【広辞苑大学】 広辞苑第7巻

                 ★… 【広辞苑大学】 広辞苑第7巻 …★
                 2018年1月12日(金) アーツ千代田3331
10年ぶりの最新版「広辞苑第7版」が本日発売されました。昨年、販売に当たり、広辞苑大学開講を申し込んでいたところ、当選案内が来ましたので、講義を聴きに行ってきました。昨年買って読んだ「遺言」の作者、養老孟司さんと、谷川俊太郎さんの講演・辞書をまめに引いて下さい。・詩を書き始めた頃から広辞苑を愛用している。
会場が大きくて声がこもり聴きずらかったのですが・・・、辞書のファンとして有意義なお話しが聞けたと思っています。
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広辞苑7版は、高一の孫のお誕生日のプレゼントようにと予約をしていたのです。
我が家には辞書大好き人間の夫が、当時お金のない時に2500円の大金をはたいて買い込んだ「広辞苑の」初版本」があります。
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7版は字が小さいので我が家はそのうち机上版をと思いますが、2冊に別れるとちょっと使いずらい事と重くて大きいので暫く様子を見ることに。近刊7版でも3.3キロの重さです。でも、孫は自分の宝物にしてくれると思います。辞書を引いて知らない世界を知って貰いたいと思います。今月の29日の誕生日に渡す予定です。

「広辞苑」の写真を撮影して見ましたので、アップします。
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辞書は文字だけではなく、精密なイラストを眺めるのも楽しいものですね。初版本と広辞苑7版を比べて見ると・・・。イラストは現在の印刷技術をもってすれば、カラー写真は容易なはずだが、広辞苑もしかり、多くの辞書は今も「イラスト派」なんだそうです。それは、写真だとレフ版使用で陰影が付きにく、のっぺりした印象になり特徴をつかみにくく、人の認識能力は単純で、思い切って陰影を付けたりする方が特徴をつかめて判りやすいので、現在もイラスト派の辞書が主流なんだそうで、“目から鱗”です。下記のイラスト、味わい深くて可愛いし綺麗で美しいですよね。
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朝日新聞記事参照より(第7版の主な追加語)
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# by hime-teru | 2018-01-13 20:21 | 時事日記コーナー | Trackback | Comments(0)

【新宿山ノ手七福神】

               ★… 【新宿山ノ手七福神】 …★
                2018年1月6日 七福神巡り
今年は元旦から良いお天気が続いています。冷え込んで、北風が寒い日が続いていますが、今日は鳩森神社に出掛けた後に、近くの七福神巡りをしてきました。
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 【毘沙門天】 鎮護山善国寺
インド出身。「毘沙門天王経」の中に、自分を信仰すれば、福徳・知恵・美貌・力・能弁など、十種の利益があるといわれています。毘沙門とは多聞と訳し、多くの人々の願いを聞いて叶えさせるといいます
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 【大黒天】 大乗山経王寺
インド出身。貧しき人、難民の救済をかって出た心やさしい神様。全身の色が黒く大きな福徳を授けるので、大黒天と呼ばれています
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 【辨財天】 厳嶋神社
神道では古事記に出てくる神。市杵島媛命と申し上げ水の神様であります。七福唯一の女性。女性であるため、江戸時代は、富貴の神として庶民の人気を高めました。
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 【福禄寿】 大久保山永福寺
中国出身。南極星の化身で、短身・長頭の姿をしています。年令も数千年を越すほど保持しているといわれていることから、長寿の神として親しまれております。
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 【寿老人】 春時山法善寺
中国出身。福禄寿と似たもの同士で、寿老人は老人星の化身です。不老不死の霊薬を所持していることから、こちらも長寿の神として親しまれております
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 【布袋和尚】 霞関山太宗寺
中国出身の禅僧。実在した人物です。つねに布の袋を背負い、この中に福財が入っていたといわれています。笑顔を浮かべた円満な容姿をしており、親しまれております。
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このお寺さんには大きな地蔵菩薩さま、焔魔堂もありました。御苑に通いずめているのに、そばに
このような大きなお寺さんがあったとは?50年間知らなかったです。七福神巡りでの巡り合わせに感動しています。
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【恵比寿神】 稲荷鬼王神社
日本古来の神様。大国主命の子息、事代主命(コトシロヌシノミコト)が恵比寿神であるといわれ、古来より福を表す「鯛」と、福を釣るという「釣り竿」を手に持っており、海の守護と商売繁昌の神様として、親しまれております。
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この神社の狛犬がきになりました。
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【神楽坂界隈】
高田穴八幡の旅所があった所から、祭礼で神輿が通るときに神楽を奏したので「神楽坂」の名があるとのこと。大正時代には隆盛を誇った花街であったようです。表通りから一歩入ると静かな路地があり、当時の雰囲気を残している。関東大震災以後は、日本橋・銀座方面より商人が流入し夜店が盛んになり、『山の手銀座』と言われた。ゆっくり散策する時間がありませんでしたが、今一度ゆっくり歩きたい町です。いずれまた、そのうちに・・・。
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# by hime-teru | 2018-01-10 23:35 | 七福神めぐり | Trackback | Comments(0)

