カテゴリ:源氏物語(巻11~巻20)( 14 )

【源氏物語-巻20 朝顔 の巻】

                      ★… 【源氏物語-巻20 朝顔 の巻】 あさがお…★
                  2015.8/26

【文学とアサガオ】
平安時代の文学に登場するアサガオは、ニホンアサガオと同じものと考えられ、はかないものという印象もしだいに加わり、『源氏物語』では作中人物の呼称や巻名に用いられ、『枕草子』には、「草の花は撫子、さらなり、女郎花、桔梗、朝顔、刈萱、菊、壺すみれ、いとめでたし「草の花は」の一つとしてあげられている。
方丈記では・・・・、無常観を象徴する花?として「あるじとすみかと、無常を争ふさま、いはば朝顔の露に異ならず。あるいは露落ちて花残れり」
残るといへども朝日に枯れぬ。あるいは花しぼみて露なほ消えず。消えずといへども夕べを待つことなし。」と無常観を象徴する花として使われています。
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              【源氏物語-巻20 朝顔 の巻】
【朝顔姫君の物語】
朝顔君は斎院で父桃園式部卿宮の薨去により喪に服し、斎院を退下された女君。巻名は光源氏と朝顔の歌から引用。源氏の昔の恋の再燃ですが・・・?
「見しおりのつゆわすられぬ朝顔の花のさかりは過ぎやしぬらん」
意〉昔拝見したあなたがどうしても忘れられません。その朝顔の花は盛りを過ぎてしまったのでしょうか?
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「秋はてて露のまがきにむすぼほれあるかなきかにうつる朝顔」。
意)秋は終わって霧の立ち込める垣根にしぼんで、今にも枯れそうな朝顔の花のような私です。
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秋にふさわしい花をお送りくださいましたことででももの哀れな気持ちになっております。とだけ書かれた手紙を書きます。
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源氏、執拗に朝顔姫君を恋うが・・・・? 朝顔姫君は源氏の求愛を拒みます。
朝顔は源氏に恥をかかせないために、も数多くの女人が経験したであろう源氏の心変わりを、自分も味わう立場になりたくないとの気持ちを伝えるのです。
朝顔の君は冷静で賢い人だった(若い時、源氏に友情以上のものを持っていなかったからだと)気高く、外貌だけを愛している一般の女と同じに思われるこを極力嫌い生真面目な人だったのでしょう。
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斎院を長く続けたため婚期を逃し、そのまま独身を貫き通して出家、物語の表舞台から消えるヒロインです。朝顔の物憂げな花に重ねて齋院の傷つきやすく繊細な反面、内に秘めたしなやかな精神力と
情熱を持った勤勉実直な保守派の女性だったのでは?
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朝顔がムクゲ(槿)の古称でもあることからまれに「槿(あさがお)」と表記されることがある。
茶の湯では朝顔や槿は一日花ゆえに・・・「一期一会」の趣でよく使われます。

【朝顔の花】
「朝顔の花一時」「槿花一朝の夢」「槿花一朝の栄」と一日でしぼむため、人の世の短い栄華を、
はかない命にたとえられられます。咲いた花は手で触れると傷つきやすく繊細ですが、反面、花を咲かせる樹は強い生命力をもち、夏から秋にかけて、散っては咲き、咲いては散りと次々と長期間、花を咲かせ続けます。何事にも屈しない強く気骨のある花なのでしょう。嫋やかさも持ちあわせて・・・・?
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ヒルガオ科に属する一年草、アジア原産。日本には奈良時代に中国から渡来し薬用として栽培されていたが、江戸時代中期より観賞用にも用いられ品種改良が盛んに行われた。
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茎はつる性で左巻きに巻きつく。葉は深く3裂した心臓形で長い葉柄をもち互生する。園芸品種では葉の形も多様で斑入りもある。短日性植物で夏から秋にかけて開花する。花は葉腋につき萼は深く5つに裂け花弁は漏斗状の合弁花。おしべ5本、めしべ1本、1日花で朝10時頃にはしぼみ始め、翌日には花弁が落ちる。

花は、もともとは淡青色であるが。白、ピンク、紫、赤などあり、大輪咲き、八重咲き、車咲き、
獅子咲き、風鈴咲きなど多くの園芸品種がある。
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種子を〔牽牛子〕と呼び、おもに下剤や利尿剤に使われる。古代の中国では朝顔は高価な薬で牛と取引されたほどのものだったそうで、「牽牛(けんぎゅう)」にその名残があります。
朝顔姫は別称「牽牛花」から、牽牛星の妻の名として) 織女星の異名もある。。
25℃以上の温度が1週間続けば開花する。秋遅くまで長く花を楽しめ、学術上は遺伝学の研究や、開花生理の研究に広く使われ世界的に有名である。
by hime-teru | 2015-08-31 21:52 | 源氏物語(巻11~巻20) | Trackback | Comments(0)

【源氏物語文中の花】  巻16 『関屋』  紅葉・(霜枯れの草むら)

〔休暇報告〕
ご無沙汰致しました。私こと、インフルエンザの予防注射を受けて、どうしたことか?38度の熱と胃痛、腹痛で4日間寝込んでおりました。今年のワクチンは私には抵抗力が無かったのでしょう。注射で強力な抵抗力を貰って・・・免疫?今年のインフルエンザは?果たして効力の方は?何はともあれ、熱も下がり回復できたことは幸いでした』 多忙な年の瀬、皆様もお風邪を召されませんようお気をつけ下さいませ。  
      
