カテゴリ:源氏物語(巻31~巻40)( 14 )

【源氏物語文中の花】  巻40 『御法』  桔梗・萩・etc  

        ★… 【 源氏物語文中の花 】  巻‐40  『御法』   桔梗・萩・etc  …★
◎ … この巻は紫の上の最期を語る悲しい巻です。
「若菜下」巻での発病以来5年目、病に伏す紫の上を源氏が見舞う場面がある。前菜には萩、ススキ、桔梗などが風になびき、御簾がかすかに揺れている。この場面の紫の上はまさに減紫(けしむらさき)と白畑よし先生のお言葉。滅び行く紫がこの巻の全体を吹く風の如く覆っている。
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紫上から花散里の御方に・・・
★文中)こと果てて おのがじし帰りたまひなむとするも、遠き別れめきて惜しまる絶えぬべき 御法ながらぞ 頼まるる 世々にとむすぶ 中の契りを。
 意)法会が終わって御方がそれぞれに永遠の別れのようで名残が惜しまれます。もうこれで、私がこの世で催す法会は最後と思われますが、この法会の結縁によって生々世々結ばれた貴女との縁が頼もしく思われます。
花散里から紫上に・・・
★文中)結びおく 契りは絶えじ おほかたの 残りすくなき 御法なりとも。
 意)立派な法会で結ばれました私たちの御縁は、後の世まで絶えることはありません。残りの命の少ない私のような、おおかたの身であっても。
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〓このお二人の歌が御法巻名になっています〓
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★文中) おくと見るほどぞはかなきともすれば 風に乱るるのうは露
 意)起きていると見えますのも暫くの間のことややもすれば風に吹き乱れるの上露のようなわたしの命です。
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荼毘にふされる前の白く輝く死顔の美しさを、まじまじと見入る夕霧。そばで茫然自失の源氏。
源氏51歳の秋。八月十四日の暁、紫の上は四十歳をすぎたばかりでした。

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「御法」の詞書きを見れば、狂おしい迄の乱れ書き文字が悲しみにうち震え砕ける思いが伝わります。萩の枝にとどまっているべくもない露にその命を思い秋風の立っている悲しい夕べであったから、最後の歌の露が消えてゆくように・・と終焉の様子。
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はかなく美しい命の終わりでした。細まりゆく紫の上の息遣いが絶え絶えに重なり合い、訴える如くに消えてゆく。感情の交感は絵巻の詞書きの中でも圧巻である。
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            ○ ……………………………………………………………… ○
簡単に物語
大病以来、一時の危篤状態を脱したものの日増しに弱る紫の上。出家を願っていますが源氏は許しません。女三の宮の出家には同意し自らも出家を志している源氏ですが、紫の上と離れることには決心がつかないようです。
春・・・・。
紫の上は長年にわたって書かせておいた法華経千部の供養を思い立ち三月十日二条院に帝、夕霧、東宮、后の宮たち(秋好、明石)や花散里、明石の君などが参集して盛大に供養が行われました。死期の近いことを予感する紫の上は、それとなく別れをつげるのでした。
夏になり・・・。
紫の上の病はますます重くなり見舞いに訪れた明石の中宮に対し後事を託し思い出多い二条院は最愛の匂宮に譲ることを遺言します。
秋になっても・・・
かひもなく、 明け果つるほどに消え果てたまひぬ。病勢は思わしくなく、仲秋八月、明石中宮が病床を見舞った夕べ源氏に見守られ中宮に手をとられ、ついにその生涯を閉じます。
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放心したように紫の上を見つめる源氏、夕霧も一目もはばからずあふれる涙で紫の上を見つめる。死顔の美しさに目もくらむ思いがする夕霧は、あの野分の朝の垣間見以来、紫の上を見ることが無かったのです。源氏が夕霧に美しい紫の上を見せまいと極端に用心をしていたからですが・・・。
ひそかに慕い続けてきた夕霧、やっと近くで見ることが出来たのは空しく命絶えた姿でしかありませんでした。紫の上の死顔をじっと見つめる夕霧を、たしなめる力は、もはや源氏にはありません。

翌十五日の葬儀の日は、おりしも仲秋の名月の夜でした。源氏には月を愛でるゆとりなどありません。帝以下、致仕の大臣、中宮はじめ人々は紫の上の死を悼み、ねんごろに弔問しました。故人を偲び出家する女房たちも少なくありません。源氏も、この悲しみに堪えたのち、出家を果たそうと思うのでした。
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当時は妻がいつまでもその座にどっしりすわっていることは宗教的にも嫌われた時代、時機をみて出家するのが普通の習わしでした。紫の上は女三の宮の一件以来ずっと出家の望んでいました。病気になり、その願望は強くなるばかり、ですが、源氏は出家を許さないのです。紫の上を失いたくないからです。ですので、紫の上の死は源氏には大変大きな打撃となります。
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この物語の終わりに、語り手(紫式部)は・・・。
源氏を・・・千年も共にと契りかわしておられたのに、死に別れねばならぬとは、まことに残念なこと、今は極楽往生の願いが他の思いに紛れぬように一途に出家を思い立たれるお気持ちにはゆるぎもないが・・・。その後もなお、世間体を気にしている情けない源氏を容赦なく書いています。       
by hime-teru | 2008-12-16 22:52 | 源氏物語(巻31~巻40) | Trackback | Comments(0)