オリンピックスタジアム

               ★ 【オリンピックスタジアム】工事中のオリンピック会場 …★
               2018年1月6日 工事中
神社の初詣を済ませて、千駄ヶ谷はオリンピックスタジアムの準備中のクレーンが目に飛び込んで来ました。
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東京体育館では高校生のバレーボール大会開催。
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メインアリーナ から新国立競技場の工事のクレーンが新春の青い空の下でお正月の休みもなしで行われている。無事の完成を心よりお祈りをせずにはいられません。
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作業に従事されている方々に感謝デス。お怪我のないように・・・。お体に気を付けて・・・。
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# by hime-teru | 2018-01-10 22:37 | 一期一会 | Trackback | Comments(0)

初詣【鳩森八幡神社】千駄ヶ谷

             ★… 【鳩森八幡神社】 千駄ヶ谷…★
                 2018年1月6日 初詣
今年の年末年始は家族で恙なく新年を迎える事が出来ました(^_^)
ですが・・・?、暮れに孫の弟君が熱(軽いインフルエンザだったようだが)弟から兄がインフルエンザを貰い数日間熱、運良く大晦日に完治して1月元旦は家族皆で神社に初詣、お屠蘇とおせちで今年の健康と幸せを祝う事が出来ましたのもつかの間、元日の夜からママが高熱、インフルエンザで寝込む。幸い息子と私共夫婦は予防接種の効力??異状なし。
寝正月を終えて息子達は帰る。七草には皆、元気に回復(休みになると寝込む?サラリーマン、学生の鏡の様な日常が始まりました)今年も沢山良いことがありますように。

新年の初詣は当地の神社に家族で1年のお願い事をするのですが・・・。
松の内に毎年、ご縁のある千駄ヶ谷の「鳩森八幡様」に詣でることにしています。
今年も出掛ける事が出来て幸いでした。
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夫が幼いときの遊び場だった境内の冨士塚、戦争で焼けてしまった大銀杏、焼け残った銀杏は神木に。そういう思い出の神社で息子達が結婚式を挙げた。ゆかりの神社故、家族にとって「思い入れの場所」脳学者が言われる「アハ体験」の場所になっていけばと思います。
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【富士塚】
江戸中期、庶民の間で信仰をされた富士信仰、遠くて登れない方達の為に富士講の方々の手で作られたミニ富士、現在、東京都内には50箇所の富士塚があるといわれます。その中でも最も古いのが、この鳩森神社の富士塚だとといわれます。
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黒ボク(富士山の溶岩)は頂上近くに配置。円墳状の盛りに前方に池は江戸の富士塚の基本様式だそうです。
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【甲賀稲荷】
江戸幕府を守る鉄砲隊(甲賀組)の人たちが信仰していたお稲荷さんだというので甲賀稲荷。
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【将棋堂】
六角形の形をしたお堂 中は大きな「王将」駒、裏には八幡神が祀られているそうです。
将棋を目指す人の守護神とされています。
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【庚申塚】
八幡様の裏手に庚申塚があります。「足の神様」といわれ、草鞋を奉納すると、足腰の痛みが和らぐと伝えられている。安置された六手合掌青面金剛像に手を合わせ、安全を祈願し、歩くことの大切さを祈願します。
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【将棋会館】
神社の裏手には有名な「将棋会館」があります。
今年は、将棋界で初の7タイトル独占羽生棋士の国民栄誉賞受賞が決まり、若手藤井棋士の活躍で今年も将棋ブームが起こることでしょうね。
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# by hime-teru | 2018-01-10 22:25 | 時事日記コーナー | Trackback | Comments(0)

