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【源氏物語文中の花】  巻11   『花散里 の巻』  カツラ & 橘

                ★… 【 源氏物語文中の花 】  巻11 『花散里』  カツラ & 橘 …★
                       撮影は京都御所・奈良・白神山地 (H・18年)
花散里の物語は源氏物語の中でも閑話的なお話しです。
「葵」や「賢木」の巻での緊迫した場面が続いた後、「ほっ」と一息、光源氏の二十五歳夏の巻です。物語の中で最も短い巻のひとつです。この巻に季節性のある野山の植物には「カツラ・橘」の木が出て参ります。
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カツラの葉の新緑は美しさに加えて優雅さを備えていることから、葵祭りでは行列に参加するおもな人たちは”カツラの枝”を頭に挿頭すのが習わしである。
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※【原文】
五月雨の空めづらしく晴れたる雲間に渡りたまふ。大きなるカツラの木の追ひ風に祭のころ 思し出でられて・・・
意)大きなカツラの木を吹き過ぎる風に乗って匂ってくる香りに、葵祭のころが思い出されなさって・・・
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【カツラ】
カツラ科の落葉高木。日本全土の深山の谷沿いの林中に生え高さ25メートル以上にもなり、短枝が多い。葉は対生し、広卵形で長い柄があり先は円く、基部は心臓形、縁に鈍い鋸歯があり、裏面は粉白色を帯びる。雌雄異株。花期は5月ごろ。花被はなく雄花は多数の雄しべがあり、葯は紅色。
【歌(二首)】
☆朝日さす軒のたるひは解けながら などかつららの 結ぼほるらむ … 源氏(末摘花の巻)
☆月のすむ河のをちなる里なれば かつらの影は のどけかるらむ … 冷泉帝(松風の巻)

時鳥にこと寄せて橘の花の臭う花散里の住む家を訪ね、姉麗景殿女御と昔を語る。※(花散里は姉(麗景殿女御)の保護を受けて侘びしい生活をしていらっしゃるが穏和で誠実な人です)
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【原文】 橘の薫りは五月の季節描写
二十日の月さし出づるほどに いとど木高き蔭ども木暗く見えわたりて、近きの薫りなつかしく匂ひて、女御の御けはひ、ねびにたれど、あくまで用意あり、あてに らうたげなり。
意二十日の月が差し昇るころに、ますます木高い木蔭で一面に暗く見えて近くのの薫りがやさしく匂って、女御のご様子、お年を召しているが、どこまでも深い心づかいがあり気品があって愛らしげでいらっしゃる。
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☆「の香をなつかしみほととぎす花散る里をたづねてぞとふ」…源氏の麗景殿女御への贈歌。
意)「昔を思い出させるの香を懐かしく思ってほととぎすが花の散ったこのお邸にやって来ました。  
☆「人目なく荒れたる宿は橘の花こそ軒のつまとなりけれ」…花散里(麗景殿女御の返歌)橘」の語句を受けて返す。
意)「訪れる人もなく荒れてしまった住まいには 軒端のだけがお誘いするよすがになったのでした」
◆さすがに貴女(きじょ)であると源氏は思う。
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【橘・タチバナ】
ミカン科の常緑低木。台湾から日本列島の暖地の海に近い地方に自生する。日本に古くから野生した唯一の柑橘で、別名ヤマトタチバナともいう。直立性で高さ4メートル、枝は密生し、長さ3~5ミリの刺をもつ。葉は狭卵形で細い鋸歯がある。萼は緑色で五裂、花弁は白色で五枚、半開性である。花径2センチ、雌しべは1本、雄しべは約20本、5~6月に開花する。果実は扁平で直径3センチ、黄色に熟し6グラム内外、ユズに似た香りがあり、剥皮は容易である。袋数は八内外、果肉は淡黄色で柔らかく多汁であるが、酸味が強く食用には向かない。種子は大きく多胚性で胚の色は緑色である。
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直立性の樹姿は美しく庭園樹とされる。京都御所紫宸殿(ししんでん)の「右近(うこん)の橘(たちばな)」は「左近(さこん)の桜」とともに名高く野生のタチバナの改良種であるといわれている。『
万葉集』には68の橘の歌が詠まれているが、多くは花や香りを歌い果実は珠に貫くなどと取り上げられ、食用にはまったく触れられていない。
↓京都御所紫宸殿の右近の
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参考
※右近の橘は鎌倉初期の『平治物語』に「左近の桜、右近の橘」の記述があり、平安時代には成立していたが、さらにその起源は、桓武天皇が紫宸殿の階(きざはし)の左右にサクラとタチバナを植えたのに始まり左(東)は左(さ)近衛(このえ)府、右(西)は右近衛府と警護の官人が詰めていたので、そうよばれるようになったと伝える。

※橘は藤や卯の花とともに時鳥に配合され、『万葉集』の「橘の花散る里の時鳥片恋しつつ鳴く日しそ多き」…大伴旅人。この歌が『源氏物語』「花散里・はなちるさと」の「橘の香(か)をなつかしみ時鳥花散る里をたづねてぞ訪(と)ふ」に受け継がれた。
Commented by 蘭翁 at 2007-05-23 22:11 x
右近の橘、我が家の家紋は丸に橘です。茨城県の旧猿島郡五霞村が父祖の地と聞いています。
Commented by よしえ at 2007-05-23 22:46 x
岳沢の深い森の中にカツラの巨木が居る。日が差し込めば、秋は金色に輝き、優香な香りで、遠くからその存在を示し、行きは元気づけてくれ、帰りは優しく癒してくれる、山の神の一つである。

 よしえ
Commented by hime-teru at 2007-05-24 22:59
蘭翁さま。
家紋のルーツを調べていきますと曖昧で面白いところがありますね。
富山県の家紋は我が国の家紋分布の上からも特色ある県で、木瓜紋が全体の家紋の三割ちかい比率で、一つの家紋がこれ程多く用いられた県は他にはないとのこと。よく分かりませんが、日下部氏族の朝倉氏の影響がきわめて高いからのようです。ちなみに木瓜紋は織田信長をを筆頭に武家に多く見られ、幾何学的で図案化しやすい絵柄なのでバリエーションが多く沢山の種類が見られます。

橘紋は橘氏の代表紋、幕末の大老、彦根の井伊氏も橘紋だそうですね。
茨城県の旧猿島郡五霞村(坂東市)は今でも長閑な農村地帯です。行かれたことおありですか?私は筑波学園都市にいる実弟の家に行くときに通過する町です。ちなみに我が家は「蔦」です。
Commented by hime-teru at 2007-05-24 23:05
よしえさま。
カツラの木を見て思い出されたのですね♪。心を癒してくれた巨木の精霊はまさに「山の神」優しい母のまなざしの如く‥だったのでしょう。

カツラの木に見守られながら通い続けた岳沢、昨年の豪雪で雪崩にあっていないでしょうか?安否が心配ですよね。
by hime-teru | 2007-05-23 14:24 | 源氏物語(巻11~巻20) | Trackback | Comments(4)