【源氏物語文中の花】  巻39 『 夕霧 』   稲(イネ)

          ★… 【 源氏物語文中の花 】  巻39  『 夕霧 』  稲(イネ) …★
                      撮影は,20,9,10 農ある町(宮代町の田園風景)
『イネ』は、夕霧の巻他、須磨・明石・手習にそれぞれ1カ所ずつ記述されています。稲は文学的に雁や鹿と取り合わせで歌や文章に取り上げられ、この巻では小野の田園風景の秋の風情を描写している。
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木枯の吹き払ひたるに、鹿はただ籬のもとにたたずみつつ、山田の引板にもおどろかず、色濃きどもの中に混じりて うち鳴くも愁へ顔なり。
 意)木枯らしが吹き払ったところに、鹿は籬のすぐそばにたたずんでは、山田の引板(百姓の鳴らす鳴子(なるこ)の音にも驚かず 色の濃くなったの中に入って鳴いているのも、もの悲しそうである。
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【須磨の巻】
★御馬ども近う立てて、見やりなる倉か何ぞなる取り出でて飼ふなどめづらしう見給ふ。
 意)幾頭ものお馬を近くに繋いで、向こうに見える倉か何かにあるを取り出して食べさせているのを珍しく御覧になる。
【明石の巻】
★入道、時時につけてけふをさかすべき渚の苫屋、行ひをして後世のことを思ひすましつべき山水のつらに、いかめしき堂を建てて三昧を行ひ、此世のまうけに秋の田の実を刈りをさめ、残りの齢積むべきの倉町どもなどおりおり所につけたる見所ありてし集めたり
意)渚(なぎさ)には風流な小亭(しょうてい)が作ってあり、山手のほうには、渓流に沿った場所に、入道がこもって後世(ごせ)の祈りをする三昧堂があって、老後のために蓄積してある財物(イネ)の倉庫町もある
【手習の巻】
門田の稲刈るとて、所につけたる物まねびしつゝ、若き女どもは歌うたひけうじあへり。
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…【稲】…
イネ科の一年草。日本をはじめアジア諸国で広く栽培されている作物。全世界の栽培面積はムギ類に次いで第2位、世界総人口の半分は米を主食にしている。原産地については諸説があり正確さは不明であるが、インドか東南アジアの一角とされ、3000年前には既にインドや中国で栽培されていたという。
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草丈は1m 内外に達し根もとで枝分れする。葉は広い線形で先端は次第に細まり長さ約30cm。基部は葉鞘となって長く茎を抱く。8~9月にかけて茎の先に円錐花序を出し分枝して多数の小穂をつける。小穂は1花から成り,外花穎と内花穎はいずれも船形で,いわゆる籾殻となる。芒(のぎ)は品種により長いものや欠くものもある。6本のおしべと1本のめしべがあり熟して穎に包まれたまま穎果(玄米)が出来る。
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現在世界で栽培されているイネは大別して、実が細長く粘りけの少いインド型(外来型)と実が短い楕円形でつやがあり粘りけの多い日本型がある。日本型のイネでは粘りけが多くて餅にするもち米と普通のうるち米とがあり、水田に適した水稲と畑作に適した陸稲(おかぼ)がある。
☆ 万葉集にはイネのことを「伊奈(いな)」と呼び漢字では稲を用いている。

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【雑感】
◆「瑞穂の国」に異変・・・。主食として、お餅やお菓子として、さらに発酵食品まで多彩な恩恵にあずかってきた「お米の国日本」先日からカビや農薬に汚染された事故米のニュース、不安は増すばかり。食料と偽って罪を承知で利鞘目的とは?怒りを隠せません。そもそも、工業用の食料(米)を役所が、役人が、食品会社に売ること自体おかしい。と言うより、売っていたことすら初めて消費者は知るのです。役所と業界のなれ合いの正体はこの業界に限ったことではなくなりました。なんと悲しいこと。日本人のモラルは何処へ行ってしまったのでしょうか?
↓このような被害にあっても頑張っている農家の方達がいらっしゃるというのに・・・。
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利権とリベートしか考えていない役人と経営者。しかるべき罰は受けるべきでしょう。消費者を平気で騙せるその神経、この事件に関わった役人は全て一掃して貰いたい。
だれを、何を・・信用していいのか?この現状に育ちゆく子供や孫達の行く末が心配でなりません。
↓子供達も米作り、頑張っているのに・・・心ない大人は後を絶たない。
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食の楽しさも・・・日ごと半減し「食欲の秋」も言葉のみ一人歩きしそうな寂しい食の秋、因みに今年は「ウナギ」も口にしませんでした。物言えぬささやかな抵抗です。 

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〓簡単に物語〓
この巻は源氏の息子「夕霧」の物語です。
★ 山里の あはれを添ふる 夕霧に立ち出むそらも なきここちして」
 意) 山里のもの侘しさを募らせるこの夕霧の中を帰って行く気にもなれない思いです。
巻名はこの歌によります

何事にも真面目で忠実な夕霧は柏木の死後、落葉の宮を親身になってお世話をしているうち、次第に恋心に変わり、律義者で誠実な性格ゆえ一途に落葉の宮への恋心が燃え上がっていくのです。そんな夕霧の心を知ってか知らずか、落葉の宮は彼の気配りには迷惑顔で心を閉ざし悶々としています。
秋の色濃い8月の中ごろ。山荘を訪れた夕霧は、ついに恋心を訴えます。夕暮れから深い霧がたちこめた事を口実に、強引にその山荘で一夜を明かしますが・・・落葉の宮は心を開かず夕霧は空しい朝を迎えます。母御息所は、祈祷師から夕霧が宿泊したことを聞いて心を痛めながらも夕霧の心変わりしない前に、二人が結ばれることを望みます・・・。

