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【 三四郎池 】

                         ★… 【 三四郎池 】 …★
                    2015.3/10 東京大学(本郷)
朝日新聞連載の夏目漱石「三四郎」が2015年3月23日で106年前と同じく117回で連載終了しました。4月1日からは漱石の「それから」が始まります。
連載中に何となく行ってみたくなり、ふらりと訪ねた「三四郎池」3月半ばの撮影ですが・・。
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主人公、三四郎の東京での大学生活を描いた「三四郎物語」は、23~4歳になる青年の日本最初の青春小説です。三四郎は「郷里、学問、恋愛」三つの世界を書いている。主人公の小川三四郎はどこか頼りない青年。
『弥生門から入りました』
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『重厚な扉です』
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三四郎池は窪地にあります。静寂の佇まいで鳥のさえずりが聞こえるのみ。学生の声も、車の騒音もなく、散策する学生の声も池の水に包み込まれる。
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上京した三四郎の目には東京の何もかもが新鮮に映る。母の手紙に書かれていた野々宮の研究室を訪ね、帰りに東大の池の端で美しい女性を見かける。それが都会的な美禰子。謎めいた美禰子に三四郎はひかれてゆくのです。淡い恋模様を軸に、級友、与次郎の与太話に振り回されたり、広田先生の世を達観した哲学に驚かされたり、東京の街を歩きながら三四郎は迷いながら新しい世界を見つけてゆく。結末は無限の可能性を残し物語が終わっています。

青春の一時期、進路や恋に悩み苦しみながら答えを探す、時代が変わっても今の学生も本質は三四郎と同じだと思う。現代の学生も恋に悩み、進路に悩んでいるからこそ、今に読み継がれているのでしょう。

2度読むと若いときよりも心情がより繊細に胸を打ちます。4月からの「それから」は三四郎の先を描いたと記してある。映画を見たが、読み始めると不可解なことも理解できるかも知れないので楽しみです。

団子坂の菊人形、精養軒、真砂町、谷中と千駄木等、今も残る地名が親しみをくれる。多くの文人がこの坂を行き来したことでしょうね。
現在の団子坂。
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こんなお店もあったのでは?
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三四郎池で何を話しているのでしょうか?私が池を一周しても池を眺めながら話続けている留学生。
岸に立つ「美禰子」の空想か?恋に迷う三四郎の姿と重なります。石畳まで行きたいが、寄せ付けぬ空気です。そ~とてあげましょう!
とその場を離れた。
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池は明治政府による藩邸の収公後も、前田家はかつての広大な屋敷地のうち、南西の一画を所有しており、当主である侯爵・前田利為が壮大な邸宅を構えていた。
今はシンボルの赤門が残ります。
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キャンパス内の森といっても過言ではない木立は,東京大学創立以前から生えていたと思われる背の高い樹木も多い。春の新緑には早い時期だったが,秋の銀杏の紅葉は見事である。小鳥や水鳥、鳥の宝石?「カワセミ」も来るようです。栗鼠などの小動物と出会うこともある。とりどりの大樹・水・土・生物という自然が共存の小さな楽園である。
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「鬱蒼とした木々に囲まれた「三四郎池」から安田講堂が。
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山手台地を浸食した谷に流れいずる泉が小さな滝になって三四郎池に注いでいました。
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荒々しい石の園路 三四郎池の護岸 中島 「三四郎池」の正式名は「育徳園心字池」
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作中で三四郎と美禰子が出会った東京大学の心字池(育徳園心字池)は、「心」という字をかたどっていることから心字池と言われている。後に明治の東京大学を今に伝える夏目漱石の作品にちなんで
「三四郎池」と呼ばれるようになった。
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by hime-teru | 2015-03-30 22:38 | 徒然散策(関東編) | Trackback | Comments(0)