〓撞球の今昔〓
ただ今、準備中です。
# by hime-teru | 2012-01-29 22:53 | 一期一会 | Trackback | Comments(0)
【 御玉突所 】 ビリヤード
                                      ★…【 御玉突所 】 ビリヤード …★
                                    2011.12.12 日光田母沢ご用邸にて
【日光田母沢ご用邸】
田母沢ご用邸は明治32年(1899)に大正天皇(当時 皇太子)のご静養地として造営されました。その後、小規模な増改築を経て大正天皇のご即位後、大正7年(1918)から大規模な増改築が行われ大正10年(1921)に現在の姿となりました。昭和22年に廃止されるまでの間、大正天皇をはじめ、三代にわたる天皇・皇太子がご利用になりました。戦後、博物館や宿泊施設、研修施設として使用された後、栃木県により3年の歳月をかけ、修復・整備され、平成12年(2000)に記念公園として蘇りました。平成15年(2003)に貴重な建造物として「国の重要文化財」に指定され、平成19年(2007)には「日本の歴史公園100選」に選定されました。
謁見所 】………天皇陛下が公式の来客との面会に使用された部屋です。

御玉突所
赤坂仮皇居の初期に御玉突所があり、明治の初めから皇室では、諸外国との交遊のために、ビリヤードを嗜んでおられました。四ツ球と呼ばれる競技台で、ポケットがありません。手洗いを除く、台と照明器具等が復原されました。『当時の最高級の 四ッ球台(中台)です。当時の中台は昭和の初期ぐらいまでは「普通台」と 呼ばれていました』


写真は大正天皇が韓国皇太子の日本滞在中ビリヤードを楽しまれた撞球台です。重厚な撞球台です。菊のご紋章いりです。

キューも揃っています。

〓現在は三笠宮寛仁親王殿下がスポーツ振興活動を続けておられ(社)日本ビリヤード協会の総裁 でいらっしゃるとお聞きしています。


★☆私の趣味の中に異色の趣味と申しましょうか?「ビリヤード」が御座います。通いつめているわけではありませんが、ストレス解消に出かけます。キッカケは?1冊の小説雑誌。私が尊敬している女流作家が着物を着て撞球をしている写真を見て心が動いたからです。ビリヤードプレーは、台に穴のあるポケットではなく三玉、四つ球のキャロムです。一人でも楽しめる楽しいゲームですが・・・歳経る年齢からのスタートは中々手強くて難しくて思うようには参りません。毎日のトレーニングが不可欠なスポーツ、生きた球が撞けるようになるまでは数十年?個人差もありますが、長い年月の鍛錬と心身を労して努めなければ上達出来ないスポーツです。
されど、一人コツコツと激しい運動が苦手な私には格好のスポーツと思い、月1~2回ほど都内に出かけています。体の向きやグリップの位置はもとより、撞点の厚さやストロークの力加減、撞きだしのタイミング、綺麗なフォーム、捻り、寄せ玉、マッセ等、大変難しく未だに把握仕切れていません。毎回、一からやり直しと言う状態ですが、吸い寄せられる目に見えない引力!が働いて通い続けています。

◆【日本のビリヤード
日本への渡来は江戸中期に幕府に献上されたといわれている。一般には1850年代にオランダ人によって長崎の出島に持ち込まれたのが最初とされている。その後、1871年(明治4年)、東京に最初のビリヤード場が誕生しました。しかし、当時は華族、陸・海軍の将官、外務省の高官などの貴顕紳士だけの社交的競技でした。
大衆のビリヤードとして流行しのは、大正2、3年頃、山田浩二をはじめ有名選手を輩出した。技術的にも揺籃期の四つ球、三つ球競技からボークライン競技へと移り、選手らの渡米による国際交流も盛んになり、1925年春に有名選手を中心とした日本撞球協会が設立されました。昭和に入ってからは外国選手の来日などによってますます盛んになり、昭和12、13の最盛期には全国のビリヤード場軒数2万軒、台数6万台に上ったようです。37年に松山金嶺(きんれい)がアメリカから帰国、スリークッションの技術を公開し、38年に第1回全日本スリークッション選手権大会が開催されて以来、日本の選手権の主流となっていきました。
しかし、第二次世界大戦による空白はビリヤードの発展を大きく停滞させ、昭和20年の終戦時には東京、大阪などではわずか数軒という状態になる。徐々に復活し再び勢いを盛して、1955年(昭和30年)それまで適用を受けていた風俗営業等取締法から除外されビリヤードはスポーツとして法的に認められるようになりました。74年と84年に小林伸明氏が、スリークッションの世界チャンピオンになりました。平成に入り、バブル破壊と共に閉店を余儀なくされているお店が増えてきました。