◆女郎花 萎るる野辺をいづことて 一夜ばかりの宿を借りけむ … 母御息所
意)女郎花が萎れている野辺をどういうおつもりで一夜だけの宿をお借りになったのでしょうか?。
「女郎花」を宮に「野辺」を小野山荘に喩え、二人の結婚を前提に、その後夕霧の訪れぬのを、なじる母御息所の手紙。それでも落葉の宮は心ここにあらず。娘の名誉を保てないと悲観した母御息所は絶望し亡くなってしまいます。一人残された落葉の宮は、茫然自失、母の死は夕霧のせいと夕霧を恨むようになります。

夕霧は、落葉の宮の気持ちが解けるのを気長に待ちながらも強引な説得が続きます。ついに業を煮やした夕霧は妻の嫉妬や嘆きや世間の目も、もはやないとばかり、妻の雲居の雁を怒らせながら落葉の宮のもとへ通い続け、ついに、まだ喪も明けないというのに、ものにしてしまいます。結局、落葉の宮は夕霧と再婚するしかないのでした。

このことが原因で最愛の妻の雲居の雁との間で派手なケンカになります。長年信じきっていた夫に裏切られた雲居雁は怒り、たまりかねて子供たちを連れて怒って里へ帰ってしまいます。
この感情は現代人と変わりありませんね。夕霧は結婚して10年。28歳です。当時の年齢感覚は今とは20年位の差があるといわれ、今の感覚では50歳位でしょうか?。

この色恋沙汰で実家に帰ってきた雲居の雁の父・太政大臣(源氏の政敵頭の中将)は、困ったことだと思いながらも、強いて夕霧のところに戻れとは言えないのです。落葉の宮は、亡き柏木(長男)の未亡人だからです。複雑な心境で胸を痛めながら気に病んだに違いありません。

一方、源氏も二人の噂を聞いて重苦しく受け止めますが術はありません。そしてまた、紫上も女の人生の宿命に悲しく胸を痛めるのでした。(二人は、それぞれの過去の自分を見つめているのです)
そうこうしている内に、雲居の雁も元のさやに収まり、夕霧は落葉の宮と雲居の雁と月に半分づつ通うという彼らしい合理主義を押し通します。

(平安時代に生まれなくて良かった~~と、ため息 … 私の感想)

真面目な男が急に若い女に血道(のぼせて)をあげ、家庭生活を狂わせる事件は、今も昔も変わりませんね。それにしても・・・並はずれたプレーボーイの源氏の息子に、よくもまぁ~、このような生真面目な男(子息)が授かったものです。これも紫式部の周到な計算なのでしょうか?
by hime-teru | 2008-09-15 19:25 | 源氏物語(巻31~巻40) | Trackback | Comments(4)

【源氏物語文中の花】 巻35・47  『総角』・『若菜下』  樒・シキミ

        ★… 【源氏物語文中の花】 巻35 ・ 47  『 総角』・『若菜下 』   樒・シキミ …★
                撮影は京都H19 & 我が家 H20、3
★『総角』巻47六段に八の宮の一周忌近いころ美しい大君を見ての薫の心が騷ぎ大君を口説く場面があります。

★御かたはらなる短き几帳を、 仏の御方にさし隔てて、 かりそめに添ひ臥したまへり。
名香のいと香ばしく匂ひて、のいとはなやかに薫れるけはひも・・・・ 。
意)お側にある低い几帳を、仏の方に立てて隔てとして形ばかり添い臥しなさった。名香がたい
そう香ばしく匂って、がとても強く薫っている様子につけても、・・・・。
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日本の仏教の宗派は「十三宗五十六派」と言われ、平安時代は天台宗・真言宗でした。シキミは特に密教系の天台宗や真言宗の仏教儀礼と深い結びつきがあっったようです。南北朝から室町時代あたりになると中世的な神道と習合した天台宗は修験者をつうじて全国に広がっていきます。むろん、その時代によって宗派の勢力があり、いろいろな宗派の教えが蓄積されて現在の風習になってシキミを供える風習も一般化してきたのだと思います。
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★『若菜下』巻35
この巻中には源氏が朧月夜が出家したことに対し手紙を出します。内容は、かわいい恨み言という感じです。
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★回向には、あまねき方にても、いかがは」とあり。濃き青鈍の紙にてにさしたまへる、例のことなれど、いたく過ぐしたる筆づかひ、なほふりがたく、をかしげなり。二条院におはしますほどにて女君にも、今は、むげに絶えぬることにて、みせたてまつり給ふ。
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◆仏門に入る朧月夜の立場を演出するのにシキミが登場します。濃い鈍色の紙に書かれてシキミの枝につけてあったのです。