        ★… 【源氏物語文中の花】 巻16 『関屋』  紅葉・(霜枯れの草むら) …★
                    撮影は H20,11,20 大津にて      
この巻は源氏17歳の時、ただ一夜の契りをかわした空蝉は身分違いの恋で自ら身を引き12年の歳月が過ぎ、夫に従って常陸から上京の折りに、偶然ではあるが石山詣の源氏と再会する場面から始まります
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★文中)九月晦日なれば、紅葉の色々こきまぜ、霜枯れの草むらむらをかしう見えわたるに
 意)九月の晦日なので、紅葉の色とりどりに混じり、霜枯れの叢が趣深く見わたされるところに・・・
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霜枯れの叢↓
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国宝、源氏絵巻『関屋』には青と緑の山並みの絵この巻だけが風景画で描かれている。『紅葉の色々こきまぜ・・・』と、あるのは?の疑問が先日、NHKの番組や横浜美術館で見た復元模写の絵を見て納得致しました。"平成復元模写プロジェクト"の内容は素晴らしく感動しました。復元された絵には山並みと共に豊かな紅葉が描かれていたのです。
紅葉の山河を背景に実らなかった恋を、静かな山水画と紅葉に、その意味を込めて再会の舞台をイメージされたように私は受け取りました。↓〔山並みの向こうは京都〕
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紅葉の山河を背景に琵琶湖も見えていたようです。
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この巻には植物の記載は「紅葉」「霜枯れの草むら」の記載しか出て参りません。
逢坂の関は牛車が行き交うほどの道幅だったのでしょう。↓これほどまでは整備されてなかったと思いますが・・・イメージとして紅葉の中を・・・。写真は石山寺境内の中ですが。
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逢坂の関は平安期、現在の岐阜県 ”不破の関”、三重県 ”鈴鹿の関” と共に、三関をなしていました。京都から東へ抜ける幹線路にあり、関所がありました頃はたくさんの人達が逢坂山を越えて行ったようです。現在も国道1号線が通り古今を通じて大動脈の峠越えになっています。電車にて大津・石山に行きましたので(逢坂の関所址の碑) は撮影する事を断念。いつかは機会を作って訪ねてみたいと思います。

簡単に物語
はかない一夜の逢瀬をもった空蝉は源氏への思いを胸に夫伊予の介(後の常陸宮)と任地常陸国へ下ります。源氏帰京の翌年、夫伊予の介も任期を終えて都に戻る途中、「逢坂の関」を越えたあたりで、たまたま願ほどきのために石山詣をする源氏の行列と行き会わせる。常陸介の一行は、車からおりて木陰に隠れるように華やかな行列を見送ります。

帰京後の源氏は、”先日は御縁の深さを感じましたが、貴女もそうお思いでしたでしょうか?”
と、成人した小君に空蝉への消息を折にふれて訪ねます。源氏も空蝉も再会は感慨つきないのです。源氏は空蝉の弟(衛門の佐)を介して、この行き会わせは偶然でなく宿世であり、「長らく途絶えていて改まった気持ではありますが、心の中は常にいつも貴女のことを思っております。昔のことがつい今日のように思うばかりです・・。と女心を揺さぶるのです。性懲りもなく相も変わらぬ源氏。

やがて空蝉の夫・常陸の守は病みがちになり空蝉に心を残して遂にお亡くなりになりました。残された空蝉は、しばらくの間は継息子たちが情けをかけてくれましたけれど、辛いことの多い日々が続き、しばらくして、こともあろうに河内の守(継息子)が空蝉に好意を持ち……我が手中にしようという呆れた下心が見えてきましたので、空蝉は人知れず思い悩み尼になるのでした。

前巻の「蓬生」の末摘花と同様に、「関屋」の空蝉も、後の身の上の概略を述べて、物語の終焉を暗示して終わっていますが、物語は継子に言い寄られて不幸な出家をした空蝉も源氏の保護を受け末摘花と同じように二条院に迎えられ平穏な余生をおくるのです。

※【見境もなくプレーボーイぶりをあちこちで発揮する源氏の長所は、恋した女性を隔てなく最後まで面倒を見ると言う「男としての責任感と優しい気持ち」が人々から好意の目で見られるからでしょう
by hime-teru | 2008-12-11 23:56 | 源氏物語(巻11~巻20) | Trackback | Comments(2)

【源氏物語文中の風景】 巻19  『薄雲』  植物描写はなく・・・

      ★…【源氏物語文中の風景】 巻19 『 薄雲 』 植物描写はなく・・・★
【嵯峨野、吉野山の風景】                           
この巻は明石の君が姫君の養女問題に苦慮する場面から始まります。紫式部は、なぜか紫の上に子供を産ませていません。紫の上に子供があれば、明石の姫のストーリーは生まれなかったでしょう。ヒロイン明石姫は紫式部が周到な計算をされて書かれたのでしょうね。物語はこのあと、最愛の人「藤壷」と、源氏の舅であり最良の庇護者でもあった左大臣(時の太政大臣)が相次いで亡くなり一転して激変していきます。そして、冷泉帝が出生の秘密を知ることとなり物語は佳境に入っていきます。

故に、この巻には季節の植物の描写はなく、の直衣(源氏の御衣)二葉の(我が子)庭の秋の草花(特定な名は記載なし)くらいでしょうか?土地の地名は大堰山荘(京都嵯峨野)が舞台で、歌の中に奥深い山里(吉野の山奥)が出て参ります。思いを馳せながら嵯峨野の春秋と当時では奥深い山里だったであろう吉野の春をアップしてみました。*以前にアップずみの写真も編集して記載。
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清涼寺は嵯峨源氏の祖(光源氏のモデルになった源融)の山荘跡 嵯峨 の“釈迦堂(しゃかどう)さん”、嵯峨野は当時の風情を多く残す竹林の小径、古い嵯峨野のおもかげが残っている広沢の池などいにしえの風景に当時に思いを馳せる事が出来ましょう。
                     ◆清涼寺
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姫君の養女問題や自身の薄倖を悲しむ明石は尼君におされて姫君を源氏の養女に出す決心をする。
★「雪深み深山の道は晴れず とも なほ文かよへ跡絶えずして」明石の君から乳母へ。意)「雪が深いので奥深い山里への道は通れなくなろうとも どうか手紙だけはください、跡の絶えないように」
乳母から明石の君に「雪の消える間もない吉野の山奥であろうとも必ず訪ねて行って心の通う手紙を絶やすことは決してしません」と約束し別れの日が来ます。源氏が姫君を迎えに大堰山荘を訪問。他人の養女にして忍びきれず泣く明石の君。(養女に姫を出してから以後、明石の君は明石の上「上」という呼称で待遇される)
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大堰(井)の山荘では毎日子を恋しがって明石が泣いて暮らしている頃、うららかな空の下、二条の院の源氏夫婦は幸福なお正月(春)を迎えます。(源氏32歳、紫の上24歳、明石の君23歳、姫君4歳)のお直衣に何ともいえない素晴らしい御衣を重ねて大堰山荘訪問する源氏

