★ 野草デジカメ日記★
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【里の風景】 庭の花
                   ★… 【里の風景】 庭の花 …★
花好きな姉は庭にたくさんの花を楽しんでいます。秋の花は少々少ないようですが・・。
【白孔雀草】大きな株、長い茎がたくさん枝分かれして多数の花を咲かせるところから孔雀の尾の羽根に 見立てて名が付いたようです。

【メランポジューム】 日本に紹介されたのは1990年頃。

【秋明菊 】秋に菊に似た花を咲かせるところからこの名前に。

【秋海棠】日本では江戸時代初期に園芸用に持ち込まれた帰化植物である。花の色が海棠に似ているから名付けられた。

【カンナ】多様な種類、園芸品種がある。実がなるのですね。

【藤袴】秋の七草の一つ。カエルがお昼寝。

【女郎花】黄色い清楚な花。山野に生える。秋の七草の一つ。

【男郎花】白い花を咲かせる。

【紫式部】

【田舎菊】林間や山道沿いに生える 

【反魂草】荒れた農地や草地に繁茂している、草丈2m。

【赤紫蘇】 葉、花とも赤紫色。梅干の色つけなどに用いる。

【山独活】土から芽が持ち上がるように出てくることを表わした名前。若い芽は香りが良く食用になる。花が咲くと食用にもならず、”大きいばかりで役に立たない”との ことで「ウドの大木」のことわざがある。

【アスパラ】南ヨーロッパ原産。春に出てくる若茎を食用にする。赤い実は可愛いですね。

【ひえ・稗】水気の多い肥えた畠や湿地に生える。

【秋の狗尾草】名前は犬の尾に見立てた。ねこじゃらしの別名もある。 
 
まだまだあるが、この辺で <(_ _)>
# by hime-teru | 2009-11-20 23:35 | 一期一会 | Trackback | Comments(1)
【里の風景】 追憶 椿の実
                       ★… 【里の風景】 追憶 椿の実 …★
私が子供の頃、家から4.5キロ離れた所にも梨畑と葡萄畑、タケの子の山や田畑があり、父の長兄は馬車を引き馬も3頭おりました。父の長兄は大の馬好き、毎朝、黒いマントをはおり、馬でお散歩が日課のようでした。明治から昭和初期の映画に出てくる様相です。車のない時代、今で言う運送業と果樹園や農業を生業にしていたのです。子供に恵まれず、 20歳離れている末っ子の父が後を継ぎ私達は大変可愛がって貰ったものです。

それが時代と共に開発の波に押されて山はゴルフ場になってしまいました。会員である弟たちは良く大会を開いてプレーしているようですが、私は手放してから一度も訪ねたことは無かったのです。先日、行ってみたくなり連れて行って貰いました。

景色は様変わりしていましたが、山裾にあった「堤」はそのまま、赤い橋が架けてあり、その池(堤)の方向から当時の様子を思い出し、思い出が沸々と沸いてきました。馬車に乗せて貰ったこと、野いちごやイタドリを食べたこと、前を横切った蛇を見て立ちすくみ脂汗を流し身体が硬直し動けなかったこと。(その時から今だに蛇は苦手です) 清水が沸いていた所はどうなったのでしょうか?ちょっと気になる。手入れされているゴルフ場はとても綺麗ですが、一緒に遊べる暖かい自然が何故か恋しい。

孟宗竹や杉で見えなかった隣の村が一望出来、驚きです。


ゴルフ場を散策しながら、赤い椿の実を見つけました。記憶は曖昧ですが・・・・。我が家の山に咲いていたのは確か?一重のヤブツバキ?その子孫かも?いや、ゴルフ場が整備されてから植えられたものでしょう。しかし、この赤い実は何故か遠き昔を思い出させてくれました。今頃は固い蕾を着けていると頃と思う。

【椿・山茶】
ツバキ科の常緑高木。ツバキ属の他の種類と区別してヤブツバキと称することもある。東京、名古屋、京都、奈良、肥後ツバキで代表される熊本などの地方の品種が多い中、最近では北陸、四国地方から多くの品種も見つかり、これまではツバキとユキツバキを主体とした園芸品種が多かったのですが、最近はトウツバキ、サルウィンツバキその他と交雑した品種も多くなり1000品種以上あるようです。

上代の文献や文学作品に椿は数多くみられ重要な植物である。中国の椿とは別種といわれる。古くは常緑で生命力が盛んであることから呪性があると考えられたようです。『古事記』には、天皇の勢威を賛美したものであり、『日本書紀』では海石榴(つばき)が椎という武器になり逆賊を征伐したとある。椿の葉で餅を包んだ椿餅は『うつほ物語』や『源氏物語』などに出て参ります。