競技の種類
◆carom game(四ツ球、フリー、ワンクッション、ボークライン、スリークッション)
四ツ球は赤・白2個ずつのボール。フリー、ワンクッション、ボークライン、スリークッションは、赤1個、白2個の3ツ球で行う。スリークッションは2個の的球に当たる以前に手球(自分が突く球)が3回以上クッションに触れなければ得点にならない。制限をより厳しくしたのが、ボークライン、芸術的技巧をこらしたのがアーティスティック競技なのです。
※三ツ球しかなかったキャロムゲームに白玉をもう一つ加えたキャロム(四ツ球)が考案されたのもアメリカです。

◆pocket game(ローテーション、ナインボール)
アメリカ式とイギリス式がある。アメリカ式はプールともよばれ、白ボール(手球)1個と1~15までの番号をつけたボールで行うローテーションゲーム、エイトボール、ナインボール、14―1ラック(フォーティーン―ワンラック)などがある。イギリス式はスヌーカーで、最近、ヨーロッパ、カナダ、東南アジアなどでも盛んに行われるようになった。リンカーン大統領もナインボールが大好きだったようです。また、イギリスでは、番号が無いポケット(スヌーカーゲーム)盛んになり、現在でもその周辺の放送電波の届く地域では日本のプロ野球並みにテレビ放送があるらしいです。〔電子辞書参照〕

◆【アーティスティック(曲球)という競技
アーティスティックとは芸術の。芸術的技巧。趣のある。優雅なと言う意味がある。アーティスティック・ビリヤードは、まさに技の美しさを競う競技です。
華麗なプレイヤーの姿を数枚アップします。世界大会に出場されている選手の方々です※ 







『なお、 写真はアーティスティック日本代表戦のカットを記録続けている友人の許可を頂いて拝借致しました。世界選手権大会にも出場された方々です。Y様、ありがとう御座いました。』

私は始めてプロの方々のアーティスティック競技を拝見した時の驚きは今でも鮮明です。野球やサッカーのようなチームで燃えるような姿ではありませんし、サポータも賑やかに騒ぐ人はいません。選手の方々は、小さな球一点に神経を集中して、しなやかにキューを撞く。球が軽業師のように羅紗の台の上をスピンしながらカーブしたり、飛んだり戻ったりと正確に的玉にあたり緊張が緩む。タップ(撞点)がコンマ1㍉ずれれば、正確なコースを外してしまう。観客は固唾を呑んで見守るのです。むろん成功すれば拍手ですが、鳴り物など一切ありません。華麗なゲームです。
【競技内容】
キャロム・テーブルで決まった位置に2個の的球と1個の手球を置き、マッセや「切り押し」「切り引き」他の競技よりも手球に鋭い回転を賭けるショットを多く用いて全ての的球に手球を当てるのです。配置によって難易度が変わり、その難易度によって5-10点の得点が与えられる。日本ビリヤード協会(NBA)のキャロムビリヤード競技規定によると、一つの配置を規定条件と呼び、複数の規定で得た合計得点によって勝敗が判定される。プレイヤーは3回連続した試技が許され、一度成功するとその規定の得点が与えられる。下記の図はほんの一部、私が観戦したときは100種目で競っておられました。

戦いの後の(玉台)の上は星座の如く競技の余韻が残ります。↑

このような妙技を芸術として鑑賞出来る環境が日本に無いことは非常に残念に思います。

【雑感】
子育てに追われていた頃の私はビリヤードの事は知識ゼロ。映画ハスラーで始めてその存在を知った時はまだまだ世間知らずの?十代、遊び人が高じる夜の遊び、今で言う「カジノ」ばくちという認識でした。
それが【1冊の小説雑誌】で私が尊敬している女流作家が着物を着て撞球をしている写真を見たからです。目から鱗です。何故だかそのスマートさに心が高鳴る。あこがれと願望が、ある日突然、機会を得る。友人に無理を言って某撞球場に連れて行って貰う。興味津図、好奇心に誘われて通うことになりました。
それは何時であったか?お茶会の帰りに立ち寄りあこがれの女流作家の如く着物姿で撞球している写真を撮って貰ったのです。(周囲の目線はとても気にはなりましたが)今では私のお気に入りの貴重な写真として大事に机の上に鎮座しています。