樒・シキミ
モクレン科シキミ属で分布地は本州以南。関東地方から琉球にかけて生育します。常緑低木で3~4月頃に花をつけ葉は10センチの長楕円で光沢があり、その匂いはいわゆる「抹香くさい」といわれるように抹香や線香の原料となります。(数珠にも用いられるそうです)つまり、シキミを供えることでお香を焚くのと同じ効果があるというわけです。
シキミの匂いは『源氏物語』や『枕草子』でも「いとおかし」と称されていますが、これは風情があるのではなくシキミが焚かれる場面をふまえて婉曲にその匂いの強さを強調されて語っているものと思われます。
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シキミは修験道などの密教神道系である天台宗や真言宗の仏教儀礼にみられます。『樒の実はもと天竺より来れり、本邦へは鑑真和尚の請来なり、其の形天竺無熱池の青蓮華に似たり故に之を取りて仏に供す』とあるようにシキミの葉を蓮華の代用としていたわけです。その流れで現在もシキミを仏に供えるようです。、
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【簡単なあらすじ】
宇治の大君は、妹の中君を薫の相手にと考えておりました。ある夜、薫は2人の部屋に忍び込みますが大君はその気配に身を隠し中君とも結ばれませんでした。薫は匂宮を宇治に案内し匂宮は中君と契ります。一方、夕霧は娘・六の君と匂宮との結婚を望んでいます。それを聞いた中君はただ匂宮を信じ思い悩みますが・・・。大君は妹中君を心配するあまり病みついてこの世を去ります。(薫24歳)
by hime-teru | 2008-04-11 23:53 | 源氏物語(巻31~巻40) | Trackback | Comments(4)

【源氏物語巻名の花】 巻31  『槇柱・真木柱(まきばしら)』 槇・まき

                 ★… 【 源氏物語巻名の花 】 巻31  『槇柱・真木柱』  槇・まき  …★
経籍 源氏物語目録 には「槇柱」、篆刻素材 源氏香印でもまきばしらのまきを「槇柱」と漢字で書かれています。
この巻は髭黒大将の長女、真木柱の章です。愛する父が玉蔓に夢中になり、真木柱は家を去るのが悲しく悲しみの歌を残すのでした。
文中) 「今はとて宿かれぬとも馴れきつる槇の柱はわれを忘るな」  槇柱
意)これを限りとこの家を去るけれど慣れ親しんできた真木の柱は私を忘れないで!!と。
柱の隙間に和歌を残すのでした。この和歌を見てさすがに髭黒も涙を流しますが・・・・。
この和歌が姫君の呼称となり巻名になっています。
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◆ 【槇】
ヒノキやスギで造った柱をまけばしら。(純粋な木の意)スギの古名。イヌマキ・ラカンマキ・コウヤマキなどの汎称。又建築材料の最上の木の意で多くはヒノキの美称。マキ科の常緑高木。房総半島以南、四国、九州、沖縄の太平洋側の暖地の山地に自生している。樹皮は灰白色で縦に裂け薄片となり脱落する。葉は線形ないし披針形。先端が鈍くとがり厚質で上面は濃緑色、下面は淡緑色、中央の太い主脈が隆起する。雌雄異株。春に小枝の側方に短柄のある黄白色で円柱形の雄花穂を3~5本ずつ腋生する。雌花は葉腋に単生し緑色の果托が目立つ。種子は球形で熟しても緑色。材は建築、器具、下駄の材料になる。千葉県の県木。生垣に多く用いられている本種より葉が短く密生するラカンマキは本種の園芸品種である。    ↓我が家の槇もラカン槇だと思うが。
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落ちた槇の実↓
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簡単に物語
”まきばしら”が初めて登場した時は、12、13歳の少女だった。父、髭黒の妻(北の方)は、式部卿宮の長女で、紫の上とは異母姉にあたります。美しい人ですが、近年物の怪に煩い(心の病)病み疲れて事件を起こします。夫婦仲は修復不可能になり、髭黒大将が玉鬘を手中にします。愛する父が玉蔓に夢中になり結婚。家庭崩壊を経験した彼女は成人後、蛍宮の正妻となるが悲しいことに、こちらも夫婦仲は睦まじくなかったようです。しかし、蛍宮亡きあとは、紅梅大納言の正妻となり、つらかった少女時代の経験から、自分の子供もよその子供も分け隔てなく愛するやさしい女性に賢婦人になっていきます。
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『 参考 』
紅梅大納言(こうばいだいなごん)は、源氏のライバル、頭中将と正妻の右大臣家の四の君の次男。弘徽殿女御、柏木の弟。才気活発、秀でた才能の持ち主で、特に音楽方面がすぐれ、際立った美声の持ち主で、歌と笛の名手。のちに、藤原家を代表する人物になる。父と同じく名前が激しく変わる。最初は弁少将(べんのしょうしょう)で登場するが、後に按察大納言(あぜちのだいなごん)もしくは、紅梅大納言と呼ばれる。

この結婚(髭黒大将と玉鬘)の前後の情景描写は一切記載がありませんのです。玉鬘が一番嫌がっていた男なのに。「えっ」なんで!どうして!飛躍する経緯や、肝心なシーンの描写がぬけているのです。このようなところが数多あり源氏物語の難解を感じます。私など理解に苦しみます。それから・・・按察大納言のように登場人物名が巻名によっては、呼び方が変わるので同一人物だと理解するのにページを行ったり来たり何回も読み直していますが、未だにかみ合わない人物が出てきて、いつも頭を抱え立ち往生しています( ̄0 ̄;)。
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京都の善峯寺に悠仁(ひさひと)親王様のお印「高野槇」ある日突然脚光を浴びましたね。
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by hime-teru | 2008-01-30 23:49 | 源氏物語(巻31~巻40) | Trackback | Comments(2)