大堰川は京都府を流れる淀川水系の一級河川。桂川・大堰川・保津川と名前変わり桂川は平安時代には歴代天皇が舟遊びなどをした遊覧地でありました。明治29年4月、旧河川法が公布、同年6月の施行以降、行政上の表記は桂川に統一されている。
             ◆ この渡月橋あたりから大堰川
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       ◆保津川の船下り(平安の昔は船下りどころではなかったでしょうね)
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◆『薄雲』の巻名は源氏が最愛の人「藤壷」や左大臣を失なったときの文章から。
「 入り日さす峰にたなびく薄雲はもの思ふ袖に色やまがへる」
意)「入日が射している峰の上にたなびいている薄雲は悲しんでいるわたしの喪服の袖の色に似せたのだろうか」
              〇 ~~~~~~~~~~~ 〇
簡単に物語】〓太政大臣薨去と天変地異〓
世の中では凶兆と見られる天変地異が続き中でも太政大臣(源氏の正妻葵の上の父)が亡くなり、続いて最愛の藤壷女院も37歳の若さで亡くなります。藤壷は源氏のすべて。若い日の夢もあこがれも人知れぬ悲しみも苦しみも藤壷が命でした。源氏の悲しみは言うに及ばず、ひとり秘密を背負って深い悲嘆にくれます。世の中の人々も彼女の仁徳をしのび喪の色に染まります。

そうした折、藤壷の近くに仕えていた僧が冷泉帝に、実は帝が源氏の実子であるという出生の秘密をもらします。帝は心乱れ実父の源氏が臣下にいることが心苦しく源氏に譲位しようとします。帝の態度の微妙な変化に源氏は秘密が帝にもれたことを直感し新たな苦悩が始まります。

月日は過ぎて秋が来ます、源氏は二条院にもどっていた斎宮の女御(のちの秋好中宮(亡き六条御息所の娘)源氏が養女として帝に入内をさせますが、六条御息所との思い出を語りながら、それとなく女御への恋情をもらします。(源氏は以前、彼女に好色心を抱いていたのです)しかし、利口な女御は不興を感じ「春秋優劣論」に話題を変えます。

唐土(支那・しな)では春の花の錦が最上のものに言われております。日本の歌では秋の哀れが大事に取り扱われています。どちらもその時その時に感情が変わって、どれが最もよいとは私には決められないのです。この言葉から、紫の上が「春」を好み、女御は「秋」を好むことを知り、四季の美の粋を満喫できる豪壮な邸宅を造営する構想が、源氏の胸裏に具体化し、のちの六条院の造営とつながります。

それにつけても源氏の好色心には困ったもの。でも、ここで斎宮女御への自制心と藤壷との恋は若く思慮浅かったがゆえの過ちであったと自分に言い聞かせ、自らの青春が遠く去ったことを自覚するのです。            
          
by hime-teru | 2008-09-02 17:16 | 源氏物語(巻11~巻20) | Trackback | Comments(2)

【源氏物語文中の花】 巻15 『 蓬生 』 杉 

           ★… 【源氏物語文中の花】 巻15 『蓬生』   …★
                 撮影は昨年、京都鞍馬山・秩父にて
この巻に1カ所「杉」が明記されています。古今集「我が庵は三輪の山もと恋しくはとぶらひ来ませ立てる門」を文章に引用しています。
因みに、この巻に記載されている植物(蓬・松・藤・浅茅・葎)はアップ済みですので省略致します。
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★今までこころみきこえつるを、 ならぬ木立のしるさに え過ぎでなむ、負けきこえにける」
 意)今まで様子をお伺い申し上げておりましたが、あのしるしのではないが、その木立がは っきりと目につきましたので通り過ぎることもできず根くらべに負けました」
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『杉』スギ科の常緑高木で日本特産。本州北端から屋久島まで分布。いたるところに植林され庭園、生垣、盆栽などによく用いられる。幹は直立し大きなものでは直径5m高さ50mに達する。樹皮は赤褐色で細長い薄片になってはげる。葉は枝に螺旋状になって密生し1~2cmの針状質が硬く先端はとがる。雌雄同株で春に開花して秋には結実する。雄花序は淡黄色枝の先端に密につく。雌花序は球形、枝の先端に熟すると径2~3cmで褐色木質の球果となる。
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材は柔らかく細工がしやすいうえ直幹が得やすいため日本では建築、船、橋、電柱、器具材、
樽、下駄などの細工物用に広く利用される。樹皮は屋根ふき用に、葉は線香や抹香の原料となる。秋田、伊豆天城山、天竜川流域、吉野・熊野、高知、宮崎(飫肥)などが有名な産地。年輪の幅や材質などに微妙な差があるといわれ用材としては秋田杉、吉野杉、屋久杉などが区別される。
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『杉』神木として古くは『万葉集』から詠まれてきました、
▲三輪(みわ)神社の
「味酒(うまさけ)を三輪の祝(はふり)がいはふ手触(てふ)れし罪か君に逢ひがたき」・丹波大女娘子(たにわのおおめおとめ)
▲石上布留(いそのかみふる)神社の
「石上布留の神杉神(かむすぎかむ)びにし我(あれ)やさらさら恋に逢ひにける」・作者未詳
▲平安時代に入って、『古今集』の「我が庵(いほ)は三輪の山もと恋しくはとぶらひ来ませ杉立てる門」・よみ人しらず 三輪明神の神婚説話と結び付いて明神の歌と伝承されるようになった。
▲伏見の稲荷神社ではは幸福をもたらすものとして有名で『山城国風土記』『蜻蛉日記』や『更級日記』にも「しるしの「杉」が記されている。
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『簡単に物語のあらすじ』
この巻は源氏28~29才。うまずらで長い真っ赤な鼻の想像を絶する醜女として登場した”末摘花”が源氏が須磨に退去している間、生活の窮乏に耐えながらも再会を待ち続け、再会した源氏が痛く感動し二条院に引き取って幸せに暮らすという暖かい物語になっています。

