ブログトップ | ログイン

【 日本橋川編 】 亀さんの目線で大都会東京を視る  NO-4

        ★… 【水辺のエコツアー】 亀さんの目線で大都会東京を視る (日本橋川編 ) …★
       (その4) 豊海橋→湊橋→川を覆う首都高速→亀島川日本橋水門→茅場橋→鎧橋→江戸橋
エコツアーの企画はNPO法人あそんで学ぶ環境と科学倶楽部、千代田区との協働事業だそうです。乗船場は東京都建設局が大地震等の災害に備えて整備している防災船着場からです。船は環境にやさしい電気モーターで静かで振動も少なく快適です。
日本橋川は全流路に渡って首都高速道路の高架下を流れている延長約4キロメートルの河川です。雉子橋周辺では皇居の内堀(清水濠)に30mまで接近しています。運河から道路へと変貌した日本橋川は、江戸時代は防衛上の外堀と江戸庶民が利用した運河の一部が残って川となっています。日本橋にはかつて魚河岸もあり、昔はこの川から引き込まれる運河が沢山ありました。長年に渡り江戸の水運を担って来ました。

【豊海橋】
豊海橋は隅田川から日本橋川への入口にかかる橋。日本橋川の第一橋梁である豊海橋は、梯子を横にしたような構造はフィーレンディール橋と呼ばれ、永代橋との景観上のバランスを考慮してレトロなデザインと白とブルー(欄干部分)の組み合わせで設計された。シンプルなデザインのなかに鋲止形式という古い形態を残し、重量感のある鉄骨橋梁の代表例として貴重である。中央区民有形文化財。たびたびドラマの撮影に使われ、平岩弓枝「御宿かわせみ」の中心舞台もこの近辺(新川一丁目)のようです。
【 日本橋川編 】 亀さんの目線で大都会東京を視る  NO-4_e0039703_1230267.jpg

【湊橋】
橋が作られた時点、両岸ともに他の陸地とは川を隔てた島であり、湊橋はいうなれば、2つの「江戸のウォーターフロントの最前線に位置する島」を結ぶ橋だった。橋の名前もそのへんに由来するもの。橋には”結ぶ橋”を物語る舟のマークが付いています。
【 日本橋川編 】 亀さんの目線で大都会東京を視る  NO-4_e0039703_12305232.jpg


【 日本橋川編 】 亀さんの目線で大都会東京を視る  NO-4_e0039703_12353470.jpg

豊海橋から湊橋までは、どことなく「江戸湊」の雰囲気!を止めているような?ところです。
【日本橋川を覆う首都高速】 
首都高の高架は、かつての「箱崎川」に沿うかたちで(箱崎川を埋め立てて)北方にそれている。首都高速が川に覆い被さる首都高の箱崎ジャンクション。箱崎ジャンクションというのは東北道と常磐道と京葉道路方面を、ここで一箇所に絞り込んだ後三方向に分かれていく。不合理の上に不合理を重ねたような設計で、東京五輪の前に描かれたその設計図の真意はどこに。
【 日本橋川編 】 亀さんの目線で大都会東京を視る  NO-4_e0039703_1238567.jpg

【亀島川日本橋水門】
日本橋川から茅場町の先で分岐・南下し、亀島橋付近で東に大きくカーブして隅田川に合流する川(水路)です。
【 日本橋川編 】 亀さんの目線で大都会東京を視る  NO-4_e0039703_12455142.jpg


【 日本橋川編 】 亀さんの目線で大都会東京を視る  NO-4_e0039703_12462569.jpg

水門の彼方に船着き場が見えます。日本橋川は川面が開けているのは河口から亀島川が分岐している僅か500m弱しかないのです。後の3.5キロは首都高の高架の下を流れている。
【茅場橋】
茅場橋の名前は、南詰め側の町名(茅場町)に由来。徳川家康の江戸城築城の際、神田橋門外にいた茅商人を当地に移住させて市街地(町人地)としたことから、この地の町名となったとか?今では東京証券取引所のお膝元、日本の金融の中心地です。
【 日本橋川編 】 亀さんの目線で大都会東京を視る  NO-4_e0039703_1248490.jpg

【鎧橋】
橋の名はこの付近にあった「鎧の渡し」「鎧稲荷」にちなむ一方、源義家所縁の「兜塚」があり、これが現在の兜町につながっているようです。広重の名所江戸百景「鎧の渡し小網町」が存在し、明治5年にこの橋ができるまで、この一帯には橋がなく「鎧の渡し」だけが対岸に渡る手段となっていたそうです。
【 日本橋川編 】 亀さんの目線で大都会東京を視る  NO-4_e0039703_13373639.jpg

【江戸橋ジャンクション】
隅田川の開放感から一転、視界が狭くなり風景が一変してきます。

【 日本橋川編 】 亀さんの目線で大都会東京を視る  NO-4_e0039703_14173194.jpg

頭上(川の上)を首都高速が覆っているため薄暗く川というよりは排水路といった様相である。用地取得の都合でそのほとんどの部分が首都高速に覆われている。
【 日本橋川編 】 亀さんの目線で大都会東京を視る  NO-4_e0039703_14183121.jpg

江戸橋へ向けてカーブを描く日本橋川、このあたりは川幅が広がります。頭上は、4方向から首都高速が集まる「江戸橋ジャンクション」 ジャンクション建設のために川幅を広げたという経緯もあり、江戸橋は神田川水系最大の橋幅を持っています。橋上は、昭和通りという大通り。
【江戸橋】
日本橋より四半世紀ほど遅れて下流にかけられた橋の名である。江戸橋周辺は江戸(入江の戸・船着場)として家康以前から栄えていたので江戸の起源はこのあたりかも知れません。
【 日本橋川編 】 亀さんの目線で大都会東京を視る  NO-4_e0039703_1436171.jpg

【江戸橋たもとのブリッジ型ビルは三菱倉庫本社ビル】
江戸は水の街とも言われたように、川が貨物運搬の大切な役割を担っていた。我が国初の都市型倉庫ビルとして昭和5年に建てられたこの倉庫には、嘗てホイップホイスト、テルファーといった川からの荷物の荷役機械が設けられていたつまり、日本橋川に面し、かつては川上の船から直接、クレーンで荷を積み上げていたそうです。
【 日本橋川編 】 亀さんの目線で大都会東京を視る  NO-4_e0039703_14371140.jpg

最上階の丸窓、ブリッジを摸した屋上の塔屋…水辺に浮かぶ大型客船をイメージしてデザインされている。

建物の半分以上は倉庫のようで、当時のオーナーのこの建築に対する想いがうかがえる。

※「トランクルーム」という言葉はこの建物から生まれたのだという。

by hime-teru | 2009-07-10 22:54 | 水辺のエコツアー | Trackback | Comments(0)