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【 函館逍遥 】ー(8) 青函連絡船記念館・摩周丸

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あいにくのにわか雨、予定を変更してホテル裏の摩周丸の見学をする。
明治41年から昭和63年まで就航した青函連絡船『摩周丸』係留船の中は操舵室・無線室が現役そのままに公開されていました。人や貨物とともに情報や文化、心も運んだ青函連絡船の摩周丸は記念館となり、青函連絡船の歴史・文化・技術を今に伝えています。
◆前部マスト(レーダーポスト)と汽笛◆大きな錨
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摩周丸の名を持つ連絡船は2隻、◆初代摩周丸は戦後まもない昭和23年8月27日に就航、昭和39年10月26日に終航となりました。戦後、国は戦争末期の空襲で全滅した青函連絡船を復旧させるため、客船4隻(洞爺丸型)貨物船4隻の建造を決定します。物資が不足していた時代でしたが、洞爺丸型は特別室や等級別の食堂、浴室も備えた豪華客船でした。エンジンは蒸気タービンで、ボイラーの燃焼効率をあげるために、煙突を4本持っていました。
◆2代目摩周丸は高速自動化船として登場、昭和40年に建造、同年6月30日20便、青函航路に就きました。大きさは8328総トン(新造時の規定による)、全長132メートル、幅17.9メートル、深さ7.2メートル、旅客定員1200名、搭載車両48両。主機関1万2800馬力のディーゼルエンジン、速力18.2ノット(時速33キロメートル)で、青森-函館間を3時間50分で結びました
立身出世を夢見て沢山の若者がこの船で都会を目指したのが、つい、昨日のような・・・。そんな方もお出ででしょうね。私は縁がなく一度も乗船をしたことはありませんが、船の大きさに驚き、貨物列車ごと運ばれた事に当時の技術の高さに驚くばかりでした。必見の価値あり、次回は孫をつれて・・・。この博物館を訪れたい。
操舵室◆無線通信室(モールス信号の打鍵体験もできます)
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青函博(青函トンネル開通記念博覧会)から摩周丸は函館港に係留され展示船となりました。平成2年8月より改修工事に入り、翌平成3年4月26日に「メモリアルシップ摩周丸」としてオープン。今は特定非営利活動法人語りつぐ青函連絡船の会が引き継ぎ、営業を続けながら施設改修、展示内容の改善をはかっています。
◆ロープワークは船員の必須技術だったようです。
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◆操舵室(船橋)◆普通座席(レプリカ)
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◆可変ピッチプロペラ
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記憶が遠い昔になってしまいましたが、青函トンネルが開通のため青函連絡船は廃止。昭和29年9月26日、函館湾を襲った台風15号により沈んだ青函連絡船は、洞爺丸、第十一青函丸、北見丸、十勝丸、日高丸の5隻。洞爺丸以外は貨物船(車両航送専用)でしたが、多くの乗組員がお亡くなりなった悲しい歴史が御座いますました。そして、現在、青函連絡船の歴史と果たした役割を学んでいただくため記念館として、日本や世界の将来に役立ててもらうために、保存・展示しているのだそうです。
(連絡船(鉄道連絡船)は鉄道と同じように乗組員をはじめ、桟橋職員や運航指令の人達で、分きざみのダイヤで発着し正確で安全な運航を維持していたのです)
◆操舵室から、霧雨に煙る函館山&イカ釣漁船の船着き場(函館はイカが名物)
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by hime-teru | 2010-07-28 23:50 | 旅の情景(北海道編) | Trackback | Comments(0)