四月ごろに花散里を訪ねる道すがら形もないほどに荒れた大木が森のような邸の前にさしかかる。忍び歩きの思い出される艶な夕月夜であった。この荒れた屋敷が常陸の宮邸であることに気ずき、源氏は物哀れな気持ちになって車を止めさせた。道もないくらい深く茂った蓬の邸の姫君の変わらないお心を」と独り言をいってお車からお下りになると、御前の露を馬の鞭で払いながらお入りになる。
「松にかかった藤の花を見過ごしがたく思ったのは その松がわたしを待つというあなたの家の目じるしであったのですね!と前生の因縁を感じる源氏。何一つ優れた所等なく普通の男性ではとても堪えて拝見できないご容貌であるという末摘花を、なぜ!源氏は妻の一人として迎えられるのか? 不思議な巻ですが・・・。

源氏は二条東院に迎え入れるまでの一時的な宮邸の修理を行い、2年後 東の院という所に迎える。夫婦として同室で暮らすようなことはなかったが・・・、軽い扱いは少しもされなかった。
紫式部は生涯関わり合った全ての女性の面倒を見るという理想の殿方として光源氏を位置ずけています。果たして、このような男性が昔も!現代でも!存在するでしょうか?と思うと・・・。疑わしいですね~。
【常陸宮の姫君を源氏が訪ねるまでの日常】
父上の親王がお亡くなりになってからお世話する人もないお身の上で、もともと荒れていた宮邸は狐の棲みかとなって、浅茅は庭の表も見えぬほど茂り、蓬は軒の高さに達し、葎は西門、東門を閉じてしまうほど荒れ果て、くずれた土塀は牛や馬が踏みならしてしまい、春夏には無礼な牧童が放牧をしに来るという常陸宮邸の佇まいだが、それでも由緒ある宮家の誇りを持ち続けようと寝殿の中だけは塵は積もりっていても昔の装飾そのままに荘厳なお住まの中でひっそりと末摘花は過ごしています。ご兄弟の禅師の君(世にもまれな古風な方で同じ法師という中でも処世の道を知らない世離れした僧)だけが、たまに、お立ち寄りになる日々を送っていらっしゃいました。
by hime-teru | 2008-08-10 22:30 | 源氏物語(巻11~巻20) | Trackback | Comments(2)

【源氏物語文中の花】 巻17 『絵合・えあわせ』  花蘇芳

                 ◆◇ 寒中お見舞い申し上げます ◇◆
新年の行事をアップし終えたところで、又、花と向き合っていきたいと思います。お陰様にてこのブログを立ち上げまして『2才と半年』歳、アップの写真は5千枚は越えているのでは思います。アクセス数も多いときには日に70件を越える数字が続きます。拙い写真が不特定多数の方に見て頂き、読まれているかと思うと・・・怖さは常に私の心から離れません。自問自答しながらパソコンに向かう毎日ですが、心優しい皆様にご指導賜りながら、今年も「お花」とのお付き合いを大切に精進して参りたいと思っています。今年もどうぞ宜しくお願い申し上げます。 
 
                     ★…☆…●…☆…★
  
              ★… 【 源氏物語文中の花 】  巻17  『絵合・えあわせ』  花蘇芳 …★
この巻は前斎宮をめぐる朱雀院と光源氏の確執の巻です。頭中将との絵合の対戦が巻名になっています。
◆この巻にお花の記載は出て参りませんが・・・、催しもののお道具や織物に花の名が出てきます
その一つ【蘇芳】 スオウを取り上げ『花蘇芳』をアップ致しましょう。昨年の四月撮影
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なお蘇芳は日本では生育しない植物なので古くから輸入にたよりながら愛用されてきました。幹にはとげが多く花は黄色のようです。インド南部やマレー半島などに生育する蘇芳の樹木の芯には赤色の色素が含まれており、それを染めて明礬(みょうばん)あるいは椿やヒサカキの木などを燃やした灰を使って発色させるようです。
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花蘇芳の名花がスオウ(蘇芳)で染めた色に似ているところからつけられたようです。花には花柄がなく枝に直接に花がついています。花は紅色から赤紫(白花品種もある)で長さ1cmほどの蝶形花です。
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文中に出てきます設えもの
★左は、紫檀の箱に蘇芳の花足、敷物には紫地の唐の錦、打敷は葡萄染の唐の綺なり。童六人、赤色に桜襲の汗衫、衵は紅に藤襲の織物なり。姿、用意など、なべてならず見ゆ。
★右は、沈の箱に浅香の下机、打敷は青地の高麗の錦、あしゆひの組、花足の心ばへなど、今めかし。童、青色に柳の汗衫、山吹襲の衵着たり。

