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【紫式部邸宅遺跡】 【廬山寺・ろざんじ】

                   ★… 【 紫式部邸宅遺跡 『廬山寺・ろざんじ』 】 …★
4月の初旬、京都の源氏物語ゆかりの地廬山寺に行って参りました。京都御所にほど近く紫式部の邸宅跡として知られています。
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紫式部は廬山寺の境内で育ち結婚生活を送り、一人娘の賢子を産み、59歳で生涯を終える迄この地で暮らし「源氏物語」をはじめほとんどの著作を執筆したと言われています。この地は紫式部の曽祖父、権中納言藤原兼輔(堤中納言)が建てた邸宅(堤第)でした。
ちなみに、紫式部は日本で唯一フランスのユネスコ本部に『世界の五大偉人』(世界最古の偉人並文豪)として登録されました。
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● 源氏庭
平安朝の庭園の「感」を表現したものであり、白砂と苔の庭です。源氏物語に出てくる朝顔の花は今の桔梗のことであり、紫式部に因み、紫の桔梗が6月から9月末まで静かに花開くようです。私が参りました時は苔の間から新芽が顔をを出したばかりでした。
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●紫式部・大弐三位   歌碑     (本堂右手に)
 ★ めぐりあひて見しやそれともわかぬ間に雲がくれにし夜半の月かな…紫式部
 ★ 有馬山ゐなの笹原風吹けばいでそよ人を忘れやはする…大弐三位
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紫式部は藤原香子と呼び「源氏物語」「紫式部日記」「紫式部集」などは殆どこの地で執筆されたものであります。そのため、世界文学史上屈指の史跡、世界文学発祥の地とも言われております。この遺跡は考古学者角田文衛博士によって考証されました。
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☆『角田文衛博士の略歴』
1913年、福島県に出生。1937年、京都大学文学部史学科卒業。1939~42年、ヨーロッパ留学。1949~53年、大阪市立大学助教授。1953~68年、大阪市立大学教授。1968~88年、平安博物館館長兼教授。1988年、古代学研究所所長兼教授(現在)。1975~90年、財)古代学協会専務理事。1990年、(財)古代学協会埋事長(現在)。文学博士。著書-『古代学序説』(1955年)、『佐伯今毛人』(1963年)、『紫式部とその時代』(1966年)、『若紫抄』(1968年)、『日本の後宮』(1973年)、『平家後抄』(1978年)、『王朝史の軌跡』(1983年)、『角田文衛著作集』全七巻(1984~86年)、『平安京散策』(1991年)、『王朝の残映』(1992年)、『転換期の考古学』(1993年)その他著書27冊、論文報告約424編、訳書、等があります。
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by hime-teru | 2006-05-17 23:44 | 源氏物語花考察(ゆかりの地) | Trackback | Comments(0)