次の朝・・・・・。姉の家の庭先から幻想的な風景(朝日が昇り始めた頃) 杉山の向こうが、ゴルフ場です。

そして・・・、遠くに鎮守様。庭から眺む。朝焼けに染まり佇む。

# by hime-teru | 2009-11-19 20:11 | 一期一会 | Trackback | Comments(0)
里の風景
                      ★… 【 里の風景 】 朝焼け …★
                           高岡のホテルにて
山から登る朝日、数秒のドラマを撮影してみました。白みはじめました。

だんだんとオレンジ色に染まります。

雲がかかり残念です。

太陽が顔を出しました。

数秒間の沈黙でした。高岡の町並みです。



# by hime-teru | 2009-11-18 23:27 | 一期一会 | Trackback | Comments(0)
【合掌造り集落と共に】 庭前の花たち 
                   ★… 【 合掌造り集落と共に 】 庭前の花たち …★
                        丹誠込めて育てられた集落の花
【鶏頭】
ヒユ科の一年草。熱帯インドの原産。観賞用に植えられる。茎は赤く高さ約90cmほどで質が木質化して硬い、縦に何本もの稜がある。秋に帯化して扁平に発達した花軸上に多数の小花をつける。その形がニワトリの鶏冠に似ているのでこの名がつきました。花は赤、黄、白など種々の色がある。花弁はなく萼片が5個、おしべ5本、萼は花後も宿存する。果実は熟すると帽子のようにふたの取れる蓋果で中に3~5個の黒い種子が入っている。

日本には古く中国から渡来し、『万葉集』にも詠まれている。属名のセロシアの名で多くの園芸品種がある。トサカケイトウ、ウモウケイトウ、ヤリゲイトウがある。トサカケイトウは、花冠がニワトリのとさか状を呈し、ウモウケイトウ(フサゲイトウ)は、基部から多く分枝し茎頂に羽毛状の花冠をつける花期の長い系統である。ヤリゲイトウは、花穂がとさか状とならず長くとがる種類である。

『万葉集』の「韓藍(からあい)」をケイトウとする見方に従えば、渡来は古い。江戸時代にはまだ食用の名残があり、貝原益軒は『菜譜(さいふ)』で「若葉をゆでて、しょうゆにひたして食べるとヒユよりうまいが、和(あ)え物としてはヒユに劣る」と述べている。

【百日草】
キク科の不耐寒性一年草。属名のジニアの名でよばれることもある。メキシコ原産で江戸時代末期に日本に渡来した。盛夏期から秋にかけて次々と花を開く。原種は一重咲きであるが改良された園芸種は花弁が重なった重弁花で花弁はじょうぶで散ることはなく百日草の名のとおり長い間観賞に堪える。

〓参照下さい〓【百日草】
【蓼】


〓参照下さい〓】【蓼】

【睡連】

〓参照下さい〓【睡連】

【溝蕎麦】

〓参照下さい〓【溝蕎麦】

【釣船草】

〓参照下さい〓【釣船草】

【イヌサフラン】
ヨーロッパ中南部~北アフリカ原産。葉を出す前に紫色の花を咲かせます。八重咲のようです。大変丈夫で耐寒性も強く何年も植えたままで開花します。又、室内に放置した球根からも開花するほどです。
なお、名前に「サフラン」と付き見た目も良く似ているがアヤメ科のサフランとは全く別の植物です。
# by hime-teru | 2009-11-11 18:10 | 一期一会 | Trackback | Comments(2)
【小さな世界遺産の村】 相倉合掌造り集落
                    ★… 【小さな世界遺産の村】 相倉合掌造り集落  …★
のどかな田園風景の中に時間の流れが止まっているような歴史が生きています。

国道304号より少しはいったところに現存する20棟の合掌造り集落があります。古い物は400年前の建造と言われています。

日本の原風景、長閑な山村風景です。菅沼と共に世界文化遺産に登録されました。

屋根の勾配は60度断面は正三角形に近い、雪が滑り落ちやすい構造になっています。この大きな屋根をを支えるのは根本が曲がった「チョンナ」と呼ばれる太い梁(ナラの木)釘は一切使われていない。縄とネソと呼ばれるマンサクの木が使われています。屋根の葺き替えは15~20年ごと。今は森林組合が中心になって行われているとのこと。

現在の相倉集落には、合掌造りの建物が新旧民家と寺、道場、合掌小屋を合わせて24棟あるのだそうです。そのうち人が住んでいる民家は11棟で、旧民家の空家が10棟もある。