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◆【蘇芳】は赤色系の植物染料の1種。その色名。アジア南部に産するマメ科の小高木で飛鳥時代から輸入され、その幹を切り砕いて煎じ薬用や絹の染色に使われた。灰汁やミョウバンでアルミニウム媒染を行い、やや茶色みまたは紫色みのある赤色、鉄媒染して紫色に染め、養老の衣服令、服色の項に、蘇芳は紫の次、緋の上に掲げられ高位の者が用いる色であった。それは舶来品で貴重なものであったからだでしょう。
鎌倉時代後期から琉球貿易によって盛んに輸入され、蘇芳染めの染織品が多くなった。
襲色目では、蘇芳は表裏とも蘇芳、下襲の場合に限って表白、裏蘇芳のものを蘇芳といい、また躑躅ということもあった。裏濃蘇芳は表薄蘇芳、裏濃蘇芳である。
また、木工の発色にも用いられ著名な正倉院の赤漆文欟木厨子(かんぼくずし)をはじめとする赤漆塗りの調度は後世の赤漆と異なり、木地に蘇芳を塗ってから生漆をかけたものだそうです。
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日本では飛鳥・天平時代の重要な赤色染料でありましたが、色がさめやすいので現在では織物の染色には用いられていないようです。
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【簡単に物語】
源氏31歳。六条御息所の遺児「斎宮」を冷泉帝の後宮に入内させる計画をたてます。、この巻は、よきライバルである光源氏と頭の中将(現権中納言)頭の中将の娘(すでに入内して弘徽殿女御)と、源氏が送り込んだ斎宮とが、帝の寵愛をめぐる争いとなり、『絵合・えあわせ』と言う宮中行事で競うこととなります。この場面では「竹取」対「宇津保」「伊勢物語」対「正三位」・・・etc。それがそのまま源氏と頭の中将との権勢争いの始まりとなっていきます。

王朝貴族たちの娯楽は、典雅で悠久の趣があったと言われています。歌をかわしたり、漢詩を吟じたりと文芸的なものから、歌謡や奏楽などの芸事、香(薫物)や絵などをお互いに出し合って、どちらが優れているかを競い合う「絵合」、競馬・蹴鞠といったスポーツ、さまざまな娯楽があったようです。この巻では、その一つ「絵合」が男たちの覇権争いに利用されています。

当日は、美々しい催しとなり、いずれ劣らぬ名品そろいで判定つかず、いよいよ最後の一番になった時、源氏の須磨の日記絵に集中し、須磨明石流謫を悲しく気の毒に思ったことで左の斎宮女御方の勝ちとなります。そのことにより、斎宮女御が”後宮”随一の存在となり、源氏の権勢も権中納言方を圧倒して強固なものとなっていく物語りの流れです。
by hime-teru | 2008-01-15 22:35 | 源氏物語(巻11~巻20) | Trackback | Comments(2)

【源氏物語文中の花】  巻12 『 須磨の巻』  しのぶ・忍・忍ぶ草

               ★… 【 源氏物語文中の花 】  巻12  『 須磨の巻』  しのぶ・忍・忍ぶ草 …★
                                  撮影は我が家にて 
【しのぶ・忍・忍ぶ草】           
ウラボシ科の落葉性の常緑多年生のシダ。樹皮や岩の上、屋根などに生え、葉は細長く根茎上に密に単生し、広線形でやや厚く硬く、深緑色。
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シノブは忍草の略で土でなくても生育するため”堪え忍ぶ”という意味である。
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吊忍として夏の観賞用に供するのは江戸時代からの風習である。冬にはすっかり枯れるが、春にはまた葉が出てくる。
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★須磨の巻は源氏が須磨から花散里との手紙のやりとりの場面があります。
文中) 荒れまさる軒のしのぶを眺めつつ しげくも露のかかる袖かな」 …花散里
 意)「荒れて行く軒の忍ぶ草を眺めているとひどく涙の露に濡れる袖ですこと。
「忍(草)」と「露」は縁語。「軒の忍(草)」は荒廃した邸を象徴し「露」「涙」を連想させる。
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花散里は、生い茂った雑草のほかに後見(うしろみ)をする者のない身の上なのであると源氏は思いやって、長雨に土塀がところどころ崩れたことも書いてあったために、京の家司(けいし)へ命じて、近国にある領地から人夫を呼ばせて花散里の邸の修理をさせた。
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歌には「荒れまさる」とありますので、何処にでも生える”しのぶ”を取り上げましたが、葉が細い”軒忍”というシダしのぶもあります。
by hime-teru | 2007-09-10 00:12 | 源氏物語(巻11~巻20) | Trackback | Comments(2)

