【 御玉突所 】 ビリヤード
                                      ★…【 御玉突所 】 ビリヤード …★
                                    2011.12.12 日光田母沢ご用邸にて
【日光田母沢ご用邸】
田母沢ご用邸は明治32年(1899)に大正天皇(当時 皇太子)のご静養地として造営されました。その後、小規模な増改築を経て大正天皇のご即位後、大正7年(1918)から大規模な増改築が行われ大正10年(1921)に現在の姿となりました。昭和22年に廃止されるまでの間、大正天皇をはじめ、三代にわたる天皇・皇太子がご利用になりました。戦後、博物館や宿泊施設、研修施設として使用された後、栃木県により3年の歳月をかけ、修復・整備され、平成12年(2000)に記念公園として蘇りました。平成15年(2003)に貴重な建造物として「国の重要文化財」に指定され、平成19年(2007)には「日本の歴史公園100選」に選定されました。
謁見所 】………天皇陛下が公式の来客との面会に使用された部屋です。

御玉突所
赤坂仮皇居の初期に御玉突所があり、明治の初めから皇室では、諸外国との交遊のために、ビリヤードを嗜んでおられました。四ツ球と呼ばれる競技台で、ポケットがありません。手洗いを除く、台と照明器具等が復原されました。『当時の最高級の 四ッ球台(中台)です。当時の中台は昭和の初期ぐらいまでは「普通台」と 呼ばれていました』


写真は大正天皇が韓国皇太子の日本滞在中ビリヤードを楽しまれた撞球台です。重厚な撞球台です。菊のご紋章いりです。

キューも揃っています。

〓現在は三笠宮寛仁親王殿下がスポーツ振興活動を続けておられ(社)日本ビリヤード協会の総裁 でいらっしゃるとお聞きしています。

★☆私の趣味の中に異色の趣味と申しましょうか?「ビリヤード」が御座います。通いつめているわけではありませんが、ストレス解消に出かけます。キッカケは?1冊の小説雑誌。私が尊敬している女流作家が着物を着て撞球をしている写真を見て心が動いたからです。ビリヤードプレーは、台に穴のあるポケットではなく三玉、四つ球のキャロムです。一人でも楽しめる楽しいゲームですが・・・歳経る年齢からのスタートは中々手強くて難しくて思うようには参りません。毎日のトレーニングが不可欠なスポーツ、生きた球が撞けるようになるまでは数十年?個人差もありますが、長い年月の鍛錬と心身を労して努めなければ上達出来ないスポーツです。
されど、一人コツコツと激しい運動が苦手な私には格好のスポーツと思い、月1~2回ほど都内に出かけています。体の向きやグリップの位置はもとより、撞点の厚さやストロークの力加減、撞きだしのタイミング、綺麗なフォーム、捻り、寄せ玉、マッセ等、大変難しく未だに把握仕切れていません。毎回、一からやり直しと言う状態ですが、吸い寄せられる目に見えない引力!が働いて通い続けています。

◆【日本のビリヤード
日本への渡来は江戸中期に幕府に献上されたといわれている。一般には1850年代にオランダ人によって長崎の出島に持ち込まれたのが最初とされている。その後、1871年(明治4年)、東京に最初のビリヤード場が誕生しました。しかし、当時は華族、陸・海軍の将官、外務省の高官などの貴顕紳士だけの社交的競技でした。
大衆のビリヤードとして流行しのは、大正2、3年頃、山田浩二をはじめ有名選手を輩出した。技術的にも揺籃期の四つ球、三つ球競技からボークライン競技へと移り、選手らの渡米による国際交流も盛んになり、1925年春に有名選手を中心とした日本撞球協会が設立されました。昭和に入ってからは外国選手の来日などによってますます盛んになり、昭和12、13の最盛期には全国のビリヤード場軒数2万軒、台数6万台に上ったようです。37年に松山金嶺(きんれい)がアメリカから帰国、スリークッションの技術を公開し、38年に第1回全日本スリークッション選手権大会が開催されて以来、日本の選手権の主流となっていきました。
しかし、第二次世界大戦による空白はビリヤードの発展を大きく停滞させ、昭和20年の終戦時には東京、大阪などではわずか数軒という状態になる。徐々に復活し再び勢いを盛して、1955年(昭和30年)それまで適用を受けていた風俗営業等取締法から除外されビリヤードはスポーツとして法的に認められるようになりました。74年と84年に小林伸明氏が、スリークッションの世界チャンピオンになりました。平成に入り、バブル破壊と共に閉店を余儀なくされているお店が増えてきました。

競技の種類
◆carom game(四ツ球、フリー、ワンクッション、ボークライン、スリークッション)
四ツ球は赤・白2個ずつのボール。フリー、ワンクッション、ボークライン、スリークッションは、赤1個、白2個の3ツ球で行う。スリークッションは2個の的球に当たる以前に手球(自分が突く球)が3回以上クッションに触れなければ得点にならない。制限をより厳しくしたのが、ボークライン、芸術的技巧をこらしたのがアーティスティック競技なのです。
※三ツ球しかなかったキャロムゲームに白玉をもう一つ加えたキャロム(四ツ球)が考案されたのもアメリカです。

◆pocket game(ローテーション、ナインボール)
アメリカ式とイギリス式がある。アメリカ式はプールともよばれ、白ボール(手球)1個と1~15までの番号をつけたボールで行うローテーションゲーム、エイトボール、ナインボール、14―1ラック(フォーティーン―ワンラック)などがある。イギリス式はスヌーカーで、最近、ヨーロッパ、カナダ、東南アジアなどでも盛んに行われるようになった。リンカーン大統領もナインボールが大好きだったようです。また、イギリスでは、番号が無いポケット(スヌーカーゲーム)盛んになり、現在でもその周辺の放送電波の届く地域では日本のプロ野球並みにテレビ放送があるらしいです。〔電子辞書参照〕