【源氏物語文中の花】  巻40 『御法』   数珠玉(ずずだま)

            ★… 【 源氏物語文中の花 】  巻40 『御法・みのり』  数珠玉(ずずだま) …★
                   撮影はH19,10,11 近所の某大学のグランドの空き地にて
◆御法の巻は紫の上の最期を語る巻です。
植物描写場面は殆どありませんが・・・数珠の記載が1カ所。数珠玉の撮影が出来ましたのでアップ致しました。
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文中)夕霧は「阿弥陀仏、阿弥陀仏」と引きたまふ 数珠の数に紛らはしてぞ、涙の玉をばもて消ちたまひける。
)「阿弥陀仏、阿弥陀仏」と繰りなさる数珠の数に紛らわして、涙の玉を隠していらっしゃるのであった。
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 数珠玉・ズズ(ジュズダマ)
現代名は数珠玉(イネ科)この植物は全国各地の水辺などに群生する光景が見られる多年草だそうですが当地では探すのに苦労致しました。
イネ科の大型の多年草。アジアの熱帯の原産。古く日本へ渡来した。現在各地で栽培され、あるいは田や池などの水辺に自生している。高さ1~1.5mに達し茎は直立し分枝する。葉は互生し幅2cmあまりの披針形で先端は長く伸びる。
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初秋に葉腋から長さのふぞろいな柄をもった穂状花序を数個出す。雌花の穂は短く雄花の穂は雌花穂の上方に伸びる。果実は卵形で初め緑色のち黒色に変り熟すると灰白色となる。光沢があり硬い。日本では野生化している所もある。包鞘は穎果を内蔵するほか、中央に雄花序を通す芯があり、紐(ひも)を通して連ねるのに便利であるため、数珠(じゆず)や首飾りに利用する。
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熟した実を糸に通して仏を拝む時に使う数珠玉としたのが名前の由来です。別名、ズズコ(数珠子)トウムギ(唐麦)とも言う。
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一説には
★柳田国男は『人とズズダマ』で語源と由来を論じています。柳田は、ジュズダマの名は仏教の数珠に基づくのではなく珠や粒と関連する古語のツスやツシタマから現代も方言に残るズズダマを経てジュズダマになったと推察。『延喜式』には薬物として載り、中国雲南省の南部からインド北部にかけてが変異の中心とみられる。アフリカではヒョウタンの外側に多数紐で通してぶら下げ音をたてる楽器があるようです。
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【簡単に物語】 …… あらすじ
紫上の病は次第に重くなり出家を願いますが光源氏は自分より先に出家することを許しません。紫上主催の法華経千部供養が荘厳に行われ、死期を悟った紫上は、明石の君や花散里にそれとなく別れの歌を贈ります。明石中宮や幼い匂宮にも遺言を残し、秋、中秋の十四日に中宮と源氏に看取られて紫の上は死去。夕霧は死顔の美しさに衝撃を受けます。

霧の消えるように苦しみもなく静かに息をひきとった紫の上。荼毘にふされる前の白く輝く死顔の美しさ。それをまじまじと見入る夕霧。そばで茫然自失の源氏・・・。源氏51歳の秋。紫の上は四十歳をすぎたばかりでした。露が消えるように儚く美しい命の終わりでした。
  
【参考】
当時は妻がいつまでも妻の座にどっしりすわっていることは、宗教的にもきらわれ、時機をみて出家するのが普通だったようです。紫の上は女三の宮の一件以来、ずっと出家の望みを持ち、病気になってから、その願望は益々強くなっていくのですが、源氏はそれを許さないのです。紫の上と別れたくなかったからでしょう。それほどに紫の上を愛し頼りにしていました。

紫の上は源氏によって育てられ作られた女性ですが、やがて源氏を超える存在となります。源氏は彼女を数多の女性の中で一番愛し大切にします。それだけに、紫の上の死は源氏にとって大きな打撃となったのでした。
by hime-teru | 2007-10-27 18:03 | 源氏物語(巻31~巻40) | Trackback | Comments(0)