【源氏物語巻名の花】  巻20 『 朝顔の巻 』   朝顔・あさがお

      ★… 【 源氏物語巻名の花 】  巻20 『 朝顔 の巻』  朝顔・あさがお  …★
                      撮影はH19,8月~我が家にて
この巻のヒロイン「朝顔の姫君」は、作中人物(桃園式部卿宮の姫君)の通称です。
光源氏のいとこにあたり、名前は源氏からアサガオの花を添えた和歌を贈られたという「帚木」や「朝顔」の逸話からきており、そこから「朝顔の姫君」「朝顔の斎院」「槿姫君」「槿斎院」などの呼び名がある。
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●なお、朝顔の巻の  【槿】
 のアップ済みも参照下さい。朝顔が、ムクゲ(槿)の古称でもあることから、まれに「槿(あさがお)」と表記されることがあります。「槿・ムクゲ]をアップしています。
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朝顔・あさがお
万葉時代に「朝顔」と呼ばれていたのは桔梗のことです。秋の七草に含まれているのもそのためのようです。現在の「朝顔」は平安時代に中国から輸入され今も根付いているのだそうです。ちなみに桔梗だけではなくムクゲの花も「槿」と書き「あさがお」と呼ばれていたようです。
朝顔の斎院」の場合、歌に朝顔が歌われ、平安時代に中国から輸入された事でもあり、現代の朝顔ではないかと思います。
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【簡単に物語】 …あらすじ
この巻は”朝顔姫君”の物語です。
斎院を退いた朝顔の姫君に光源氏は長年の恋心を訴えますが、慎み深い姫君は聞き入れません。源氏が若い頃から熱をあげていた女君の一人で、高貴な生まれゆえ正妻候補に幾度か名前が挙がり正妻格の紫の上の立場を脅かします。
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桃園式部卿宮の娘「朝顔の姫君」にかねてから思いをよせていた源氏は、再び彼女への慕情が燃え上がり、女五の宮の見舞いにかこつけて、桃園通いがはじまります。生来の癖とは言え藤壷を失った空虚な心がそうさせているのかも知れません。源氏びいきの女五の宮は源氏と朝顔の結婚を望んでいます。
姫君も源氏に好意を寄せているが、源氏の恋愛遍歴と彼と付き合った女君たち、特に六条御息所との実らぬ恋のやるせなさを見ているので妻になろうとまでは思わず、自分は源氏とはかかわりを持つまいと心に決め、源氏の愛を拒み続けます。
源氏とは終始プラトニックな関係を通すのです。朱雀帝時代に斎院を長く続けたたため婚期を逃し、そのまま独身を貫き通して出家、物語の表舞台から消えるヒロインです。
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朝顔の姫君は以前にも増してつつしみ深く、源氏はいたずらに思いをつのらせるのですが、姫君は、いまさら源氏の愛を受け入れる気等ありません。それは皇女としての誇りがあり、高貴な身の上ゆえに源氏に惹かれつつも終生源氏の求愛を拒み通すのです。(今も昔も、このような慎み深い女性は、男性から見れば魅力的なのかもしれません)
一方、紫の上は身分としては同じ皇族出なのですが、世間の名声は朝顔の姫にくらぶべくもないので源氏の愛だけが頼り、悩みと不安は次第に深まり物思いの日々が続きます。
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★※原文)枯れたる花どもの中に、朝顔のこれかれにはひまつはれて、あるかなきかに咲きて、匂ひもことに変はれるを、折らせたまひて たてまつれたまふ。
※意)枯れたいくつもの花の中に、朝顔があちこちにはいまつわって、あるかなきかに花をつけて、色艶も格別に変わっているのを、折らせなさって斎院へ贈りになる。
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★※原文) 見し折のつゆ忘られぬ朝顔の 花の盛りは過ぎやしぬらむ。 …… 源氏
※意 昔拝見したあなたがどうしても忘れられません。その朝顔の花は盛りを過ぎてしまったのでしょうか  
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☆※原文) 秋果てて霧の籬にむすぼほれ あるかなきかに移る朝顔。…… 朝顔の姫君
※意)秋は終わって霧の立ち込める垣根にしぼんで今にも枯れそうな朝顔の花のような、もの哀れな気持ちになっております私ですと姫君。
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源氏を拒みつづける朝顔の姫君の存在には、どこか藤壷の影が感じられます。朝顔の姫君のことばかりに気を取られていて・・・思い通りにゆかない(失恋)。夢に亡き藤壺中宮が現れ、その救われぬ苦しみに衝撃を受けた源氏は手厚く祈願する。源氏は亡き藤壷への追慕の情が心をゆるがせながら最後には紫の上を藤壷の面影を宿した理想の女として認識させられるのです。
by hime-teru | 2007-09-06 22:22 | 源氏物語(巻11~巻20) | Trackback | Comments(3)

【源氏物語文中の花】 巻15・蓬生 巻10・賢木の巻  茅 ・ちがや・浅茅生・あさじふ  

    ★… 『 源氏物語文中の花 』  巻15・蓬生 巻10・賢木の巻  茅 ・ちがや・浅茅生・あさじふ …★ 
                    撮影は町の遊歩道沿いの休耕田の田んぼにて
イネ科の多年草。アジアからアフリカにかけて広く分布し我が国でも野山などにありふれた草。現代名はチガヤでチ(千)のカヤ……すなわち群れ生える草を意味している。春の終わりの頃に真っ白な穂状の花を咲かせる。
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夏、花穂に銀色の綿毛をつけて、よく目立ちます。春の蕾の時は甘みがあって食べられる。。春の終わりの頃に真っ白な穂状の花を咲かせる。この花穂は茅花(ツバナまたはチバナ)と呼ばれます。春の蕾、若いツバナ(茅花)には、ほのかな甘味があり、昔は子供達が(私も)野原で遊んだ折りに幼友達と目を輝かせながら摘みとって食べたものです。
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背景となる季節は、大概は秋、それも寒さを増す頃の秋ですが・・・・。中世文学では秋の寂れた情景を、趣深いものと受け取るようになり和歌でも荒れ果てた「浅茅の宿」のイメージが盛んに詠まれた。

【蓬生】
☆ 「浅茅は庭の面も見えず、しげき、蓬は軒を争ひて生ひのぼる」
浅茅は庭の表面も見えず、生い茂った蓬生は軒と争って成長している。
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蓬生巻の原文で描かれている末摘花の邸の庭の荒廃は凄まじく、野良藪(のらやぶ)のような邸の中で、寝殿だけは昔通りの飾りつけがしてあるが、きれいに掃除をしようとするような心がけの人もなく、埃は積もってもあるべき物の数だけはそろった座敷に末摘花(すえつむはな)は暮していたのです。春夏には無礼な牧童が放牧をしに来たり、「さる薮原」「かかる浅茅が原」と草深い様子で繰り返し描かれます。
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【賢木】
原文)「 浅茅生の露のやどりに君をおきて 四方の嵐ぞ静心なき」 … 源氏の贈歌 
)「浅茅生に置く露のようにはかないこの世にあなたを置いてきたので まわりから吹きつける世間の激しい風を聞くにつけ、気ががりでなりません」

紫の君の身の上が心配でならない源氏。『完訳』は「「あさぢふの露」が「四方のあらし」に吹き散る景に、世の「常なさを思しあかす源氏の心を象徴」と指摘。源氏からの情のこもった歌で紫の上は泣く。