◆【アーティスティック(曲球)という競技
アーティスティックとは芸術の。芸術的技巧。趣のある。優雅なと言う意味がある。アーティスティック・ビリヤードは、まさに技の美しさを競う競技です。
華麗なプレイヤーの姿を数枚アップします。世界大会に出場されている選手の方々です※ 







『なお、 写真はアーティスティック日本代表戦のカットを記録続けている友人の許可を頂いて拝借致しました。世界選手権大会にも出場された方々です。Y様、ありがとう御座いました。』

私は始めてプロの方々のアーティスティック競技を拝見した時の驚きは今でも鮮明です。野球やサッカーのようなチームで燃えるような姿ではありませんし、サポータも賑やかに騒ぐ人はいません。選手の方々は、小さな球一点に神経を集中して、しなやかにキューを撞く。球が軽業師のように羅紗の台の上をスピンしながらカーブしたり、飛んだり戻ったりと正確に的玉にあたり緊張が緩む。タップ(撞点)がコンマ1㍉ずれれば、正確なコースを外してしまう。観客は固唾を呑んで見守るのです。むろん成功すれば拍手ですが、鳴り物など一切ありません。華麗なゲームです。
【競技内容】
キャロム・テーブルで決まった位置に2個の的球と1個の手球を置き、マッセや「切り押し」「切り引き」他の競技よりも手球に鋭い回転を賭けるショットを多く用いて全ての的球に手球を当てるのです。配置によって難易度が変わり、その難易度によって5-10点の得点が与えられる。日本ビリヤード協会(NBA)のキャロムビリヤード競技規定によると、一つの配置を規定条件と呼び、複数の規定で得た合計得点によって勝敗が判定される。プレイヤーは3回連続した試技が許され、一度成功するとその規定の得点が与えられる。下記の図はほんの一部、私が観戦したときは100種目で競っておられました。

戦いの後の(玉台)の上は星座の如く競技の余韻が残ります。↑

このような妙技を芸術として鑑賞出来る環境が日本に無いことは非常に残念に思います。

【雑感】
子育てに追われていた頃の私はビリヤードの事は知識ゼロ。映画ハスラーで始めてその存在を知った時はまだまだ世間知らずの?十代、遊び人が高じる夜の遊び、今で言う「カジノ」ばくちという認識でした。
それが【1冊の小説雑誌】で私が尊敬している女流作家が着物を着て撞球をしている写真を見たからです。目から鱗です。何故だかそのスマートさに心が高鳴る。あこがれと願望が、ある日突然、機会を得る。友人に無理を言って某撞球場に連れて行って貰う。興味津図、好奇心に誘われて通うことになりました。
それは何時であったか?お茶会の帰りに立ち寄りあこがれの女流作家の如く着物姿で撞球している写真を撮って貰ったのです。(周囲の目線はとても気にはなりましたが)今では私のお気に入りの貴重な写真として大事に机の上に鎮座しています。

このブログには載せることは出来ませんが、ビリヤード音痴の私ですが、何故か恵まれた出会いがあり感謝です。世界チャンピオン小林伸明氏と一緒の記念写真や、USチャンピオンマイク・シーゲル(Mike Sigel)氏とのツーショット写真もあるのです。
★マイク・シーゲル氏は、映画 ジェームズ・コバーンの新ハスラー - オープニングでトリックショットを披露した人らしい。
by hime-teru | 2012-01-20 21:21 | 撞球 | Trackback | Comments(2)
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Commented by 蘭翁 at 2012-01-28 20:52 x
寒い日が続きます。寒中お見舞いを申し上げます。
ビリヤード、懐かしいです。最近はプレーしたことがありません。昭和40年代、高岡駅前に○○アイランドというプレーコーナーがありました。私はポケット主流でしたが、仕事帰りに興じたものです。結婚前、独身貴族時代のことです。あと、麻雀やボーリングと忙しかったものです。ゴルフはもう少し後でした。登山とスキーはずっと同時進行で続いておりましたが最近はどれもこれもさっぱりです。昔のお話になりました。
Commented by hime-teru at 2012-01-29 22:50
蘭翁さま。
お寒う御座います。冬型の気圧配置が続き、北陸は雪が降り続き氷点下が続いているようですが、お障り御座いませんでしょうか?
関東地方も先日の降雪で日陰の雪が凍り付いたまま、寒さが堪えます。孫のお誕生会で外出のため、お返事今になりすみませんm(_ _)m
さて、ビリヤードですが、昭和40年代に高岡にプレーコーナーがあったのですか?私は東京での生活の時代ですが・・・。
私はホントについ最近、平成に入ってから興味を持ちました。私の年齢からでは珍しいかも知れませんね~(^^)
蘭翁さまはスポーツマンで好奇心旺盛でいらっしゃるから、いろんな事に挑戦、体験をされてこられたのですね。
私は、もっぱらキャロムの三ツ球と四ツ球です。日によって、球に遊ばれたり呼吸があったり致しますが、無になれる時間、ひたすら的球に向かって1本の線を引く過程が魅力なのです。ボーリングは20代の頃高じました。ゴルフは出来ません。スキーも少々、麻雀も?歳の手習いで家庭麻雀レベルです。
世の中、楽しいことが沢山あるものですね♪。この歳になりますと、楽しい出会いと健康に感謝です。
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