このブログには載せることは出来ませんが、ビリヤード音痴の私ですが、何故か恵まれた出会いがあり感謝です。世界チャンピオン小林伸明氏と一緒の記念写真や、USチャンピオンマイク・シーゲル(Mike Sigel)氏とのツーショット写真もあるのです。
★マイク・シーゲル氏は、映画 ジェームズ・コバーンの新ハスラー - オープニングでトリックショットを披露した人らしい。
# by hime-teru | 2012-01-20 21:21 | 一期一会 | Trackback | Comments(2)
【成田山詣で】 成田山新勝寺
                                   ★…  【 成田山詣で 】  成田山新勝寺 …★
                                          2012.01.09 成田にて
寺社詣では年頭の祈願をする日本の重要な年中行事の一つです。新年のお願い事は、お参りされる方々によって様々だと思います。新年を迎えた期待の心や祈りの心は、清く、明るく、尊いものです。

昨年末の30日に息子一家が我が家に里帰り、昨年surprise(サプライズ)を運んでくれた多忙な孫は、夕刻から大晦日の二日間、熱と嘔吐で1年を締めくる。が・・・、嬉しいことに新しい年明けと共に何事も無かったかのように元気に回復(驚きと安堵の新年のスタートでした)屠蘇とお雑煮を戴き家族で氏神様にお参り致しました。破魔矢を買ったところで今年は息子の厄年を知る。

江戸時代、成田山新勝寺、多摩の高幡寺、相模の大山寺などの不動尊が庶民の信仰を集める。
東京下町育ちの我が家の家系は成田山に信仰厚く、ことある事に成田詣でをしておりました。何度かお供をしている内に、受験祈願や病気治癒祈願にお参りに行くようになりました。
今年は息子の厄年にあたり、家族で厄除の御祓を受けてきました。

『お不動様』は真言密教の総徳である大日如来の化身であります。奴僕(ぬぼく)のお姿右手には、悟りを開くための智慧を表す利剣を持ち、左手には、索(なわ)を持っておられます。
「あらゆる厄難を払い、一切の災難を取り除く」護摩の祈祷を通じて、むさぼり、いかり、おろかさという心の迷いを、お不動さまの智慧の炎で焼きつくし願望を清め、すみやかに成就するよう祈念して参りました。

【開運厄除御祓(かいうんやくよけおはらい)】
厄除の厄という字は元来、木の節を意味し、後に人生の節目として使われるようになりました。厄年は精神的にも肉体的にも変化の多い人生の節目にあたる年で、災難にあいやすく苦労の多い年回りとされております。このような時にこそ、自己を正しく省みて、苦難に耐え、自信を持って目的に向かい、努力精進することが大切であります。

「激しい大いなる怒りの相(すがた)を示される不動明王よ。迷いを打ち砕きたまえ。障りを除きたまえ。所願を成就せしめたまえ。カン マン。」ご真言を聴く。
大いなる慈悲の心により、私たちのあらゆる厄難を取り払い、身代わりとなって守って下さいます。

九日は成人の日でもありましたので大本堂前で新成人記念記帳が行われていました。

成田山新勝寺は天慶3年(940年)寛朝大僧正によって開山されました。御本尊不動明王は平安の昔、瑳峨天皇の勅願により、弘法大師が一刀三礼敬虔な祈りを込めて敬刻開眼された御尊像です。大師が伝来され奉修された真言密教の護摩法の正系を伝えています。
開山以来1070年の間、護摩供の香煙は一日たりとも絶えることなく輝かしい法灯を護持継承し、わが国不動尊信仰の随一祈願道場として数多の信仰をあつめています。霊験利益は数限りなく今日では年間1000万余の全国信徒の参詣者があるとのこと。門前通りは沢山の参詣者で溢れていました。

お坊さんの托鉢姿にも出会いました。

風もなく暖かな祝日でした。参道の名物、ウナ重を食べて、出たところで大道芸「猿回し」を見学。子供達は大喜び、穏やかにお参りが出来ました。【合掌】


 ”佳き年になりますように”
# by hime-teru | 2012-01-11 23:31 | 一期一会 | Trackback | Comments(2)
【山手七福神】
                                          ★… 【 山手七福神 】 …★
                                            2012.01.06 目黒界隈
七福神信仰は室町時代の中頃から起こり初めは恵比寿、大黒天が信仰され江戸時代の中期には庶民の信仰の一つとして今の形が定着しました。「江戸最初・山手七福神」は江戸城の裏鬼門守護のため将軍の鷹狩りの際の参詣した目黒不動尊(滝泉寺)の参詣道筋に設置された江戸最初の七福神巡りだったようです。