【源氏物語文中の花】  巻37 『横笛』  ヤマノイモ・野老・ところ

      ★… 【 源氏物語文中の花 】  巻37 『 横笛 』   ヤマノイモ・野老・ところ …★
                 撮影はH19年4月~我が家の家庭菜園にて。 
【ヤマノイモ・野老】
ヤマノイモ科、つる性の多年草。ジネンジョウ(自然生)ジネンジョ(自然薯)ともいう。アジア東部の温帯から暖帯に広く分布し山野の林や藪に普通に生える。根は多肉質、長大な円柱形で地中へ深くまっすぐに伸びる。茎は毎春伸び出し細長いつるとなり、まばらに分枝して他物にからみつく。葉は無毛の心状披針形で長い柄で対生し葉腋に珠芽(むかご)を生じる。珠芽も食用になる。
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横笛の文中
文中)御寺のかたはら近き林に抜き出でたる筍、そのわたりの山に掘れる野老などの、山里につけてはあはれなれば、たてまつれたまふとて、御文こまやかなる端に・・・・。
意)お寺近くの林に生え出した筍、その近辺の山で掘った山芋などが、山里の生活では風情があるものなので差し上げようとなさって、お手紙を情愛こまやかにお書きになった端に、「春の野山は、霞がかかってはっきりしませんが深い心をこめて掘り出させたものでございます。↓新芽
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文中)「憂き世には あらぬところのゆかしくて背く山路に思ひこそ入れ」…女三の宮の返歌。
意)「野老」を受けてそのまま、「世」は「憂き世」「道」は「山路」と言い換えて返す。「ところ」は「野老」と「所」の掛詞。
出家後の女三の宮は源氏とは几帳越しに対面する生活となっている。
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              ∞∞∞ ヤマノイモ ∞∞∞ 
ヤマノイモに近いオニドコロのひげ根を老人のひげに見立てて長寿を願う祝い物として正月に飾る(トコロを供える習慣があった)ことからオニドコロの説もあるようですが、この巻にはタケノコと共に贈ったと言う記述からヤマノイモだと想像致します。オニドコロはヤマノイモに似るが、むかごはつかない。
↓写真はヤマノイモの珠芽(むかご)食べられます。
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農業開始のころから日本に入って栽培化されたいもを里芋と称したのに対し、本種はヤマノイモ(山の芋)、または単にヤマイモ(山芋)とよばれるようになった。また、自然に生えるいもの意味でジネンジョ(自然薯)ともよばれる。↓珠芽(むかご)
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古来、精のつく食物とされている。またジアスターゼを含むのも特徴で、消化の悪い麦飯にとろろ汁をかけて食べる風習は消化促進の効果をもつわけである。
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漢方ではいもを山薬(さんやく)とよび、滋養強壮の効果のほか、すりおろして腫(は)れ物、やけど、しもやけ、歯痛などに外用される。
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現在のヤマノイモは栽培種のナガイモも含めて俗称されることが多いが、ナガイモは中国原産で江戸時代から記録され、それ以前の山芋は自生のヤマノイモ、別名、自然薯(じねんじよ)である。
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ちなみに、写真の山芋は今年で7年になります。今年こそは掘り起こしてみようと思っています。かなりの大きさに成長しているはず、ちょっと、わくわくしてきます。
by hime-teru | 2007-09-23 23:56 | 源氏物語(巻31~巻40) | Trackback | Comments(6)

【源氏物語文中の花】 巻36 『柏木の巻』  (その2) 楓 (若葉)

   ★… 【源氏物語文中の花】 巻36  『柏木の巻』 (その2) 楓(若葉) …★
カエデ】→紅葉〔楓〕
カエデ科カエデ属の総称。モミジともいうが、これは紅葉するという意味の動詞「もみず」の名詞化したもので、秋に紅葉する植物の代表であるカエデ類をさすようです。
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植物分類上はカエデとモミジはともにカエデ属樹木を表す同義語であるが、園芸界ではイロハモミジ、オオモミジ、ハウチワカエデなどイロハモミジ系のものをモミジといい、それ以外のイタヤカエデ、ウリハダカエデなどをカエデとして区別する習慣がある。
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日本は世界のカエデ類の野生種の中心地の一つであるが、園芸上も世界に類をみない発達を遂げた。モミジを含め、名の残る品種数は200を超す。カエデはすでに奈良時代に栽培下にあったことが、『万葉集』の「わが屋戸(やど)に 黄変(もみ)つかへるで 見るごとに 妹を懸けつつ 恋ひぬ日は無し」で明らかである。
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”かへるで”はカエデの古名で葉の形がカエルの手に似ることに由来する。後に「る」が省略された。楓は京都に多いイロハカエデ(イロハモミジやタカオモミジ)の別名。品種は江戸時代に爆発的に増加した
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日本では一般にはカエデに楓の漢字をあてるが、中国で楓とはマンサク科の植物であるフウのことでカエデは槭と書く。
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簡単に柏木のあらすじ
源氏、准太上天皇時代、柏木の病と遺言と死去の巻です。柏木の病気は、回復の兆しのないまま新年を迎えます。父母の悲嘆をよそに自分の前途は死しかないと思うようになり、病床から女三の宮へ文をおくり宮への思いを訴えます。

女三宮は柏木の子(後の薫)を生み出家致します。またしても六条御息所の死霊が出現、六条院の悲劇を嘲笑いたします。病の柏木は生きる望みをなくし見舞った夕霧に後を託して亡くなります。父大臣(元の頭中将)ら親族だけでなく今上帝をはじめ世間の誰もが柏木の若すぎる死を惜しみます。

わが子ならぬ赤子を抱いて光源氏はかつての自分の罪の重さを思うのでした。
源氏は自分が一生涯恐ろしいと思っていた事(継母藤壷との過ち)の報いなのか……。
この世で、このような応報を受けようとは……」と苦しみます。

女三の宮は出家を決意、源氏、女三の宮の出家に狼狽するのですが・・・。
秋がきました。柏木の形見の薫は、もう這うようになり、その成長につけても、源氏の思いは複雑です。
by hime-teru | 2007-08-15 22:45 | 源氏物語(巻31~巻40) | Trackback | Comments(0)

【源氏物語巻名の花】 巻36  柏木・かしわぎ 『柏・かしわ』       (その1)(柏)