2019年 お正月

           【 明けまして おめでとう 御座います 】

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# by hime-teru | 2018-01-01 10:27 | 時事日記コーナー | Trackback | Comments(0)

12/31 お世話になりました

             【2017.12.31】 
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 今年もお付き合いありがとう御座いました。来る年も宜しくお願いいたします
# by hime-teru | 2017-12-31 00:02 | 時事日記コーナー | Trackback | Comments(0)

【安芸の宮島】厳島神社

             ★… 【安芸の宮島】 厳島神社 …★
              2017.11.21
【安芸の宮島】
厳島(いつくしま)とは、「神 を斎(いつ)き祀(まつ)る島」の意。
厳島神社の境内は、宮島の「御笠浜(みかさはま)」の中心に位置し、浜の入江に沿うようにして建立されています。日本三景の景勝地。広島県佐伯郡宮島町に鎮座。古くは伊都伎嶋(いつきしま)神社とも記し、また厳島大明神(だいみようじん)とも称した。市杵島姫命(いちきしまひめのみこと)、田心姫(たごりひめ)命、湍津姫(たぎつひめ)命を祀(まつ)る。
【正面】
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フェリ-で「宮島に」渡る。
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広島名産の牡蠣筏の光景
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古代には周囲約31キロメートルの宮島そのものが神とされ、人も住むことを許されない神聖な島でした。社殿が海水のさしひき(干満)する所に建てられているのもそのためである。
宮島には中世以降人家が建てられたが、耕作をしない、死者を埋葬しない風習は現在も守られている。

船上から神ノ島宮島の弥山と大鳥居が見えてきました。
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創建年代は不詳であるが、社伝では、推古(すいこ)天皇のとき、佐伯郡の住人佐伯鞍職(さへきくらもと)が神託を受け、社殿をつくり祀ったことに始まるという。811年7月名神社に列し、4時の幣帛(へいはく)を奉る社とされ、859年(天安3)正五位下より従(じゆ)四位下に、867年(貞観9)従四位上に叙され、延喜(えんぎ)の制で名神大社とされた。
【上陸】
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安芸(あき)国、一宮になり、平清盛が出てからはその一門がことに崇敬した。
平家滅亡のあと、源頼朝も崇敬して社領を寄進し、修造料を寄せ、以降鎌倉幕府も保護した。
【参道をを歩く】
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鎌倉時代に火災により多くの建物を焼失したが、室町時代に大内氏、毛利氏が維持に努め、毛利元就は1572年、将軍足利義昭の命を受けて、本社拝殿、回廊、客人(まろうど)神社以下を古例のままに造営した。毛利輝元も社領を寄進、さらに1587年(天正15)豊臣秀吉の命を受けて大経堂(千畳閣)を造営した。

江戸時代には徳川将軍や広島藩主浅野氏がよくその維持に努めた。明治4年、国幣中社、さらに明治44、官幣中社とされた。 

本社(本殿、幣殿、拝殿、祓殿のほか、天忍穂耳命、天穂日命、天津彦根命、活津彦根命、熊野く樟日命を祀る摂社客人神社(本殿、幣殿、拝殿、祓殿)社殿の造りは貴族の邸宅を模した「寝殿造り」壮大な社殿群は平安時代の浄土信仰に基づく極楽浄土を現したものとも言われます。


『昇殿の出入り口』
東西廻廊は一般の神社の廻廊のように敷地を四角く区切るものではなく、海上の各建物と陸地とを結ぶ渡り廊下の役を果たしている。
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回廊は国宝建造物で、平清盛造営当時の規模をよく伝えている。
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長い長い回廊・・美しい
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【拝殿・祓殿】
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【内殿見た光景】
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【反橋】
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【大鳥居】(1875再建)国重要文化
木造で両部鳥居[りょうぶとりい](四脚鳥居[よつあしとりい])です。
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★「8」にこだわる設計
◇例えば本社拝殿から大鳥居までは108間で、火焼前から大鳥居までは88間となっています。
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◇回廊の基本的な間隔は約2.4㍍(8尺)その間には床板が8枚敷き詰められています。