「合掌造り」の名称は、屋根を構成する主要部材名を合掌と呼び形式を合掌組みということから一般化したのであろう。小屋造り住居を「ナムアミダブツ建て」といっていた。両手を合わせて合掌礼拝する形からのようです。熱心な真宗信仰地帯らしい命名である。

【相念寺】
塀や生け垣のない開放的な構えとなる。付属屋としては土蔵と板倉がみられる。信仰の中心である浄土真宗の寺院「相念寺」が城端往来をはさんで「西方道場」と相向かって設けられており、また集落の護り神である地主神社がやや高い位置に設けられている。道場とは浄土真宗の布教所として建てられたものであり、当時の公民館的な機能を果たしていたと言われている。

石垣で組まれた棚田、農耕地で使用する水は西方の谷川(仙道谷)からの導水を利用している。

合掌造りの魅力は表面的な合掌造りに加えて五箇山の気候から生まれた人びとの生活の知恵から受け継がれてきた伝統、助け合いによって守り続けてきた文化を知ることから魅力をくみ取ることが出来ましょう。

五箇山には「組」と呼ばれる生活上の相互扶助の組織が古くからあり、草刈り、水路清掃、除雪、神社の出役など現在でも継承されている。さらに、ユイ(結い)やコーリャク(合力)と呼ばれる屋根の普請や茅屋根の葺き替え時の互助制度がある。このような制度成立の背景としては浄土真宗による信仰の篤い結束力と厳しい自然環境下での協力体制などが指摘される。まさに友愛と忍耐、安寧秩序、念仏の教えを中心に共同体としての結束です。厳しい自然条件の中で助け合いながら暮らして来られたからでしょう。

【合掌小屋】

ユネスコは昔ながらの家屋と周辺の棚田、ブナやスギの林が織りなす景観の美しさの中に人が住み続け景観を守っていることが評価され世界遺産の村に登録されたのですが・・・。当時、吉報が届いた時は集落の十人近い小・中学生がくす玉を割り、広場には住民90人とほとんどが集まり、世界が認めた家屋に住む誇りを感じたそうです。
しかし、世界遺産の誇りも、昭和三十年代から続く過疎化を食い止められず、現在、相倉の住民は五十人を切る。小・中学生は一人。四割は高齢者だそうです。昨年、赤ちゃんが15年ぶりに生まれたという朗報もありましたが、八町村が合併した平成16年11月の新市誕生後も過疎の流れは止まらない。一人暮らしのお年寄り二人が、昨年、集落を離れ県外の家族の元に身を寄せられたそうです。それほどに高齢者には厳しい生活環境なのです。

『暮らしが息づく世界遺産であり続けられるのか』。残された住民たちは、確かな未来を見通せないでいると、新聞の記事を読み、ただ懐かしい、綺麗!、心が癒されると、軽々しく訪れる事が心苦しく複雑な気持ちになりました。(38年の豪雪を体験している私は、山里の五箇山は、毎年、あの様な豪雪に耐えていらっしゃるかと思うと心が痛み言葉もありません)人情が希薄になってしまった現代、五箇山に確かな未来がありますよう祈るばかりです。
※平村教育委員会、北日本新聞の記事を参照に致しました。
# by hime-teru | 2009-11-07 23:57 | 一期一会 | Trackback | Comments(0)
★…【小さな世界遺産の村】 菅沼合掌造り集落
               ★… 【小さな世界遺産の村】 菅沼合掌造り集落 …★
1970年、国指定史跡となり、1994年重要伝統的建造物群保存地区に選定され、翌年の1995年「白川郷・五箇山の合掌造り集落」として世界遺産に登録されました。

世界遺産登録後、五箇山には多くの人が訪れるようになりました。

目に映る景色すべてが昔のまま大切に受け継がれ守られているのです。ここで暮らす人々は、合掌造りと、この菅沼の風景を後世まで変わることなく守り伝えていくために、さまざまな努力をしています。

この合掌造りの特徴は、急勾配の屋根、五箇山の厳しい気候と、風土によって生まれた暮らしの知恵から生まれたものです。菅沼には現存する合掌家屋は9棟あり、うち2棟は江戸時代に建てられたものだそうです。

【五箇山民俗館】
改造が最も少なく、五箇山随一の均整美のとれた合掌造り。生活用具や娯楽用具、衣類などが展示されています。

観光用のお土産なども手作りです。

観光客、景観を楽しんでいます。

背後には急傾斜の山地が迫りその山腹は木の伐採が禁じられ、雪持林として保存されています。

険しい山岳地帯ゆえ秘境とも呼ばれ伝統的な合掌造りの景観や文化が今でも大切に守られています。
# by hime-teru | 2009-11-06 21:31 | 一期一会 | Trackback | Comments(2)

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