当時の庶民は元日から七草までの間に近くの七福神巡り歩き、一年間の家内安全、無病息災、商売繁盛、等を祈願して歩かれた。

①滝泉寺 目黒不動尊 (恵比寿天)
右手に釣り竿を持ち、左手に鯛を抱えている、狩衣姿の恵比寿天は、古来の神様で、もともとは航海と漁業の守り神です。商売繁盛の神様です。

賑わっていました【目黒不動】

②蟠龍寺  岩屋辨天(弁財天)
ヒンズー教の代表的女神サラスバーティを由来としている弁財天は、水の神様。また、音楽・弁舌の能力も与えてくれる神様であり、知恵と財宝の神様です。


③大円寺(大黒天)
米俵に乗っている大黒天は、インドの神様と大国主命の習合。大きな袋と打ち出の小槌で、多くの人々を救済する、出世財福の神様です。

④⑤妙円寺 白金妙見(福禄寿、寿老人)
福禄寿
短身長頭で白い髯がある福禄寿は、中国の神様で、南極老人星の化身です。福は幸福、禄は高禄、寿は長寿をあらわし、三徳を兼ねた神様です。
寿老人
杖をつき長い頭の寿老人は、中国の神様で、七福神の第一におかれる長寿延命の神様です。

⑥瑞聖寺 (布袋尊)
袋をたずさえて笑っている宝袋尊は、中国の禅僧で実在の人物。弥勒の化身の宝袋尊は、すべてを包容する和合成功の神様です。


⑦覚林寺 清正公 (毘沙門天)インドの神様で別称多聞天といいます。右手には財福を生む宝棒(鉾)左手には除災招福の宝塔を持っています。

【百度参り】
神仏に祈願するための呪法の1種。ある特定の社寺に百度参詣して祈願する。祈願の形式はその心情が痛切なほど複雑化する。一度の参拝では満足できずに百度、千度と参詣するようになる。
こうした形式を簡便にしたのがお百度石である。これは社寺の境内の拝殿から一定の距離にある石で、一度拝んでからこの石の所に戻ってふたたび拝みに行く。この行為を百回繰り返すのである。これを俗にお百度を踏むという。回数を間違えないように数取りがある。素朴なものでは小石や小枝を百ほど用意して拝む度に一つずつ置いてくる。また神前に竹べらが用意されていたり、お百度石の壁面にそろばんの形のものが備えてあったりする。

願いを神仏に聞き届けてもらうために何日間もお参りするという行為が神前とお百度石の往復に集約されたわけである。しかし、人々の切実な願いが背景にあるために人の目に触れては願いが成就しないのである。時代劇でよく見ますよね。昔はどのお寺山さんにもあったのかも知れません。

【隅田川七福神めぐり】
【柴又七福神】
【日本橋七福神】
【深川七福神】
もご覧下さい。
# by hime-teru | 2012-01-08 23:10 | 一期一会 | Trackback | Comments(0)
謹賀新年


皆様はお健やかにお正月をお迎えの事と存じます。
我が家は孫が来てくれて賑やかな新年を迎えることが出来ました。

本年も宜しくお願い致します

# by hime-teru | 2012-01-01 22:08 | 一期一会 | Trackback | Comments(4)
今年もお世話になりました

3月11日に発生した東日本大震災と原子力事故 。2011年はこの出来事を抜きに語ることはできません。
壊滅的な被害をもたらし、計画停電も体験致し、セシウムなど放射性物質の拡散問題は心配の種として残っております。

写真やビデオの映像で見る被害の大きさには言葉を失ってしまいました。大変つらいことです。年末を迎え、被災者の方々の暮らし向きを思うと何も出来ないもどかしさだけが心に重くのしかかります。未曾有の大災害を体験し「絆」の大切さが胸にしみた一年で御座いました。一日も早く被災された方々の生活が普通の暮らしに・・、故郷に戻られますよう心よりお祈り申し上げます。

その他、世界各地での大洪水、大寒波、騒乱、竜巻、火山噴火等など、痛ましい自然災害が続きました。明るい話題を提供したのが、サッカー女子日本代表「なでしこジャパン」明るい話題にあやかり来年は笑える年が参りますように願いながら・・・。

【今年もお世話になりました(^_^)】
# by hime-teru | 2011-12-31 15:28 | 時事日記コーナー | Trackback | Comments(0)


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