★… 【源氏物語巻名の花】  巻36 柏木  (その1)  『柏・かしわ』 …★

この巻に”が、楓(若葉)と共に記載されています。
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落葉宮の住む広い邸内は人影も少なくひっそりとして、しみじみと悲しみの尽きない様子。木立がすっかり芽をふいて御庭も若草に雑草が混じって繁っておりました。御前の柏木と楓とが一段と若々しい色をして枝をさし交わしているのをご覧になって・・・。
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文中に柏木と楓との、ものよりけに若やかなる色して枝さし交はしたるを、「 いかなる契りにか、末逢へる頼もしさよ」 と 夕霧。
意)柏木と楓とが、他の木々よりも一段と若々しい色をして枝をさし交わしているのを「どんな因縁のある木どうしでしょう。枝が交じり合って信頼をしきっているようなのがいいですね」
柏木に葉守の神はまさずとも人ならすべき宿の梢か … 夕霧
意) 柏木に葉守の神はいらっしゃらなくても みだりに人を近づけてよい梢でしょうか … 少将の君を通して落葉宮。
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【参考】
「葉守の神」は柏木に宿るということから「柏木」「葉守の神」を用い、「神の許し」に対して「神はまさずとも」「なさすべき」という反語表現で切り返しています。落葉宮(柏木の妻)は夕霧から思いを寄せられるのですが・・・。  
【柏・槲】
ブナ科の落葉高木。太い枝を出し樹皮は厚く、深い割れ目がある。新枝も太く黄褐色の短い毛を密生する。頂芽は大きく卵状円錐形で五稜がある。葉は倒卵形で基部は耳状となり長さ15~30センチ、幅6~18センチで、裏面は灰白色の軟らかい毛を密生する。縁は波形の深い鋸歯がある。枯れ葉は翌春まで枝に残るものが多い。4、5月、新枝の基部から黄褐色の多数の雄花穂を下垂し雌花は上部の葉腋に小さな花序をつける。
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厚い葉と厚い樹皮があるため風衝地や火山周辺地域、山火事跡地に低木状の純林をよくつくる。また寒暖の差の大きい内陸気候の地域にもよく生える。日本全土、とくに関東地方以北に多く関西地方では同様の立地にナラガシワが多いようです。樹皮はタンニンの含有率がブナ科でもっとも高く染色や革なめしとして用いられた。
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カシワは炊(かしい)葉の意味で古くは蒸し焼きに使われた葉の総称であったと思われる。柏餅や神事に用いられ柏手となり残っている。漢字の柏は中国ではノキ科の植物をさすようです。
今日カシワの種子は食用とされないが、縄文時代にはなんらかの方法で渋を抜き、食されていたとのこと。長野県の有明山社大門北遺跡からは、種子が出土している。
by hime-teru | 2007-08-15 22:27 | 源氏物語(巻31~巻40) | Trackback | Comments(0)

【源氏物語文中の花】 巻35  『若菜下』  蓮・ ハス (その2)

         ★… 【 源氏物語文中の花 】  巻35 【 若菜下 】  蓮・ ハス (その2) …★
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【若菜下の巻】
[歌、2首 記載]
消えとまるほどやは経べきたまさかに はちすの露のかゝる許を ……   紫の上
意)はちすの露が消えずに残っている束の間ほども、これから生きられるでしょうか。

契りおかむ この世ならでもはちす葉に玉いる露の心へだつな  ……   源氏
意)約束しましょう。この世だけでなく、来世も蓮の葉に玉となっている露のように、心の隔てを持たぬように。
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( はす ) は夏の季語。同時に ” はちす ” と読ませて ”極楽の池にみられる「蓮」のこともさします。この2首は、”源氏物語”の一場面。病み伏している紫の上を光源氏が見舞った時に、前庭に涼しげに蓮が咲きわたり、露がきらきらと光っている様子を眺めながら二人が詠んだ歌です。
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紫の上が自分の生命を”蓮の花の露のようにはかない”と感じている一方で、源氏は蓮の葉の上にある玉(露の玉)のように、あの世での二人の契りを誓っている。紫の上の不安な気持ちをかき消すように源氏は紫の上を思う気持ちを伝える場面です。
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【文中】
池はいと涼しげにて、蓮の花の咲きわたれるに、葉はいと青やかにて、露きらきらと玉のやうに見えわたるを・・・
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 ∞∞―――――――――――――∞∞

【鈴虫の巻】
[歌2首、記載]
はちす葉をおなじうてなとちぎりおきて露のわかるる けふぞ悲しき  …源氏
☆へだてなく蓮の宿をちぎりても君がこころやすまじとすらむ  …女三宮
【文中】
夏ごろ、蓮の花の盛りに、入道の姫宮の御持仏どもあらはし給へる。閼伽の具は、例の、きはやかにちいさくて青き、白き、紫の蓮をとゝのへて・・・・・・・。
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この巻にはの花・の葉・ 壺の御方の桐・真木柱の姫君・・下紅葉木綿鬘・の葉・の花・花・青と植物が沢山で出て参りますが ←(すでにアップ済み)この巻では省略致します。
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〓 簡単に”若菜下”物語 〓
若菜上にて朱雀院は出家して愛娘・ 女三宮を光源氏に託します。新たに正妻を迎えることになった源氏は葛藤し紫上も苦しみます。この年、源氏は四十の賀を迎え、六条院では華麗な賀宴が繰り広げられます。傷心の紫上は気丈にふるまい、未熟な女三宮に失望した源氏は紫上の素晴らしさに愛情を新たにします。しかし二人の亀裂は深まるばかりなのでした。

一方、明石女御(=後の明石中宮)が男皇子を出産し、明石入道は長年の宿願がかなったことを告げる手紙を残し、山に入ります。明石の君と明石の尼君の悲しみの描写も一際感慨深く書かれています。

そして柏木の登場、蹴鞠の日、猫のいたずらで女三宮の姿をかいま見てしまい、激しく恋焦がれます…。夫婦生活を7年も続けていながら夫(源氏)の帰宅なのか?、別の男なのか?、顔を見るまでわからないような歯がゆくなるほどのお姫さま(女三宮)不用意に柏木に顔を見られてしまったり、柏木からの恋文を敷物の下につっこんでそのまま忘れて源氏に見つかってしまう。女三の宮は幼稚でおっとりした性格の持ち主なのです。ゆえに父の朱雀院にとっては、女三宮の行末が人一倍心配で源氏に託したのでしょう。

        ☆ しかし・・若菜下にて・・・女三宮は・・・~~!