◇回廊の全長は約262㍍その間には108本の柱が立つ。また厳島神社の社殿の灯籠、参道の石灯籠108個といわれています。
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厳島神社が「厳島」となったのは、後々の話で、9世紀の書物の日本後紀には「伊都岐嶋神」、10世紀成立の延喜式には「 伊都伎嶋神社」と記載。「厳島」と記述があるのは江戸時代以降の文献が多く、「厳島神社」となったのは江戸時代か、それより前…おそらくは14世紀と思われます。

【大鳥居の文字】
◆ひたさきから(本殿を背に)
現鳥居は明治8年(1875年)の再建である。棟の高さ16.6メートル、柱間10.9メートル変額は有栖川宮熾仁親王の染筆とのこと。
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◆海側から
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【能舞台】国指定重要文化財
「唯一無二の能舞台」材質はヒノキ
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【千畳閣】
桁行13間約24m 梁間8間約15m 単層本瓦葺入母屋 木造の大経堂。大伽藍に857畳の畳を敷くことが出来る所以から「千畳閣」のようです。
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社宝には、平家納経一具、法華経30巻、彩絵檜扇などの国宝や、鎧(よろい)、太刀(たち)など、国指定重要文化財を多く蔵している。
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【潮汐(ちょうせき)】潮の干満のこと。
月と太陽が地球に及ぼす引力の影響等で海面が規則的な周期で昇降することをいいます。
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★宮島は6時間周期の干満で潮が引くと大鳥居の下を歩いたり対岸へ渡ることも出来るのです。
大鳥居の根元まで歩いて行ける潮位の目安は 100cm以下です。潮干狩りに適する潮位の目安は 40cm以下です。

私共が訪れた時間帯は干潮で23㎝、鳥居近くまで歩けたようです。
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【五重塔】国重要文化財
高さ:27.6m、方:3.6m応永14年(1407)建立 桧皮葺で和様・唐様を融合した建造です。 内部は彩色がしてあり豪華絢爛。内陣の天井には龍が、外陣の天井には葡萄唐草の模様が描かれています。2層目で止まっている心柱が風に強い構造になっているそうです。
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大願寺、神鹿
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【弥山】
日本三景の景勝地(宮島、天橋立、松島)和歌や文学にも登場する絶景です。
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高台「千畳閣」裏から
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【商店街】
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例祭は6月17日のほか、4月15日の桃花(とうか)祭、陰暦6月17日中心の管絃祭、陰暦7月18日の玉取(たまとり)祭、12月31日の鎮火祭など豪華な祭礼が多く、舞楽、能楽が年中行事のなかで行われる。3月から11月までの間、島を一周し、末社を巡る「御島巡り」は、厳粛な祭事である。
古来,海上交通安全の女神,また伎芸神として民間に信仰されている。
管絃祭・・・三絃・琵琶・箏、鼓(羯鼓)・太鼓・鉦鼓、管(笙)笳〔か〕・笛)
を用いて合奏する。曲は唐楽,催馬楽,朗詠など
# by hime-teru | 2017-12-12 14:45 | 中国地方(山陽・山陰の旅) | Trackback | Comments(0)

