その後日本に移入された芸術の神弁才天は財宝・芸術の神弁財天と改められ、福禄寿と寿老人はもとは同じ南極星の神格であったが、寿命の長いのにあやかる意味をもつ。布袋和尚は実在人物であるが、その福徳円満な風貌のゆえに加えられたとも考えられる。
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題経寺 [帝釈天・毘沙門天] 威光 
毘沙門天…インドの神様で右手に宝棒(鉾)を持ち、左手に宝塔を捧げ、足下に悪行煩悩の天邪鬼をふみつけている。仏教の教えを守るとともに、招福・財福を授けてくれる神様である。、別称多聞天といいます。
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『題経寺』は総欅造りの帝釈堂は昭和4年に完成。この堂をめぐる外壁の木彫は法華経説話より取材し、当時の名人により彫られ、重要文化財的価値がある。昭和10年に完成した大客殿は、建坪150坪、総桧造りで、材料を厳選し造営したものである。客殿の床の間には日本一を誇る南天の床柱がある。ちなみに樹齢は1,500年と伝えられている。
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又、彫刻の寺といわれるほどで、山門、鐘楼、御神水、瑞龍松、浄行菩薩(童子像)など見て楽しいものが多くあります。
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3ケ日は過ぎたというのに、この賑わい。
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寅さん人気は永遠に続くでしょう。
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医王寺 [恵比寿天] 清廉
恵比寿天 …右手に釣竿を持ち、左手に鯛を抱えている狩衣姿の恵比寿天は、日本古来の神様で、もともとは航海と漁業の守り神で、商売繁盛の神様でもあります。
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ガード脇にある小さなお寺、奈良県桜井市の『長谷寺』にゆかりのお寺のようです。
経済成長の時流に乗って急激に市街化が進み山門の直前を北総公団線が横切り横は巨大なマンションに遮られ、かつての風情溢れる情景は無くなってしまったそうです。
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本堂には飛天、山門には仁王様がおられました。山門の四隅に四天王でしょうか?こじんまりとして、とても素晴らしいお寺さんでした。
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立て札の「恵比寿天の由来文は、中興祖源珍の蕎麦供養恵比寿天勧進伝が原文ですが、誤った印象を与える表現となっていますのでご注意下さい。」とお寺のHPに書いて御座いました。
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観蔵寺 [寿老人] 寿命
寿老人…杖をつき、長い頭の寿老人は、中国の神様で、七福神の第一におかれる長寿延命の神様です。そばにいる鹿は長寿の使い。
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小さなお寺さんですが、綺麗に掃き清めてありました。
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【日本橋七福神】
【深川七福神】
【恵比寿天】 から
【寿老人】 ご覧下さい。
by hime-teru | 2010-01-06 19:14 | 七福神めぐり | Trackback | Comments(6)