柏木の恋慕は、例の猫を手に入れて愛玩するまでにたかぶり、女三宮に近づく機会を狙います。冷泉帝が譲位し、女三宮の兄・東宮(今上帝)が即位、明石中宮腹の皇子が東宮になり、光源氏一族は住吉神社に盛大に願果しの参詣をします。格式が高くなった女三宮に源氏の扱いも重みを増し、紫上は出家を望むようになります。六条院の女楽の夜、紫上は病に倒れ、危篤に陥りますが、かろうじて蘇生します。六条御息所の死霊のせいなのでした。柏木は源氏不在の六条院で女三宮と強引に契りを交わします。女三宮は懐妊し、柏木の恋文を発見した源氏は真相を知ってしまいます。罪におびえる柏木は、源氏の睨みと恨み言で病に臥してしまうのです。
by hime-teru | 2007-08-03 23:16 | 源氏物語(巻31~巻40) | Trackback | Comments(0)

【源氏物語文中の花】  巻34 『若菜上』  蓮・ ハス (その1)

               ★… 【 源氏物語文中の花 】  巻34 【 若菜上 】  蓮・ ハス (その1) …★
                        撮影はH18,7,20 埼玉県白岡町蓮池にて
はちす…現代名はハス(スイレン科)花の終わった後の果実の形が足長バチの巣に似ている事から「はちす」と命名され後に「ち」が省略されてハスになったようです。
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物語中には歌4首、文章には15カ所出てきます。(1カ所芙蓉の名で記載されている所もあり)
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◆「若菜上」文中
★1)いまはたゞ迎ふるを待ちはべるほど、その夕べまで、水草清き山の末にて勤め侍らむとてなむ、まかり入りぬる。
★2)生ける世に行き離れ、隔てるべき中の契とは思かけず、おなじに住むべ後の世の頼みをさへかけて・・・・。
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            ∞∞―――――――――――――∞∞

『蓮』の記述は『若菜下』歌2首『鈴虫』歌で”2首”記載されています。
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以下の巻では文中でも見られます。
◆「御法」千年をももろともにとおぼししかど、限りある別れぞいとくちおしきわざなりける。いまは蓮の露も異事に紛るまじく、後の世をとひたみちにおぼし立つことたゆみなし。
◆「幻」いと暑きころ、涼しきカにてながめ給に、池の蓮の盛りなるを見給に、いかに多かる、などまづおぼし出でらるるに、ほれほれしくて、つくづくとおはするほどに、日も暮れにけり。
◆「匂宮」はかなくおほどき給へる女の御悟りのほどに、蓮の露も明らかに、玉と磨き給はんこともかたし・・・・
◆「蜻蛉」蓮の花の盛りに、御八講せらる。
◆「朝顔」おなじにとこそは、なき人をしたふ心にまかせてもかげ見ぬ三つ瀬にやまどはむとおぼすぞうかりけるとや。
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参考
「若菜 上・下」の巻は、源氏物語のなかでも、傑作中の傑作と言われている長編です。 
源氏 40歳。当時40歳といえば、今の還暦くらいにあたり、長寿のお祝いをする年代です。
準太上天皇という地位も得、息子も結婚、明石の姫も入内して、すべてが思い通りにかなってきたのであるが・・・源氏の晩年は、栄華を極めた生活が突然一変して暗い霧がただよいはじめるのです。それは、源氏が若き「女三の宮」を六条院へ迎えることから始まります。・・・・・そして、源氏の冷徹で残酷な一面が見え隠れしていきます。

◇「若菜 上・下」の、巻名は・・・下記参照
春菜摘みの風習は平安時代になると”七日の若菜”の行事として盛んに執り行われました。玉鬘が源氏の四十の賀のお祝いに正月の二十三日は子の日、左大将の夫人から若菜の賀をささげたいと申し出る。
若葉さす野辺の小松を引き連れてもとの岩根を祈る今日かな …玉鬘
(意)「若葉が芽ぐむ野辺の小松を引き連れ育てて下さった元の岩根を祝う今日の子の日ですこと」と大人びた御挨拶を申し上げ折敷を四つ用意して御若菜を御祝儀に献上なさったところから「若菜上・下」の巻名になったようです。そして源氏の返事。
小松原すえのよわいにひかれてや野辺の若菜も年をつむべき…源氏

『若菜は単一の植物ではありませんが、野菜類が豊富な現代とは違って平安時代の人々は年が明けてからの若菜摘みの到来を一日千秋の思いで待ちこがれていたようです。当時珍重された若菜の代表はフキノトウ、セリ、蕨(すでにアップ済みです)などでした』 

    
by hime-teru | 2007-07-24 22:08 | 源氏物語(巻31~巻40) | Trackback | Comments(2)