【津和野】山陰の小京都

         ★…【津和野】山陰の小京都…★
            2017.11.21
【津和野】
明治維新前には津和野藩亀井氏の城下町であり、山間の小さな盆地に広がる町並みは「小京都」の代表格として知られている。山紫水明の地で士族屋敷の遺構とコイのすむ掘割は、 かなりの大きさの鯉が泳ぐ。ほかには津和野駅はSLやまぐち号の終着駅。
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どこまでも続く白い土塀、昔ながらの町並み「山陰の小京都」といわれる所以です。鎌倉時代から約700年続く城下町。白い土塀が続く光景はこの町ならではの趣を色濃く残しています。
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【殿町通り】
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掘割で泳ぐ錦鯉で知られる殿町通りは短い通りでが、津和野を代表するメインストリートだそうです。白壁の土塀や綺麗に整備された石畳など、この町ならではの風情が溢れています。
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森鴎外が学んだ藩校の「養老館」ただいま工事中でした。
【藩校養老館(津和野町民俗資料館)】西周や森鴎外も通った藩養老館はかつて西周や森鴎外などを輩出した津和野藩の藩校で、和学、医学、数学などのほか、兵学や武道等、沢山の学問を教えていたとされています。現在は民族資料館や図書館として使用されています。
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春の殿町通りは桜並木が通りを彩ります。城下町の面影を今も色濃く残す山陰の小京都ならではの風景です。
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【津和野カトリック教会】
鮮やかなステンドグラスが美しい石造りの教会です。ゴシック造りの教会で、中は畳敷きの珍しい建物となっています。キリスト教弾圧による殉教者の慰霊の為に建てられました
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『津和野の鷺舞』
八坂神社は伝統舞踊・鷺舞(さぎまい)で有名な神社は津和野町の弥栄神社の7月20日(渡御)と27日(還御)の神幸につく。
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京都の祇園会の鷺舞が山口市の八坂神社の祇園祭に伝わり、さらに山口の鷺舞が天文11年に津和野に伝わったという。一時中絶、正保1年に京都から直輸入して復活。
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京都では絶えて津和野から再び逆輸入した。津和野では、弥栄神社(もと祇園社)の祭りに舞われる。
【鷺の作り物を身に着けた舞人が、棒振・羯鼓(かっこ)・囃子(はやし)方を伴って、神社と御旅所、頭屋、町の四辻などで檜扇のような白い翼を広げて優雅に舞う】近年,新しく少女たちによる子鷺の舞が生まれた。
目の前にはお稲荷様
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コウゾ,ウルシを産し石州半紙が特産です。工房を訪ねました。和紙一筆箋と和紙の名刺を買いました。3600円なり。
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# by hime-teru | 2017-12-12 14:17 | 中国地方(山陽・山陰の旅) | Trackback | Comments(0)

【萩】 城下町・激動の史跡の町

            ★… 【萩】城下町・激動の史跡の町 …★
                2017.11.20
【激動の幕末から明治維新の志士達のゆかりの史跡の町】

2015年度のNHK大河ドラマ「花燃ゆ」の舞台となる長州藩は、山口県萩市に藩庁が置 かれ、幕末には多くの維新の志士を世に送り出しました。
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萩は幕末に活躍した思想家・吉田松陰。松陰を慕った志士達が江戸から明治へと大きく 変化する時代を駆け抜けた歴史の町です。松陰を慕った志士には(伊藤博文、木戸孝允、高杉晋作、久坂玄端、、山県有朋等々、維新で活躍する志士を育てたのでした)
しかし、齢30歳で命を落とさねばならなくなった松蔭を思うに・・・
ただただ寂しく、むなしい.生きておられたら、どんな明治になっていたでしょうか?