原文)風吹けばまづぞ乱るる 色かはる 浅茅が露にかかるささがに … 紫の上の返歌
)「秋風が吹くと浅茅は色褪せ、そのはかない露にかかる蜘蛛の糸も頼りなく乱れます」
「色変はる」に源氏の心変わりをいい、ささがに→(蜘蛛の糸)は自分をいう。源氏を頼りに生きていると。つまりは心変わりしやすいあなたを頼みにする私も心乱れます。まわりから吹きつける世間の激しい風を聞くにつけ気ががりでなりませんと返事をするのです。
by hime-teru | 2007-09-04 21:07 | 源氏物語(巻11~巻20) | Trackback | Comments(0)

【源氏物語文中の花】  巻14  『澪標の巻』  菖蒲・あやめ

 ★…【源氏物語文中の花 】巻14 『澪標の巻菖蒲・あやめ …★
この巻の花の記述は、意外にも源氏の手紙文の「菖蒲・あやめ」以外は出て参りません。花菖蒲をアップしながら簡単なあらすじを記載しておきます。
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この巻は源氏と明石の君の歌が巻名になっています。
※【原文】
「みをつくし恋ふるしるしにここまでも めぐり逢ひけるえには深しな」 …源氏
意)「身を尽くして恋い慕っていた甲斐のあるここで、めぐり逢えたとは、縁は深いのですね」
※【原文】
「数ならで難波のこともかひなきになどみをつくし思ひそめけむ」
意)「とるに足らない身の上で、何もかもあきらめておりましたのに、どうして身を尽しくてまでお慕い申し上げることになったのでしょう」 … 明石の君 
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※五十日(いか)のために源氏は明石へ使いを出し、飛んで行きたい気持ちです、という手紙文の中に・・・。
※【原文】
海松や時ぞともなき蔭にゐて何のあやめもいかにわくらむ … 源氏の手紙
 意) 海松は、いつも変わらない蔭にいたのでは今日が五日の節句の五十日の祝とどうしてお分りになりましょうか?
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澪標の簡単なあらすじ
藤壺と光源氏の子「冷泉」が帝になり光源氏の地位が上がり、明石の君が光源氏の子を無事出産する。 愛人・六条御息所が亡くなり彼女の娘を引き取る。源氏物語はある種の政治小説です。恋物語の裏には必ず政治的陰謀がはりめぐらされ女性たちの陰には、男の権力の確執がみえかくれします。「桐壷」巻以来続いてきた左・右大臣家の対立という構図が崩壊し源氏方の人々が政界の主流にすわるようになります。
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源氏と頭の中将とは宿敵として、ことごとく張り合いぬきつぬかれつの政争を繰り返し、晩年には頭の中将の最愛の長男「柏木」の出現で物語は政争から運命的なものへ大きく変換していく。
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須磨で2年と4か月のわびしい生活に終止符をうち、源氏や昔の左大臣家の人々に再び明るい春が訪れます。源氏の弟宮(本当は実の子)「冷泉帝」が即位し、源氏は内大臣となります。一方、源氏の旧友であり良きライバルの頭の中将(現権中納言)の娘が冷泉帝の後宮に入内して女御となり、これにより頭の中将が政界の重鎮になる道が開けてきます。源氏はこれに対抗し六条御息所の遺児斎宮を送り込むことを考えます。
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◆【その喜びの中で、数々の女君達のその後が語られます
1)…【明石の君が光源氏の子を無事出産
三月十六日、姫君が無事に誕生されました。明石へ盛大なお祝いの品々をお送ります。やがては后となるべき姫のために乳母も選び明石へ、源氏の君は大変な思いの入れようです。乳母の派遣、守り刀、和歌の贈答で都と明石の道筋の土台が出来てきます。冷泉帝を中心とする源氏の君の体制が着々と整う中で、物語に明石の上が産んだ姫君がからんできます。おまけに、星占いの言葉の通り、住吉の神様の御加護もあるということですから・・、明石の姫君の将来は約束されたようなものです。明石の姫君は東宮に入内し、光源氏は天皇を退位した人に匹敵する処遇である「准太上(じゅんだいじょう)天皇」の位を受け、栄華をきわめるのです。
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2)…【紫の上への告白と嫉妬
明石君との一部始終を紫の上に打ち明けます。さすがに心おだやかでない紫の上。紫の上のご機嫌を取ることに、しばし追われる源氏。その嫉妬の姿に魅力を感じる源氏…男の身勝手な姿。いつの時代も恋とは人を変えてしまうものである。ときめく人と巡り合ったら・・・。どんな恋を?。御息所のように一途に愛して人を恨んだりするでしょうか?若い時代は比翼の鳥のように人を愛したいと思い、理想を夢見る。それが、長い年月と共にお互いの心内を言葉にしなくても分かり合える年齢に達するものでしょう。それが・・・・?
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3)…【六条御息所、死去
『六条院』は六条御息所の旧邸(光源氏が35歳の年の8月、秋好中宮が母・六条御息所から伝領した邸宅を含む敷地に造営したものです)「冷泉帝」の御代になり、斎宮も交替になり六条の御息所は伊勢から戻られています。御息所は高貴な容姿に豊かな趣味、高雅な暮しぶりをなさっていたが、にわかに重い病気になって心細くすごされて、娘に付き添い伊勢という神の境にあって、仏教から遠ざかっていた幾年かのことが恐ろしく思われて尼になられたのです。
私が亡くなったあとの斎宮のお世話を御息所は光源氏にご遺言として託します。孤児になるのでございますから何かの場合に子の一人と思ってお世話をしてください。ほかに頼んで行く人等なく心細い身の上をお察し下さいませと。
私のような者でも、もう少し人生というもののわかる年頃まで傍に付いていてあげたかったのですが・・世の無常に涙します。源氏は遺児を引き受けるのです。今も昔も変わらぬ母の気持ち御息所の言葉が胸を打ちます。
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出産、嫉妬、死、そして、また新たな恋・・・・・・この巻は政治的色彩の極めて濃い巻です。
物語は明石の姫君の誕生、紫の上への告白と嫉妬、明石の君との再会、六条御息所の死・・・等、源氏個人の女性関係を表面に浮かばせ物語性を高めていきます。
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私の独り言
藤壺と光源氏の密通により生まれた血統の正しくない皇子が帝位に就くことは、考えてみれば、すさまじきことであり、これを書いた源氏物語が物語の内容を書きかえられることもなく、千年過ぎて今日まで書き伝えらて来たことはすごいことだとつくづく思います。
平安の時代に実際にあった事なのでしょうか?千年以上もの間、正しき血筋だけが綿々と続いているなんて!信じがたい事と疑問を持ちながら・・・紫式部がこの問題を書いたのは何か特別な理由があったからでは???と、思わずにはいられません。
by hime-teru | 2007-07-05 22:56 | 源氏物語(巻11~巻20) | Trackback | Comments(0)

