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【 檜扇 】 ひおうぎ 

           ★…【 檜扇 】 ひおうぎ 射干玉(ぬばたま)…★
                    2012.08月 我が家にて撮影
【檜扇】ツリフネソウ科の多年草、草丈60㌢。花は8~9月頃に咲く、6枚の花被片は水平に開き、黄赤色で内面に濃い紅点があります。耐寒性に弱いが、我が家はプランターで毎年咲いてくれます。
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檜扇の名は葉の並び方が扇に似ているから名付けられたようです。
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京都の祇園祭このヒオウギが必ず飾られるという風習があります。ヒオウギは扇状の葉を持つことからヒオウギ(檜扇)と名付けられ、古代、ヒオウギで悪霊退散したことから厄除けの花として飾られるようになりましたそうです。
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祇園祭は元々は疫病を流行らせている怨霊の怒りを鎮めるために始められたことから、悪霊退散に使われたヒオウギは欠かせないものとなったと考えられています。
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【檜扇・ひおうぎ】
ヒノキの薄板20~30枚をつづり合わせた板扇。平安時代から束帯、衣冠などの服飾品として用いられ笏(シャク)の代用ともされた。近世には板数も3位以上は25枚、4位以下は23枚と区別されていたようですね。。童子は杉横目の扇に彩絵を施したものを用い、女子の絵扇は一名⇒衵(アコメ)扇ともいいます。ヒノキの薄板を彩糸(イロイト)でとじ、絵を描いたもの。近世には板の数は39枚となり、これに山水、瑞鳥などの金銀泥絵を描き親骨からは彩糸のの余りを長くたらし、そのもとに松や梅、タチバナなどの糸花飾りをつけるようになった。
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従いまして「檜扇」とは、官位のある人が手に持つ笏(しゃく)の代わりに用いた扇であることから祭神を迎えるに際し格調の高かさを感じさせる花材なのです。
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また、平安時代には扇はあおぐという役割だけでなく、儀礼や贈答、コミュニケーションの道具として使われていました。具体的には和歌を書いて贈ったり、花を載せて贈ったりしたことが、源氏物語など、多くの文学作品や歴史書に書かれています。

絵巻ではたいてい片手で要に近いところを持って胸から顔に近い高さにかざしている。源氏絵巻にも女房がヒオウギで顔を覆っている絵が幾つもあります。その一つ、宿り木巻の一部をカットアップしてみました。(徳川美術館品抄より)
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巻1桐壺には・・・。名文として有名な靫負の命婦(「命婦」は中級の女官です)の弔問の場面で・・・。
※ 野分〔のわき〕だちて・・・・、「闇〔やみ〕の現〔うつつ〕」にはなほ劣りけり。
「闇の現」は「うばたまの闇の現はさだかなる夢にもいくらもまさらざりけり
(闇の中での逢瀬は、はっきりと見た夢よりたいしてまさらないなあ)」(古今集)を引用しています。子を失った悲しみで目の前が真っ暗になり悲しみに沈んでいらっしゃるうちに月の光ばかりが八重葎に妨げられずに差し込んでいる。の場面が出てきます。
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種は黒色で、射干玉(ぬばたま)と言います。この黒い色から射干玉(ぬばたま)は意味なく「黒」や「夜」」「夕」「宵」「髪」闇や暗いものの枕詞になりました。電気もネオンもない闇夜で月の光は銀色に、夜の色はこのキラリと光る黒い色で表現されたのでしょう。

アップ済みの(下記サイトの射干玉(ぬばたま))をクリックして見てください。
【射干玉(ぬばたま)】
by hime-teru | 2012-09-03 23:07 | 【は】行の花 | Trackback | Comments(0)