不勉強ながら歴史のさわりを想像しながら、江戸の町を歩きました。

【城下町】
旧萩城の外堀から外側に広がる。町筋は碁盤目状に区画され、中・下級の武家屋敷が軒を連ねていました。現在でも町筋はそのままに残り、往時の面影をとどめています。白壁となまこ壁や黒板塀の美しい町並みが続き、維新の志士ゆかりの地が点在しています。
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【江戸屋横町】
江戸屋横町は、黒板塀がつづく風情ある道です。通りには、維新の三傑の一人である木戸孝允の旧宅や、蘭方医・青木周弼の旧宅、高杉晋作・伊藤博文ゆかりの円政寺などが並びます
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【円政寺】
境内には十二支の彫刻が施された珍しい形式の金毘羅社があり、神仏習合の形態が見られる貴重なお寺です。高杉晋作や伊藤博文が幼少の頃に勉学に励んだことでも知られています。
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【木戸孝允誕生地】
桂小五郎の名でも知られ、“維新の三傑”と詠われた木戸孝允の旧宅。生まれてから江戸に出るまでの約20年間を過ごした木造瓦葺の2階建ての家です。
誕生の間や幼少時代の手習いの書を表装した掛け軸、写真などが展示されています。【国指定史跡】
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木戸孝允は、萩藩医・和田昌景の長男として生まれ、後に藩士・桂家の養子となり“桂小五郎”の名でも知られています。藩校明倫館に通い吉田松陰の兵学門下となり、文久2年(1862)藩の要職に就き京
へと出て国事に奔走。慶応元(1865)年、藩命により姓を“木戸”と改め、翌年、坂本竜馬の仲介のもと薩摩藩の西郷隆盛や大久保利通らと“薩長同盟”を結び明治維新に尽力。維新後は、五箇条の御誓文の起草、版籍奉還、廃藩置県などの推進に功績を残しました。明治10(1877)年、西南の役の途中で病死。享年45歳。
【田中義一誕生の地】
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【旧久保田家住宅】
呉服商・酒造業を営んでおり、建物は江戸時代の後期に建てられました。意匠・構造・技術に優れ、酒造業で繁栄した往時の状況もよく伝えており、史跡萩城城下町を構成する重要な建物です。
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【菊屋横町】
美しい白壁となまこ壁がつづく通りには、藩の豪商・菊屋家をはじめ、第26代総理大臣・田中義一の誕生地、幕末の風雲児・高杉晋作の誕生地があります。
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菊屋横町は、江戸時代の町並みが残る城下町を代表する道で、「日本の道百選」に選ばれています。
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【高杉晋作誕生地】
幕末の風雲児・高杉晋作の誕生地。敷地内には、晋作ゆかりの品や東行と号した句碑・産湯の井戸などがあります。(現在は個人所有)
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【晋作広場・高杉晋作立志像】
平成22年10月に「高杉晋作立志像」が建立されました。広場には晋作が好きだった梅の花も植樹されています。銅像は、晋作が明倫館や松下村塾に通っていた20歳頃の若々しく凛々しい顔をイメージ、ざんぎり頭ではなく髷を結い、両刀を差した羽織、袴の立ち姿です。
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【萩城】
徳川幕府が辺鄙な僻地に城を築かせたのも毛利氏の力をそぐためだったのでしょう。

『萩城』は毛利輝元が中心市街地の指月山に築城した『平山城』。松本川、橋本川の三角州に位置し、慶長9年に築城。時間がなくて行けませんでしたが園内には花びらが純白色の珍しい桜『ミドリヨシノ』、山口県の天然記念物に指定が1本あるようです。見てみたいが季節が秋故残念。

『夏みかん』
萩の産業といえば観光と農業、漁業。しかし、工場はほとんどありません。萩焼と白壁や土塀から夏みかんがひょっこり夏みかんで有名です。特産のナツミカンは士族授産政策として発達した伝統産業である。
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開発がほとんど行われていないため、江戸時代のままの街並み、当時の地図がそのまま今でも使える不思議な町です。今で言えば不便な過疎の町。新幹線も、高速道路も通っていないのです。
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沿岸には小火口をもつ笠山の陸繋島があり、沖合いの六島諸島を含む海岸地方は北長門海岸国定公園に属する。
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【伝統工芸】萩焼、小萩人形,竹細工などあり。萩城城下町は国の指定史跡。市内には先史遺跡、城址、反射炉、明倫館、松下村塾をはじめ明治維新の志士たちにゆかりの史跡の建物が残る。

参考【萩焼】
萩焼は山口県萩市・長門市で焼造される陶器。桃山時代の天正1573~慶長1615、萩藩主毛利輝元が、朝鮮半島から帰化した陶工の李勺光(りしやつこう)・李敬兄弟に御用窯として開窯させたのを発祥とする。
防府で出土する大道土(だいどうつち)を用い、特有の藁灰質の白濁釉をかけた茶陶としての作風が樹立したのは江戸前期と思われ、茶人の間では「一楽、二萩、三唐津……」と賞玩された。

びわ色の釉をかけた茶碗はわびの風情に満ち、使うほどに釉色が変化するところから「萩の七化け」の俗称がある。遺品には三島・粉引・刷毛目・井戸・熊川などの高麗(こうらい)茶碗を写したものが多く、割高台(わりこうだい)にも特色がある。
# by hime-teru | 2017-12-07 17:00 | 中国地方(山陽・山陰の旅) | Trackback | Comments(0)

【出雲大社】

         ★…【 出雲大社 】…★
           2017.11.20
【出雲大社】
『二拝四拍手一拝の作法』で拝礼する。明治維新に伴う近代社格制度下において唯一「大社」を名乗る神社であった
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古くは天日隅宮(あめのひすみのみや)、天日栖宮(あめのひすのみや)、出雲石くま之曽宮(いわくまのそのみや)、厳神之宮(いつかしのかみのみや)、杵築大社(きつきのおおやしろ)などと呼称されている。大国主大神は素盞嗚尊の子で、因幡の白兎神話で慈愛深い神として語られている.

