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小さな世界遺産の村】
相倉合掌造り集落 …★
のどかな田園風景の中に時間の流れが止まっているような
歴史が生きています。
国道304号より少しはいったところに現存する20棟の合掌造り集落があります。古い物は
400年前の建造と言われています。

日本の原風景、長閑な山村風景です。
菅沼と共に世界文化遺産に登録されました。

屋根の勾配は60度断面は正三角形に近い、雪が滑り落ちやすい構造になっています。この大きな屋根をを支えるのは根本が曲がった「チョンナ」と呼ばれる太い梁(ナラの木)釘は一切使われていない。縄とネソと呼ばれるマンサクの木が使われています。屋根の葺き替えは15~20年ごと。今は森林組合が中心になって行われているとのこと。

現在の相倉集落には、合掌造りの建物が新旧民家と寺、道場、合掌小屋を合わせて24棟あるのだそうです。そのうち人が住んでいる民家は11棟で、旧民家の空家が10棟もある。
「合掌造り」の名称は、屋根を構成する主要部材名を合掌と呼び形式を合掌組みということから一般化したのであろう。小屋造り住居を「ナムアミダブツ建て」といっていた。
両手を合わせて合掌礼拝する形からのようです。
熱心な真宗信仰地帯らしい命名である。
【相念寺】塀や生け垣のない開放的な構えとなる。付属屋としては土蔵と板倉がみられる。信仰の中心である浄土真宗の寺院「相念寺」が城端往来をはさんで「西方道場」と相向かって設けられており、また集落の護り神である地主神社がやや高い位置に設けられている。道場とは浄土真宗の布教所として建てられたものであり、当時の公民館的な機能を果たしていたと言われている。

石垣で組まれた棚田、農耕地で使用する水は西方の谷川(仙道谷)からの導水を利用している。

合掌造りの魅力は表面的な合掌造りに加えて五箇山の気候から生まれた人びとの生活の知恵から受け継がれてきた伝統、助け合いによって守り続けてきた文化を知ることから魅力をくみ取ることが出来ましょう。

五箇山には「組」と呼ばれる生活上の相互扶助の組織が古くからあり、草刈り、水路清掃、除雪、神社の出役など現在でも継承されている。さらに、ユイ(結い)やコーリャク(合力)と呼ばれる屋根の普請や茅屋根の葺き替え時の互助制度がある。このような制度成立の背景としては浄土真宗による信仰の篤い結束力と厳しい自然環境下での協力体制などが指摘される。まさに友愛と忍耐、安寧秩序、念仏の教えを中心に共同体としての結束です。厳しい自然条件の中で助け合いながら暮らして来られたからでしょう。

【合掌小屋】

ユネスコは昔ながらの家屋と周辺の棚田、ブナやスギの林が織りなす景観の美しさの中に人が住み続け景観を守っていることが評価され世界遺産の村に登録されたのですが・・・。当時、吉報が届いた時は集落の十人近い小・中学生がくす玉を割り、広場には住民90人とほとんどが集まり、世界が認めた家屋に住む誇りを感じたそうです。
しかし、世界遺産の誇りも、昭和三十年代から続く過疎化を食い止められず、
現在、相倉の住民は五十人を切る。小・中学生は一人。四割は高齢者だそうです。昨年、赤ちゃんが15年ぶりに生まれたという朗報もありましたが、八町村が合併した平成16年11月の新市誕生後も
過疎の流れは止まらない。一人暮らしのお年寄り二人が、昨年、集落を離れ県外の家族の元に身を寄せられたそうです。それほどに高齢者には厳しい生活環境なのです。
『暮らしが息づく世界遺産であり続けられるのか』。残された住民たちは、確かな未来を見通せないでいると、新聞の記事を読み、ただ懐かしい、綺麗!、心が癒されると、軽々しく訪れる事が心苦しく複雑な気持ちになりました。(38年の豪雪を体験している私は、山里の五箇山は、毎年、あの様な豪雪に耐えていらっしゃるかと思うと心が痛み言葉もありません)人情が希薄になってしまった現代、
五箇山に確かな未来がありますよう祈るばかりです。※平村教育委員会、北日本新聞の記事を参照に致しました。