【源氏物語文中の花】  巻11   『花散里 の巻』  カツラ & 橘

                ★… 【 源氏物語文中の花 】  巻11 『花散里』  カツラ & 橘 …★
                       撮影は京都御所・奈良・白神山地 (H・18年)
花散里の物語は源氏物語の中でも閑話的なお話しです。
「葵」や「賢木」の巻での緊迫した場面が続いた後、「ほっ」と一息、光源氏の二十五歳夏の巻です。物語の中で最も短い巻のひとつです。この巻に季節性のある野山の植物には「カツラ・橘」の木が出て参ります。
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カツラの葉の新緑は美しさに加えて優雅さを備えていることから、葵祭りでは行列に参加するおもな人たちは”カツラの枝”を頭に挿頭すのが習わしである。
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※【原文】
五月雨の空めづらしく晴れたる雲間に渡りたまふ。大きなるカツラの木の追ひ風に祭のころ 思し出でられて・・・
意)大きなカツラの木を吹き過ぎる風に乗って匂ってくる香りに、葵祭のころが思い出されなさって・・・
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【カツラ】
カツラ科の落葉高木。日本全土の深山の谷沿いの林中に生え高さ25メートル以上にもなり、短枝が多い。葉は対生し、広卵形で長い柄があり先は円く、基部は心臓形、縁に鈍い鋸歯があり、裏面は粉白色を帯びる。雌雄異株。花期は5月ごろ。花被はなく雄花は多数の雄しべがあり、葯は紅色。
【歌(二首)】
☆朝日さす軒のたるひは解けながら などかつららの 結ぼほるらむ … 源氏(末摘花の巻)
☆月のすむ河のをちなる里なれば かつらの影は のどけかるらむ … 冷泉帝(松風の巻)

時鳥にこと寄せて橘の花の臭う花散里の住む家を訪ね、姉麗景殿女御と昔を語る。※(花散里は姉(麗景殿女御)の保護を受けて侘びしい生活をしていらっしゃるが穏和で誠実な人です)
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【原文】 橘の薫りは五月の季節描写
二十日の月さし出づるほどに いとど木高き蔭ども木暗く見えわたりて、近きの薫りなつかしく匂ひて、女御の御けはひ、ねびにたれど、あくまで用意あり、あてに らうたげなり。
意二十日の月が差し昇るころに、ますます木高い木蔭で一面に暗く見えて近くのの薫りがやさしく匂って、女御のご様子、お年を召しているが、どこまでも深い心づかいがあり気品があって愛らしげでいらっしゃる。
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☆「の香をなつかしみほととぎす花散る里をたづねてぞとふ」…源氏の麗景殿女御への贈歌。
意)「昔を思い出させるの香を懐かしく思ってほととぎすが花の散ったこのお邸にやって来ました。  
☆「人目なく荒れたる宿は橘の花こそ軒のつまとなりけれ」…花散里(麗景殿女御の返歌)橘」の語句を受けて返す。
意)「訪れる人もなく荒れてしまった住まいには 軒端のだけがお誘いするよすがになったのでした」
◆さすがに貴女(きじょ)であると源氏は思う。
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【橘・タチバナ】
ミカン科の常緑低木。台湾から日本列島の暖地の海に近い地方に自生する。日本に古くから野生した唯一の柑橘で、別名ヤマトタチバナともいう。直立性で高さ4メートル、枝は密生し、長さ3~5ミリの刺をもつ。葉は狭卵形で細い鋸歯がある。萼は緑色で五裂、花弁は白色で五枚、半開性である。花径2センチ、雌しべは1本、雄しべは約20本、5~6月に開花する。果実は扁平で直径3センチ、黄色に熟し6グラム内外、ユズに似た香りがあり、剥皮は容易である。袋数は八内外、果肉は淡黄色で柔らかく多汁であるが、酸味が強く食用には向かない。種子は大きく多胚性で胚の色は緑色である。
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直立性の樹姿は美しく庭園樹とされる。京都御所紫宸殿(ししんでん)の「右近(うこん)の橘(たちばな)」は「左近(さこん)の桜」とともに名高く野生のタチバナの改良種であるといわれている。『
万葉集』には68の橘の歌が詠まれているが、多くは花や香りを歌い果実は珠に貫くなどと取り上げられ、食用にはまったく触れられていない。
↓京都御所紫宸殿の右近の
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参考
※右近の橘は鎌倉初期の『平治物語』に「左近の桜、右近の橘」の記述があり、平安時代には成立していたが、さらにその起源は、桓武天皇が紫宸殿の階(きざはし)の左右にサクラとタチバナを植えたのに始まり左(東)は左(さ)近衛(このえ)府、右(西)は右近衛府と警護の官人が詰めていたので、そうよばれるようになったと伝える。

※橘は藤や卯の花とともに時鳥に配合され、『万葉集』の「橘の花散る里の時鳥片恋しつつ鳴く日しそ多き」…大伴旅人。この歌が『源氏物語』「花散里・はなちるさと」の「橘の香(か)をなつかしみ時鳥花散る里をたづねてぞ訪(と)ふ」に受け継がれた。
by hime-teru | 2007-05-23 14:24 | 源氏物語(巻11~巻20) | Trackback | Comments(4)