出雲国造家は南北朝時代に千家(せんげ)家、北島家に分かれて両家がその神事に携わったが、国造は現代にも続き、古いしきたりを伝えている。
(銅門をくぐります)
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武家時代、源頼朝はその神主家の勢力を抑えることを計りながら、一方では正月、剣を奉納するなど崇敬している。後醍醐天皇が王道再興を祈願して神領を寄進、その後、戦国時代には、出雲国の支配は京極、尼子、毛利氏と変わったが、いずれも大社を崇敬し、その神領に大きな変化はなかった。しかし、豊臣秀吉の文禄、慶長の役(1592、1597)で軍資金調達のため一時縮小されたが、江戸時代には松江藩主松平氏により安定させられていた。
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1871年(明治4)に官幣大社、1917年(大正6)には勅使参向社とされた。 この大社の祭祀(さいし)は天穂日命の子孫の出雲国造がつかさどることとなっており、古くはその国造は代替りごとに朝廷に参向した。
(参拝の前にこの小さなお社にお参りして汚れを祓います)
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【心御柱の再現】
平成11年からの発掘作業の過程で発掘された、三本の柱、巨大な柱、中央「宇豆柱」、中心の「心御柱(しんのみはしら)」が、発掘されるに及んで、今までの常識が、覆されることとなります。
三本のうち、一本の柱の直径が、1.3メートル、相当な大きさです。これが、高層神殿を支えていたと考えられ、この三本柱は、平安時代の16丈(48メートル)の神殿のものであると考えられています。
【再現された心御柱】
この三本の柱が9本もあるというから驚きです。なぜ、9本・・・?(建築上強度を増すために三本でひとつにしたという説明)
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【八足門】宗教建築 / 江戸中期 / 重要文化財
門の形式の一。一重の門で,本柱四本の前後にそれぞれ控え柱が合わせて八本あるものをいう。
一般はこの門まで。
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【境内の光景】
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この門の奥が本堂になります。
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【本殿】・・「天下無双の大廈(二つと同じものが無い壮大な神殿)」と称えられる御本殿は、悠久の歴史の中でその度々の御造営遷宮と御修造遷宮を繰り返し、今にその姿を受け継いできました。
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【本殿は国宝】
本殿に祀られる御神体は西向きで稲佐の浜の方角を向いておられ、本殿の正面から参拝すると、神様の横顔を拝んでいる事になります。屋根の棟の上には長さ7.9mの二組の千木が交差しています。
千木の上方にあいている小さな穴は、実際は大人一人がくぐり抜けられるほどの大きさで、本殿の大きさを実感できますね。
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【神楽殿】有名な日本一の大きな「大注連縄」です。
正面の大注連縄は長さ約13メートル、重さ約4.5トンに及びます。この大注連縄は数年に一度、新しい注連縄へと懸け替えられます。
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この大きさ・・・このしめ縄に向かってお賽銭が投げられるようです。
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出雲大社は一般庶民の信仰が厚く、縁結びの神、福徳の神として親しまれ、御師より各地に講が組織されていた。明治時代には、千家家による出雲大社(おおやしろ)教、北島家による出雲教が結成され、現在もそれぞれ布教活動を行っている。
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【稲佐の浜(いなさのはま)】
出雲大社の西方1kmにある海岸で、国譲り、国引きの神話で知られる浜。
(この浜は天照大神より、国譲りの使命を受けた建御雷神が大国主神と対面した
場所です。 また旧暦の10月10日には、出雲大社に集まる全国の神々がこの浜から出雲へ上陸すると伝えられ、今なお神迎えの神事が行われる出雲のパワースポットの一つです。
「弁天島」
近年急に砂浜が広がり、現在では島の後まで歩いて行けるようになりました。
弁天島・地元では「べんてんさん」と呼ばれて親しまれている島
(神仏習合の頃には「弁財天」が祀られていましたが、明治のころから豊玉毘古命(とよたまひこのみこと)が祀られています)
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# by hime-teru | 2017-12-06 23:46 | 中国地方(山陽・山陰の旅) | Trackback | Comments(0)